風越のいま 2024年4月11日

仲間とみる景色、みえる景色

佐々木 陽平
投稿者 | 佐々木 陽平

2024年4月11日

文化というのは、「つくる人」だけで構成されているのではなく、「つくる人」と「使う人」、そして「わかる人」との協同で営まれているのである。もしも「わかる」(むしろ、理解=感謝appreciation)という世界がなく、すべて人はつくり出すか、消費するだけだとしたら、これはもう文化でもなんでもない(佐伯.1995.「学ぶ」ということの意味.岩波書店p.135)

風越学園で働くスタッフに最も必要な資質・能力(仮)は何かと問われたら「協働」と僕は答える。人と働くことって、誰かと一緒につくるって、どういうことなんだろう。そのときに大切なことはなんだろう。「つくる」ことと同じくらい大切なことがそこにはあるかもしれない。そんなことを思いながら、昨年度、もい(新井)と一緒につくった7,8年・第4タームのテーマプロジェクト「和菓子とみる景色」を振り返ろうと思う。

そもそも僕はテーマプロジェクトをつくることに対してすごく苦手意識をもっている。それは専門性がないことや、数学の授業を大切にしたいという気持ちもあってテーマプロジェクトを前のめりにしてやっていこう!という感じがないからかもしれない。でも、だからこそ、第4タームのテーマプロジェクトはこれまでで一番チャレンジするテーマプロジェクトになったのだと思う。

担当が決まる、落ち込む、覚悟を決める

7,8年生のテーマの内容と担当。

第4タームの担当は上のように決めた。僕が担当となったテーマプロジェクトは、既にもいとざっきー(山﨑)で第3タームのときにつくってあるものだった。だったら第4タームももいとざっきーでやったらいいと思った。そのほうが楽な部分もあるし改善できる部分もあるんじゃないか、そういう気持ちがあったが言い出せず…(笑)。ざっきーは医療のことをやってみたい、ほりけんは(長野県教育委員会から派遣、2023年3月で任期終了)健康のことをやってみたいとニーズが一致して、ざっきーとほりけんが組み、もいと僕が組むことになった。他にも理由があって、ぼくは第3タームを引き継いで第4タームのテーマプロジェクトをもいと一緒につくるって決まったとき、モチベーションが低かった。

あるとき、モチベーションが低いということをもいに話した。話さずにひきずるよりは話したほうがいいと思ったからだったが、そんなにスッキリした時間じゃなく、どちらかといえばどんよりした時間だったと思う。困ってしまって同期のあず(栗山)にどうしたらいいのか相談した。その中で、自分がもいと一緒に授業をつくる意味をまだ見いだせていないことに気づき、その意味を見出すために本気で頑張ってみようと決めた。

本気で頑張ってみる理由が他にもある。第1タームも第2タームももいとテーマプロジェクトをつくっている。第1タームのときはもいがメインで、僕がサブって感じだった。第2タームが終わった頃に、もいが第1タームのときのテーマプロジェクトのつくり方について「繊維を決めた手前、自分が授業を決めなきゃと思っていた。自分で決めたことをようへいにチェックしてもらうような形になってしまい、それは結構苦しかった」と語ってくれた。それを聞いたとき、苦しい思いさせていたんだな、しかもそれに気付けなかったと自分が苦しくなってしまっていた。そういうことがあって、今回の第4タームはメインとサブの関係ではなくフラットな関係で一緒にテーマプロジェクトをつくると覚悟を決めた。

いま感じていることをとにかく出す!

初めてのミーティング。もいは第3タームのときにすでに和菓子でテーマプロジェクトやっているので、僕ともいで状況がかなり異なるだろうなと思い、それぞれ今感じていることや気になっていることを発散するところからチェックインした。感じていることや気になっていることに反応しなくていいからとにかく出す。

感じていることや気になっていることを発散する

第3タームの状況のこと、アウトプットデイのこと、評価のこと、教材研究のこと、大切にしたい子どもたちの姿のこと、設計の方法のこと、共同設計のあり方…いろいろでてきた。お互いに気遣うような言葉もでてきた。お互いに感じていることを全部出してから、そこから何をするのか決めて本格的にミーティングがスタートした。

名前にねがいを込める

風越学園ではハイテックハイの設計シート(アレンジver)を使ってテーマプロジェクトを設計することが主流となっている(*)。でも、もいは私的な勉強会で、僕は同期との勉強会で「概念型カリキュラムと指導」の本を読んでいたので、今回は「概念型カリキュラムと指導」をベースにテーマプロジェクトを設計してみることになった。中心の概念をおくことが「概念型カリキュラムと指導」の一番の醍醐味かもしれないが、僕が個人的に一番面白かったのは設計の方法として一番最初に単元名を決めることだった。

