2020年5月15日
大学院修士課程を修了して、いわゆる新卒として軽井沢風越学園設立準備財団に入社したふっしぁん(藤山)。僕は面接のために熊本まで出かけた。面接後、彼女が6年間バイトし続けたという居酒屋にゼミの人たちと一緒に出かけた。あまりひとつのことが長続きしない僕からすると、いろいろ刺激のある学生時代に同じところに6年間もバイトするなんて、「この人、どんな人なんだろう。どんな人と共に暮らしているんだろう。」と、その人への興味が増した。
入社したての頃、なんかよく涙を流していた。ぐっと我を通そうとするときに涙になるな、そんなふうに思っていた。準備期間の2年間で、軽井沢西部小学校も含めて2校の公立小学校の現場を経験。久しぶりにゆっくり話が聞きたくなったのは、インタビューでも触れられているはじまりの日のお知らせの文章で、彼女がぐっと我を出してきたからだ。
ー 〔本城〕最近、どう?
〔藤山〕最近は、一喜一憂が激しい日々だなあという感じですね。
ー 一喜一憂が激しい日々。
社会人一年目として風越に入った二年前の感覚と近い感じで、まだまだこれっていう確信を持ちながら日々を過ごせてはいないかなあ。
ー 確信を持ちながら過ごしている感じではないんだ。
今日は一日よかったなという日と一日ダメだったなという日と、本当に日々色々で。先週もはじまりの日があって、木曜日からオンラインの活動をスタートしたなかで、他のスタッフが「やっぱり子どもに会えてよかった」とか「オンラインでも話せるっていいな」と言っている傍ら、私はその感動にどっぷりとは浸れなかったんですよね。「私、オンラインでやっていけるかな?」という気持ちの方が強かったんです。
もし校舎ではじまっていたら、詳しい内容まではわからなくても誰がどこにいてどういう気持ちで過ごしているのかというのはなんとなく分かったと思うんです。でも今はそれぞれの家で、それぞれにzoomで繋がってやっているから見えない。しかも、見えないからこそ大人も子どももどんどん発信するじゃないですか。それが自分にとっては一喜一憂する材料になっているなと。
ー みんなが発信することが、一喜一憂する材料になりかねない、か。
他のスタッフがはじめたことに対しても「それいいね」で終わればいいんですけど、「私がやっていることはダメかな」に繋がっちゃうというか。そのくせ、いいなと思う実践があってもすぐには真似してやらない自分もいて。
ー はじまりの日にとっくんが各ホームでお知らせしてほしいことの文章をつくってくれたことがあったよね。その時にそれをコピペして「ありがとう使うね」というスタッフが多かった中、ふっしぁんは結構変えてたじゃない。僕はあれを見た時に、ふっしぁんの二年間が詰まっているなあとすごく感じて。その出来事と安易に他の人のことを真似ないというのは、ちょっと繋がっている感じがするな。
真似ないという部分は、西部小の経験からきているかもしれません。同じように西部小に派遣されていたとっくんが自分とは違うタイプだったんですよね。どんどん新しいことにもチャレンジするし、どんどんPDCAを回していく。そんな人が近くにいて、自分もそれやったほうがいいかなと迷う時もあったんですけど、真似をして同じ武器を持っても使い方を知らないから、戦力にはならないなと。それで結局、自分で作りだした武器しか使わなかったという感じがあるのかも。
ー 自分で作りだした武器しか使わないようにしたんだ。
西部小の一年はそういう感じでしたね。最初はやっぱり風越というのが頭にあって色々やってみなくちゃと思ったりもしたけど、他の人の武器を使おうとしても逆効果だなと思って、「目の前の子を見て自分が思ったこと考えたことで動こう」という風に変わっていきました。
でも今でも、たとえばKAIさんが「ガチャの“?の部屋(*)”、めっちゃ面白かったよー」とか言っているのを聞くと、「いいな、私もできたらな」と思う自分と「でも自分がやっても真似事で終わっちゃう。この先はなさそうだな」と思う自分がいて。だからスパッと決断できているわけじゃなくて、ふらふら揺れてます。
ー ふっしぁんは自分で作りだす武器みたいなものは、どんな風に作りだしているの?
