だんだん風越 2021年9月4日

学園説明会「”まざる”ってどういうこと?」(後編)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年9月4日

8月4日(水)、5日(木)、7日(土)にオンラインで学園説明会を開催しました。

今回は、私たちが大事にしたいと思っている『つくる』『まざる』『「  」になる』とは、あらためてどういうことか。実際に起きているエピソードをもとに、岩瀬(校長・園長)と本城(理事長)とスタッフが話をしました。

2日目「”まざる”ってどういうこと?」で話された、岩瀬・本城・赤木(神戸大学 准教授)の内容をお伝えした前編。


後編では、スタッフがそれぞれの現場から見ている”まざる”についてご紹介します。まずは、甲斐崎澤田奥野の3人です。

左から:甲斐崎(KAI / アドベンチャーカリキュラム)・澤田(あすこま / 5/6年国語)・奥野(ちか / 前期)

甲斐崎

ではこれから、奥野(ちか)、澤田(あすこま)と僕とで、”まざる”ということについて、子どもたちの様子、現場のことを通しておしゃべりしていこうと思います。”まざる”と一言で言っても色々な”まざる”があると思うのだけれど、二人はどんなまざりがあると思います?

  
奥野

私が大きいなと思うのはスタッフ同士の”まざる”かなあ。前期は、幼稚園のスタッフも小学校のスタッフもいるので、日常的に子どもの先のことを話せるのはこれまでの保育園での仕事とは違うことです。

 
 
澤田

空間的なまざるもあるかなと思います。一つの空間をいろんな学年が使っていますよね。

 
 
奥野

あと、保護者がよく学校にいる。私は、お話とわらべうたの時間というのを保護者と一緒にやっているんですけど、垣根なく一緒にその時間をつくっていて、私が教わることもたくさんあります(編集部注:長野県が示す新型コロナウイルス観戦警戒レベルによって、保護者の校舎内立ち入りは制限することがある)。

 
甲斐崎

あとは、人じゃなくて教科もまざってますよね。まずは、ちかから前期のまざる、まざらない様子を伝えてもらおうと思います。

 
 
奥野

前期、ホーム西の人たちは1学期、年少〜2年生までが「西の国」と呼ぶグラウンドの奥で一日過ごしていました。去年までは1,2年生の拠点が学校の中にあったり、学びの時間を午前中にしていたので、幼児と1,2年生が過ごす時間や場所がなかなかうまくつくれなかったりしたので、どうしたらまぜていけるんだろうとまざることに一生懸命大人が試行錯誤して、活動でまざろうとしていたと思う。でも今年は、一緒に生活する場所が同じなので自然と関係性ができてきているなと感じています。

 

 

奥野

たとえば、上の写真はお弁当の時間なんだけど、青い帽子の年少児がお弁当をひっくり返してしまったんだよね。西の国には水道がないので、落としたものを洗うのにグラウンドまでいかないといけない。泣きながら洗いに行って戻ってきたら、ちょっとした段差でまた落としそうそうになってまた泣き出して。そうしたら、たまたま通りかかった2年生が手を添えて一緒に歩いてくれて。

一緒の場にいると、その子がどういう時に困ってるのか、どういう手助けが必要なのかがわかってくる。活動ではなくて、生活や暮らしの中で一緒にいることがまざるのに大切なのかなと、そんな子どもたちの姿を見ると思います。

 
甲斐崎

生活が土台にあるってこと?

 
 
奥野

そう。活動でまざらなくても、生活の中でお互いを意識する。

 
甲斐崎

全体で同じことをやってるわけではなく、場があってそれぞれにやりたいことをやっている。緩やかにその中で繋がってる、自然な感じだよね。活動で一つになると、本当にまざってる?やらされていない?ってなっちゃうことはあるかもしれない。

 

 

奥野

これは、先頭切ってるのは年長の男の子なんだけど、年齢関係なく、「むしさがしにいくぞ!」というと虫探しが好きな子がそこに集まってきて。やりたいこと興味あることで自然にグループができていく。

 
甲斐崎

去年1,2年生と一緒にいた時も思ったけれど、子どもたちはそんなに年齢や学年を意識してないよね。

 
 