H.R.エリクソン 他.2020.思考する教室をつくる概念型カリキュラムの理論と実践: 不確実な時代を生き抜く力.北大路書房

大切にしたい姿や絵本を手がかりに単元名を並べていく。『和菓子のほん』(中山 圭子 文 / 阿部 真由美 絵 / 福音館)から「和菓子には日本人の自然に寄せる思い、美を感じる心が宿っていると言えるでしょう」という言葉を見つけた。和菓子があって思いを込めるのではなく、自然に寄せる思いがあって和菓子がある。そう考えると、子どもたちにも何かに寄せる思いを和菓子に込めてほしいとねがい「愛を込める和菓子」と単元名をおいた。だけど、話し合いを進めるにつれて、この単元名だと子どもたちの好きなキャラクターを和菓子で表現するかもしれないという可能性がわかって、もいがすごく違和感をもった。もいにとって和菓子は日本人固有の直接伝えない文化の表れであって、キャラクターの表現はあまりにも直接的すぎると感じているようだった。普段の暮らしの中にある気づいていない美しさを和菓子を作ることによって気づくことができる。そういうことを大切にしよう。そうすると単元名は「愛のある和菓子」じゃないねとなって最初からやり直すことに。時間も遅くなってしまい、単元名はそれぞれ宿題にして、最初の一歩が決まらないままどんよりとした雰囲気で解散することになった。

次のミーティングで単元名を決めるところからスタート。お互いに単元名を書いて同時に見せ合うと僕は「和菓子が見ている景色」、もいは「和菓子を通して見るセカイ」だった。似てる〜。僕は和菓子を主語にした思いと風景でもなく世界でもなく景色にした思いを語り、もいは和菓子を道具にする思いとセカイにした思いを語った。僕は和菓子を道具的に扱いたくなくて、ヒト・モノ・コトがフラットな感じにしたいということを伝えた(うまく伝わったかわからないけど)。あーだこーだ言いながら、あるタイミングでもいが「和菓子と共に見るってことですかね?」と言ってくれた。おーそれだー!単元名だから言いやすいように「共に」をなくして、五感を使うから「見る」じゃなくて「みる」にして、「和菓子とみる景色」になった。いい名前だー!想像を働かせる名前だし、2人で手間暇かけて決めたという感じがある。もいは通勤中に雲と空が入り交じる景色をみてどんな和菓子になるか考えたみたい。それはもう「和菓子とみる景色」だ。モノとしての和菓子が気づかせてくれる景色。いつもの景色が、いつもだったら通り過ぎてしまう景色が、和菓子とみることでいつもと違ってみえる。そういう景色が「和菓子とみる景色」。

「和菓子が見ている景色」(ようへい)

「和菓子を通して見るセカイ」(もい)

一つの文章に心が動く

「和菓子とみる景色」の学習活動を検討しているときに、「構想を大切にしたいのでデッサンさせたいな」と僕がポロッと言ったらもいが『和菓子と言の葉』(藤原夕貴.2022.光文社)という本を紹介してくれた。休みの日に気分転換にその本を読んでいたら「おわりに」でこんな文に出会う。

「和菓子を通して描く世界は、いつの日か見た忘れがたい記憶の断片。これまでの人生で出会ってきた美しい情景や言葉、それを紡ぎ出した先人たちの感性を自分なりに解釈して今という時代に届けたい。これからも、手のひらの中にうつろいゆく時を切り取り、まだ見ぬ景色を描いていきたいと思います」

「和菓子とみる景色」だ!!これを読んだときすごく感動した。その感動を誰かに伝えたくて、もいにメッセージを送ったら実はもいも同じ文章に心動いていた。このやりとりをきっかけに和菓子デザイナーの藤原さんに連絡をとってテーマプロジェクトに関わってもらうことになった。一つの文章というささいなきっかけだったけど藤原さんがテーマプロジェクトに関わるというのは大きな変化だったと思う。

アウトプットデイで拠り所となった本の展示。もいの字が上手。

再び落ち込む、再び覚悟を決める

冬休み最後の打ち合わせのときだった。共同設計のあり方が最後の話題だった。もいは第3タームでざっきーとやったときはどちらのスタッフも前に立つことができて、ただの立ち位置だったかもしれないけど2人とも前にいることができて、これが理想の共同設計なのかなと語った。それを聞いたとき、それは僕にはできないなって思ってしまい苦しくなってしまい、その苦しさを言うことができなかった。本気で頑張っているけど、そこまでは多分いけない。自分の限界を突きつけられている感じがした。僕は冬休みが終わると「数学の時間」で忙しいから、もいが理想の共同設計を僕に求めていないのはわかっていた。それでも、もいがそれを理想とおいていることと自分の限界が見えてしまった感じが受け入れられなかった。ぐーっと苦しくなって沈黙が流れたあと、いろいろしゃべって授業の準備と場をつくるのはもいが担当し、授業は一緒に構想はするということになった。

