風越のいま 2022年4月27日

3年目のかざこしの朝(青木 将幸)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年4月27日

■朝の時間は学校を象徴する

みなさん、こんにちは。軽井沢風越学園の評議員をつとめているファシリテーターの青木マーキーです。ふだんは兵庫県の淡路島に住んでいて、家族会議から国際会議まであらゆる会議のファシリテーションを仕事にしています。

今回は理事や評議員での意見交換会があって、かざこしを訪問しました。意見交換会は午後からだったのですが、僕は3年目を迎える「かざこしの日常」を見ておきたかったので、前泊して、朝一番の様子から見学させてもらいました。

2022年4月25日(月)。軽井沢でもようやく桜が咲く季節になったようです。日中、晴れると暖かくて、Tシャツ1枚で過ごしている人もちらほら。朝の登校の時間というのは、その学校の雰囲気が表れます。

私ごとですが、この春にうちの息子が中1になって淡路島の私立中学に入学しました。この学校では、登下校時に送迎や来賓の車を見かけたら、生徒はきちんと車に向かって正対して、おじぎをするという指導が徹底されています。「えらく丁寧な挨拶をしてくれる生徒さんだな」と好感を持つ人も多いようです、が、かざこしの場合、そういう登校風景ではありません。ある意味、真逆とも言えるでしょう。みんな、ぷらぷらと、ピクニックに行くかのように登校しています。

僕のような見知らぬ40代のおじさんが敷地に入ってきても「おはよー」と声をかけてくれます。見かけない顔だな、と気がつくと近寄って「あなた、だれ?」と質問してくれます。「マーキーです。評議員で、今日は見学させてもらいます」と話すと「評議員って、何する人?」と役割を聞いてくれたり、「マーキー?そうか、思い出した、去年も来てたよね。お弁当の時間にみかんを食べてた」と覚えていてくれたり「見学だったら、してもいいけど、きちんと来館者ネームプレートもらうといいよ。受付はあっち」とセキュリティを教えてくれたりもするのです。朝、登校の様子を見るだけで、その学校の個性というか、あり方が感じられます。かざこしの子は、未知の大人に対するコミュニケーションが平気な子がたくさんいる印象があります。

校舎の入り口ドアが開くのは8:15と決まっているようです。それまでの間、わらわらと生徒がドア前に集まって、たむろしています。ニワトリ係の人は、少し早くきてその世話をしたり、校舎前で、おいかけっこやチャンバラを楽しむ子もいます。「異年齢のまじわり」が当たり前のかざこしの雰囲気を感じたければ、朝の時間、とくに開門前にそれを見るのがオススメです。そこには大人が介在をしない子ども達だけの交わりがあります。


学校正面の芝生エリアには、いくつかの桜の木があって、とてもキレイに咲いていました。理事長のしんさん(本城)の話では「植えて1年目2年目は、なかなか咲かなかった。開校3年目にしてようやく咲いてくれた桜で、うれしい」とのことでした。しかし、かざこしの子どものお一人が、まだか細いその桜の木にのぼって、遠慮なく、わっさわっさと揺らして、花を散らしてよろこんでいます。いわゆる職員室の目の前の桜なので、多くのスタッフがその光景を目にしていると思うのですが、誰も止めない。「おー、やってるな」と見ている感じもありました。「かざこしのかかわり方は、これか、いいじゃないか」と僕はひとり、ほくそ笑みます。

■かざこしにない3つ

午前中過ごしていて、かざこしには、普通の学校にありそうな3つがないんだな、と感じました。

1つは「チャイム」がありません。予鈴もない。お昼の12時に時報がなるけど、たぶんあれは軽井沢町の放送です。でも、みんな時間のことはわかっていて「次は9時に国語だね」とかいって移動していました。そうか、チャイムって、なくても大丈夫なんだな、と思いました。チャイムの代わりにお互いに声かけをしているようです。

2つには「先生」という呼称がありません。僕が午前中に見学させてもらったのは7年生(中学1年生)の授業でした。そこで、国語の指導をしていたスタッフは「りんちゃん」(甲斐)と呼ばれていました。「りんちゃん、ここわかんない」と率直に質問できる関係。ニックネーム文化なのは前から知ってたけど、この子たちの口からは「先生」という言葉がほぼ出ない。かわりにスタッフひとり一人を、「ゴリさん」(岩瀬)とか「リリー」(勝山)とか名前で呼んでいます。

