2020年9月10日
もし、「片岡 利允(とっくん)は、どんな人?」と私が聞かれたら、迷わず「たっぷり考えて、それを実行まで移す人」と答えるだろう。自身も「内省好きなんですよね。ずっと考えちゃう」というくらい、頭のなかは常に問いでいっぱいで、そんな問いからカタチになったものが風越のなかにはすでにたくさんある。そんなとっくんの頭の中をのぞいてみたくて、気持ちよく晴れた日の昼休みに、ゆっくりと話を聞いてみることにしました。(編集部・三輪)
僕、実は周りから「学校の先生合ってるんじゃない?」と言われて、なんとなく教師になった感じなんです。高校生くらいまであまり何かに没頭するタイプでもなくて。
ー 今のとっくんの姿からは想像つかないね。
でしょ(笑)? 熱量高く何かに向かっていくタイプではなくて、高校で音楽を始めたことでじわじわっとのめり込む感じはあったけど、将来こんな仕事に就きたい、こんなことしたいって悩んだり、決めたりするってことは全然なくて。結果としてここ(教師)にいたという感じ。
ー そんなとっくんのエンジンは、どこでかかったんだろう。奈良で教員をやっていた頃から、教育に関するイベントに行ったり、自分の授業を開いてフィードバックをもらう、みたいなことをよくやっていたと聞いたんだけど。
エンジンかかったのは、教員採用試験の後じゃないですかね。周りの人が試験受かって「やったー!」という中で、「先生になることがゴールじゃなくて、ここからがスタートじゃないの?」みたいに思ったりしてました。そこから、先生が集まるサークルに参加したり、県の公開授業研究会みたいなところに学生だけどこっそり参加したりして。
あと、社会人ってよく平日を耐え忍んで、土日に息抜きをするみたいに言うでしょ。そういうの自体、ほんまにそれでいいの?週7日あってそのうちの5日間がしんどいって、絶対そんな生き方したくないって思ってたところはあります。だから、休みの2日間より仕事の5日がおもろくなるような、5日間が充実してて月曜日くるのがすごく楽しみになるような、そんな生き方をしたいなってずっと考えてましたね。
だから、実際に教員になってからも、勉強会に行ったり、本を読んだりすることが多かったかな。「休みの日くらい休みなよ」と職場の人に言われたりしたけど、誰も僕の生き方を全然わかってくれないと思っていました(笑)。
ー 私のなかでとっくんって、すごく熱心な、熱いスタッフというイメージがあったの。子どもたちや学校にとってのよりよいを考えて行動し続ける、みたいな。もちろんそういう気持ちもあるとは思うんだけど、でも根底には、自分の人生を充実させたい、豊かにしたいみたいな気持ちがあるのかなって感じました。
そうですね。結構そこから出発しているのかもしれない。そういう自分の状態と教室で起きていることは地続きになっているんだろうなって、その時はっきり自覚していたかは分からないけど、そう思うなあ。
そうやっていろいろやる中で、教員1年目の後半に、ゴリさんの「みんなのきょうしつ(学事出版)」っていう本に出会って。これだって思ったんです。その頃から、教室のなかでの自分の在り方についてもよく考えるようになりました。
ー 教室のなかでの在り方。
本当に“先生”であらねばならないのかなって。たとえば、今の場面は先生としては注意しなくちゃいけないんだけど、そこにめっちゃ乗っかって悪ふざけしたい自分がいたりして。教室にいるけど、今すぐ先生という服を脱ぎ捨てたいというか。
でも、保護者や同僚の先生、世間一般に求められる先生像はきっとそうじゃなくて、正しいことを教えてくれる人とか、成長させてくれる人だとか、何か面白い知識を教えてくれる人なんだろうなと思うと、なんかそれがすごく嫌だった。
ー そこから、違和感みたいなものをスルーするんじゃなくて、考えたり、変えてみたりをし続けてきた感じなのかな。何か答えみたいなものは見えてきた?
