だんだん風越 2021年9月1日

学園説明会「”まざる”ってどういうこと?」(前編)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年9月1日

8月4日(水)、5日(木)、7日(土)にオンラインで学園説明会を開催しました

残念ながら今年もオンラインでの開催。今回は、私たちが大事にしたいと思っている『つくる』『まざる』『「  」になる』とは、あらためてどういうことか。実際に起きているエピソードをもとに、岩瀬(校長・園長)と本城(理事長)とスタッフが話をしました。

この記事では二日目、「”まざる”ってどういうこと?」で話された内容の一部を前編・後編にわけてお伝えします。前編の聴き手は、共同研究の一環で定期的に風越学園に訪問し「風越の教室に入ってみた」の書き手でもある赤木和重さん(神戸大学 准教授)です。

赤木

そもそもなぜ、”まざる”という言葉が開校前から大事なキーワードとして出てきたんでしょうか?

  
本城

学校の設立の準備をしている中で、哲学者・苫野一徳さんが提唱している「自由に生きる力と自由の相互承認の感度を育む」、それが公教育の役割だというところからスタートしています。そこを起点としていくつかキーとなるコンセプトを考えていきました。

 

2017年2月1日版の「大切にしたいこと」。2019年10月24日改訂。

 

本城

その過程で「まざる」の言葉の前に出てきたのが、「おなじからちがうへ、わけるからまざるへ」です。今までの学校や社会として、いろんなところで”おなじ”を大事にしていたり、いろんなところで”わける”を大事にしてきました。その結果、効率性は高まったかもしれないけれども、創造性やつながりが犠牲にされてきたところがあったんじゃないかと考えたからです。

僕たちが目指す学校は、たとえば異年齢という言葉で代表されるように、いろんな人がまざっている。そうすることでたしかに非効率になることはあるんですけど、それ以上に関係性がうまれたり、創造的な活動がうまれるんじゃないかというところから、「まざる」ということがコンセプトの一つになった。

そして、いわゆる先生という人だけで学校をつくるのではなくて、保護者の人や地域の人、いろんな企業やNPOとも混ざり合いながら学校をつくろうという「まざる」の意味合いもありました。そういう方が豊かな社会がうまれてくるんじゃないかと。
そこから「ちがう」、「まざる」がぐわっと出てきた。学校のトップページにもある「じっくり たっぷり ゆったり まざって 遊ぶ 学ぶ 「  」になる」という一文に“まざって”という言葉をいれたのはそういう背景もあります。

 

岩瀬

学校に限らず、子どもが育つ・暮らす場所を考えると、そもそも社会では異年齢で暮らしている。つまり、子どもの育ちにとっては分かれていることが不自然で、まざる方が自然なんじゃないかなと思ったんですよね。
もう少し言うと、幼稚園と小学校、小学校と中学校は文化の段差がすごくあって、子どもがびっくりするんですけど、それって子ども側の問題じゃないなと。子どもがある日突然文化が違うところに放り込まれる。でもその違いは大人の都合で、子どもの育ちは連続しているわけだから、その境目みたいなものももっとまざっていったら、子どもが自然と育っていく環境がつくれるんじゃないかと。それは本当にやっていかないとわからないけど、多分まざったほうがいいんじゃないかと思っています。

だから最初は「まざる」ではなく、「まぜる」を使ったりしていました。そこに意思みたいなものを持っていた。

  
本城

でも、「まぜる」じゃなくて「まざる」だよねとなったんだよね。たとえば、赤と青をまぜると紫になる、でもそういうまぜるじゃないかもなぁとか。まざり合う、どういうことがまざるということなのか、ぐるぐるよく考えていました。

 
赤木

小さい頃、原っぱでキックベースとかして遊んでいると、めちゃめちゃ小さい子とか入ってきましたよね。その時に仲間外れにしても楽しくないし、同じルールで遊んでも楽しくないから、一緒に楽しくするためにルールを改変しながら遊んでいくということをしていたことを思い出しました。

非効率ではあるんですけどね、まざるってことは。でもだからこそルールを変えていける、社会を変えていける、豊かな社会になっていくということと地続きなのかなと聞いていました。
「まざる」にはいろんな「まざる」があって、子どもの異年齢もありますけど、大人であるスタッフ側の「まざる」もありますよね。まずは、子どもの話から聞きたいのですが、子どもたちが「まざる」という場面でいいなぁと思ったシーンやエピソードがあれば教えください。

