風越のいま 2022年4月26日

子どもたちの風越の感触 ー8年生映像インタビューで感じたこと(丸尾 隆一)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年4月26日

みなさん、こんにちは。時々、風越学園にフラッと現れて撮影しては、またしばらく居なくなる。そんなことを開校前の2018年から続けている丸尾と言います。まずは簡単な自己紹介から。

普段は東京をベースに、写真や映像ドキュメントを中心に仕事していますが、とあるきっかけで辰巳さんと出会い、縁もゆかりもなかった風越学園にカメラ1つ持って立ち居入り続けています。スタッフからは丸尾さん、子ども達からはカメラマンと呼ばれています(数人の子どもは丸ちゃんと呼んでくれます笑)。

私自身は、これまでも実験的な教育プロジェクトの場に携わり続けていたこともあり、その時の経験を活かしながら風越学園で起きていることを撮影して、映像で残すことを中心に風越学園の成長を見守る1人です。

かぜシネマについて

2018年1月6日 スタッフ研修初日・一番最初にカメラを回した日

これまで撮ってまとめた映像は「かぜシネマ」と、かぜのーと編集部から素敵な名前を授かり、vimeoで公開されています。名前が付くと、突然輪郭がはっきりして気持ちが切り替わったのを思い出します。

2018年に関わりはじめた当初から、まずは「起きていることを残す」を実践し、それ以外に大きな要望はなく(たぶん)、今も毎学期ごとに撮影に行くのに良さそうなタイミングを相談しながら何を撮るかも曖昧なまま、まずは風越に身を起き、そこで起きていることに目を向け撮ってみて勝手に編集した後、公開する意味のあるものは公開する、という極めてシンプルなルールで動いています。

なので風越学園として、ここをこう見せてほしいといった視点があまり入ってないこともポイントです。(ボツになる映像も結構あったり、ボツになると解っていてもまとめたりします)(編集部注:映像は、本当に嘘がつけないメディアだなと何度も思い知らされ、これはまだ出す勇気がありません!とボツにさせてもらうことも何度かありました)

とはいえ、これまでのコミュニケーションの中で思い起こす言葉もたくさんあり、中でもしんさんがいつか述べていた「たった数分の良い感じの映像で簡単に解った気になってもらっても困る」が印象に残っています。

開校前、まだ子どもが目の前に居ない時から、スタッフ同士がどんな温度で、何を、どこまで話をしているのか、を垣間見てきました。

そういった密度の果て、または最中に今の風越学園があると思うと、解りやすいもの・飲み込みやすいものを作って、ほら素敵でしょ?だけで終わらせるのは何か違うよなと、自分自身も考えながら身を置いています。

いつも風越学園に到着して感じるのは、重たい校門をくぐって得体のしれない「校舎」に入るのではなく、1つの大きな舞台に、スタッフも子どもも全員が自分の身体を通して何かを感じたり感じていなかったりする場に飛び込むような感覚です。

「今日もやってんな〜」とポツリと思います。

最初の卒業生になる8年生への全員インタビュー

そんなこんなで開校して2年。新しい場所、新しいコミュニティー、新しい学校。こんなにワクワクするものはないと感じると同時に、コロナ禍でもあった2年。

そこには様々な工夫、試行錯誤、葛藤と、簡単に言葉で言い表せない時間の流れがあり、私が見てきたものも本当に氷山の一角でしかありません。そして「かぜのーと」がその氷山を色んな角度から照らし続けてくれてもいます。

読者の1人として、かぜのーとを読みながら、映像では何をすべきだろうかと考えながら開校から1年半が立った2021年の秋、風越学園を最初に卒業する子どもたちが、ちょうど風越学園での生活を半分過ごした時期に、全員の映像インタビューを行うのが良いのではないかと閃きました。

風越では日々「何が起きた」「何をやった」「どう思ったは」は色んな場所で、見え過ぎるほど見ることができるし、ここで起きているコミュニケーションの総量をイメージすると、その膨大なやりとりに圧倒される感覚があります。これは私が知っている今までの「学校」にはなかったイメージです。(本当は学校の中にあるものが、学校という仕組みで見えないようになっているだけかもしれませんが)

そんな風越学園だからこそ、その日常を見れば見るほど「子ども達の中にある風越の感触」は、それほど見えていないことに気づきました。

その見えない領域は、簡単に見えないからこそ「学び」の場をつくる意味があり、一人ひとりと向き合う時間の大切さがあり、大人の想像の余地があるとも言えるもので、すぐに目に見えるものではないと、誰もが感じていることかと思います。

それに「自分が感じていることを自分の言葉で正確に表現すること」は、誰にとっても難しいものです。でも、ここらで一度、全員に同じ温度で話を聞いてみて映像で残す、ということは風越の風景として良いものが残るような気がしたので提案してみました。

実際に話をしてみて

色々時期の調整があり、最終的には2022年の3月、子どもたちの自分プレゼンの時期にあわせて実施しました。

それぞれにとって緊張の度合いがあり、本当はちょっと嫌な気持ちを持つ子どもも居たと思いますが、全員がカメラの前に座って話をしてくれました。風越のスタッフも同席せず、1人30分で僕と1対1。

