だんだん風越 2022年2月23日

「アウトプットデイ」のこと、もっと話そう。(兼松 佳宏)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年2月23日

設立準備期間〜現在まで、300記事以上を公開してきた「かぜのーと」。軽井沢風越学園の“いま”をなるべく正直に、スタッフや子どもたちが書き綴ってきました。

この積み重なってきた風越の道のり(記事)をもとに、子どもたちや保護者、スタッフが学び合うことはできないかと考え、かぜのーとの記事をもとに対話する、(「アクティブ・ブック・ダイアログ」ならぬ)「アクティブ・かぜのーと・ダイアログ(AKD)」を始めてみることにしました。

一回目のテーマは、「アウトプットデイ」。記事のキュレーションは、保護者の兼松佳宏さんです。


「アウトプットデイ」は、季節に一度のお祭りのような日。それぞれが数ヶ月かけて探究してきたプロジェクトのひとつの成果を、同じ学校の仲間やスタッフ、保護者へと共有する場です。

本を読んだり、講義を聞いたりという”インプット”でも、ぼーっと考え事をしたり、対話をしたりという”スループット”だけでもなく、あっちへこっちへ、ふわふわと移り変わっていくプロジェクトを、ひとまずのゴールに向けて「えいや!」っとギアを上げて、その途中の悲喜こもごものプロセスをほとんど知らない他者に向けて、目に見える形で披露してみるドキドキの場。それは、外的な成果だけでなく、内的な変容も晒されてしまう、タフな正念場。

そんなアウトプットデイが、どうして風越学園(の子どもたちやスタッフ、保護者たち)にとって大切なのでしょうか? そして、私たちはどんなアウトプットデイをつくっていきたいのでしょうか? 今回はそんな問いとともに、「アウトプットデイ」の記事を集めてみました。

実際、アウトプットデイではどんなことが起こっているの?

百聞は一見にしかず。まずはアウトプットデイの様子をみてみましょう。以下の記事では、2020年12月23日に開催された第3回の様子が、17分の映像にまとまっています。

「なぜ川の水を飲もうと思ったのか」など発表のユニークさもさることながら、発表をする人と聞く人が、ともに場をつくり上げている様子が伝わってきますね。

▼2020年12月の映像をご紹介します

続いては、2021年3月16日に開催された表現アウトプットデイ(編集部注:2020年は「つくる・描く」「音楽」「スポーツ」表現プロジェクトとして実施、発表の場を通常のアウトプットデイと別に設けた)の様子です。アウトプットデイ前日の「つくった作品をダンスの背景にしたくない派vsよりよい世界をつくるためにダンスとコラボレーションしたい派」による生々しい議論も見どころです。

▼「出会う」から「自分らしく」へ 〜表現プロジェクト〜

この回は山あり谷あり、コロナ渦とともに始まった開校一年目の締めくくりでもありました。記事を書いた、石山れいかさん(編集部注:2019,2020年に長野県教育委員会から派遣)はこう締めくくっています。

教科の枠を超えて様々なコラボレーションが生まれ、子どもたちが自分の好きや得意を大切にして没頭する姿。これは昨年から思い描いてきた光景。ゴリさんが「いい感じだね。みんな本当に没頭していて。なんか、僕らが去年から描いてきた光景があってさ、ジーンとしちゃったよ…。」と言ってくれた時、諦めなくてよかったなと思った。

数々の名シーンが生まれていくアウトプットデイ。その最近の様子はこちらです。3、4年生は保存食・昆虫食プロジェクト、炭焼きプロジェクト、畑・大豆プロジェクト、家・家具プロジェクト、にわとりプロジェクトに取り組んできたそう。どのテーマも興味深い!

