風越のいま 2020年9月21日

自分自身でつくりだす

岡部 哲
投稿者 | 岡部 哲

2020年9月21日

 ラボは今日も朝からおおにぎわい。「こぐま(岡部)、できた!!角(ツノ)つけたんだよ。」夏休みが明け一番の満面の表情で、カズヤがやってきた。帽子につける角を自分で切ることができたのを見せにきたのである。それは、カズヤにとってできるかできないかの瀬戸際で、一旦は迎えた挫折とそれを乗り越えた達成感、自己肯定感の結晶のようなダンボールの一片だった。

 ついさっきまで、ぶっきらぼうに「こぐまがやってよ。」というカズヤに、「欲しいなら自分でやってみなー。」と言ったところ、「そんなのできない。おれには無理だし、やってもらわないとできないんだよ。」と怒り、膨れていたカズヤ。彼はしばらく自分でつくることに対して挫折を味わっていたようだ。

 ここで、言われた通り僕が作ったり、美しい完成形を見せるのは容易いが、それでは解決にならない。そこで、厚みのあるダンボールを簡単に切る方法だけを見せ、一か八かでその場を去った。もちろん、できなくなりそうな場合には別の手段を考えるのだが、まずは、彼が諦めるかやりきるかを遠くから見ていた。そうして、30分ほど経った頃、自分でやり切ったのだった。カズヤの目には、「自分にはできる!」という力強さが漲り、彼がこれからも自分自身で新しいものをつくり続けていくであろう自信がありありと感じられた。日常に紛れそうな小さな経験かもしれないが、こんな一つひとつの変化のために、僕のしたいことではなく、子どもがしたいこと、できることがどこにあるのか、子どもの見ている現実を見極めたいと感じている。

 かくいう自分は、うまく描かせよう、見栄えをよくしようと、子どもの想いを抜きにしていたこともある。そして、大人にとってのアートや完成形を気軽に渡した故に、残念な結果を沢山経験してきた。彼らにとってのリアルに、大人にとっての本物を強引に加えた時、憧れが生まれる場合もあるし、自分の望みとは違うと突っぱねるたくましい子もいる。しかし、往々にしてありがちなのは、相手は上手く自分は下手であるという優劣の概念が生まれること。そして、大人に対する依存心と、子どもの自分自身に対する無力感であるように感じる。子どもにとって、突然押し付けられる正解を、違和感として跳ね除けるか、無力感として自分に閉じ込めるかは人によって違うだろう。しかし、どちらも自分が行動する必要はないという感情につながることが多いように思う。

 さて、軽井沢風越学園では自分の「やってみたい」から始まる時間がたっぷりとある。ここで起きる子どもたち自身による自己実現は、生涯にわたってその人の宝物になるはずである。彼ら自身でやってみることの行末を想像し、「やってみるかい?」と手渡す。そして、苦悩の末の自分自身でつくり出す喜びを分かち合えた時、それは私たち大人にとっても素晴らしい贈り物なのだ。

 

#2020 #ラボ

岡部 哲

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どういうわけか、大変な方に転がってしまうんです。楽しいけど。

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