もう一つ話題になったことがある。子どもたちが書いた振り返りにコメントをするかどうかである。僕はコメントをする労力を考えるとやらなくてもいいんじゃないかと思っていたけど、もいは振り返りを書いてもらうならちゃんと誠実にコメントすべきだと思っていた。大切にしたいことが少しずれた瞬間だった。もいは共同設計だからそこがズレていていいのか気になっていた。僕は大切なことがズレるのはしょうがないけど、もいだけがコメントをして僕がコメントをしないとなると一方が大切にしたいことにもう一方が乗らないということだから、その結果だんだん2人の大切にしたいことが離れてしまうのではないか気になった。妥協案として、子どもたちのおしゃべりは一緒にやるけどコメントはもいがすることになった。冬休み最後のミーティングが終わって、僕はすごく苦しくなってしまった。

そして最初の授業、どこに立つか最後まで悩んでいたけど、前に居たいなって思った。そう思って前に居続けた。前に居続けて、子どもたちにねがいをしゃべり、もいと授業の展開を相談し、授業の展開をした。その日の授業を振り返ると、もいから「最初前に居るって気づかなくて。絵本を読み聞かせして、テーマ名を伝えようとしたら気づいて。なんか気持ちが変わったんだろうなって思いました。この感じでテーマができたら大丈夫です」と話してくれた。それを聞いてやっぱり頑張ろうって思った。僕にとって誰かと授業をつくるときはいつも授業研究の文脈だったから最後の判断は1人の授業者に委ねられていたし、授業を入念に準備した人が前に立つのが当たり前だった。そういう経験をしてきて、授業を実際に準備したわけじゃないのに前に立つことが怖かったんだと思う。でも、もいと一緒に授業をつくることでそこを乗り越えられそうだった。最後の最後まで前に居続けて最後の最後まで一緒に判断する。そうやって一緒に授業をつくる。

次の授業で振り返りの視点について語る

だからコメントもやっぱり一緒にしたいなって思った。正直大変だけど、相手が大切にしていることにちゃんと乗っかりたい。乗っかった上で、自分が感じることや考えることを開いていきたいし、相手が感じていることや考えることを知りたい。そう思って、コメントを一緒にすることを提案して、一緒にやることに。今回の授業のつくり方では、授業の準備はもいにお願いしてそれ以外の仕事は半分にする。でも、半分にならないものもありそう。「友情は喜びを二倍にし、悲しみを半分にする」という言葉がある。面白いことや楽しいことを二倍にして、苦しいことや悲しいことは半分にしたい。そんなふうに一緒に授業をつくりたい。

子どもたちを一緒に観る

軽くミーティングをしているとき、もいが「子どもたちの見取りをしたいんですよねー」って言ってきた。第3タームのときは幼稚園での子どもたちの見取りの手法を取り入れて、7つの観点(貢献、興味・関心、閃き、自然、表現、葛藤、挑戦)から子どもたちについて気づいたことを付箋で記録するということを1人でやっていたらしい。真面目か。見取り自体に僕も関心があったので、一緒にやってみることに。

幼稚園の7つの観点は幼稚園の状況と文脈のなかで使われているものだから、今回のテーマプロジェクトでは意図もはっきりしているし子どもたちと一緒にいる時間も幼稚園に比べて短いから、何か違う観点が必要なんじゃないかとおしゃべり。今回のテーマプロジェクトのねらいを参考にして「表現と深まり」「デザインと試行錯誤」をおくことに。さらにチームでの活動がメインになることから「協働」をおき、漏れがないように「その他」とおくことにした。

書いた付箋を評価の材料の1つとした。

付箋を一緒に書いておしゃべりすると、自分が見えていない子どもたちが見えてきて、次の授業のときにこの子たちに声をかけよう、気にしようという次の授業での行為につながることが増えてきた。さらに、だんだん付箋がたまってくるにつれて、「協働」の付箋が多い子ども、「表現と深まり」の付箋が少ない子ども、そもそも付箋が少ない子ども、付箋によって子どもたちの輪郭が見えてきた。

子どもたちの振り返りをどうしようかともいとおしゃべりしていたとき、このときの3つの視点「表現と深まり」「デザインと試行錯誤」「協働」で子どもたちも振り返られると、僕たちの視点と子どもたちの視点が重なりあって、学びの輪郭が見えてくるんじゃないか話題になり、子どもたちにもこの視点で授業を振り返ってもらうことにした。

