スタッフインタビュー 2021年11月21日

一人ひとりの言葉の力がつく授業を。(甲斐 利恵子)

甲斐 利恵子
投稿者 | 甲斐 利恵子

2021年11月21日

公立中学校で国語科の教員として38年の経験を持つ甲斐(りんちゃん)。教師の道を歩み続けてきた彼女の授業に参加したことのある何人かのスタッフから、こんな言葉を聞いたことがある。「りんちゃんの声がいい。」ー 真っ直ぐと、でも柔らかに届くその声は、自分に語りかけられているんだと感じる力がある。そんなりんちゃんのことをもっと知りたくなって、ゆっくりと話を聞いてきました。(編集部・三輪)


教室に居続けたい。

__ まずは、なぜ風越にということからお話伺えますか。

長年、公立中学校で国語科教師としてやってきました。年数で言うと38年。人ごとのように、自分でも「えーーーー(そんなに長く!)」という感じなんですけど、ただ「教室にいたい」という思いだけで続けてきました。

それは元々、教員になるきっかけになった大村はまという国語科教師の存在が大きいです。20歳の時に大村の『教えるということ』という本に出会って、勝手に「この人が師匠だ!」と決めました。ひたすら彼女の書いたものを読んで勉強をしてきたのですが、『どうすれば子ども一人ひとりに力がつく授業ができるのか』という問いのもとにずっと工夫してきた方なんですよね。だから私自身も、「力のつく授業ってどんな授業だろう」ということをずっと考え続け、教室から離れることなくやってきました。

__ そして今年から風越の教室に。

65歳になって定年を迎えるにあたって、「え、明日から教室がないということがあるの?」という気持ちがあっていよいよどうするか考えなくちゃいけないときに、偶然あすこまさん(澤田)からメールがきたんですよ。「ある集まりで国語の関係者で出会った人たちというテーマがでた時に、甲斐先生のことを思い出して思わずメールしてしまいました」って。それで私は、「こんな忙しい中メールいただいて感激です。私もいよいよ東京都では最後の年。どこか私立で教室に立てるようなところがあればなと思っています」みたいな感じで返したらすぐか返事がきて。「風越でいま、国語科教員を募集しているんです」って。

まさかそんな巡り合わせがあるなんて思っていなかったんだけど、まずは説明会だけでもと言ってくださったので参加してみたら、なんて面白いところだろうと思いました。すごく面白いという気持ちが9割で、あとの1割は、ということは自分の枠を外せということだなと。つまり、自分の枠を外すことがこの年齢でできるだろうかみたいな気持ちですね。でも、そこの部分も自分としてはすごくわくわくした気持ちで受け取ったんです。できるだろうかという問いは出ましたけど、できるでしょうって。

この“できる”というのは、仕事の成果として何かができるでしょうというより、枠を外すということ自体はできるような気がする、という感じで。長い間、公立で培ったものが通用しないってどういう感覚なんだろうという、わくわくする感じでした。40年近く教室にいて感じていたのはいつも「途上」ということでした。たどり着かないなあという感覚です。枠を外して何かに挑戦できることは、その「途上」の感覚が続くということですよね。すごく素敵なことだなと思ったんです。もし、それ(風越へ行くこと)が叶わないとしても、そういうことに動ける自分、行動を起こしている自分というのがちょっと嬉しかった。

言葉の力が育むもの。

__言葉の力がつく授業、とおっしゃっていましたが、具体的に“力”というのはなんのことを指しているんですか?

大村はまは「未来をつくっていく人を育てなくちゃダメなんだ」ということを言い続けていた人です。大村のいう「未来をつくっていく人」とはどんな人かというと、「自分の頭で考えようとする人、自分の考えを表現できる人、自分だけでなくみんなと一緒によりよいものを創っていこうとする人」ではないかと思っています。そんな人になるには、まず自分の思いを言葉にする力、伝える力、話し合う力が必要です。それらを支えているのが「言葉の力」だと思っています。言葉は「考え」を連れてきます。言葉の「量」はもちろん、それを「運用していく力」をつけたいなと。

そしてその為には、風越では当たり前のようにしていますけど「問いを立てる」ということがとても大事になってきます。子どもたちが自分たちの頭で問いを立てたり、正解に向かっていくんじゃなくて、そこに問題を掘り起こすような人になっていく。

__ 問いを立て、そこに問題を掘り起こすような人。

言葉を知っている人ではなく使える人になってほしいんですよね。そのために、思考を促す語彙というのがあるんですけど、そういうものを授業の中で自分のものにしていきます。たとえば、「根底」という言葉を使える子どもたちとそういう言葉を知ってはいても使ったことがない子どもたちが考えることは全然違うし、「葛藤」という言葉を使える人が文学を読むのと使えない人が読むのとでも違う。「そもそも」という部分に触れるような言葉が使える人と使えない人とでは思考の深さが異なるんです。

だから、「葛藤という言葉は辞書で引くとこういう意味です」と教えたり、「故郷を考える時のルントウはどういう気持ちでしたか?」と聞いたりするんじゃなくて、その子自身がどこに葛藤を感じるのかが大切なんです。たとえば、「葛藤の場面を100字で書いてみよう」と、一人ひとりが感じた葛藤の場面を集めたりすると、そうかそういうときに葛藤って言うんだよねって、その言葉を使ってはじめてその場面を実感します。その中で、誰かの書いた葛藤と誰かの書いた葛藤が微妙に違ったりして、そこでまた「何が違うんだろう?」と考えていくと、その葛藤している人の年齢が関係ありそうじゃない?とか、そういうその言葉が持っている世界みたいなものを自分の身体の中に入れ込んでいくような時間になっていくんです。