▼第8回(12月7日)アウトプットデイ当日の様子

ちなみに、2021年度も引き続きコロナの影響で、アウトプットデイがオンライン開催になった回もあり、この記事では、オンラインと対面の違いについて触れられています。

オンラインでのアウトプットデイでは、どうしても自分たちの発表準備に追われ、またそのままChromebookを見続けてしまうことがあるのですが、対面で直接的なフィードバックがあることは、確実に子どもたちの熱量に繋がっているなと感じます。

対面での開催は、「あの子がこの場面でこんなだったね」などとスタッフ同士や保護者同士、またスタッフと保護者で小さくともコミュニケーションを積み重ねられる機会としての価値もあります。自分の子ども以外の子への関心を持ち、アウトプットをおもしろがる保護者の姿に嬉しく、心強く思うスタッフは少なくありません。

記事にある通り、学びのコミュニティとして広がったり、深まったりしていくためには、「子どもも大人も自分や自分の子ども以外の他者に関心を持つこと」が大切。そういう豊かなご縁、関係性を育むのも、アウトプットデイというお祭りの重要な役割なのかもしれません。

どんな思いで、アウトプットデイに向かっているの?

非日常空間としてのアウトプットデイですが、それは日々の営みの積み重ねでもあります。続いて、風越学園のスタッフがどのような思いや願いを込めてアウトプットデイをつくっているのか、その一端を覗いてみたいと思います。

まずは、ゴリさん(岩瀬)が書いた記事から。『もしも原子が見えたなら』という一冊の科学絵本を「ヒマだったら一緒に読んでみようよ」という一言から火がついて、「原子分子プロジェクト」に至るまでのプロセスがありありと描かれています。

▼想定外から生まれるもの

別々にやっていたことがたまたま理科室で同期して、思わずからだが動き出す。開かれた空間と関係による想定外の出会いから生まれていく熱みたいなもの。この熱はきっと何かにつながっていくのだろう。そんなこんなで、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと想定外を楽しみながらアウトプットデイに向けて動いています。

分子の説明カードや模型をつくったり、スライドを準備したり。アウトプットデイという晴れ舞台があるからこそ、わかったようなわかっていないような、頭の中にあることたちが顕在化されていく。そして試行錯誤しながら立ち現れた(失敗作も含めて)実物を目にして、また新しいことに気づいていく、そんな何周もぐるぐると回る探究のサイクル。

「サキはぼくの想定を軽やかに超えていった」とゴリさんが脱帽するほど、どんどん突き進む子どもたちの様子は圧巻でした。

続いて、スタッフのあさはさん(酒井)は、「なにこの熱量!私、この空間好きだ!」という喜びとともに、アウトプットデイならではの熱量がなぜ生まれたのかについて振り返っています。

あさはさんはプロジェクトをつくるにあたって、「外に出ること」「自分で情報を取りに行くこと」を何よりも大切にしていたそう。「動物のいのち」について考えたいのなら、動物病院の先生に自分で電話して、アポをとって話を聞いてくる。

「3時間という取材時間はあっという間で、その中で2人の質問は尽きることがなかった」というインプットとスループットの濃度が、アウトプットの熱量につながっていったのでしょう。

▼アクションは探究を加速させる

次の日、テーマの時間で2人は取材の様子を他の子たちにも伝えてくれた。2人の行動の早さにみんな驚き、楽しそうに帰ってきた2人を目の当たりにした。それがきっと他の子たちにも伝播したのか、その日からみんなのアクションが確実に加速していった。他の子たちも様々な人に取材をした。高校の先生、カウンセラー、大学教授、りんご農家・・・。

自分で情報を取りにいったからこそ、その人にしか語れない経験があり、そのオリジナリティがみんなのアウトプットに表れていた。子どもたちはアクションしたからこそわかったことをたくさん言葉にしていた。だからこんなにも熱量のあるアウトプットデイになったんだろうなあ。

普段は引っ込み思案でも、「プロジェクトなので」といういい意味での言い訳があれば、動き出せることもある。そういう意味でひとつの目標としてのアウトプットデイは、ちょっと背伸びをするための”愛のある無茶振り”といえるのかもしれません。

とはいえ、学びの手段であるアウトプットが目的そのものになってしまわないことも大切。たまちゃん(笠原)が書いたこちらの記事では、「アウトプットを意識しすぎたモヤモヤ期」について綴られています。

▼「見えない」を「見える」にする

テーマが決まって「いよいよスタート!」となっても、最初から「アウトプットをどうするか」という議論に終始して、雰囲気が険悪になってしまったグループもあったそう。そんな空気を打開したのは、シンプルに「手を動かすこと」でした。