去年一年やって思ったのは、私はひたすら目の前いる子の話を聴いたり、背景を考えたりすることかでしか子どもとつながれないなということで。だから、ひたすら喋る。聴く。
でも、最初からそれができる関係性があるわけじゃないと思うんですよね。オンラインがはじまった時も、他のホームではまず子ども一人ひとりに「今日どんなことするの?」とインタビューをする時間を設けていたんですけど、私は今じゃないなと思って、やらなかった。最近になって一人ひとりのことを少しずつ知れてきたから、じっくりと話してみたいなとは考えてはいるんですけど。
ー ほかのスタッフが持っているものが武器だとしたら、ふっしぁんが持っているそれも武器なのかな?
うーん。
ー 武器という言葉がしっくりくる?
どうだろう。まあでも、カタチはないかもしれないです。たとえばKAIさんにとってのPA(プロジェクト・アドベンチャー)とか、とっくんやあすこまさんにとってのリーディング・ワークショップやライティング・ワークショップが武器みたいなものだとしたら、私のものはカタチはないのかなとは思います。だから、武器を持っているというより、何も持たない状態で体当たりしている感じですかね(笑)。
ー 体当たりしてる。
だから、羨ましさはありますね。ゆっけさんみたいにいろんな花や植物のこと知ってたり、愛子さんみたいにいろんな手遊びや歌とか知ってて、子どもと距離が近くなる。そういうのがあるのは羨ましくも思い、でもそれを自分が真似しても何の効果もないかなと。結局、そこに戻るんですけど。
ー 最初に一喜一憂していると言っていたけど、一喜もあるということなのかな?
同じホームのスタッフであるユーミンと話している時に、まあいいんじゃないと思える時もあるという感じですかね。私はいいなって思うけどなかなかそれを真似できない人だから、相手がもしすぐ真似して動ける人だったら結構苦しかったかもなと思うんです。でもユーミンは「まあ、いいんじゃない別に」って。多くは語らないけど、「それでいいんじゃない?それでいいよー」とどこに根拠があるかもわからないその感じに、今救われているなと。
あ、しんさん。ちょっと聞きたいことがあっていいですか?
ー いいよ。
ホームのスタッフの組み合わせは、ゴリさんが一人で決めた感じですか?
ー この二人(ホームのペア)とか四人(前後期ホームの組み合わせ)よりもこっちの方がいいかもねと意見はした。想像してちょっと違う気がするとか、面白そうみたいなイメージはゴリさんとはやりとりしたかな。でも最後はゴリさんに任せたよ。
自分たちのホームを聞いたあとに他のホームの組み合わせも聞いて、普通というか一般的には平均をとるような、満遍なく年齢とか性別とか教科などの分野とかを配慮すると思うんですけど、それが全くないなあと。
ー そういうバランスを取ることは意識しなかったかな。
最初、なんで私はユーミンとなんだろう?なんでこのペアなんだろう?と思ってたんです。でも一ヶ月ぐらい経って、このペアでよかったなーとすごい感じてて。
前にゴリさんがユーミンの子どもの関わり方について「渋い関わり方するんだよ」って言っていて。どういうことなのかまだよくわからないんですけど、朝の集いでの様子とか見てると、変に相手が幼児だからというトーンで話したり、接したりしないなと。
ー 子どもに媚びないよね。
そうなんですよ。この前もユーミンの後ろに貼ってあるカレンダーの日付が前日のままだったんですけど、「今日の作るの忘れてました。すみません」から朝のつどいを始めるんですよね。よくこれでやろうと思ったねっていうことが、まぁよくある(笑)。でも、すごく繊細な気づきがあったりとかして味わい深い人だなぁと思ってます。
ー オンラインがはじまって一週間くらい経つけど、ふっしぁんにはホームはどう見えているんだろう。
ちょうどユーミンと「一週間のなかでも成長を感じるね」と話してました。