奥野

本当にそうで、虫が好きな〇〇くんということで認識している。特に小さな人たちは、何年生とかはわかっていないと思う。好きなものや特徴で繋がってる。

 
甲斐崎

今のを聞いてどうですか、あすこまさん。

 
 
澤田

前期の子どもたちは、あまり年齢差を感じてないんだなぁ。でもスタッフとしては、前期のスタッフは外で過ごして、後期は室内で過ごすことが多くて、物理的にも距離がありますよね。風越は3〜15歳まで子どもたちが過ごす場所なのに、年齢ごとに担当を分けるとお互いに何やっているのか本当にわからなくなってしまう。僕は風越にくるまで中高で国語を教えていたので、特に保育のことはよくわからない。そこで、まずはもっと前期の子どもやスタッフのことを知りたいなと、1学期は週1、保育に入ることにしました。

そこではじめて、ケンカが起きた時にどんなふうに仲裁するのかを知ったりして。僕だったらすぐ間に入っちゃうところがあるけど、しばらく見守ってお互いに対等にケンカできてるかどうかを見たり、それぞれに対して「どうしたかったの?」と話を聞いたり、スタッフが解決してしまうのではなくて、彼らの中で問題解決しようとする力をつけようとしてるんだなとか。

 
甲斐崎

子どもがまざりあってるなっていう場面ありました?

 
 
澤田

「生活の場で」というのがキーワードかなと思いました。後期はラーニンググループ制で、3,4年・5,6年・7,8年とわけているので、そこが大きな違いかなと。

でも学年ごとにわけることは、その方がいいんじゃないかと思う面はあるんです。たとえば国語に関して言えば、書く力や読む力がある程度同じくらいの子が集まった方が、お互いの作品を読んだり、好きな本を紹介するにしても、その子にとってのチャンスが広がると思います。近い人同士の方が学びはいいんじゃないかと。

でも、5,6年と区切ると、まぜるしかないんですよ。空間も流動的でまざるようにできてるが、ほっとくとまざらない。なんでだろうと思うと、同じ学年という基準があって、何年生なのに、何年生だからこう、という物差しが生まれてくる。物差しで比較されちゃうことへの不安もあると思うし、どうしても同じ仲間同士、いつものメンバーで集まりたがって、その子の興味で選んでほしくても人間関係で選んじゃうなということもある。だから今、後期は意識的にスタッフがまぜようとしてる感じだなって。

ちかが「活動だとまぜるになっちゃう」と言っていたけど、後期のラーニンググループは生活の場ではないんですよね。だから、生活の場として自然にまざるみたいなのがつくりにくい。でもその中で比較の尺度で苦しんでる子はいるので、そこはどうしたらいいんだろうって聞きながら考えちゃったなぁ。

学ぶにしても、その根っこにはその子自身が自分で自分のことを大事にできる環境は大事だなと思っていて。そのためには異年齢の方がいいんじゃないかという気がしてるんですよね。

教育というか、特に僕ら後期のスタッフの役割って、「ありのまま、今のままのあなたで素敵だよ」と語りかけることと、「もっと学ぼうよ」という二つのことを同時に取り扱うことだと、僕は思うんです。

その時に、「もっと学ぼうよ」と伝えるのは、年齢が近い方がやりやすいんですよね、大人は。でもそれを支える、「今のままのあなたで十分価値があるよ」と伝えることは、同年齢で輪切りされた集団だと伝わりにくい。異年齢の方が伝わりやすい気がする。前期はまさにそういう環境ですよね。その二つをどう繋げるかは難しいんだけど、大事だなと思いました。

 
甲斐崎

ラーニンググループとは別の集団でホームがありますよね。後期は3〜8年生が混ざって30人くらいの5つのホームがある。その中でも子どもたちの関係性やまざりかたは特徴的だなと思っていて。

僕は今年、アドベンチャーカリキュラムでリレーションシップラボというのをやっていて、週1回それぞれのホームに入っているんです。その時に、昨年の様子と子どもたちが結構違うなと思っていて。というのも、朝と帰りの集いの場しかみんなが集まらなくて、それ以外のホームの活動がない中で始まっているから、アクティビティをやると、学年間の分断が自然と起こるんですよね。近しい年齢と間柄で集まる。一緒に課題を解決する場でもそういうことが起こっちゃう。

