2022年3月22日
1月上旬のある日、今年度最後の7,8年生のテーマプロジェクトについて、みつこさん(大作)と立ち話をする中で「共同リフレクションをやってみようと思っててさ」という言葉が出た。7,8年生のラーニンググループメンバーは、みつこさん含めて7名。経験や得意の違うスタッフたちがチームとなり、子どもをみる視点を高めるために、またお互いに刺激しあったり学びあったりするためには、どんな仕組みや仕掛けが必要か、共同リフレクションを通して試してみる2か月を追った。(編集部・辰巳)
今年度5タームめとなる7,8年生のテーマプロジェクトのテーマは「地域とアニメーション」。これまで7,8年生44名は2つのグループに分かれてテーマプロジェクトに取り組んできたが、今回は5つのグループ(以降、スタジオと呼ぶ)に分かれ、それぞれが出会った軽井沢町のエピソードをもとに1分ほどのアニメーションを制作することにした。「誰とでもつくれる自分をつくる」というねらいとともに、1月14日にキックオフ。まずは各スタジオが軽井沢町の5つのエリアにフィールドワークに出かけるところから始まった。
2週間後の2月2日に行なわれた共同リフレクションのテーマは、各スタジオのチューニング。毎回タームのはじまりに後期(3〜7年)のスタッフ同士でテーマプロジェクトのチューニングを実施しているが、それを転用してふりかえる試みだ。
各スタジオの今の様子、担当スタッフの葛藤や悩み・今の気持ちをシェアしたあと、聞いていたスタッフから解像度を高める問いを投げかけたり、聞いてどんな気持ちになったかなどをやりとりする時間を持った。実際のやりとりを抜粋して紹介しよう。
僕の今の気持ちは、子どもたちがどうやったらうまくやれるか、スタッフが考えるのは当たり前だけど、そのプロセスを子どもに手渡したいなとすごく思っていて。どうやったら手渡せるんだろうって考えてる。なんかうまくいかないなっていう時に、僕が何かやってうまくいく、じゃなくて、子どもたちと一緒に考えてうまくいったっていう経験を積みたいけど、そこが難しい。僕がなんかやるよりも、子どもたちがやったほうがうまくいくとも思う。そういう気持ちに子どもがなれるというのが大事かな。
たいちにとって、うまくいってるってどういう感じ?
子どもたちがみんな楽しそうに自分たちで進めてる時がいいなと思うから、ちょっと離れたところから見ていられるくらいが、僕にとってはうまくいってると思うかな。
じゃあ、子どもにとって、うまくいってるってどういう感じなんだろう。
確かに。これをやろう、やってみたいっていうのが子どもたちの中から湧いたりしてる状態がうまくいってるっていうか、プロジェクトが進んでるって思うのかな。次はどうするの?とか、どうやったらいいの?、って子どもがスタッフに聞いてくる時は、つい焦る。子どもの手元にない感じ。
私の担当してるスタジオでも、グループでの話し合う時の切り口みたいなものが、子どもから出てくるといいと思うんだけど、限られた時間だしと思って、つい私が介入してしまう。こういうことについて話してみたら?っていうと、わーって楽しそうになる。心のどっかで、これでいいのか?っていうところがあって。スタッフの介入の仕方、どうしたらいいんだろうと思ってるんですけどね。
僕のスタジオもめちゃくちゃありますね。スタッフが介入すると、議論できたなとかアイデア出たな、進んだなという実感を子どもも持ちやすいと思うんですよね。一方で、進める力みたいなのがつくのかどうか。子どもへの問いかけとかがうまくできればいいなと思うけど、自分も全然できなくて。時間が限られる場面だと、これについてはどう思うの?とか、これ使えるんじゃない?って提案したりとか、けっこう介入しちゃったな。
みんな同じようなところの課題意識を持っているんだなぁ。課題に対する感じ方や関わりって、みんなそれぞれだと思う。具体的な手立てをスタッフみんなで考えて試してみて、それをまたシェアすると、グッと変わっていきそう。
あるスタッフの葛藤や悩みが明らかになると、「そういえば私も…」と自分の目の前にある状況を客観視したり関連づけたりすることで、次に繋がる問いが生まれることがある。今後の動きをつくるための問いや手立てをスタッフ個人が持つだけでなく、ラーニンググループに関わるスタッフ共通で持つことで、学びのコミュニティとして成熟していける予感がした。
