風越のいま 2021年11月19日

「暮らし」の中で学ぶということ 〜ぶんぶんばち、綱引きの綱を借りにいく〜

片岡 利允
投稿者 | 片岡 利允

2021年11月19日

「活動は活動を生み、活動は教科を生む。そして、活動は心を育む。」

これは、伊那市立伊那小学校の実践が記された『共に学び共に生きる』に出てくる一文。何度も反芻している。僕は、風越という新しい学校づくりは、新しいことをつくり続けながら、同時に、この長野県の土地で長い年月をかけて積み上げられてきた教育からも、学ぶべきことがたくさんあるなあと思っている。

風越では、ホームページの「わたしたちのカリキュラム」にも書かれているように、小学校低学年くらいまでの時期は、たくさんの具体に触れ、自然の中で五感を使いながら、実体験を通して学んでいくことを大切にしている。これは開校して2年目の今も、揺るぎないものとしてある。そんな中、今年度前期は、「暮らし」を軸にした体験ベースのカリキュラムを実践してきている。小学校1、2年生は、基本的に午前は野外で暮らしている。(午後は、教科を学ぶ時間として「学びの時間」を置いている。)

では、そういったカリキュラムは、本当に実現可能なのか。「暮らし」の中で体験したことが、どのように教科の学びにつながっていくと考えているのか。今回は、ホーム東の2年生16名の「ぶんぶんばち」チームの7月の活動を振り返って、改めて考えたいと思い、やっとの思いで書き出してみている。

「綱引きやりたかったなー。」

「運動会どうだった?」

午前、雨の中の水バトルを繰り広げた後の午後は、そんな話からはじまっていった。

「楽しかったー!!!」
「どの種目も楽しかった!」
「ちょっとつまんないこともあったー。」

口々につぶやく2年生、ホーム東の「ぶんぶんばち」チームの人たち。

「綱引きやりたかったなー。」

エイジがぼそりと、こうつぶやく。昨日、ホーム東の1年生が提案して実現した運動会の最後に、保護者の種目としてつな引きが行われた。エイジは、それを羨ましいと感じながら見ていたよう。

すると、それにつられて他の何人かも「つな引きやりたい!」とつぶやく。こうやって誰かの声につられて、「やりたい」の芽がぽこぽこ出てくることはよくある。集団の中で暮らしていると、いつも誰かの声に刺激を受け続けているということなんだろう。

そしてその声は広がっていき、だんだんと「つな引きやりたい!」のムードになっていったので、いよいよ「じゃあ、やるか!」と話が動き出す。エイジにとっては、わたしの声が、あなたの声になり、やがてわたしたちの声となって、そこから「活動」が生まれていくということを経験していくことになる。

ここで、昨日の綱引きの綱は、西部小学校という軽井沢町の別な学校から借りていたことを伝える。運動会の時はスタッフの提案であり、急だったので、ぼくが借りに行ってきたけど、次は自分たちがやりたくてやるんだから、みんなで西部小にお願いしに行ったらどうかと提案。すると、エイジは「行く!」とやる気満々の返答。自分の声から何かがはじまっていくというのは、とてもワクワクすることだ。さっき、「つな引きやりたい!」と言っていた数名も同じく、次々に「行く!」の気持ちになっていく。

「えー、別に行きたくはないかな。」

ショウタはそうつぶやくも、話しているうちにどうしても行きたいなら行ってもいいかな、というような感じに気持ちが移り変わっていった。「行きたくない」から「行く!」までの間には、それぞれグラデーションがあって、それも対話の中で流れるように変化し続けている。その他には特に反対の声があがらなかったので、早速、西部小に行くための話し合いがスタート。こうして、必要な時に必要な話し合いがはじまっていくのは、「暮らし」の中ではよくある光景。

ショウタ「西部小まで何キロ?」
サキ「にもつは何がいるかなー」
シュウゴ「まず道しらべをしないといけないよ」

セイタロウ「途中の川で遊びたい!」
リッキー「どうやってお願いするか考えなきゃ!」
コトネ「おかし買いたい!300円!」

はじめは、特につな引きをしたいわけでも、西部小にいきたいわけでもなかった人たちも、話し合いが進んでいくにつれ、「だったらこれやりたい!」とやりたいことを思いついちゃって、その気じゃなくても、ついついどうしたらいいかなあと行きたい人たちと一緒になって考えちゃう。みんなの大きな目的は西部小へ綱を借りにいくこと。でも、話し合いの中でその目的に沿って、もしくは、目的から外れて、ちょっとずつちょっとずつそれぞれがそれぞれの楽しみを見出していった。このあたり、子どもたちはどんな場面でもその世界の中で楽しみを見出す天才だなあといつも思う。