 

甲斐崎

あと、上の学年の子が下の学年の子に遠慮しちゃう。関わっていくことに躊躇しているというか、葛藤する感じが見受けられてて。それはなんでだろうと思うと、一緒に生活している体験があまりない、自分が安心安全でいられるのが近しい間柄みたいなところがあるのかなと。でも、アドベンチャーって力があるので、いつの間にか喋っちゃう、手繋いじゃうみたいな体験ができれば、自然とまじりあっていくかなと思うんですけど、共有体験の量がまだまだ足りてない感じはする。そこがまず課題かなって。

これから夏休み明けにホームとしてのプロジェクトが進んだりする中でぐっとホーム内での距離は縮まると思うが、まだまだ知り合う段階をうろうろしてる感じがしている。もっとまざることで安心安全な場、ここにいてもいいんだ、自分にはこういう力があるんだみたいになっていく。心の拠り所としてホームがあれば、ラーニンググループでも、外に出てもチャレンジできるんじゃないかな。ホームの役割って大事だと思う。

ホームの動きとしては、去年はきょうだいホームがあったよね。前期5つ、後期5つとホームがあるからペアになって、年少〜7年生までが一緒に活動する。今年、それがないというのも大きいなと思うんだけど。

  
澤田

たしかに。ちか(前期)のホーム「あ」と僕(後期)のホーム「か」がきょうだいだったんですよね。

 
 
奥野

動き出したのは夏明けくらいからで、去年、前期の1,2年生はホームベースが校舎にあって、それがきょうだいホームと隣りだったんですよね。1,2年生だけだと10人くらいしかいなくて人数が少ない難しさを感じたから、きょうだいホームの人たちに相談して、朝の集いを一緒にやるようになった。朝の集いに遊ぶ時間がいつもあって、ハンカチ落としとか、体育館でリレーするとか、その時間がすごいよかったよね。あと、きょうだいホームで同じ場所を掃除したりもして。

 
 
澤田

あれはよかったですよね。

 
 
奥野

いろんなイベントを後期の人たちが考えてくれて、その中で小さな人たちも一緒にできるものってなんだろうと希望を聞いてくれたりもして。そういうことが子どもたちの中で自然と起きていた。

私個人としては、一番大きかったのは田んぼ。ホーム「か」の人たちがカレープロジェクトというホームプロジェクトでお米作りを田んぼで始めていて、前期も脱穀からそこにまぜてもらって。1年生〜7年生までが同じ場所にいて、後期はお米が欲しいから一生懸命脱穀するんですよ。小さい人たちはちょっとやって別のことをするんだけど、大きな一つの目的を共有しつつ、でもやってることはそれぞれで、でもそれでいいという空間で。お互いに意識しながら一緒に居られる。それがすごいよかったなあと。

 

 

澤田

僕、最初はきょうだいホームってそんなに積極的じゃなくて。やりたいスタッフがいるならやろうかなくらいだったんです。でもやってみると、すごくいいなぁって思うことはいくつもあって。

本当に年齢の幅広い子達がいるから、違うのが当たり前なんですよね。まざるってどういうことに戻ると、まざることの良さって、違うのが当たり前という状況が作れることだなと思っていて。異質なんだけど、みんなが異質だからそれでいいんだ、自分は自分のままでいいんだっていう感覚は同年齢で輪切りにされると思いにくくて。違っていいのが当たり前と感じられるのがまざる良さかなと、きょうだいホームの活動を通じて感じました。

スタッフの前・後期がなかなかまざれないと言ったけど、その中でもできることをやりたいですよね。夏休み前、前期スタッフのあいこさんが5,6年生に絵本の読み聞かせをしてくれたんだけど、それすごくいい時間だったんです。ああいうのをもっと声をかけながらやっていきたい。ただその場を共有するっていうことの積み重ねって大事なんじゃないかなぁ。

 
甲斐崎

スタッフがまざってなくて、お互い知らないからどんなことができるかイメージつかないということはありそうだよね。

 
 
