だんだん風越 2022年3月23日

実践を駆動する「記録」ってどんなもの?

遠藤 綾
投稿者 | 遠藤 綾

2022年3月23日

2021年11月から2022年2月までの4ヶ月にわたって開催された「第3期 風越コラボ」。2021年度は、4つのゼミが開催されたが、その中の一つとして「実践を駆動する記録ってどんなもの?」というタイトルでゼミを開くことになった(以下、記録ゼミ)。メンバーはあいこさんもんりりーと私、加えて、伴走者として滋賀大学の山本一成さん(以下、いっせー)に参画いただいた。

なぜ「記録」をゼミで取り扱うことにしたのか、というと、そもそも2021年5月に前期メンバー数人で構成された記録をテーマにした研究会的な集まりの場を開いてはいたが、継続できず残念に思っていたということがあった。そんな想いが火種としてあり「風越コラボ」をきっかけに再燃した、というのが私からみた記録ゼミの成り立ちである。

記録ゼミは、8名の参加者と4名の風越スタッフ、伴走者のいっせーの合計13名で進めることになった。参加者に、保育園や幼稚園を現場とする実践者の方に加えて、小学校の先生、研究者と多様なメンバーが集まったことで、それぞれの関心や参加の理由をお聞きしながら全4回のゼミの方向性や内容を考えていった。私たちだけではなく、参加メンバーそれぞれの現場の特徴に沿った記録のあり方を共に考えていきたい、ということをゼミのねらいにしたことで、これまで暗黙知としてあった私たちの現場の特徴についてもメンバーみんなで深め、言語化することにつながっていった。

風越のフィールドの特性としては、まず敷地が広大で環境による制限が少ないこと。また、昼食がお弁当であるということからいつまでに何をという時間の制限が少ない(子どもたちは自分の身体感覚を基準に食べ始める時間を決める)、ということが言えるだろう。子どもの育ちにとってよりよいと思うからこそ、この環境を選んでいるということは大前提としてある。その上で、あえて子どもにとっての「〜しにくさ」に目を向けて、室内空間での保育と比較して見えてくることを考えた。

室内空間での保育で子どもに起きている「〜しやすさ」

  • 友達の関心が見えやすい(限られた空間だと誰が何をしているのか把握しやすい)
  • 遊びと遊びがつながりやすい(友達の遊びが見えるので、繋がりやすい)
  • 昨日の遊びから今日の遊びが展開しやすい(昨日の痕跡が室内にあり、同じ場所で遊ぶため繋がりやすい)

フィールドと時間の制限が少ない環境で、子どもに起きている「〜しにくさ」

  • 友達の関心が見えにくい
  • 遊びと遊びがつながりにくい
  • 昨日の遊びから今日の遊びへ展開しにくい

上記3点は、室内空間の「〜しやすさ」の反転である。加えて、今度はスタッフに起きていることを同じく場の特性と結び付けて、また室内空間での保育と比較して「〜しにくい」から考えた。

「〜しにくさ」から考えるスタッフに起きていること

  • (フィールドが広く)担当している子どもの1日の流れを把握しにくい
  • 同僚の子どもとの関わりを見る機会が少なく、具体的な関わりからの学びが起きにくい

記録を考えるために「〜しにくさ」から見た特徴にフォーカスしているが、そのもっと根底にある私たちが大切にしていることについても話し合い、以下の3点が見えてきた。

・子どもこそがつくり手である、という見方を大切にしていること
・森や自然の中で感じたこと、発見したことから始まる何かを大切にしていること
・3歳から15歳までの12年間の繋がりや時間軸を大切にしたいと願っていること

上記のような、私たちが大切にしていることと場の特性から見えてくる子どもの、またスタッフの「〜しにくさ」を捉えた上で、実践を駆動する記録とはどのようなものだろう。

具体的にどんな記録の手法を採用するかについては、「とにかくやってみよう!」ということで、ふせんを活用した記録を試してみることにした。その理由としては、前期に所属している3歳から2年生までの130人の子どもに起きている出来事を、この方法だとなるべく多く残せる可能性があること、所用時間が短かいことなどがあったように思う。

