2021年12月21日
設立準備期間〜現在まで、300記事以上を公開してきた「かぜのーと」。軽井沢風越学園の“いま”をなるべく正直に、スタッフや子どもたちが書き綴ってきました。
改めて、この積み重なってきた風越の道のり(記事)を届けることはできないかと考え、今までの記事を新たな視点でまとめる「キュレーション企画」を始めてみることにしました。
保護者、子ども、スタッフ、地域の方々…その人ならではの視点で切り取ったかぜのーとをお届けしていきます。第四回目は、保護者の木下史朗さんです。
かぜのーとの「キュレーション企画」について聞いたのは、澄んだ青空と、先日冠雪しすぐ溶けた浅間山が見える風景の中でのことだった。
なぜか靴を脱ぎ、羊が食べて短くなった雑草の感触を感じているのかのように畦を裸足で歩いている3年生の娘。以前いつの間にか靴下が残り一足になっていて、あるはずの靴も無くしたので、スティーブ・ジョブスじゃないんだから靴を履いてくれと話したことがある。もちろん2012年生まれの彼女に伝わるはずもなかったが、見ていて気づきはあった。どこでも裸足になるわけではない、アウトレットでは脱がないけれど、知人のカフェでは土足エリアでも脱いでいる。屋内、屋外ではなくて、心からリラックスしている証のようだ。一人で行く田んぼでは長靴を履いていたけれど、友達と一緒に過ごすそこでは裸足になる。
その横で1年生の息子は友達とかけっこをしている。稲刈りは先月のうちに終わり、刈り取られた稲株が冬ぶちを待っている。(信州では冬に行う田おこしのことを「冬ぶち」といい、藁を分解し土中の微生物に空気を与え良い米作りの土台になると昔聞いたことがある)
機械で植えたのと異なり、規則正しく並んではいない。だからか何かをそこに感じる。もちろんデコボコもあるけれど、走りにくそうにしている様子はない。一緒に走る子どもたちの体格もまちまちだ。走って、ゴールして、笑いながら集まり少し話をしてまた走る、けれども今度はさっきまでと少し違う。3歳の子は手前から、息子と同じ学年の子は一番奥からのヨーイドン。でもやっぱり大きい子が速い。げらげら笑いながらその次には、息子はもっと後ろからのスタートになっている。
暦では冬の始まりだが、日あたりのよい田んぼに抜ける風には不思議と冷たさを感じず心地よかった。子どもたちそれぞれの過ごし方を眺めながら、何を書けばいいのかなと考えたときに、まだ風越学園が開校するまえ、かぜのーとで知った1冊の本を思い出した。
紹介されている「生きていることは変わってゆくこと」が、いいことばかりではない生活の変化で戸惑っていた僕を勇気づけ、本を読んだ記憶がある。今となってはいつのことか覚えていなかったが、2018年5月は、子どもたちが初めて「かぜあそびの日(風越学園が開校前、2018年にスタートした月に一度の幼児向け体験会。その後、2019年には認可外保育施設「かぜあそび」となった)」に参加したころの記事だ。
僕が18歳で生まれ育った佐久市を離れ、都市に住んでいた18年後に東信へ引っ越したのは、田舎暮らしと子育て環境への好奇心からだった。対外的には「専門性の高い仕事で不自由のない暮らしというコンフォートゾーンから、挑戦してみようと感じた。」などと説明していたけれど、実はビル風がびゅうびゅうと吹き流す公園で、蟻を怖がり逃げた娘の姿に夫婦で衝撃を受けたのが大きい。3.11以降膨らんでいた生き方への違和感に引き金を引かれたのかもしれない。
そんな僕らだったから、「かぜあそびの日」を知りすぐ申込をした。初めての参加日にゴリさんが、鳥井原の森と駐車場の間にある黒土でできた山の前で話してくれたことをよく覚えている。「小1ギャップ」について、「過不足ない関わり」について腑に落ち意識したのはその時が初めてだった。
親とは離れて過ごす「かぜあそびの日」。目隠ししないことを決めたスイカ割りをはじめとして、どうしていたかはかぜのーとを読んでのちほど知った。でも、鳥井原の森がいい時間だったことは、帰りの車中が大いに盛り上がったことからすぐにわかっていた。
そうして息子は認可外保育施設「かぜあそび」に通うことになった。一日中雨が降った日の帰り、泥だらけの衣服を持ち帰ろうとした際のこと。手に覚えた違和感から長靴をひっくり返すと、大量の泥水が出てきたことを妻から聞き、ふたりで大笑いした。
どんな過ごし方をしたら靴がこんな風になるんだろう。自由奔放に今を生きる4歳児は、振り返りはしない、その日のことを大人が理解できるよう聞くのは難しい。
後日かぜのーとを読み、その瞬間に感じているだろう気持ちを知ることができた。そうか、水たまりにずぼっと嵌ることや、泥の表面がぺちゃぺちゃと足を跳ね返らせる感覚を面白く感じているんだ。
弟が「かぜあそび」に通っているからか、「かぜあそびの日」の経験があったからか、1年生になった娘に2019年夏に開催された風越ワークショップの話をすると迷わず行きたいと言った。参加した日の夜、本人が話してくれたことがいまでも残っている。
「虫をとったり、大きな葉っぱを拾ったり、キノコを探したよ。とくいなことはそれぞれ違っていいんだよ。」
「学校っていうのは、自分が好きなことを楽しんでするものなんだって。だから勉強は誰かにやらされるんじゃなくて楽しいことなんだよ。いま、しんさんがつくってる学校は、そういう学校なんだって、それならわたしは行きたいなぁ。」