澤田

スタッフみんなが入り口から出口、3〜15歳まで、ここではこういうことが大事なんだと、お互いの仕事に敬意を持って理解できるといいなと思っています。

 
奥野

意識的にまぜなくても、一緒に過ごすだけで変わることもありそうですよね。自分のまぜる・まざるの考え方が少しずつ変わってきたなと感じています。

 


続いては、寺中岩瀬さやか遠藤です。

左から:寺中(あんでぃ / 副校長)・岩瀬さやか(さや / ウェルネス)・遠藤(あや / 前期)

寺中

ここからは、岩瀬さやか(さや)と遠藤(あや)と僕(アンディ)の3人の時間です。まずはこれまでの話をどんなふうに聞いたか、聞いてみたいと思います。

  
岩瀬さやか

最初のしんさんたちのセッションで、「学校システムはよくできているけれど、そこに違和感を感じているから手放して、チャレンジしている」という話があったけど、風越学園では特別支援やインクルーシブ教育の観点でも、枠組みをつくったりや支援員がつくなどの取り組みを一回手放して、どういうことができるかを考えているので、その点同じだなと思いながら聞いていました。

 
 
遠藤

昨日のつくるのセッションで「何のためにつくる、何をつくる」ということを具体的に言葉にしていけるといいよねと言っていたけれど、まざるでも同じように考えていけるといいかなと思いました。あとは、まざることが目的や目標じゃなくて、その子自身の学びや生活、遊びが豊かになっていくことが大事だという話が心に残っています。

 
寺中

手段や目的という話と一緒に、まぜるとまざるの話もあったけど、二人はどんなふうにそれぞれの言葉の質感を持っていて、今起きていることとリンクしました?

 
 
岩瀬さやか

大人が子どもや場をまぜようとしなくても、自然とまざってしまうようないろんな仕組みや環境はあるなと。校舎の構造だったり、時間の過ごし方だったり、まじるきっかけになるものが、校内に散らばってるなと思ってるかな。

 
 
遠藤

私は前職が保育園だったんですけど、区切られた部屋がある環境だと、他のクラスとの交流は意識的にしないと起きなかった。なので「混ぜる」ということを意識してやっていたなあと。

風越学園も、結果的にまざるは起きているけど、前期の場合は屋外環境がとても広いので、意識して働きかけないとまざるにならないということはあった。前期と後期のまざる、も同じで通常過ごしている場所が屋外と屋内とで異なるので、まざるへの意識があるかないかで、だいぶ結果が違ってくるように思います。

 
寺中

今回、このセッションを行うにあたって、「つくるとまざるはどんな関係?」というのを3人で考えてきたんだよね。つくるはまざるにどう影響する?とか。

その中で、生成的につくると、流動性や不確実性をうむことが話題になりました。今、風越学園に起きている流動性や不確実性を、時間・空間・仲間・関わる大人の4要素でまとめてみたところ、次のような図になりました。まずはウェルネスの視点で、さやさんに聞いてみたいなと思います。

 

 

岩瀬さやか

上の図は、後期3年生のある1日を4つの視点(時間・空間・仲間・大人)で整理してみたものです。改めて、時間ごとに空間・仲間・関わる大人が変化し、子どもが自分で決めることが多いんだなと感じました。だからこそ自然とまざるが生まれる場面や居心地の良さもあるんだけど、その分難しさもあるのかもしれないなと思っています。

たとえば空間の話でいうと、いろんな場にいることができるから、この場はあわないなという苦しさがある子にとっては、隠れ家っぽいスペースや外空間含めて居場所を見つけやすい。逆にいうと、本当にオープンなスペースなのでいろんな方向から音が聞こえてくるし、いろんな動きも目に入ってくる。静かな環境やこもってる空間の方があってる子には苦しさがあるかもしれません。

あとは、移動が1日の中でたくさんあるけど、みんなが一緒に同じ場所に移動することがないので、周りを見ながら自分の動きを認識しやすかった子にとっては自分で決めて動かなくちゃいけない難しさがあったり、物を持ち歩くので、どこに置いたかわからなくなって混乱しちゃう子はいるなと感じますね。

 
寺中

移動だけじゃなくて、常にいろんな人が見える、境目がないことも影響することもあるのかな?

