だんだん風越 2021年9月14日

学園説明会「”「  」になる”って、どういうこと?」(前編)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年9月14日

8月に3回実施した学園説明会。これまでの「”つくる”って、どういうこと?」と「”まざる”って、どういうこと?」について、改めて言葉にすることで、スタッフ同士でやりとりする機会にもなりました。

3日めのテーマは、「”「  」になる”って、どういうこと?」。前編の聴き手は、山崎繭加さん(軽井沢風越学園理事・保護者)です。

繭加

山崎繭加です。風越学園とのご縁は設立準備財団の頃からチームづくりのお手伝いをしていて、現在も学校法人の理事として関わりながら、4歳の娘が入園しているので、保護者としても関わっています。今日はよろしくお願いします。 私自身としては、お二人にまず興味があって、”「  」になる”ということが、お二人にとってどうか、ということを一番聞きたいなと思っています。というのも、私自身が保護者としても学校に関わる中で、子どもがどうなるというだけでなく、この学校に関わる全ての人がどう変化するか、どう成長するかがすごく大事だなと思っていて。最近の組織変革の潮流を見ていても、組織全体を変えるというよりは自分も組織の一部であると認識し、自分が変わるから全体が変わってくるという世界的な流れがある中で、風越学園の中心にいるお二人自身が、開校して1年数ヶ月で、自分の中の何に気づいて、どんなことにジレンマを感じたり、どんなことで自分がちょっと変わったかもしれない、と考えておられるかを聞いていきたいなと思っています。

本城

難しい質問ですね…。

岩瀬

僕がここ数年で一番感じていることは、最初は、”「  」になる”って言いながら、自分の中で無意識的なゴールイメージを持っていたなと思って。これまでの実践や経験の中から、こんな感じになるといいよなというのを思い描き、風越学園全体がこうなるといいなというベクトルが強くあったなと思っています。 具体的にはスタッフとの関わりの中で、もっとこうしたらいいんじゃない、とか、この場面よかったよね、という言葉に現れて、無意識的に物差しを持って関わっている時間が長かった。去年の今頃とか、自分の体がこわばっている感じがずっとあって、掲げていることと自分のあり方がいまいちマッチしていない時間が長かったんです。今年度に入って、少し自分の力が抜けてきたなという感じはあって、自分が無意識的によいと思っていたことと想定外のことが、ポコポコと起きてきている。こんなこと起きるんだ、これもおもしろいなとか、もし自分だけでやっていたら決して起きなかったことが生まれてきている感じがあって。それを見ているのが楽しいと思えるのが、力が抜けてきている要因かなと思っています。

繭加

具体的に、どんなことを楽しいと思うか、何か例を聞いてもいいですか。

岩瀬

例えば、子どもたちが、比較のものさしから自由になれたことで、伸びやかになれるシーンをよくみていて。いてもたってもいられないことに没頭して、スタッフのようにミーティングしてる子どもの姿とか。子ども同士が比較したり影響しあっていたり、無意識的な大人の期待に応えるような動きではない、そういうことから自由になっている子たちを見ると、大人と変わらないなと思うんですよね。大人も評価する・される、の世界から出られると伸びやかになれる。それは僕の想定外、イメージしていた外のことだから、それは圧倒的におもしろいなと思っています。

繭加

なるほど。しんさんは、いかがですか。

本城

そうですね。”つくる”、”まざる”、”「  」になる”、と並べてみた時に、僕は”「  」になる”って言葉への思い入れが強いなって、改めて感じたんですよね。 ”「  」になる”、にたどり着く前にいろんな別の言葉を考えて、例えば、”自分自身になる”、とか。いろんな言葉が思い浮かんだけど、最終的にちょっと意味不明な”「  」になる”、だなと強く思った。 僕らは、何か一つのゴールに向かって生きているわけじゃないと思っていて。うろうろしたり、後戻りしたり、時にはダッシュでまっすぐ進んだりして生きているんじゃないか、僕はそうやって生きていきたいなと思っていて。その時に”「  」になる”、の「  」の中は、どんどん更新されていくもの。なったからOK、じゃなくて、なりそうな時に、またそれが更新されていく感じが僕の中にあるんですね。先日、長女の進路のことである方に話を聞いてやりとりしてもらえませんか、と依頼をしたんですがが、その方が昔僕がブログに書いた「子どもに職業を聞かれたら”本城慎之介”だと答えている」という箇所がすごい印象に残っていると伝えてくれて。でも、今まさにそんな感じがしていて。風越学園をつくっていくときもそうだし、今年の6月の後半から7月くらいにかけて自分自身が更新されていくような感覚を持っているので、なんかそんなふうに思っています。

繭加

その自分が更新されている感覚を、もうちょっと具体的に言葉にしてみると、どんな感じですか。

本城

うーんと、OSのバージョンアップみたいな感じですね。バグがあったり、もしくは新しい時代背景に応じて必要に迫られてバージョンアップしてる側面と、僕自身がそういうバージョンアップをしたくて、そのタイミングがあったからなされた感じがありますね。

繭加

どんなOSからどんなOSへ?

