だんだん風越 2022年2月22日

風越に養護教諭がいること

清水 春美
投稿者 | 清水 春美

2022年2月22日

10月下旬、風越の保健室に、養護教諭を目指すもえちゃん(總山萌さん)が来てくれました。インターン期間は2週間、そのうち3日はお向かいさんのほっちのロッヂで過ごしました。短い期間ではありましたが、風越で過ごした時間を、レポートにまとめてくれました。

この記事ではそのレポートを受けて考えたことを、言葉にしてみました。まずは、もえちゃんのレポートの一部を抜粋してご紹介します。


◆「学校現場に、養護教諭は必要か」という問い
私の関心ごとは、「学校現場に、養護教諭は必要か」という問いです。これに対して私の持つ仮説は「養護教諭は、学校現場に必要である」ですが、なぜこの問いに関心を寄せるようになったのかについて、まずお伝えします。

◆なぜこの問いに関心を寄せるようになったのか
これはあまり知られてないことですが、養護教諭は日本独自の職業であり、韓国と台湾を除いて海外にはない職業です。海外には「スクールナース」という学校看護師こそいますが、複数校を兼任していて常駐ではなかったり、学校外部に所属する『医療職』として学校に関わっています。一方、日本の養護教諭は各学校1校あたり原則1人は常駐していて、学校内部に所属する『教員』として勤務します。

しかし、海外には「養護教諭」という職種がないにも関わらず、学校現場が成立しています。この事実は『学校教育が成立するために「養護教諭」の存在は、絶対条件ではない』と捉えることもできます。実際、私がデンマークに行った際、養護教諭が担っている応急処置や健康教育は誰が代替しているのか、現地の教員のみなさんに伺ったところ、「応急処置はスクールナースや親が、健康教育は子どものそれぞれの担任が行うから問題ない。」という答えが返ってきました。

そうして浮上したのが、冒頭にご紹介した「学校現場に、養護教諭は必要か」という問いです。それ以来、私は養護教諭の本質的な価値はどこにあるのか見出そうとしてきました。いろんな教育現場をみる中で、軽井沢風越学園の存在も知りました。学校という形態でありながらも、これだけ自由な校風で存在する空間が衝撃的でしたし、そんな風越学園で養護教諭はどのような役割を担い、どう存在しているのかが気になりました。風越学園にとっての養護教諭を知ることで、養護教諭の本質的な価値を見出せる気がしたのです。

◆風越学園を見てどう感じたか
風越学園での保健室インターンでは、いろんな子どもたちやスタッフと交流し、いろんなことを感じて、学びました。前期のみんなにお気に入りの場所を案内してもらったり、強い風の中で一緒にお昼ごはんを食べたりしました。後期のみんなのかざこしミーティングを見学したり、うろうろ風越でアウトプットディに向けた準備を見させてもらったりしました。子どもたちの健康に関わるウェルネスチームのみならず、前期と後期それぞれのスタッフや事務の方など、いろんなスタッフのみなさんにもお話を伺いました。

そんな2週間を経て、一番印象的だったのは『子どもに関わるすべての大人が、「養護」の担い手だった』ということです。

「養護」という言葉を聞いて「養護学校」をイメージする人もいると思いますが、「養護」の本来の意味は、『未熟な子どもが日々を安全で、健康な生活を過ごせるように世話することにより、人間としての成長を支援すること』で、その活動は『一人ひとりのからだを護り、健康の維持増進をはかっていくとともに、一人ひとりが社会の中で自立した人間として成長できるように育む働きかけ』とされています。

通常校であれば、『自分の関わる子どもだけ指導する。それ以上は私の関わる範囲ではないから。』と、境界線を引いてしまいがちです。しかし風越学園では、後期の子どもに対して前期のスタッフが、ある子どもに対してその子の保護者ではない方が、特別な支援を要する子どもに対して事務のスタッフが、「養護」の姿勢のもと分け隔てなく関わっていました。特にわかりやすい場面が、前期の身体測定でした。担任のスタッフが「クラスの中で歯が抜けた子がいるから、それを題材に歯についてお話することで、自分たちの体の成長に目を向けられないかな」と考え、担任と養護教諭であるはるちゃんが子どもの実情に合わせて身体測定をアレンジしていきます。「養護」の関わりを養護教諭に任せきりにするのではなく、子どもたちをよく知っている担任と、養護の専門家である養護教諭が一緒になって身体測定を作り上げていました。

◆風越学園を通して見えた、養護教諭の未来
この2週間を通して、前述の通り『子どもに関わるすべての大人が、「養護」の担い手だった』という気づきがありました。「それならば、養護教諭はもう必要ないのでは?」と感じた方もいらっしゃると思います。しかし、私は「必要ある」と考えました。

「養護」は子どもと関わる上で当たり前のような姿勢や考え方です。しかし、当たり前ゆえに重要視されず、時に忘れられ、薄れてしまうことも事実です。風越学園で奮闘するはるちゃんをそばで見させていただいて、そのような状況に陥らないよう、養護教諭という「養護」の専門職が、学校における「養護」の拠点として、また発信地として存在することが必要だと感じました。