行く日は7月6日、来週の火曜日に決定。さて、行き帰りどうするかな。

予定を考える、リハーサルをする

翌日、朝から、西部小へのたびのしおりをつくるべく、予定を考えるコトネ、ヤヨイ、サキ。

去年、6歳の人たちと実際に西部小まで歩いたしんさん(本城)に、どれくらい時間がかかったのかを聞きに行く。必要な情報は、情報を持っていそうな人に直接聞いてみるのが一番。


タイムスケジュールの書き方を聞いてきたコトネ。左に時刻、右に予定。しんさんから聞いた情報を元にタイムスケジュールを書いていくと、結局、歩いて行くとなると、ほとんど行って帰ってきて終わってしまいそうだということが判明。ここで歩くことは断念して、以前、わこさん(斉土)の田んぼに行った時と同じく、バスと電車で行くことに。

こうして、誰かに相談したり、話し合ったり、これまでの経験から次の解決策を絞り出したりしていきながら、いよいよ翌週は西部小へ。

あ、そうそう。西部小に到着してから、まず、はじめにあいさつをして、そして、綱を貸してほしいという要件を伝えるところまでのリハーサルをすることになって、「いつまで借りたいですか?」などとふっしぁん(藤山)に何度も何度も質問を返されては、あたふたしながら、「やり直しー!」と何度も納得いくまで繰りかえり練習したのだった・・・。

西部小へ、いざ出発!

「並んでー!」

先頭を歩くシュウゴの一声で、工事中の道も一列に並んで歩きはじめる。シュウゴは先頭でよく周りを見ている。ところどころ止まったりして安全に気を配りながら歩く。

券売機にお金を入れて、自分の切符を買う。改札を通り、電車に乗る。この辺りは、わこさんの田んぼのときに経験済みなので手馴れたもの。「暮らし」の中では、こういう繰り返し経験することが積み重なって、また次の「活動」を支えることがよくある。

信濃追分駅について、歩き出したと思いきや、

ショウタの「休憩しよー」の声で、いきなり休憩。

そして、また歩いていく。

みんなお待ちかね、セブンイレブンでのお買い物。ちょっと多くない?とも思う300円を握りしめて、値段を一つ一つ確かめながら、計算もしつつ、買いたいものを選んでいく。

お金を払う。300円をうっかり越えてしまったり、ずいぶん余ってしまったり。こりゃ、帰って学ばなきゃだな!算数、算数!でも、こういう実体験の中で、計算がうまくいったりうまくいかなかったりしたことが、算数を学ぶ動機につながったり、逆に、算数で学んだことを暮らしの中でいかしていくことで学んだ実感が得られたりする。2年生、ちょうどこれから2けたのたし算の筆算を学ぶところだった。(結果として、導入になる体験に)

さあ、そしてまた歩き出す。次は西部小を目指していくので、先頭はリハーサルの時に決めた挨拶隊長のリキ。ちょっとドキドキソワソワした様子。

そして、ここまで約2時間かかってようやく到着!西部小の阿部教頭先生がたまたま通りかかって、綱のことをお願いするために声をかける。いざ、教頭先生を目の前にするとリキははじめ、おどおどしていたが、意を決して話し始めると練習通りばっちり要件を伝えることができた。何度も練習してきたんだろうな。そんなリッキーを見守る他の人たち。

教頭先生は「見にいく?」とだけ言ってくれて、綱のある倉庫へ案内してもらうことに。

倉庫に綱を発見!
「わー!これだー!」と、嬉しそう。

・・・いや、待てよ。どうやって持ち帰る?そこまで考えて準備していなかったぶんぶんばちたちは、口々に相談しはじめる。僕は「これ、みんなで話し合った方がいいことだと思うけど」とだけつぶやく。

セイタロウやリキたちが、「みんなで話し合うよー!!!」と呼びかけると、自然と丸くなって話し合いをはじめていく。彼らにとっては、もうすっかりこれが話し合いのデフォルトなんだな。文化になっているのがよくわかる。

また、こうして活動している中で予期せぬ事態が起こり、ある不確定な状況に陥る。その時に、それが問題として集団に共有されると、解決の動機が生まれ、解決策が見出され、次の活動へとつながっていく。活動が活動を生む。

いわゆる「学級会」のような特別活動としての話し合いの機会、国語の「話し合い」の授業が先にあるのではなく、必要な動機が生まれた時に必要な活動として「話し合い」をする。あとでこの活動を振り返った時に、結果として「話し合い」について学んでいたことに気づく。これが、僕の持つ「暮らし」の中で体験的に学ぶことのイメージのひとつ。こうした学びは、子どもたち自身のリアルとして、暮らしに根付いた生き続ける学びになっていくんだと思う。そして、必ず、教科の学びにもつながってくる。活動が教科を生む。