「問いについて考える時間をとれば、どんどん探究していくだろう」と想定していました。
ところが、子どもたちの様子をみていると、今回はその想定が違っていたのかなと思います。実際には、まるで遊んでいるかのように、手を動かしながら実験をしたり何かを作ったりしていくうちに、子どもたちの思考が活性化されていきました。「これって、どういうことだろう?」「ここ気になるね」という会話や、ふりかえりの言葉が発せられるようになってきました。最初は、あまり興味なさそうに開いていた本を、食い入るように読むように変わってきました。手を動かしたり、実験をしたりすることで、「問い」がより身近になり、もっと考えたい、もっと知りたいという気持ちが子どもたちに湧き上がってきたようにみえました。

こんなふうにアウトプットすればいいよ、と例を示せば示すほど、子どもたちはその”正解のようなもの”に合わせようとしてしまうのかもしれません。こうしたスタッフの視点に触れてみると、一朝一夕ではないアウトプットデイの豊かな奥行きを感じることができますね。

アウトプットデイを専門家はどう見た?

本来アウトプットデイは、近隣の方も含めて、多くの人に開かれていく場として想定されていました。現在の状況ではどうしても人数制限がありますが、これまでもさまざまな専門家の方が感想を残してくれています。当日の様子、スタッフの思いに続いて、最後はそんな外からの目線をご紹介したいと思います。

まず、「こたえのない学校」代表/『探究する学びをつくる』の著者で、風越学園のカリキュラムづくりにも関わる藤原さとさんは、みんな「学校が好きなんだなぁ」と感じたとともに、アウトプットデイの発表を見て「子どもたちが自分本来の姿を出せているように思いました」と書いています。

▼みんなの居場所になれるためにープロジェクト アウトプットデイ一日参観記(藤原さと)

風越学園の発表は、みんな「わたし」を謳歌しているように見えました。そして、その発表スタイルは「きっちり」「かっちり」ではないんです。7年生(中学生)くらいになるとさすがにしっかりしていますが、3・4年生くらいだと、もじもじしたり、ちょっとふざけてたり、手がだらだらしていたり、もあります(笑)。でもそれが子ども本来の姿のはず。もちろん、大人顔負けのプロジェクトもありますが、大人が求めたり「すごい!」っていうような仮説じゃなくて、突拍子もない思いつきや、「自分のしたい」をこれからもますます大切にしていくことのほうがよっぽど大事。このまま、「〜たい」を大切にしていけると、寧ろどんどんすごいことが起きそうで、ワクワクします。

そして藤原さんは、「自分で学びたい以上のペースで学びを強要されると、勉強が嫌いになってしまう」からこそ、「学びが楽しいと心の底から思えるようになること」が大切だと続けます。

発表のクオリティの高さよりも、失敗も含めて心の底から学びを楽しんでいそうかどうか。そんな目線でアウトプットデイを眺めてみると、また違った感慨があるのかもしれません。

最後は、発達障害心理学を専門とする神戸大学の赤木和重さんです。

▼【第7回】アウトプットデイ,「フツーにおもしろい!」

こちらの記事では、ふと「フツーにおもしろい!」という感想が出てきた理由について振り返っています。ポイントは「真理を探究する仲間としての保護者」の眼差しでした。少し長いですが、引用してみます。

子どもの発表の出来不出来を評価するのではなく,子どもの発表内容をおもしろがるまなざし。これは,決して私だけではなく,多くの保護者も持っていたように思います。

例えば,ある3,4年生の子どもたちが,「にわとりを飼う」計画や,にわとりが住む小屋の設計について構想を発表していました。

10名程度の保護者のかたが発表を聞いていました。その後,質問がじゃんじゃん出てくるのです。例えば,「鶏は鳴き声が大変では?」「チャボ,飼っている人がいるけど小さくて飼いやすいよ」「なぜ180センチ×180センチの広さにするの?」「その小屋の設計で工夫したところは?」「その高さだったら,鶏を食べる動物が飛び上がれるのでは?」などの質問がどんどん出てきます。子どもたちは,「ちゃたまやの社長に聞きました」(?)(編集部注:ちゃたまやさんは、お世話になった佐久市の卵専門店です)と答えたり,「うーん」と考えなおしたりしています。