2月9日はアンディ(寺中)を交えてリフレクションを実施。各スタジオに伴走するスタッフの関わりや介入についてやりとりした。
スタッフがテーマプロジェクトに伴走する際の関わりの一つのモデルとして持っていいなと思ったのは、たいちの”何もしない”という関わり。でも、スタジオでの最後のふりかえりの時に「こういうことが見えたよ」っていうフィードバックとか、「他にもこういう視点があるよ」と伝えるみたいに、たいちが関わると決めた時には明確に関わるんだよね。”何もしない”を関わり度”1”とすると、がっつり一緒にやるのが関わり度”10”。その間に、どんな関わりのグラデーションがあるのかを考えたらいいのかもね。
俺は、スタッフが何にも関わらなくとも、絶対何か起こるって思ってるの。時間がどれぐらいかかるかはわからないけど、どっかのタイミングで絶対に何かが起こる。それが1年待てることなのか、6週間なのか、あるいは今の2時間の中で何かが起きる必要があるのかっていう兼ね合いの中で、どのぐらいの強度で関わるかを変える。
子どもの役割が決まったうえで試行錯誤することにたっぷり時間を使うことが大事だと思ったら、役割についてはスタッフが介入して決めてから、子どもに任せるのがいいのかもしれない。そうじゃなくて、今の子どもたちにとっては、役割を決めることが大事なチャレンジで、ここから先の動きに関わってくるなと思ったら、介入せずに様子を見るっていう関わりがあり得る。俺の場合は、子どもたちに試行錯誤してほしい場面がどこかを見定めて、その前の場面はぐっと握る、ということをやってるな。
どのプロセスも大事だよなって思うから、余計に悩むんですよね。決めるっていうのも大事だし、動かすっていうのも大事だし、ふりかえるっていうのも大事だし。
体験学習におけるプロセスは、関係の中で起きていることのことを指すんだよね。目に見えている課題や行動、聞こえる言葉が、どのように起こっているか。それが1番見えやすいのは、物事が決まる場面で。何かが始まる時に、役割と責任がどうやって決まっているのか。それがどう生まれて、どう分配されるのか。言葉で何がやりとりされてて、言葉以外で何が見えるのか。空気とか雰囲気みたいなものも含めてね。
プロセスへの関わりは大きく3つあって、1つはふりかえりで関わること。2つめはフィードバックで、3つめが子どもと一緒にプロセスを明らかにする関わり。例えば、「今、得意・不得意で役割を決めようとしてる感じがするけど、それで合ってる?」みたいに聞いてみる。「それでよさそうだったら続けて」とか「なんか気になることあったら教えて」とか。もしくはそのまま黙って聞いて、なんか自分の中でもやっとしたら「あれ、今どんなこと感じてる?」とか「今、どうやって決まろうとしてんだっけ?」みたいなことが、プロセスを明らかにする関わり。
たとえば、子どもたちが決めた内容について、あさはが「これはまずいな」って思って関わるのは、プロセスじゃなくて、中身(コンテンツ)への介入。そうではなく、「決まり方についてどう思うか?」がプロセスに関わるってことで、ちょっと待たないとわからないことがある。
誰かの発言に対する他の子どもの反応を眺めてみると、「いいじゃん」って誰かが言って全員一致な感じに決まっちゃうかもしれないし、みんなあんまり反応しないっていう空気かもしれないし、言った本人がなんか違ったかなって不安になってる感じかもしれない。決まり方の中で起こってることについて、フィードバックしたり一緒に考えたりするのが、プロセスへのスタッフの関わり方だね。テーマプロジェクトでは関係性だけでなく、学びの内容についても扱うから難しいことやってるなって思う。
今回のテーマプロジェクトでは、スタッフから子どもたちに「教える」場面は極めて少なく、代わりにアニメーション制作のプロフェッショナルから何をポイントにしてどんな流れでどうつくるのか教わる機会を持った。(東映アニメーション・プロデューサーの鷲尾天さん、東映企画製作部・プロデューサーの石川啓さん、アニメ監督であり映像プロデューサーのべんぴねこさん、アニメ音響監督の若林和弘さんという贅沢な布陣が各スタジオの制作進行会議に伴走してくださった。本当にありがとうございます!)