(今回の活動で言うと、買い物は算数の「大きな数のたし算ひき算」の単元、電車やバス、ささ(佐々木)との約束は「時刻と時間」の単元、国語の「話す聞く」領域のさらに「話し合うこと」の目標などに関わってくる。もちろん、それ以外の教科の学びと捉えることもできる。教科の学びとしての視点を持ち、後から意味づけすることで、「暮らし」の中での経験そのものが教科の学びとして豊かな経験だったことがわかったり、今後学び深めていくためのきっかけになったり、逆に、教科の学びとしては不十分だったので機会をつくって学び直そうという手立てができたりする。もちろん、「暮らし」の中で自然発生的に経験できていないことも見えてくるので、そういったことは経験させたいこととして、また別な手立てを企てていく、ということをしていきたい。)

話し合いがはじまる。何とか自分たちで持ち帰ることはできないかとアイデアを出し合う。

内心、「いやあ、それは無理があるだろ(笑)」と思いつつも、セイタロウの「スタッフの力を借りないで、自分たちで考えなきゃ!」という力強い言葉もあって、ただただ見守ることにした。

エイジ「思ったんだけどさー、縄をみんなで担いで帰ればいいじゃん!」
マナ「縄を外して腕にぐるぐるするとか!」

何とかバスと電車で運ぶ方法を模索する。

ケン「いいこと思いついたー!明日取りにこればいいじゃん!」

時折、出てくるケンの「いいこと思いついたー!」が、滞っていた話し合いにいい風をふかせる。

ショウタ「女も考えてよ!」
セイタロウ「まだ何も言ってない人、一通り言ってみてよ!」

他に言い方があるだろうと思いつつも、みんなで何とかしないと!という思いは、ちゃんと伝播していく。

テオ「縄をのばして真っ直ぐにしてー…」
サクラ「(今の意見で)いいと思う人は手をあげて!!」
サラ、コトネ「(軽トラを持っている)ささを呼ぶのでいいと思うー」

30分ほど経ったところで、「お腹すいたー」という人が。あと20分、12時までにいいアイデアが出なかったらスタッフのささにお願いしよう、ということに。

そして、時間になったので、リキが風越に電話をして事情を説明し、軽トラを持っているスタッフのささに電話を代わってもらい、13:30に取りに来てもらうことになった。

13:30に風越のスタッフが綱を取りにきてくれることになったことを、再び阿部教頭先生のところに行って伝える。

残り1時間くらいあるので、当初予定していた水遊びをすべく、浅間神社にいくことになった。

ご飯を食べて、買ったおやつを食べて、水遊びを楽しんで。

西部小に急いで戻ると、そこにはささが!!!

「ささー!!!」

綱を一緒に軽トラに積み込み、風越まで運んでもらうようにお願いをして、何とか一件落着。これで安心して帰ることができる。一時はどうなることやらと、ホッと一安心。不安も安心も、喜びも葛藤も、いろんな心の動きがあった1日でもあっただろう。活動は心を育む。

帰りは、少し早歩きで追分駅まで歩いて、電車に乗って、バスに乗って、ぶんぶんばちたちの波乱万丈の綱引きを借りにいく旅を終えていくのだった。

今回の活動を生んだのは、エイジの思いから発せられた声からだったということもとても大事なことだっただろう。そして、その声が仲間たちの声になっていったということも。だからこそ、長い道のり、知らない場所と人との出会い、急遽訪れる危機的状況、それらを仲間たちと乗り越えられた、乗り越えていこうとした。

「暮らし」の中では、あちこちで発せられる誰かの「声」から、至るところで同時多発的に「活動」が生まれていく。その「声」たちは、いつも切実で、思いがこもっていて、自分の、自分たちの「暮らし」をつくっていくための大事な投げかけである。だから、ちゃんとその「声」に耳を傾け、応答していきたい。暮らしに根付いたリアルな学びの種である、一人ひとりの「声」を大切にしていきたい。

(声のことは、こちらの記事でも言っていたなあと思い出す。)

 

「活動は活動を生み、活動は教科を生む。そして、活動は心を育む。」

僕は改めて、この一文をきっかけにして、今年度もう少し「暮らし」の中で学ぶことについて考え続けていきたいと思う。

(ちなみに、帰り道、「あれ?綱引きは誰とするの?」となって、西の2年生に挑戦状を書くことに・・・)

 

#1・2年 #2021 #前期

片岡 利允

投稿者片岡 利允

投稿者片岡 利允

歩く、書く、話す、歌う、弾く、笑う、食べる、呑む、が好きな関西人です。感性・感覚・感情・直感・重視だけど、じっくりゆったりどっぷり考えることも好き。いい循環を生む触媒のような存在になりたい。風越のはじめの1年を終えた今、「ファシリテーション」「保育」「読み書き」あたりに関心があります。こう見えてまだ20代。シンガーソングライター。

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