 
岩瀬

子どもって、まざった環境にいると、あっという間にそれが当たり前になっていく。大人以上に当たり前になっていくから、風越学園の子どもたちはお互い何年生か知らなかったというのも、実は平気なんですよね。学年で分けるから、1年生だ、2年生だ、と見るけど、あまり気にならなくなるんだなというのを子どもの姿を見ていると実感します。
最近あったことで印象的だったのが、算数・数学の授業は3〜8年生がまざって学んでいる時に、8年生のある子がテストを受けてあまり納得のいく結果ではなかったたようで、しょんぼりしながらテーブルに戻っていったら、そのテーブルに座っていた4年生と5年生の子が「どうだった?」「だめだった」「またやればいいよ」みたいなやりとりで背中をぽんぽんと優しくたたいていたんだよね。
その子たちも算数がものすごく得意なわけではなく、自分たちもなかなか進まなくて苦労したこともあるから、年齢とか関係なくわかるわかる、と同じ視点に立っての言葉で。その8年生の子は普段すごく面倒見がよくていろんな子に関わっているんだけど、そういうところではフラットに立てるんだなあ、ああいいシーンだなあと。

 
 
本城

同学年では、なかなかそうはならないよね。

 
岩瀬

同学年ではどうしても比較が出るからね。異年齢だからこそ、評価や比較の視点から解放されるみたいなことが起きたんだなと思いました。

 
赤木

大人がそう見るからかもしれないですけど、2年生だから、6年生なのに…と学年というような基準が、子ども同士のコミュニケーションの邪魔をするということがありますよね。本城さんはいかがでしょうか?

 
 
本城

前期の子どもたちのエピソードでいうと、風越学園ってルールがかっちりしていないんですけど、上の子たちから下の子たちへだんだん伝わるものってあるなって思うんですね。それってルールだけではなく遊びの面でもあって。今年の春から1、2年生の中でフラフープがブームで、だんだん上手になって、いろんな技もできるようになったんだけど、それを幼児たちがじーっと見てたんだよね。1、2年生の中でフラフープが下火になると、そこで幼児たちが登場して自分たちもやろうと。そこに1、2年生が関わったりする姿もあったりして。

赤木

絶対にまぜないといけないというわけではなく、文化というか意識的、組織的じゃないけどいつの間にか影響を受けている。憧れたり、憧れられたりする中で。場も流動的なので、たまたま隣りで楽しそうなことをしていたら影響を受ける、取り入れるってこともありそうですね。
一方で、まざることによる難しさもあるんじゃないかと思っていて。学年バラバラだと勉強はどうするの?そんなにうまいこと教えられないんちゃうの?って思ったりします。2年目に入って、様々な意味合いのまざる、こういうところは難しいっていうことはありますか?

 
岩瀬

子ども一人ひとりが違うという前提に立つと、学びも100人いると100通りになるわけで、限られたスタッフで伴走するには追いきれない。近しい年齢で進めたほうが進めやすかったりする。風越の中でも、3、4年・5、6年・7、8年で学ぶことは増えていて。そうすると一方で、当然異年齢で過ごす時間は減る。
どっちがいいとは言い切れないなというのは正直なところだけど、じゃあどうしたらいいのかなぁって思っていますね。

  
本城

その中でも算数・数学は3〜8年はまざっての自由進度で学んでるけど、それはゴリさんからどんなふうに見えてる?

 
岩瀬

確かに算数・数学の中では異年齢で学び合うことは結構起きているけど、それ以外の時間にあんまり広がっていかないなあと。他の時間で異年齢の良さを生かした学びをどう実現できるかと考えているかな。

 
赤木

近しい年齢の子どもで学んでいるのは、子どもたちからなのか、スタッフがそうさせたくなっているのか。どちらが起点なんでしょう?

 
岩瀬

子ども発信というよりも、僕らスタッフ側だなと思います。子どもがわけてほしいと言ったわけではない。大人がそうしたほうが学びが豊かになるんじゃないか、スタッフ間のコミュニケーションが取りやすくなるんじゃないかということから出発しています。逆に前期は、去年幼児と1、2年生はわかれていたんですけど、今年はまざるのにチャレンジしていますね。

 
本城

去年と比べて前期は結構まざっていて、後期が少しわかれてきたという形ですね。

 
赤木

正直僕も、ずっとまざってればいいとは思っていなくて、一番大事なのは、その子自身が学びや遊びを楽しみ、豊かになっていくこと。まざることが一番の目標ではないのかなと思ってるんですけど。
学びをわけるというのはスタッフ起点ということでしたけど、学びについては近しい人たちで集まったほうがいいという議論と、まざっていたほうがいいという議論があると思うんです。まざる派とまざらないほうがいい派のそれぞれの立場は、どういう学び観を持ってるんでしょう。どっちがいい悪いというわけではなく、それぞれの立場の背景にある学びの考え方・捉え方を知ることができればいいなと思います。