そして、3つ目にないのは「管理的な小言」です。あるのかもしれないけど、圧倒的に少ない。というか、子どもたちが大人の管理に脅えている様子がまったくない(笑)。

通常、桜の木に登ったら、それだけで小言を言われます。理事長が大切にしている開校記念の桜となれば、大目玉を食らうかもしれません。おそらく発せられるのは「危ないからやめなさい」というお決まりのコメントです。

いや、たしかに、高い所に登るのは危ない部分もあるんだけど、それを止めずにじっと見ている。子どもが自分でリスクを背負って、木に登って、体全身を使って枝を揺らし、花びらを散らす様子を喜ぶ。とても楽しい時間。これを見てないで放置をするのではなく、見ているんだけど、止めない。このあたりの感覚は、絶妙だなと僕は思います。もちろん、もしも、命に関わるような問題がありそうならスタッフは介入するかと思います。が、なるべく、ぎりぎりまで、見ている。

あるいは、まわりをとりまく子どもたち同士で、声が出たりもします。「あんまりゆらすと、お花が散っちゃうから、ほどほどにしてよ」とか。そうやって子ども同士の関わりから、何かを学んでゆくのが、かざこしなのかな、と思いながら、朝の登校シーンを見ていました。

昔、僕が育ったころの中学校は、怖めの生徒指導の先生が校門に仁王立ちに立っていて、「挨拶の声が小さい!」とか「おい、髪の毛が眉毛にかかっているんじゃないか」とか「このズボンは違反ズボンだ」といったチェックをされていた様子とは、大きな違いを感じた次第。うん、やっぱり朝の時間は象徴的ですね。子どもが学校をどう捉えているか、スタッフが子どもをどう見ているかが感じられる時間でした。

■朝のつどい

息子が中1ということもあって、近い世代の子たちがどんな風にかざこしの1日を始めるのかな、と気になり、ついてゆくことにしました。「今日は、グラウンドに集合〜」と声がかかり、中1ぐらいの歳の子たちがつぎつぎと外へ出て行きます。8年生のあるメンバーが担当する「朝のつどい」がはじまるようです。

グラウンドの真ん中にぼちぼち人が集まってきます。「みんな、集まって〜。もうちょっと近く」と声がかかります。「今日は、こおり鬼をしようと思います。鬼やりたいひと?」と司会の男子が声をかけました。とくにやりたい人は、いなさそう。そんなにテンションは高くないようです。司会はその状況を判断すると、ふっても大丈夫そうな人にぽいぽいっと、ビブスをなげて「さぁ、やろうぜ」というモードに。ここで、スタッフから声がかかります。「念のため、確認なんだけど、こおり鬼って、こういうルールでいいのね?」と。久しぶりにこおり鬼をする40代のオジサンにとっては、大変ありがたいフォローでした。

総勢30名ほどに対して、鬼が10名ほど割り振られ、皆が必死に走ります。鬼にタッチされると移動できず氷るのがこおり鬼。ただ、タッチされてない自由に動ける仲間が触れてくれたら、氷がとけて、また自由に動ける、いわゆる「永久に終わらない鬼ごっこ」となります。朝から全力疾走ではぁはぁ。

皆がちょっと疲れてきたところで「そろそろ一区切りするか」と声がかかり、いったん集合。そこでスタッフから、簡単な事務連絡が入ります。「みんな、休憩代わりに聞いてくれ。10:30からの時間は、こういうスタッフ配置になってます、使うスペースはどこそこで、うんぬん」。朝の事務連絡が済んだところで、もう一勝負。「次、鬼やりたいひと?」と聞かれたので、僕も久しぶりに鬼をやってみました。あぁ、朝から全力疾走で体力使ってしまったな。うん、でも、なんか気負いもほぐれたぞ。と一汗かいて、朝のつどいが終わります。

「今日は8年生のAグループが担当してくれました。明日は9年生のAグループ、朝の時間よろしく」とスタッフから声がかかります。毎朝、こんなことやってたら、あっという間にファシリテーター的素養が高まるなぁ。僕は、次の日の朝の様子も見たくなりました。そういえば、前にかざこし見聞録を書いた記事のときは全校生徒で「バナナ鬼」をやってたな。どんだけ鬼ごっこ好きなんだ、この学校は。

■一限目 国語の時間は「ウソ日記」

こおり鬼がすんだら、午前中は「土台の学び」。いわゆる国語の時間のようです。校舎に入るまでてくてく歩きながら「国語の時間、なしにならないかな」と子どもらしい声も聞こえます。あろうことか、国語を担当するスタッフに「りんちゃん、今日、国語、なしにしようか」と提案する子さえ出てきます。りんちゃんは「ばりばりやるよー。今日はウソ日記だよー。楽しいよ。」と応じます。なにそれ? ウソ日記? 興味を持った僕は、さらにこのグループの土台の学びを見学しようと思いました。