とても爽快なやりとりでした。

子どもの知識の足りなさを,上から目線で「教えてやる」という雰囲気は全くありませんでした。そうではなく,にわとりを飼う計画自体をおもしろがり,小屋の設計理由を知りたがり,どうしたら成功できるかを一緒に考えていく雰囲気があふれていました。そう,これはまさに研究者があつまる学会での質疑応答と同じです! 相手の研究をおもしろがって,ともに真理を探究していこうとする雰囲気にあふれていました。

わからなかったことがわかったとき、ますます好奇心は駆動してゆきます。こう見てみると、初めてオーディエンスに晒されるアウトプットデイが、たしかに今のタームのひと区切りではあるものの、次のタームの始まりにもなっているのですね。

※もうひとつ、赤木さんのこちらの記事もおすすめです。

【第8回】ゴム銃バンバンフェスティバル〜風越学園の「語られかた」を考える

誰がアウトプットデイをつくるのか?

ここまで、アウトプットデイについての記事をまとめてきましたが、プロジェクト学習のプロセスとしての位置づけは見てきたものの、アウトプットデイというお祭りの日をつくるときの工夫そのものについては、まだまだ余白があるように思いました。(おそらく記事になっていないだけなので、もっと聞いてみたくなりました◎)

赤木さんも”真理を探究する仲間”としての保護者の役割について触れていたように、個人的にとても大切だなと思ったのは、アウトプットデイはひと目に晒される時間であるからこその、観る側のあり方です。

普段の自分よりも少し背伸びをして発表に臨むとすれば、アウトプットデイは”パフォーマンス”の一環ともいえます。
「今ある自分ではない誰か(who we are not)をパフォーマンスすることで自分という存在(who we are)になっていく」ということを提唱する「パフォーマンス心理学」という分野では、”パフォーマー”だけでなく発表を観る”オーディエンス”も、発表者と向き合うことで発表者を支え、そのことでその場を共同でつくっている者として重要視しています。

現在の自分の輪郭を超えて振る舞うには、勇気がいります。だからこそ必要なのは、「できないことをできないままする練習、やったことがないことをやったことがないままする練習」であり、勇気をもって演じることを可能にする環境をつくり上げること。

僕自身もその意識が薄かったなあと反省するとともに、次回のアウトプットデイでは、ただ受動的に見に行くのではなく、受け取る側として、場をつくる一員として、存分に楽しんでみたいと思いました。

あと、もうひとつ、誰がアウトプットデイをつくるのか? という問いでいうと、そこにもっと保護者が関わる余地があるような気がしました。スタッフのみなさんは普段からインプットやスループットに集中しているからこそ、内から外に伝えるアウトプットに関しては、敢えてプロセスを知らない他者をもう少し巻き込んでもいいのかな? など。

例えば、赤木さんの描写にあった問いのシャワーを、アウトプットデイのちょっと前に投げかけるタイミングがあることで、もっと深まることもあるかもしれない。(”スループットデイ”と呼んでもいいかもしれません)

あるいは、僕の経験(オンライン講義×地域プロジェクト学習の「さとのば大学」というところでプロジェクト型学習の講師をしています)でいうと、あくまで発表のクオリティではなくプロセスのシェアであり、楽しさが伝わればいい、と思っていつつも、なまじその途中経過の奮闘や葛藤、紆余曲折を知っているだけに、「もっとあの部分が伝わればよかったのにもったいない!」と思ってしまうこともあります。(大体は発表後に思わず、「ここに至るまでにこんな壁があって、こうなっただけでも奇跡なのだよ」みたいなことを、僕が補足してしまうのでした)

であればこそ、プロジェクトの魅力を伝えること、自分の気づきや学びをありありと伝えること、そんなアウトプットのしかたについて、ワークショップデザイナーや編集者、キュレーターやデザイナーといった専門性を持つ保護者と一緒に考えたりしてもいいのかな? でも、それもやりすぎると「きっちり」「かっちり」になってしまうのかな? でも、伝わる楽しさ(”伝える”でもなく)も感じてほしいなあ、などなど。

はい、こうして問いが堂々巡りしてしまう感じも、かぜのーとの魅力ですね。

みなさんはどんなアウトプットデイをつくってみたいですか? ぜひ、このまとめ記事をきっかけに対話できるとうれしいです◎

#2021 #アウトプットデイ #キュレーション #保護者

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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