本城

いや、かなり細かなマイナーバージョンアップですよ。3.001から3.002くらいの。僕にとっては、1.**から2.0に上がったメジャーなバージョンアップは、2009年に森のようちえん・ぴっぴに出会ったときで、その時はかなりバージョンアップされたんですけど、最近のは本当に細かい。でも確実に、”「  」”の部分が、更新されてる感じ。

繭加

世界の見え方が変わってくる?

本城

世界の見え方は、確実に変わってますね。ぐっと引いたり・近寄ったりが、自由自在になってきた感じ。望遠や近接が自分の手元でコントロールができてきたというか。引き気味だけではなく、突っ込み気味だけではなく、という感覚はありますね。

繭加

それは、人間関係においてですか?

本城

僕の人間関係というよりは、それも含めた僕が関係している世界全体かな。

繭加

OSというキーワードが出ましたが、ゴリさんはOSに例えてみると、どんな変化がありますか?

岩瀬

見えていることの時間軸が、少し長くなった感じはあるかな。もっと早く、もっと遠くに、みたいなことから、これが2,3年続くと面白くなるんじゃないかな、ぐらいの時間軸で捉えられるようになってきました。子どもたちが夏休みに入って、いろんなスタッフのミーティングに出ると、僕自身の聞こえ方が今までと変わってきたんです。こうなってなきゃいけないというのが、去年は僕の中にものすごくあったんだけど、今は未来に向けた種みたいなものがスタッフのやりとりの中に埋もれてるなっていう感覚があるから、見え方や聞こえ方が変わったというのはあります。

繭加

宮大工みたいなものですね。

本城

宮大工??

繭加

宮大工って、この材木が何百年後にどうなるかをイメージするそうなんです。木の特性を変えることはできない。長い視点で木と向き合って、果てしない未来を見据えて、つくっていく。未来を見据える力と、細かな職人的な技の極めとの両立というか。お二人の話を聞いて、そんなことを思いました。 これまでの学校づくりのプロセスをふりかえってみて、ご自身の変化に直接働きかけた印象的な出来事として、もし一つあげるとしたら何ですか?

本城

僕は、開校したっていうタイミングかな。学校の開校って、ある意味において力技でできるんですよ。バンバンと意思決定する手続きの連続なので。ところが開校したら、僕の意思決定だけでは前に進まない。日々、子どもたちがいて、保護者がいて、スタッフがいて、一人一人の思いやその場の意思決定で動く。去年、新型コロナウイルスのオンライン登校や分散登校が明けて、6月1日からの通常登校が始まって特に、僕の役割は一体何なのかという模索というか、「おれ、どうする?」みたいなことは、ずっと考えていた。このままのパワーだとうまくいかないんだろうな、次はなんだろうなというのは、結構大きかったです。

繭加

今は、なんとなくこんな感じかなというのがある?

本城

そうですね、今はある。パワーというよりは、すごい抽象的なんだけど、呼吸みたいな感じでいけばいいのかなと思っています。吸ったりはいたり、特に息をはくということを意識する。意識と無意識を自分の中でコントロールできるようにしていく。それによって、近かったり遠かったりすることが、コントロールできる手応えがあります。 無意識にやっている呼吸を、僕の場合は意識的にはくことで入ってくるようになったし、見え方が変わったな、というのがあります。

繭加

たとえば、スタッフとの関わりにおいて「息をはく」を意識すると、具体的などんな行動になるんですか?

本城

前に出たり、伝えたりするっていうことかな。あまり役割とかを意識せずに。やりたいことを前に出てやってみる。

8年生の授業を担当する本城

繭加

なるほど。ゴリさんはいかがですか?