ずーっとトライし続けていた感じがありますね。でもそこで、先生という在り方は一面的じゃないなと気づけたというか、流動的であることがひとつ大事なことだなって気づきました。
先生的というより、より人と人として関わるみたいなことでもあったりするんですけど、場合によっては「これはこうじゃん」って教えることもあるし、一歩ひいてファシリテーターっぽく、問いかけをしたり、促すこともある。かと思えば、子どもたちはほっといて、我先におもしろがってその対象に向かって歩み寄っていく。ガキ大将じゃないけど、こう、大人気ない大人になるみたいな瞬間もあっていいんだなって。
ー そもそも人間自体、いろんな顔を持っているもんね。
そうなんですよ。いろんな面を見せる、というか、いろんな面を持っていていいということの方が自然だなと思う。もちろん、子どもたちの学びを考えていったり、つくっていく、支えていくというテクニカルなスキルとして必要なことも大事なんだけど、僕自身の在り方や姿勢みたいな身体性、場の雰囲気、熱量から伝わっていく、伝播していくものってたしかにあるなって。
風越でもそれはすごい感じていて、たとえば熱量みたいなものって言葉として伝えるというより、「なにあれ、おもしろい!」って真っ先にいくことが、その子の気づきや学びにつながっていく発火材になることがある。だから、常にファシリテーター的であろうとすればするほど、そういう機会をたくさん逃している、なんてこともあると思うんです。促そう、促そうとしても、そこに熱も何もなかったら火はつかないし、逆にすでに充分に熱があるのに、そこに大人が前に出過ぎるのもなんかちょっと違うじゃん、とも思う。
だから、行ったり来たりです。そのなかで見えてくるもののほうが僕は好きだし、そうしながら、心地よい在り方みたいなものを探している感じがします。
ー とっくんは、動き方もすごく流動的だよね。
たしかに(笑)。僕自身の特性なのか、強みなのか分からないけど、こうだと思った時にはもう3・4歩進んでたみたいなところがあるんです。やかん触って「熱っ!」 って言った時には、もう手ひいてるじゃないですか。そんな感じで、脊髄反射的に動くみたいな(笑)。
それを、今までの職場では自制してたところもあるんですけど、風越はそういう動きも許容されるというか、むしろ「いいね!」って言ってもらえる文化みたいなものがあるから、よりそうなっている気がしますね。
あー、思い出した。2019年度は軽井沢西部小学校で担任として仕事していて、2020年4月から軽井沢風越学園に合流するというタイミングで、「とっくんのペースで入ってきてね」ってしんさんが一声かけてくれて。その次の週くらいに、保護者あてに連絡することがあった時に、僕が最初に動いたということがあったんですよね。そうしたらその週末に、「最近がんがん動いている感じがあっていいね」って、しんさんとゴリさんそれぞれからメッセージもらって。ああ、これでいいんだって。
それからガンガン動くようにしようって思いました。いいか悪いかじゃなくて、したいで動き出しちゃうみたいな、そんな動き方がここで活かせる僕の強みなのかも、と。
ー かざこしミーティングも、まさにそんな感じなのかな。
そうですそうです。校務系のブランチでアサインされたのが「生活をつくる」という枠だったんですけど、その中のひとつの項目に「かざこしミーティング」があったんです。元々風越のカリキュラムとして組まれてはいたんだけど、誰も手をつけてなくて形も何もない状態だったから、じゃあ一から考えてみようと思って。
前、記事にも書いたけど、すごく大変だった。でも、その立ち上げの流れとか、継続してつくっている感じは、風越での自分自身の動きの象徴的なひとつになったなと思っています。もしひとつあげるとしたら、間違いなくこれ、みたいな。
ー 自分自身の動きの象徴的なひとつ、か。
「〜したい!」からかたちにしていくという具体的なイメージ、というか体験になって、それがいろんなところに転用できるなと思っているんです。たとえば、子どもたちのしたいを実現していくということを考える時も、自分のその経験ってすごく参考になるし、つながっているなという感じがする。
あと、かざこしミーティングは風越全体に関わることなので、より全体を見ようとするようになったかな。いちホームのスタッフ、前期のスタッフっていうのは、僕のなかでは一部というか。
前期は前前期(年少〜年長)と前後期(1,2年生)とわかれているけど、前前期のスタッフにも意識的に声をかけにいくことだったり、後期ミーティングに勝手に参加したり、後期のスタッフと土台の学びの時間に入って、学びについて一緒に考えること。これって誰に頼まれたことでもないけど、こういう動きって多分必要だなー、やりたいなーと思って、枠に囚われずにあっちこっち動きまわってます。
ー 最初のほうでも話したけど、とっくんの根底には、教師としてというより一人の人として大事にしているものがやっぱりありそうだなあと感じているんだけど、とっくんの軸にあるものってなんなのだろう?