記録ゼミの第1回目に、いっせーに「記録はなんのためにあるのか?」という問いを深めるために、記録の役割を、省察=Reflection、記録=Record、評価=Evaluationの3つに整理していただくことと(「実践を駆動する記録の共探究(山本一成)」)、既存の記録手法(エピソード記述、ラーニング・ストーリー、ドキュメンテーション、保育マップ型記録)の特徴をまとめてもらい、紹介してほしいとお願いした。その意図としては、記録の手法にはそれぞれ得意なことと不得意なことがあり、それぞれに個性的であることを理解する必要があると思ったからだ。これをやれば万能、という方法など存在しない。けれど、叡智が詰まった既存手法の個性を理解しておくことは自分たちなりの方法を編み出していくために必要なプロセスである。その上で、何より大事なのは、それぞれの現場の特徴にフィットする方法を「何のために?」に立ち戻りながら、地べたから構築していこうとする意志だと思う。

風越コラボ配布資料より(作成:山本一成)

いっせーによる既存記録の整理を受けて、改めて私たちのフィールドの特徴から「ふせんを活用した記録」を続けてみようという感覚が私たちの間に生まれたように思う。次にその内容を紹介したい。

エピソードは、自由になんでも書いてもいい、よりも、フォーカスが定まりやすい、ということと、子どもの関心や興味にフォーカスがあてると明日の保育に繋がりやすいのでは、という考えから、ニュージーランドの保育実践「学びの物語」アプローチから以下の 5 つの視点を取り入れてみることにした。

5つの視点

  • 関心を持つ(興味)
  • 熱中する(熱中)
  • 困難なやったことがないことに立ち向かう(チャレンジ)
  • 考えや気持ちを表現する(表現)
  • 自ら責任を担う(役割)

<ふせん活用型記録の進め方>

  1. 付箋にエピソードを書き留める
    (付箋に記載する内容)日付・子どもの名前・エピソードと結びついた視点
  2. 共有する人と同じ紙に付箋を貼り付ける
  3. 一緒に眺める
  4. ふりかえる(書き留めたエピソードの中で特に共有したいものを話す。話している間メモをとる)

まとまってきた1日ごとの記録を子どもごとにまとめる作業を行っているところ

この方法を続けた後の振り返りで語られたことを、子ども理解への貢献とスタッフの学びへの貢献という2つの視点でまとめてみたい。

子ども理解への貢献
1.短い時間で、たくさんの子のエピソードが書き留められる
2.ハードルが低い。考察は難しくてもエピソードなら誰でも出せる
3.エピソードが集まってくると、5つの視点から一人ひとりの特徴が見えてきた
4.子どもの行為の無意識的なものも記録できる(結果、よりその子らしさが見えてくる)
5.担当している子どもの自分が見れていない時間の出来事も共有されることから、その子への理解が深まると共に、(見られていない時間にも)子どもの経験が厚くなっていることを信頼することができるようになった

スタッフの学びへの貢献
6.共有の時間でペアとなる人の子ども観が見えてきた(同僚への理解が深まった)
7.最初は起きたことを書いて5つの視点にあてはめていたが、次第に「5つの視点から子どもをみる」へと見方が移り変わっていった
8.一人ひとり平等に話す機会がある
9.幼児、1,2年スタッフもその子の育ちの観点から一緒に話すことができる

この振り返りを、前述した「〜しにくさ」から考えるスタッフに起きていることに照らして考えてみたい。「担当している子どもの1日の流れを把握しにくい」という点については、1.のたくさんのエピソードが書き留められることで、5.の自分の見れていない時間の出来事の共有からその子への理解が深まり、見られていない時間にも信頼を寄せられるようになったという効果があったこと。また、「同僚の子どもとの関わりを見る機会が少なく、具体的な関わりからの学びが起きにくい」という点については、6.の共有の時間でペアとなる人から語られる言葉から同僚の具体的な関わりを知ることができ、同僚への理解が深まる効果があったことと、5.の自分が見られていない時間にも子どもの経験が厚くなっていることを信頼することができる(=同僚の関わりを信頼できる)という効果、そして、8.のように誰でも平等に話をする機会が与えられるということは、全員で一つのエピソードについて意見を交わす、という方法をとった場合にはなかなか実現しづらいこともあり、得難い特徴であると感じた。また7.の気づきから私たちが大切にしていることと結びついた視点を加えてみるのはどうか、というアイデアが生まれ、「自然(との関わり)」「ひらめき」「葛藤」という3つの視点を加えてみることにした。