岩瀬

去年の7月くらいに、あるスタッフに「ゴリさんの言葉、受け取れないんだよね」って言われたシーンが最初に思い浮かんで、それは今思い返してもインパクトある出来事でした。最近だと、子どもの放課後を豊かにしようっていう動きがあって。保護者数名がワーキンググループをつくって、保護者に呼びかけた放課後を考えるワークショップが7月に開催されました。その場を見たときに、ぐっときましたね。 あぁ、こんなふうに未来ってつくられていくんだなっていう入り口に立った感覚があって。いろんな人が関わって学校をつくっていくって、絶対おもしろいことになるなっていう確信みたいなものを得られた瞬間でした。いろんな人が関わることで、難しいことやめんどくさいことがたくさんあるだろうけど、それでもつくっていったら、おもしろくなっていくぞって思ったんですよね。 あの場を経てから、スタッフのミーティングの見え方も変わったなと思っていて。この先どうなっていくかわからないけど、何かになっていく種は日々の中にあって、それが変な期待やプレッシャー、不安で潰れていかないようにすることが大事なんだなって。ちょっと変な言い方ですけど、なんかもう校長をやめてもいいよなっていう気持ちになったっていうか。起きるべきことが起きて進んでいるよなっていう感覚。そういう意味では、以前は自分の役割を取り違えていたこともあって。自分が何をすればいいんだろう、と思うことで力が入っていた。それをちょっと手放し始めている、くらいなところですかね。完全に手放したとは言えないんだけど。

本城

出会ってから、一番感極まってたよね。あれ、どうした?みたいな。

岩瀬

自分でもびっくりしたんですよ。こういう感覚になるんだって。

繭加

もう少し、具体的にその場のイメージを聞かせてください。

2回に分けて放課後について考える保護者が集った

岩瀬

子どもと保護者で豊かな放課後をつくっていこうというキックオフの場で、保護者が集まったんですね。正解があるわけではないからこそ、いろんな人が関わってつくっていく場面を見て、僕はこういうことがしたかったんだなって、思ったんだと思う。学校づくりも同じように、子どもを中心におきながら、関わる人それぞれの関心や「こうしたい」という想いが重なり合ってつくると絶対おもしろいよなって。そうやって起きていくことへの信頼は、印象的な出来事でした。 そういう目で眺めてみると、日々のスタッフのミーティングの中にも、スタッフの学習会の中にもある。それはずっとあったはずなのに、僕が全然見えてなかったんだなって。

本城

聞いていて思ったのは、”「  」になる”、って、今現在見えていたりわかっているものの外というか、先なんだろうな。今見えているものになっていく、ということではないんだなと思っていて。それはたぶん、大人だろうが子どもだろうが関係なしに。 もちろん、風越学園をこうしていきたいと情景を描いたり、カリキュラムを考えたりしてきたけど、その先というか、そうじゃないものになっていってる感じがしていて。だからこそどうする?って迷うことは多々あるんだけど、確実に何かにどんどんなっていってるなっていう感じはしていますね。

繭加

そこにあるんだけど見えていなくて、見えだすと見えるというのは、みんなそうだと思うんですね。スタッフだけじゃなくて、保護者も子どももそうかもしれない。それが見えていないと、どうしても学力とか、わかりやすい今までの価値観とずれていると不安になったり、でもその不安によって種が消されちゃう。全員が開眼するわけじゃないし、開眼したとしても同じタイミングじゃないだろうし、何になるかわからない未知の状態を楽しんだ方がきっとこの学校楽しいんだけど…、「とはいえ」という部分があるかと思いますが、それについては、どう考えていますか?

本城

「とはいえ」、ね。ありますね。例えば、風越学園の進路どうなんですか、みたいな質問をいただくこと、多いんですよね。どこにいくんですか?、ということを聞きたいのかな。たとえば高校です、って答えた時に、どんな偏差値の高校なんですか?、ということが聞きたいんだろうなとか。でも、そんなことの答えよりも、進学した先で、その子がどんなふうに生活しているか、学んでいるか、生きているかが大事だと思うんですよね。 それはいってみないとわからないし、答えようがない。わかりやすくいうと学力とか、高校名とか、全国学力調査で風越学園は全国平均からどのくらいかということで、それを知ると安心する部分もあるんだろうなと思いつつ、そこで安心しちゃったら、”「  」になる”、からかなり離れちゃうなという気がしていて。風越の先のことっていうのは、今の8年生が卒業した後の先で、どう過ごしているか、どんなふうな今を生きているかを語ってもらってからじゃないとわからないんだろうなって思っていますね。

繭加

まだ卒業生がいない今は・・?