 
 
岩瀬さやか

その日の気持ちとかにもよるけれど、落ち着かない子もいる。空間もだし、特に午後の時間はわたしをつくるみたいな全て自分でやる・決めるという時間なので、次はこうやるよという型がある方が学びやすい子は、その形が見つかるまでは学ぶのに時間がかかったりする。チャイムがないことで見通しがつかない子もいたりします。

 
寺中

仲間が変わっていく中で、こういうことが具体的に起こっているという話も聞きたいです。

 
 
岩瀬さやか

もちろん仲間が変わっていくよさもあります。今までだったら出会わなかった子との出会いがあったり、興味関心が重なることでの出会いもある。学年をお互い知らなかったりもするので、その子自身と純粋に関係を築いていける。ただ、同じ関係性の中の方が自分の力を発揮できる子や、どこにいこうか迷う子にとっては難しさがあるかもしれない。

関わる大人も場面によって変わるので、どうその子を見とって、情報を連携・共有していくかはこれからも考え続けていきたいなと思っています。

 
寺中

あやさんからはどんなふうに見えますか?

 
 
遠藤

いろんな大人が一人の子と関われるのは、いろんな視点がまざっていい面はあると思う。ただ発達の段階によっては特定の誰かとの関係を結んでいく必要があるから、その子にとってどうか、という視点はしっかり持ちながら大人も含めた環境を考えていきたいと思います。

 
寺中

まぜるとまざるの話をしたけど、流動的で不確実な状況がある中で、まぜるという意図しないとまざらないこともあるんだなと思った。仲間とこれだけ関わってるからといって、多様な関わりが生まれるわけではないという人もいるよね。

 
 
岩瀬さやか

流動性があるからそれぞれの場の仲間が異なり、その場その場で、人との関係をつくらないといけない難しさがあるなとは感じています。ただその一方で、自分でやりたいことを持っている子は、流動性がある中でもうまく過ごしている印象があります。

 

 

遠藤

前期は朝、森の中に集まってつどいがスタートするんですね。その後、どんな活動が展開されるかは、つどいで出た話や、前日から続いている何かがあるなどの掛け合わせで生成的に展開されています。

森の中という環境は、いろんな巡り合わせや出会いが偶発的に起きる可能性が高く、室内環境を中心とした場の設定や大人の意識の持ち方とは違ってくるなという実感があります。森の中でみんなで出かけたり、雨のような不可実な天候も環境にあって、その中でいかに楽しんで遊べるかは子ども達が教えてくれる場面がたくさんあります。

生き物と出会う場面も多く、そこから一人ひとりの物語が始まっていく。室内に比べると不確実さがあるけれど、その分、豊かになっているというのは大人も子どもも感じられていると思う。

 
寺中

豊かな環境の中で、いろんな子がいる。そこに難しさを感じる子がいる時、大人はどんなことができるんだろう。

 
 
岩瀬さやか

どんな環境でも、うまくいったり、難しかったりという両面があるんだと思う。その子のチャレンジを見守る土壌は、風越は広くあるのかなと感じる。

一方で、なんでも子どものやりたいことをやりたいようにできることが自由で、そういうことができる学校ではない。何かしらの難しさを感じる子に対してこんな手立てをやる・やらないじゃなくて、どんなふうにやるかということを保護者と子どもとスタッフと一緒に話しながらつくっていきたいなと思っています。

 
寺中

改めて、年少〜9年生までの12年間あることは、その期間や関係性の幅の中で子どもの育ちを見とることができる、すごい可能性だなと思いました。

 
 
遠藤

私も12年間という大きな流れの中で子どもたちが変化すること、立ち止まったりすることに一緒に居られることは大きな可能性に思えていて。個人的にも、子どもたちがつくり手であることを信じる、その信じる気持ちが前より強くなっている気がします。それが強くなるといろんなことの見え方が変わってきている。

たとえば、待つという態度も変わるだろうし、見方もより多様になっていくかなと思う。長い時間軸の中で、その子がどんな風景を見ているんだろうと思えると、その瞬間の捉え方も変わってくる気がします。

 

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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