 
本城

学び観がどうやらちょっと違うらしいというところは、それぞれ見えてきたんだけど、それがどういう違いなのかというのは、明らかになっていないのかな。まざるって、あくまで方法でしかないなと思ってるので、まざるのをどの場面、どういう学習、遊び、生活でしたほうが子どもが豊かになり、そうじゃなくてまざらないほうがいい場面、学びの場面はどこなんだろうというのが少し見えてきている段階。
今、僕は8年生むけに進路についてのプログラムを担当しているんですけど、それは8年生だけでやったほうがよさそうだって思ってるんです。7年と8年ではそこへの向き合い方は違うので、わけるべきだと思う。

 
岩瀬

学びによって違うんじゃないかってことだよね。それとつなげていうと、風越は学習集団が異年齢のホームや近しい年齢のラーニンググループなど、流動的に変わるので、固定の学習集団がそんなにないんです。スタッフは、場面によって関わる子どもが違うと、子どものことの全体像が捉えにくい難しさは感じていると思います。

 
赤木

そうですよね。スタッフが自分の中でトータルに把握したくなればなるほど、固定したくなるのはあるし、手放してみんなで見る仕組みができれば、どんどんそれぞれの流動的なところでもできることが増えるということはあるかもしれない。

  
本城

これまでの学校の制度や文化って、ある意味よくできてるんですよね。それを風越は手放して異年齢や教科融合、チャイムを鳴らさない、教室を移動するなどとしているが、それにチャレンジすると、今までのやり方に乗っかる方が楽だなと揺らぐこともある。でも僕らはそれに違和感を感じてチャレンジをしているので、踏ん張りどころだなーと。まざっていくのをわけていく方向にならないように、あくまでも方法だし目標にはしないけれど、まざることで何が生まれるんだろう、何が豊かになっているんだろうというのは挑戦の真っ最中という感じですね。

 
赤木

あくまでも僕が見えている範囲での話ですけど、まざるを生活の場面ですると、生きやすい、生活しやすいなと思っています。学年がベースになると、どんどん規律が強くなる。統制しやすいから。
たとえばアウトプットディでも、1〜8年生までいると同じルールは適用できないですよね。30分じっと聞くなんて無理な子どもも出てくると思います。それぞれが聞きやすいスタイルで参加できることで、生きやすさがあるだろうなと感じました。

続けて、障害のある子が風越にもいると思いますが、そういう子が風越で学んでいる姿を見て、いいなぁ、きてくれてよかったなとと思うところがあれば、聞いてみたいです。

  
本城

僕はこの町に10年以上住んでいて、小さい時から知ってる子どもたちが風越学園にも一定数います。その子たちの中には、風越学園の開校前は公立の学校で学んで生活をしていて、居心地が悪い、生きている感じがしないと言っていた子もいたのでどうかなぁと思っていたが、ここに来てむっちゃ生きている感じ。何が彼を困らせていたんだろうと、苦しんでいた時のことを知っているからこそ、ここでいきいきしているのを見ると、こういうスタイルの学校をやってよかったなあと。「僕、前の学校では死んでいた、ずっと一人だった」と言っている子もいたりして。いろんな人とつながって活躍している場面を見ると、よかったなと思いますね。

 
岩瀬

一緒にいるのが当たり前であること、寛容であることはすごくいいなぁって思いますね。一緒でいなくては育まれない感度だなあと。
でも、居心地よくいられちゃうし、教室出て行ってもまぁまぁと済まされるので、だからこそその子にとっての今のチャレンジはなんだろうって考えますね。その子の側からみた時に、居心地がよいだけで本当にいいのかは迷うところです。

 
 
本城

いられることと、ぐっと育つこと。つまり、チャレンジ、ハードル、やらされるのが大事な場面もある。いられちゃう結果、その子の子どもの育ちにとってどうなのかというのはありますね。

 
赤木

本来は、”いる”っていうことと”できる”っていうことが矛盾しなくて、いるからこそできていくし、できるからこそいられると思います。”いる”と”できる”の両者が、お互いがよい関係で子どもが育っていきます。丁寧に考えないとどちらかだけになって、結局あまり豊かな生活や学びにつながらないということもあるなと、お話を聞いていて思いました。

 
 
本城

そうですね。今日はありがとうございました。

 

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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