今回のインターンに対して「学校現場に、養護教諭は必要か?」という問いとともに臨んでくれて、その問いに対して「養護教諭は絶対必要」という思いをもえちゃんが語ってくれたこと、とても心強く感じていた。私の中には「もしかしていなくてもいい?」という思いもあったので、真正面から話ができたことがとても嬉しく新鮮で、あらためて自分の想いを確認する機会にもなった。

ただ、「学校現場に、養護教諭は必要か」という問いについて改めて考えてみたけれど、風越の場合、必ずしもそうだとは言えないかもしれないな、とやっぱり思う。どうしてそう感じたのか、自分の中を深掘りしてみて、でてきた理由はふたつ。

理由のひとつめは、保育を主に経験してきたスタッフの子どもたちへの接し方。

風越に来て、初めて、保育を主に経験してきたスタッフと出会った。その子の発達や暮らしを前提に、今のその子にとって必要な関わりをおこなっていく。ばんそうこう一つとっても、その子に必要なのかを丁寧に吟味している姿に、ハッとさせられた。

自分は、サポートすることを前提に接していなかっただろうか。その子にとって今何が必要なのかをしっかり考えられていただろうか。子どもたちの発達や暮らしに寄り添った関わりをしているスタッフの姿に、子どもたちを真ん中において必要なサポートをしていきたいと思う、養護教諭としての関わりにとても近しいと思ったし、そばにいるスタッフがそういった関わりをしているとしたら、より子どもたちの実態に応じた関わりができるし、子どもたちの「養護」を、普段関わっているスタッフが担っていける可能性は大いにあるんじゃないか、と思った。

前期スタッフが準備した産まれたばかりの赤ちゃんと同じくらいの重さのものを抱っこしてみる年少児。

理由のふたつめ。開校してからの、子どもたち同士の関わり、スタッフとの関わり。

年少から中学生までが一緒に生活している風越では保健室は1つなので、異年齢の子どもたちが自然と出会う場面もある。

例えば、幼稚園の子どもたちの無邪気さに、元気をもらう中学生がいた。たまたま一緒になった中学生からの言葉に、癒されたり、勇気をもらったりする小学生もいた。同学年の関わりももちろんあるけれど、異年齢の子ども同士だからこそ、生まれる関係性があり、ケアしたりケアされたりする場が生まれる。

いろんなスタッフが関わっていて、子どもたちもいろんなスタッフにアクセスできる。「先生」と「児童生徒」とか「大人」と「子ども」というよりも、「人」と「人」として、対等にやりとりを重ねている姿がたくさんある。

子どもたちにとっての拠りどころがたくさんある。自分の心地よいかたちを選択できる。そんな環境だからこそ、自分で自分のこころやからだの状態を確認しながら、それぞれに対処法や拠りどころを見つけていけるようになるといいなと思う。

けがの応急手当や体調不良への対応だってそのひとつ。その子にとっての、保健室的な場所や人や方法を、見つけたり、つくっていけたらいい。それは、子どもたちが風越を巣立ってからも、それぞれが自分の道を健やかに歩んでいく土台になるんじゃないかと思っている。

だから、養護教諭的な存在は、養護教諭の資格を持つ私だけじゃなくても、ほかのスタッフだったり、ほかの子どもたちだっていいし、その役を担えるんじゃないかな。

今すぐじゃなく、いつか、養護教諭がいなくても成り立つ世界ができるんじゃないかと思っている。

産まれた時の身長の長さの毛糸を切り、赤ちゃんの時の自分の写真の前に立つ年中児。スタッフが保護者から集めた産まれた時の気持ちも読みあげた。

そんな風越の中で、養護教諭として、これからどんな姿を目指していくか。

子どもたちの発達段階や暮らしから、その子に必要なタイミングで、必要なサポートや健康教育など、手渡していけるようになりたい。その子に必要な声かけを吟味していきたい。だからこそ、子どもたちと関わる時間をもっと増やしたいし、子どもたちの日常の中に一緒にいたい。それが専門性を磨くことにもつながるように思っている。

校舎の中の保健室は、拠点の一つではあるけれど、その場所にこだわらず、子どもたちがいる場所を、必要な時には保健室に変えてしまえたらと思う。そして、そういう姿を子どもたちやスタッフに見せながら、伝えながら、やりとりを積み重ねていくことで、子どもたちもスタッフも、それぞれに「養護」の視点を持ちながら、お互いに関わっていくことができるようになっていくんじゃないかと思う。その先に、「養護教諭」という肩書きが必要ではなくなる世界ができたら、おもしろいんじゃないかと思っている。

まだまだ整理しなければいけないこともあるし、養護教諭として行わなければいけない事務仕事もある。ただ、養護教諭という仕事を因数分解して、シンプルにして、子どもたちと過ごす時間を最大限にできたとき、どんな本質が見えてくるだろうとも思って、わくわくしています。

こころの中で抱いただけだった気持ちを、こんな風に言葉にするきっかけをくれたもえちゃんに、最大の感謝を。ありがとう!!養護教諭を目指しながら、自分は養護教諭の一番の応援者、とも語ってくれたもえちゃんと、風越の養護教諭のその後について、またおしゃべりできる機会を、楽しみにしています。

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清水 春美

投稿者清水 春美

投稿者清水 春美

朝、登園・登校する子どもたちに会うのが好きです。表情も足取りも反応もいろいろ。それがおもしろい。一日に全員とおしゃべりはできなくても、全員と声を交わすことはできるんじゃないかなーと思ってます。

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