共通の質問は用意しつつも、その子にとって話がしやすいことを脱線有りで、あくまでもおしゃべりを意識してもらいました。

このインタビュー映像について、ここで何を伝えると良いだろうかと考えた時、最初に思ったことは「子ども達は風越学園のことを結構しっかり受け止めている」ことです。本人達は自覚しないレベルで「しっかり」響いているな、と感じました。

例えば、風越だからこそ学べたと感じることってある?、のような問いかけには、「苦手だなと思っていた人とでも、一緒に何かをつくることはできる」とか、「話し合いで、どうにも前に進まないこともあるけど、話し合うことは大事」や「自分の意見も大切にしながら、周りの意見も大事にすること」といった答えが、複数の子どもから返ってきました。

1つ1つの授業内のテーマや、やり方だけではなく、カリキュラム全体を通して大事にしようとしていることが、じわじわと響いているからこそ出てくる言葉がたくさんありました。

そんな風越学園のカリキュラムに対しては、「教科書通りに進まないからこそ、自主的な勉強もやった方がいいなと思い始めた」「『土台の学び』は全部やった方がいいけど、『わたしをつくる』は自分の興味のあることだけで良い」「『わたしをつくる』の時間がないと、風越学園に居る意味はない」「公立っぽい授業にして欲しい訳ではないけど、中学校で学ぶべき知識は教えてほしい」などなど、今の学びの環境が自分にあっているのか、何を変えてほしいのか、自分に足りない部分を自分でどうにかできないのか、といった返答も複数返ってきました。

また「学び」「勉強」「探究」「知識」あたりの単語は、学び=風越特有の時間、勉強=受験、探究=興味関心、知識=教科書、のようなニュアンスを含んで共通で使い分けているのも印象的でした。

「わたしをつくる」の時間は、開校当初「セルフデザイン」と呼ばれ、その後「セルフビルド」、そして今は「わたしをつくる」となっています。

今思い起こせば、開校当初のセルフデザインの時間、何をすれば良いかわからない自由時間のような雰囲気の中で、校内をただ歩くだけの子もいれば、目の前にある道具でとりあえず好きなことをやっていたり、スタッフが準備した枠組みの中で、何かをつくっていたりと、野性味たっぷりの時期から考えると、今は、それぞれが自分の時間の使い方を手にして試行錯誤をしています。

ひたすらマンガのプロットを書いている子もいれば、語学学習ついでにラップバトルの練習をしている子、身の回りの自然現象に対して仮説を立ててから正解を調べてノートにまとめている子、好きなマンガの中に出てくるモチーフをきっかけに知識を広げようとしている子、何をすればいいかわからないから学校を休んだけど、その後スタッフとの関わりでやってみたいと思うことが見つかった子、とりあえず土台の学びをすすめる子など様々です。

いずれにせよ、今の自分の好きなこと or やるべきこと or まわりを見て影響を受けたことなど、自分で自分がやることを、迷いながらも判断し続けています。

何ができたか、上手くやれたか以前に、どうすべきかを問うて前に進めてみる(たとえ後退であっても)ことを、全員が実践しているんだなという実感を持つことができました。

「風越らしさ」は安定しない!?

話をすれば、とめどなくなるので一旦この辺りで止めたいと思いますが、今回8年生(現9年生)全員と話をして総じて感じたことは、それぞれの成長の段階にあわせて、自分で自分のための次の状況を考える、そのことが実践できているんだなということです。

もちろん実際より良く言っている状況もあれば、周りから見るともっと出来ると思える状況も少しはあるかもしれません。ただ、まずは成長のベースとして、こういう風に成長できるんだなという風景が、いくつも目に浮かびました。

そして、それらはアウトプットデイに並ぶ最終的な結果や、発表の場だけでは感じられるものではなく、まさに成長のプロセスそのものなんだと思います。

その成長のプロセスを促すために、単元的な評価や、創造性を向上するための工夫だけではなく、子ども自身の認識の変化や、周りとの協調、視野の広がりや、身体を通して感じる感覚を刺激するための試行錯誤、つまりは成長のための関係性を刺激しつづけるような工夫にこそ、風越学園らしさのようなものがあるのかもしれません。

でも、まだまだ子どもたち含めた全員で走りながら考えているもので、立ち止まって客観的に見て整えて、誰でも再現可能にするようなものではおそらくないのかなと、改めて思ったりもしました。

その代わり、この環境を維持するために大切にすること、続けることがたくさんあり、それは「義務的」なものとはちょっと違う、だけどなるべくみんなに均等に届くといい、だけどだけど、必ず義務的に届けられる保証はない。だからこそ、じっくり、たっぷり、ゆったり、混ざる必要があるんだろうなと、思い直すような時間になりました。

ある日の振り返りの風景

とはいえ、今年度はいよいよ卒業の年です。

9年生になってから、卒業してから、もっと未来について、何でもいいので将来についても全員に聞いてみました。

明確な答えを持つ子もいれば、今は何も考えていないと発言する子も居て様々でしたが、未来は何かしらつくれるし選べるんだなという実感は全員が持っていました。

「すぐに高校に行ってもいいし、行かなくてもいい」と言う子もちらほらいましたが、義務教育過程の後につくる未来は、もっと色んな形があるはずで、最大限色んな可能性を考えてワクワクしてほしいなと思います。

#2022 #7・8年 #わたしをつくる

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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