中身(コンテンツ)のプロフェッショナルではない場面で、スタッフに必要な関わりや働きとは何か。今回であれば、「誰とでもつくれる自分をつくる」というねらいに向かえるための子どもたち同士の関係性を耕す関わりだけでなく、フィールドワークで出会った地域のことをどんな文献にあたりながら調べ深めていくか、など学びに向かうための関わりの両面がある(なんと難易度高いことをやろうとしていたのか、とつくづく思う)。
スタッフ自身が今、何について関わっているのか自覚的になることは、一人ではなかなか難しい。特に限られた時間の中で反応的に介入した場合、誰かからのフィードバックなしにふりかえっても、限定的な気づきに留まることが多い。
また、アンディの言葉にあるように、スタッフの関わりを決める前には、子どもがどんな経験するとよいのか、どんな試行錯誤をねらうのかの見立てが前提にあり、その見立てに必要なのはデータである。テーマプロジェクト以外の時間に子どもたちに何が起きているか。言葉、表情、姿勢、そういうこと全てがデータになる。見立てに必要なデータが手元にあるかどうか、なければどう集めるか。
その意味で共同リフレクションを支えていたのは、ドキュメンテーションだ。Googleドキュメントで約2か月にわたり書かれた内容は、60ページ近くにも及ぶ。
みつこさんから、ドキュメンテーションを書く視点が提案されることもあった。例えば、テーマプロジェクトの時間の前には「自分はグループの何を見ようとしたのか。どんな関わりをしよう、もしくはしまいと思っていたのか。」。終わった後には「子どものどんな姿が見えた?こどもこそが作り手である、自分の関わりはどう?」。
書かれたことにコメントしたり、共同リフレクションで扱ったりすることで、個人のふりかえりに他者が関与できる。また共同リフレクションでのやりとりが、その後どうなったかを交換する意味合いもあった(上記でアンディが言うたいちの”何もしない”関わりは、以下の日のことを指す)。
(2/8のたいちのドキュメンテーションより)
また、共同リフレクションは、スタッフにとってのマインドセットの機会でもあったように思う。目の前で起きていることから、どんな見通しを持って次に繋げるか。何度もねらいや目的に立ち戻る働きかけがあった。例えば、2月2日は、みつこさんのこんな一言で締めくくられている。
(みつこ)今年度最後のテーマプロジェクト、子どもたちも成長したわーって思えるプロジェクトになるように。スタッフもいろんな苦労があると思うけど、できるところのサポートはしていきたい、スタッフが子どもに関わるところに注力できるように私のほうでも全体の設計をつくっていきたいなと思っています。
3月15日のアウトプットデイでは、アニメーション映像そのものではなく、その番宣を各スタジオから紹介することになった。3月9日の共同リフレクションでは、残された時間でどんな時間をつくっていくか目線合わせする場面があった。
(みつこ)あらためて、私たちはどういう経験を彼らにしてほしいって願ってるのかな。いつまでに完成させて、誰に映像を届けたいのかを明らかにして、その人のところまではちゃんと届けるっていうこと。それから、なんかぐっと進んだ気もするよねっていう前向きなメッセージを伝えること。もう1回「誰とでもつくれる私をつくる」っていうことも再確認したいな。スタジオごとに、例えば「どうやって自分は他者に関わる?」とか、短くともそういう問いかけから始めてもいいと思う。
チームでプロジェクトを設計・伴走する上で、共同リフレクションの機会を持つことは、様々なバックグラウンドや経験のスタッフがともに学ぶうえでパワフルな手法だと思う。一方で、日常の中で定期的に共同リフレクションの時間を持つためには、他業務の整理含めて負荷は高い。子どもたちへのねらいがあるように、スタッフにとってのねらいを明確にし、どんな方法で、どんなふうにリフレクションやドキュメンテーションを進めるかをデザインすることも挑戦のしがいがあるところ。開校3年めに向けて、スタッフ個人の力量だけでなく、チームとしての力量をつけ、子どもの学びや遊び、暮らしを支えるための仕組みが不可欠なように思う。前期(年少〜2年生)では、風越コラボの流れから「付箋活用型記録」を試みる動きもあった。
どんな仕組みによって風越学園のカリキュラムを支えるおとなの学びをつくるのか、もう少し深めていきたい。