子ども130人分の大判の個人記録を学年ごとに分けている

大判の個人記録シートに共有の中での言葉を直接書き込み、考察につなげようとしている

改めて風越の特徴に立ち戻ると、3歳から2年生まで130人の子どもが自然の中に点在しながら自分の関心や興味を起点に遊び学んでいる状況があり、スタッフはその日の流れでどの子とも関わる可能性がある。スタッフ全員で子どもをみているという状況がある上で、見取りに責任を持つ担当している子の理解を深める必要もある。担当している子のエピソードをその日関わったスタッフからそれぞれ聴きとることが望ましいが、そのために必要な時間を日常的に確保することは難しい。このような特徴から、記録と共有には、できるだけ多くの子どもの姿の共有が求められる。ふせん活用型記録では、それぞれのスタッフがその日出会ったエピソードを短い時間でたくさん書き留め、できるだけ多くの子どもの姿を共有することで、(自分が見られていない時間も含め)子ども理解を深める効果があるのではないかと思う。一方で、この記録を続ける中で「気になること」も見えてきた。

  1. 関係性に関わるエピソードを扱いにくい
  2. 1,2年生スタッフが感じる難しさ(その子の学びの視点が強くなることによって育ちのエピソードの記述が書きにくい)
  3. スタッフ全員で記録の時間を捻出することの難しさ
  4. 既存記録との役割の整理と省力化の必要性

1については、ふせん活用型記録では、個のエピソードを多く集めやすいという特徴がある一方、個と個の間に生じる関係性の記録には向いていない。関係性についての記録については、何らかの工夫が必要である。これは「万能な手法はない」ということの現れでもあり、関係性に関わるエピソードについては、エピソード記述を取り入れるなど、他の記録方法との組み合わせも考えていけるとよいのかもしれない。一方で、記録にかけられる時間は限られているため、何に重点をおくか、という視点で検討してみることも必要そう。
2については、記録ゼミ最終回で非常に示唆に富んだ議論が展開された。詳しくは、いっせーの記事(「実践を駆動する記録の共探究(山本一成)」)を参照いただきたい。
3と4はセットで根本から検討することが必要なものであるが、その前にスタッフの一人ひとりが記録とその共有を通して子ども理解を深めていくことを、コミュニティにとって、また私にとって必要だと感じられるかどうかが要になってくるだろう。このことを考えるとき、津守真さんの言葉が思い出される。少し長いが引用したい。

「子どもの生活に参与することにおいて、子どもの世界は理解される。また、子どもの生活に一緒に参与するおとなたちと、実践をともにし、一緒に話し合う共同性の中で理解は共同のものとなる。その場合、共同性とは、それぞれの個人の主体性が平等に働き、また、それぞれが省察を深める過程をともにする場合である。付和雷同する集団や、ひとりの意見が全体を支配する集団とは別である。それぞれの個人の私の理解は共同性の中でなされ、共同性は、個人の私の理解が深められることによって、生命性を維持する。」

『子どもの世界をどうみるか 行為とその意味』津守真著

最後にゼミ最終回とアンケートの中で語られた、外部参加者の声を紹介したい。

「実践を駆動する記録は、すくには、これだ!となかなかなるものではないんだなあと思いました。でも、どの試みもたくさん学ぶところがあって、こうして、スタッフや子どもたちの状況で変化して当たり前で、変化できる覚悟を持って、取り組むものなんだと感じました」

「一人ひとりのスタッフがつくっていくことの大切さを感じた。記録をつくっていく過程で保育の中で大事にしたいことも改めて確認していきたいと思った。」

「枠を埋める保育記録ではないものを考えていきたい。記録を充実させるためには、スタッフの配置やマネジメントのあり方も考えていく必要があるだろう。ふせん活用型記録は物を操作するので思考するにはいいが、デジタルにしていかないとまとめていく過程でもう一手間かかる。デジタルの強みも活かしていけたら良いのではないか。」

「風越学園の実践やその他の参加者の保育実践を知り、こんなにも深く子どもたちを見取りながら実践されているんだと感動した。子どもが自由に歩いている足跡を観察しながら、後ろから見守っているようなイメージが浮かんだ。自分の現場(小学校)をふりかえって考えると(大人は)子どもたちの半歩先にいる感じがする。(学校の中でも)生活の中で起こることを大切にすることで、何か新しい学びが生まれていくんじゃないかと思った。今日、この日を出発の日にしたい。」

ゼミ参加者の声にあるように、私たちはこの半年の記録ゼミでの実践を通して、スタート地点に立ったのだと思う。持続的な子どもの見取りの共有と保育者間の学びあい、それによって培われていく明日の保育(教育)への願いを、みんなで力を合わせてつくっていけたらと切に願っている。

#1・2年 #2021 #スタッフ #前期 #幼児

遠藤 綾

投稿者遠藤 綾

投稿者遠藤 綾

これまで主に子ども領域でつくる仕事や書く仕事に携わってきました。子どもが育つ現場をつくる仕事に携わるのは今年で5年目です。10年先の風景を想像しながら、たのしく冒険したいと思います。

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