そうやって問いを立てることや実際に言葉を使うということを積み重ねていくと、作品の中にいる登場人物はどんな気持ちだっただろうかというような枠を越えて、フィクションではあるんだけど、そこにいる人を人間として捉えて深く理解しようとすることが起こるんですね。そうすると、その子の人生の豊かさとか人間を見る目とかがずいぶん変わってくると思うんです。本当の意味での言葉の力を身につけて自分を語り、人を理解する。そういう言葉が持っている力をつけたいなって思っています。うまく語りきれていない気もしますけど。

他者との協働と自分の変化。

__ 風越にいくことを考えたときに「自分の枠外せそうだなというところにわくわくした」と言っていましたが、実際どうですか。

国語科の捉え方みたいなものが変わりましたね。もっと柔軟でいいんだって。

大村の影響を受けているのもありますけど、いままでは事前に授業で扱う全てのことを理解しようと準備をし、全てのことが自分の手の内にあると思って取り組んできたんです。授業の中での子どもたちの話し合いとかも、その枠の中に無理やり入れるようなことはしてはいけないと思いつつ、子どもたちの幼さみたいなものに流れていかないようにと話し合いの台本みたいなものをつくったり、「こんなふうに思いついたらいいんだよ」と柔らかそうな言い方はしているけど手引きをつくったりして。この線から外れたらいけないというか、なにか一種の使命感や危機感じゃないけれど、そういう気持ちを持って真面目に授業をしていました。

そのこと自体は決して悪くないし、いまでももちろん授業に取り組む前には全ての書物に目を通したりはするんだけど、以前は子どもたちが外れたり、たどり着けなかったり、決められなかったりすることに対してものすごく小心者だったんですよね。でも風越に来て自分で言うのもなんですけど、器が大きくなったというか(笑)。できないということは残念なことでもあるけれど、いくらでもその子が成長できるチャンスなんだと

あと国語科で頑張らなくちゃと思っていた、ものを問うことやコミュニティをつくっていくということを、ホームで、テーマプロジェクトで、ラーニンググループで、アドベンチャーでと、さまざまなところで他のスタッフもやってくださっていると思えるのも大きいなと思います。みなさんで育てているんだよなみたいな感覚がすごく広がったというか。

そういう意味では、大人たちとの協働という仕事と、それも含めた子どもたちともつくっていくというか、授業の全貌を全て自分でかっちり把握して、自分で推進していかないとという感覚から、いまはもう最初から子どもたちに「どんなことしたいの?」と聞いちゃっていいんだって。

__ ベースとして題材について理解していることや、この単元ではこんなことを学んでほしいというねらいを持つことは大事にしているけど、そこに必ずしも子どもたちが当てはまらないといけないかというとそうではないと思うようになれたんですね。

同じ空間にいる大人たちのことを信じる。信じるというほどのことではないかもしれないけれど、自分を支えてくれる人たちなんだって。それは子どもですら。そういうふうに思うようになりました。

知ることからはじめよう。

__ 最後に、りんちゃんが自身のあり方や生き方、根底で大事にされていることを聞かせてください。

いつも思っているのは、その人を知りたいということなんですよね。その人の背後にあるいろんな出来事や価値観をすっごく知りたいんです。それは、知ることではじめてコミュニケーションが成り立つと思っているのと、その人を理解するということが、ある意味許すみたいなものや面白がるということを連れてきてくれたり、育てるということができるようになったりすると思っているからなんですけど。

だから、今だから言えることなんですが、風越にきてからあすこまさんに「今までのやり方にとどまらず、もっとどんどんやっていってください!」と言われたときに「いや無理です」って言っちゃったんです(笑)。その子のことを知らないのに、読書をしている最中に「どう?」ってとてもじゃないけど声をかけられないって。「聞かなくちゃいけない」と思っている間は聞きたくないし、聞きたいと思えるようになってから聞きたい。だから、この半年くらいは子どもたちを知っていくことに何より時間をかけました。

__ 他者を知るためにりんちゃんが心がけていることってあるんでしょうか?

尋ねたりはしないこと、かな。もちろん、風越の子どもたちはとても素直で、尋ねればいろんなことを話してくれます。でも、できれば話したいことを自然に話してくれるような、そんな空気の中で子どもの姿を知ることができたらなと思います。そのためには、まずは自分のことを話すんですよ。「昨日さ、うちの夫が突然来てまるで二十代みたいな気分だったわー」って。そうすると「え、いまりんちゃん何歳なの?」とか「うちのお父さんとお母さんはね…」、「私はさ…」みたいに、子どもも話し出す。その子が口を開くとか、心を開くとかって、決して尋ねることではないんですよね。授業でも基本的には同じです。子どもたちと聞きたいことを聞き、話したいことを話す。そんな関係の中で言葉が生まれたり、交わされたりするのを大切にしたいと思っています。

__ じゃあそれこそこの半年で子どもたちのことを知って、りんちゃんのことも知ってもらって、ようやく始まっていくというかこれからも楽しみなところなんですね。

そうなんですよ。これからが、楽しみなんです。


インタビュー実施日:2021年10月28日

 

#2021 #スタッフ #後期

甲斐 利恵子

投稿者甲斐 利恵子

投稿者甲斐 利恵子

九州生まれの九州育ち。お気に入りの九州弁は「よか、よか、気にせんでよか」。いつまでも子どもたちのそばにいられる幸せを感じています。

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