りんちゃんは、かざこしのなかでも一番ベテランの教員のように見受けられます。でも全く高圧的ではなく、むしろ、りんちゃん自身が本当に本を読むのが好きなんだな、と感じさせてくれる語りから始まりました。「今ね、本屋大賞をとったこの本を読んでいるの。とっても分厚い本だけど、残りわずかになってきて、読み切っちゃうと、終わっちゃうから、それが、もったいなくて、いとおしくて、それでわざと、少しずつ、ゆっくり読んでるの」

ここで男子生徒から「宝の持ち腐れでしょ」とツッコミが入るが、気にせずりんちゃんは続けます。

「今、戦争が起きているウクライナを舞台に、旧ソ連軍のころの狙撃兵のお話なのよ。人の命を奪う話だから、抵抗ある人もいるかもだけど、本屋大賞をとる本は、とってもいい本が多いの。皆さんも、本屋さんとか、アマゾンで本屋大賞ってキーワードで探してみて。すごくいい本に出会えるから。もうじきゴールデン・ウィークね。たくさん本を読んで下さいね。必ずしも小説じゃなくてもいいの。図鑑でも絵本でも。なんでもいいから、興味を持った本を沢山読んでほしいわ」というお話し。僕もこの本を読んでいるところだったので、「うん、うん、わかる、わかる、いい本との出会いは宝よ!」と膝を打ちながら話に引き込まれました。ああ、子どものころ、この人に国語を習いたかったな。

では、今日の本題の「ウソ日記」をはじめましょうね、と本題に入りました。なんでもウソ日記というのは、本当にありそうで、なさそうな日常を書くそうです。ウソなので、実話でなくてOK。起きそうで、起きなさそうな、ウソの日記を書く。「いまどきは、日記は流行らないのかしら」とか言いながら、りんちゃんは書き方の説明をします。

「いまから10分で、ウソ日記を書いてみましょうね。ウソだから、あること・ないこと、いや、ないこと・ないことでいいのよ。ただし、ここにあげた漢字を、いくつ使って書けるか、勝負にしましょう。例えばこの「了」の字。終了するとか完了するとかって使われる漢字ですね。他にもいくつもあるから、なるべくたくさんの漢字を使って、ウソ日記を完成させてくださいね。なるべく沢山の漢字を使ってみましょう。辞書を使ってもOKです」と促す。いままでほげほげと話を聞いてた子たちが、「自分たちの時間だ」となった瞬間にがががっと書き始めました。

ちなみに、かざこしの教室は基本的にオープンな状態なので、この国語の授業をしている空間のすぐ真横の洞穴のような空間で、幼児たちが「おうちごっこ」を展開している。「わたしがあなたを産んだのよ。そしてあなたがこの子を産んだの。あなたはあかちゃんね。うん、わかった、ばぶー」みたいな小さな子たちの会話が、けっこうなボリュームで聞こえているのだが、日記を集中して書き始めた連中には、まったくそれらが邪魔してないのが、すごいな。

途中、りんちゃんは「10分じゃ足りなさそうね。少し延長しよう」と声をかけて完成にいたりました。「合計何個の漢字を使えたかしら? 10個以上使ったよ、という方いますか? あら沢山使えたね。すごいね。たくさん使えなかった人も大丈夫よ。これから上手に使えるようになるから。今日はちょっとした腕だめし、という感じでね。では、みなさんのウソ日記を集めて、文集にしましょう」といって国語の授業が終わった。

こんな風に、沢山読んで、沢山書くプロセスで、かざこしの子どもたちは国語を学んでいるようです。あぁ、いいもの見たな。りんちゃんの進め方、本当に柔らかくて、愛があって、ステキだな、と感じる1限目でした。

りんちゃんのスタッフ・インタビュー記事を見ると、僕が日本ではじめてのファシリテーター型教師ではないかと思って尊敬している大村はまさんのお話が出ていました。こちらの記事も、どうぞご覧下さい。


というわけで、僕がたまたま見ることができたかざこしの朝の様子でした。見学をお許しくださって、本当にありがとうございます。

ぜひ皆さんも、かざこしの授業風景をご覧くださればと思います。遠方の方にもご覧いただけるように、毎月13日の午前中にオンライン授業見学を開催しています。これをじっくり見るだけでも、参考になる点、はっと気がつくことがあるんじゃないかな。次回は5月13日とのことです。

#2022 #土台の学び #異年齢

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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