なんなんでしょうね。僕、風越のホームページのプロフィールに、人生の軸は…って書いているんですけど、それは全然イケてなくて(笑)。
ー 「自立、信頼、共創が人生の軸」って書いてあるね。それではないなあという感じ?
軸って言われると分からないけど、夏休み中に行ったカリキュラムデザインウィークの最初に「前期後期スタッフ全員で集まりましょう」って呼びかけて話をさせてもらうことがあって。、どんなことを伝えようかと考えていた時に、出てきたのが「いかし合い」という言葉でした。
ー いかし合い。
そう、みんながいきてる。それは生の生きてると、持っているものが存分に活かされるの活きていると、両方の意味があるかなと思うんですけど、カリキュラムがあってそれを人が実行していくという順番じゃなくて、人がいきる(生きる/活きる)ということからカリキュラムをつくっていくという風に、もう一度考えられないかなと思って。
あとは、「循環」。ここにある熱だったり、持っているものだったりとか、そういうものの巡りさえ活発になれば、自然とより良いものに変わっていくだろうなぁと最近思うんです。より良いものをつくっていくぞ!じゃなくて、そもそもここにすでにあるものにいい循環が起きていれば、よりよく変態し続けるんじゃない?と。
それって、風越だけの話じゃないんですよ。風越ももうちょっと俯瞰してみると、軽井沢町にある風越として、なにかいい循環を生むきっかけをつくる場になると思うし、長野県とか、日本とか、そういう規模でもそう。ひとつの生命体、みたいなイメージなんですよね。なかなかうまくこの感覚を分かち合えないんですけど。
ー とっくんが言っているイメージと同じか分からないけど、(広場にある木を見ながら)木の一本いっぽんが自分が育ちたいようにまずは育つこと。それは、上に向かって高く育ってもいいし、何か花や果実を実らせてもいいんだよね。そして、その状態があるからこそ、木の下に広がる土は健康だし、虫も元気よく生きる。雨が降れば水を溜めて、必要な時に必要なところに流れていく。一つひとつの個体が生き、活かされているから、森としても豊かになっているというか。よく、「木を見るか、森を見るか」って言うけど、「木も見るし、森も見る」みたいな、そんな感じなのかな。
そうそう!!そうなんです!その両方の視点でいきているか、いい循環が生まれているのかということを、僕は見ていきたい。
正直なところ、夏にそういう話をした時には、ここまでの数ヶ月いい循環が生まれてないなと思うところもあって。すごいもったいない感じがしてる。もちろん、面白いこともいっぱい生まれているし、この状況でここまでやれたのが本当にすごいなと思うんだけど、でもそんなことよりも…みたいな。僕は各々が生きて、活きている感じや、いい巡りが起こっている感じをもっと感じたい。
ー そっか。ここからっていう感じもあるんだね。
そうですね。ここからなにができるかなとは思ってます。そうそう、それこそデザインウィークの中で、華道家の山崎繭加さんが生け花のワークショップをしてくれたんだけど、どうやったらこの花を活かせるのか、わたしはこの花を活かす触媒でしかない、非対称性、流れを活かす、そこに挿すと空気がうまれて、流れがうまれる。それを活かすために、その一部を見ながら全体を感じるとか、生け花の話をしているんだけど、今自分が考えていることや風越のことと連動しすぎて、「まさに!生け花!すご!!」って(笑)。たくさんヒントをもらいました。
いかにして、僕が良い循環を生む触媒になれるか。もちろん、僕自身もつくり手ではありますけど、そういうことにチャレンジしたいなって思います。かざこしミーティンングもそうだし、前期スタッフやブランチという枠だけではない動きをしていきたい。
循環しているってイメージを持つようになってから、いろんなことが自分ごとになったんですよね。だからこそ苦しむこともいっぱいありますけど、自分自身の可能性になっているなと思うんです。
インタビュー実施日:2020年8月28日
奈良県公立小で4年勤めたのち、準備財団時代の2019年から軽井沢にきちゃいました。B型山羊座の左利き。男三人兄弟の長男です。好きな教科は国語。うなぎとうたが大好物。学生時代は、野球部でバンドのボーカルでした。関西人ですが、どちらかというとツッコミの方です。
詳しいプロフィールをみる