ある子どもの「表現と深まり」の視点からの振り返り

子どもたちを一緒に観るという仕組みで、視点を決めて子どもたちについての気付きを子どもごとに付箋を書くというのはよかったと思う。最後まで気になったのは、子どもごとに切り取ってしまうので個人を超えた個人と個人の関係やチームの階層性やエピソードが見えにくかったことかな。どういう単位で記録するといいのかはもうちょっと検討の余地がありそう。

みえてきた景色

もいとテーマプロジェクトを一緒につくってみえてきた景色は何だったのだろう。当たり前だけど一つは子どもたちの姿である。1人では観ることのできない子どもたちの姿が2人で観ることで立体的に浮かび上がってきた。どんな子どもたちの姿だったかはもいのかぜのーとを読んでほしい。

もう一つは授業を一緒につくるときの勘所である。本当に一緒に授業をつくるのなら絶対に外してはいけないところ、勘違いしてはいけないところがある。以前一緒にテーマプロジェクトを設計したあずはBENTOのテーマプロジェクトを振り返るとき次のように語っている。

大事にしたい「願い」を共有したり、子どもたちはテーマでなにを学ぶべきかお互いが感じていることを議論したりする中で、少しずつ『BENTO』が自分だけのものではなくなっていく感覚を味わうことができた。

授業を一緒につくるときに大事なのは決めた教材に一緒にねがいを込めること。和菓子はあくまでも教材でしかない。教材に対して子どもたちがどんなふうに関わってほしいのか、その関わりのなかでどんな子どもたちの姿を期待するのか。それを考えることは一緒にやらなきゃだめだ。そこに教材に関わる専門性はあんまり関係ない。逆にそこさえ一緒にできれば、一緒にテーマプロジェクトをつくることができる。和菓子という教材に、「和菓子とみる景色」という名前に、ねがいを一緒に込めたからこそ僕たちは一緒にテーマプロジェクトをつくれたんじゃないかな。名前を決めるときに手間暇をかけたからこそ、少なくとも僕は「和菓子とみる景色」に愛情を感じている。子どもたちや他のスタッフが「景色」という言葉を使うことに嬉しく感じている。身の回りの景色が、「景色」という言葉が、少しいつもと違って見えてくるし聞こえてくる。そういう感じが確かに存在するのである。

家の近くから見た夜景。どんな和菓子で表現できる?

一緒に授業をつくるときのもう一つの勘所はお互いに本音で語ることである。もいの言葉が本音だったかどうかは結局のところ僕にはわかんないけど…でも、あのときのもいの言葉はぜんぶ本音だったと僕は信じている。そして僕も本音で語ったと思う。素直に今感じていること、モチベーションが低かったということ、一緒に場をつくるのは難しいと思っていたこと、テーマプロジェクトで大切にしたいこと。お互いに本音で語ってお互いに傷つけたこともあるかもしれないけど、それはしょうがないっていうかどうしようもないっていうか避けられないっていうか。お互いに本音を言えない方が後で傷つくんじゃないかな。授業は授業者の人間性がでるから、ほんとうにいいものをつくりたいならお互いに本音を隠さずに、人間性を隠さずに、透明にならなきゃいけないんだと思う。

最後の授業の振り返りで子どもたちに「協働」について問う。僕たちの「協働」はどうだった?

最後はもいのこと。もいは字が上手だったり、一つ一つをすごく真面目にやるけど、ちょっと雑なときがあったり…一緒に授業をつくるにつれて、もいの輪郭がみえてきた。とはいえ、まだよくわかっていない部分もあると思う。もいだって僕の数学の授業をみたわけじゃないし、きっともいも僕のことをよくわかっていない部分はあると思う。だからこそか、一緒に何かをつくるときにはきっとお互いにわかり合おうとしている。「わかる」とはどういうことか。それはまだよくわからないけど、僕はテーマプロジェクトをもいと一緒につくるとき確かにもいのことをわかろうとしていた。

僕は協働するときお互いにわかり合おうとしているということを前提におきたい。それは協働する人たちの意思にかかわらず、である。人は誰かや何かと生きるとき自然にわかり合おうとしている。もし、お互いにわかり合おうとするということがなければ、これはもう文化でもなんでもない。僕たちは世界をわかろうとして、世界をわかち合っている。

一緒に授業をつくることができて苦しいこともあったけど得たもののほうがたくさんあったよ。ありがとう!もい!


*風越学園でのテーマプロジェクトの設計方法やスタッフの協働については、2024年3月に出版された「プロジェクトの学びでわたしをつくる」に詳細を紹介しています。よろしければ、バリューブックスさんのWebページからご購入ください。

#7・8年 #スタッフ

佐々木 陽平

投稿者佐々木 陽平

投稿者佐々木 陽平

確かな数学教育を求めて三千里。身の回りの環境や子どもたちの活動の環境を整えるのが好き。最近は読書にはまっている。

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