そうして縁あり転校した風越学園。入学前から本が好きだった娘は、コンペで選ぶのでなく、情景をもとに建築家と一緒につくるという極めて稀なプロセスで設計された校舎で、グレートホールとしてのライブラリーを楽しんでいる。
「お」組でKAIさんとの出会いがあり、どんどん厚い本を読めるようになって、学校ではいろんな姿勢をとりながら本の森に没頭しているそうだ。
家でも気が付くと、変な姿勢で本を読んでいる。どうしてそれが本人にとって自然なのかわからないが、テトリスのブロックが落ちてきたような恰好をしていたかと思うと、Bボタンを押しているのか時々向きを変えている。家にある本はとうに何度も読んでしまっていて、借りてきた本を一日に何冊も読む。そんな姿勢だと目が悪くなるかなとか、思うところはあるけれど、没頭しているときに声はかけない。ライブラリーが自宅にも続いているのだなと考えるようにしている。
そのソファーでは息子も本を広げることが増えてきた。「かぜロケット6号」を経て今年小学校に入学した。相変わらず日中何があったかの話は混とんとしており、「6歳の人に届いた、謎の招待状」をはじめとして、かぜのーとを読んで知ることが多い。西部小学校まで歩いた日の夜は、「マジさいあくだった7キロも歩いて疲れたしたくさん喧嘩したし」などと言っていたが、その後もことあるごとに「俺、できるぜ、だって7キロも歩いたし」と主張するのを聞くと、卒園までの十数日、得難い過ごし方をしたのを感じる。
息子はまだ読み書きはたどたどしく、一人で文字を追うのが疲れるのか、図鑑のように写真や絵が大きいものを選ぶ。
ある日、ライブラリーから「たんけんライトシリーズ 宇宙たんけん」という本を借りてきた。黒い紙の上にカラー印刷された透明フィルムが重なっており、望遠鏡を形どった付属の紙をあてると、その白く丸いレンズ部分がフィルムの下に入り、暗闇の中からぽかりと火星やスプートニクが現れる仕掛け絵本だ。
その本には1冊につき3つの望遠鏡が付属しているはずだが、借りたそれは残り1つだけになっていた。
最後の1つがなくなると探検できない、同じシリーズで全部なくなっている本もあるんだと言う息子。なければどうする?と聞くと、「えーできるかな」と口では言いながら、押し入れからカッターシートと黒い画用紙、折り紙、はさみを出してきて、慣れた手つきでダイニングテーブルに並べた。
本の付録を型紙代わりに黒い画用紙へ転写する。まだ材料を無駄なく使う考えはないから、どん!と真ん中に置いてなぞる。少し見ないうちに、はさみで切るのはずいぶん上手になった。乾いた薪に火をつけるように容易く望遠鏡の本体ができる。
レンズの部分は、材料に両面白い紙が見当たらず折り紙の裏を使う。グレーの折り紙を丸く切って、裏の白い部分でなくグレーのまま貼りつけてしまうが声はかけずに見守ると、気がついてもう一枚上から丸く切った折り紙を、今度は白いほうを上にして貼った。
そっと試してみる。一面黒い宇宙の中に、ギザギザな丸ながらでもくっきりと惑星が浮かび、新しい発見をしたかのように頬がほころび目が輝くのが分かった。
ある日突然できるようになったわけではない、このかぜのーとのように、普段から過不足ない関わりによって「できる」経験を積み重ねているからだ。
自分で考えて決める。自分の手でやってみる。前例がなければ前例になる。無いものは、作ればいい。
幸せに生きるために大切なことは何か、こうして「~したい」気持ちを発展させ得ているのだと思う。
一方「~したい」が尊重される場所で、「~したくない」ばかりになったらどうするのだろうという疑問を僕はもっていた。答えなんてない疑問だ、でも試行錯誤は始まっている。
後期になった娘が選んだプログラムにも「ロッククライミング」があった。多くの子どもたちと同じように、岩と無縁の生活を送っている彼女がそこに着き、ミッションインポッシブルでしか見たことがないような岩を目の前にする。前日持ち物を準備する娘を眺めながら、登れるのだろうか?そもそも登ろうとするだろうか?と思っていた。
アクティビティを終え帰ってきたその日、1回目はとても難しいコースを選択したこと、いいところまで行ったけれど断念したこと。節約して時間をつくり2回目にも挑戦したこと、1回目の経験を活かしコースを選択、疲れて手の力が弱くなっていたけれど粘って登り切ったこと。
疲れていてもどうしても聞いてほしい様子で話す瞳は輝いていて眩しい。自分の新たな可能性に気がついたときの高揚感があふれていた。
***
どうして風越学園を選んだのかと聞かれる機会は少なくない。これまで、「子どもたちが希望したから」と答えつつ、その質問と回答にしっくりしない気持ちを持っていた。かぜのーとを振り返り、いま言えることがある。
僕らは学校を選んだわけじゃない、そこにある根っこの思いを信じて、知らないところへ「一緒に冒険する」ことを選んだだけなのだ。
道に迷ったら立ち止まり、行き先を検討する。
答えが見つからなかったら元来た道を後戻りするのが鉄則。
でもそれでは何も見つからない。
いつもの道を再発見するだけのこと。子どもってすごい!って陳腐なセリフだけど言ってしまう。
迷いなくすすむ。
迷っているのを承知で、恐れず迷いながらすすむ。
でも、私たち大人も確かに昔もっていた感性なんだと思う。
時々その感性は知らず知らずのうちにもち上がってくる気もする。迷うことを恐れず思い切って迷ってしまおう。
迷った道には新たな発見がある(はず)。
〔すすめ、すすめ!の記事より抜粋〕