本城

この8年生たちなら大丈夫でしょう、みたいなことは思ってますけどね。そこはすごく信頼しています。「とはいえ」、っていう部分ね。僕も、8年生と4年生の子どもの保護者なので、「とはいえ」というのは個人的にも気になる。気になるけども、一回脇に置いてみたり、目の前に「とはいえ」、と置いてみたりしていますね。

繭加

「とはいえ」は無視ということではなく、ご自身の中でも行ったり来たりしてる。

本城

はい。僕は、「とはいえ」の見える学力や偏差値のなかに子ども時代からたっぷり生きてきているので、その物差しは、しっかりありますね。

岩瀬

僕は、風越学園の価値って、「とはいえ」があることだなと思っていて。子どもが育つ・暮らす、学校以外の第三の場所としてつくったわけじゃなく、学校をつくったので。「とはいえ」とどう付き合っていくか。「とはいえ」を無視しちゃいけない。でも、それを真ん中に据えて、これらをクリアするためにどうする?じゃなくて、無視せずに大切に扱おうよ、どう扱えばいいかなと、保護者もスタッフも子どもも触りあえればいいんじゃないかな。「とはいえ」はそれまで学校の真ん中にあったものだから、みんな気にはなるんですね。それと、どうつきあっていこうかと、スタッフは考えています。例えばいわゆる評価はどうする?とか。無視しないと決めて、僕らは学校っていう枠組みにチャレンジしてるんだろうなと思います。

本城

「とはいえ」、のうちの例えば、学力の扱い方は、将来的に変わっていくと思うんですよ。幼稚園の年少から風越で育ってきてる子たちと、今の8年生みたいに7年生から入ってきた子は、本人や家族の中でも「とはいえ」の扱い方が変わってくるんじゃないかな。いわゆる「見える学力」というものを風越学園の中でどのように位置付けていくか、取り扱っていくかは、僕は興味深いというか、大事なポイントになってくるだろうな、でもずっと同じじゃないだろうなという気がしています。

繭加

そうですね。どうでもいいわけじゃないんですけど、筋肉みたいに結果として色々やってるうちに付いている力があるということが感じられるし、その期間がそれが長いので。たとえ1年でつかなくても、何年もやってれば、いずれつく。生きる力の中に学力もあるという感じがすごいしますね。 お二人が互いをみていて、こんなふうに変わったなというのがもしあれば聞かせてください。

岩瀬

特に最近、しんさんがこれまでと全然違うなと思っていて。しんさんって、大人の学びの場をつくったりするのが好きなんだなって気づきました。準備も含めて、すごく楽しそうで。一緒に学校づくり始めて5年くらいで、今が一番元気そうに見える。元気そうというよりは、楽しそう。


本城

それでいうと、1学期はゴリさんが1,2年生の算数に入ってたんですけど、やっぱり担任みたいなのやりたいんだなって改めて思いました。現場というか、子どもたちと直接何かやりとりする場面って、まぁいきいきと楽しそうなんですよね。校長とかの役割じゃなくて、本当はそっちにも行きたいんだろうけど。どんどん変わっていってる部分っていうか、全体を見ようとしてる、そこで苦しんでることも含め、すごく葛藤しながら進んでいってる様子は見えていますね。 風越学園が他の学校づくりとちょっと違うのは、スタッフがいて、取り囲まれているような形で僕らがいる、真円じゃなくて楕円みたいな感じ。それは他の学校づくりとはちょっと違うんじゃないかな。違うタイプの二人が、同じ場にいてやりとりしながら進められるので、そこの特徴は出てきてるのかなと思います。

繭加

お二人が楽しんだりグッとのめり込んでいけば、きっとその楕円に影響はあるだろうと思います。お二人のそういう変化によって、学校にゆらぎや刺激が起きていると思いますか?

本城

エネルギーを高める時もあるが、下げる時も確実にあります。「あー、しまったー」って思った時には、もうすでにエネルギーを下げる方向に向かっちゃってる。やる前にわかればいいんですけどねぇ、やらないとわからない。

繭加

高める時と下げる時の違いは、なんかあるんですか?

本城

下げる方向に行く時って、基本的に自分の怒りの感情でグッと動くので、それはダメですね。怒りの感情というか、許せない、みたいなのはあるので。それは大抵エネルギーを下げますね。

繭加

うん、それはしょうがない。

本城

反省しています(笑)。

岩瀬

僕はどんなふうに影響しているかはまだわからないですけど、去年よりも邪魔することは減ってると思いたい。

繭加

今、パブリックビューイングで聴いてるスタッフが色々話してるかもしれませんね。

前編は以上です。中編はこちらからどうぞ。

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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