昨日、朝のつどいの前にリクくんがホワイトボードに「牛とか馬とか飼いたい」と書いていたから、つどいが終わってからそのままリクくんと話すことにしたんです。そこに自分でzoomの退出ができない子も何人か残っていたんですけど、その子たちもリクくんと私たちの話に入ってきたんですよね。気づいたら、私とリクくんの会話じゃなくて、リクくんと他の子たちの会話になっていて、「私やユーミンがいなくても、子どもたちだけでこのお喋り続きそうだな〜」と思って、私とユーミンは画面をOFFにしてみたんです。
ああ、話すってこういうことだなあって。オンラインでおしゃべりタイムとかを設けて、子どもたち同士が話す場をつくりたくなって私もやったんですけど、つどい後に生まれたあのおしゃべりはもっと自然で、画面上だけど同じ場にいるような、そんな時間でした。話を聞いてはいるんだけど興味なさそうな感じでいたエイジくんに、ケンくんが「ねぇねぇ、エイジくんは今日何するの?」って聞いたりしてて。多分ケンくんは画面上のエイジくんの姿に何かを感じたんだろうな。
ー 大人が画面をOFFにしている時に、自然な対話が生まれた。そういう時の大人の役割ってどんなことになるんだろうね。
本当にそれは思いましたね。私たちがいなくてもこんなふうに喋ってるんだから、もしかしたら他の日もつどいの後とかにそのまま切らずにいたら、特にこちらが声かけしなくてもこういう姿があるのかもなって。だから大人の役割は、その場を置いておくというか、取っておくことなのかも。
ー ふっしぁんたちは余白をつくってたのかもしれないなあ。
多分それを初日にやっても、何もなかったと思うんです。すぐお家の人を呼んで、「切って」とか言ったんだろうなと。一週間経って、それぞれが顔を見て名前が言えるくらいになって、おしゃべりできるっていう関係性に少しずつなっているんだと思います。それで、一週間でも成長はあるねという話にユーミンとなったんですよね。
ー ここからふっしぁんは、どんな風に進もうとしているんだろう。
前期のホーム5つは、最初のスタートは一緒だったけど、進む道も進むペースもだんだん違いがでてきている。これはオンラインだからではなく子どもが作り手であるからだから、校舎ではじまっていてもそうなっていたとは思うんです。でもこの違いに私自身は「あのホームがこんなことしてる」とざわざわすることがあって。保護者からもホームごとの違いについて伝えられることもあり、同じようなことを感じているんだな、今までは画面で子どもばっかり見ていたけど、保護者にも目を向けてこうと思っています。
ー それはふっしぁんのブレーキになってたりする?
いや、ブレーキにはなってなくて、考える視点が一つ加わったかなと。「チャレンジ100」も、この状況が長期化するとしたら保護者がどう子どもと過ごせばいいのか困ることもあるのかなという思いもあってつくったので。
あと、最近迷ってるというか、考えていることがあって。風越にはいろんなことが得意な大人がいて、つくることで聞きたいことがあったらこぐまさんとざっきー、作物を育てることや動物のことで相談したいことがあったらわこさんなど、必要な時にホームの外の大人と個々につながっていました。そこから、つくる系は「つくーる@ミュージアム」や、がちゃの「?の部屋」とかが始まって、子どものつながり方がちょっと変わってきたかなあと。
ー だれそれの部屋というのができて、つながり方の変化を感じているんだ?
1・2年生は朝の集いだけじゃなくて、帰りの集いや真ん中につながる時間もあったりするじゃないですか。でもつながる時間があることで外にでるタイミングをなくしている子もいそうだから、つながる時間をやめようかなと言う話もあるんですよね。でもその一方で、だれそれの部屋はやる。うーん、なんかちょっと矛盾してるなあって。
それこそ今日リクくんが牧場の話をしていたから、「わこさんっていうスタッフは羊を飼ったりしているんだよ」と話したら「話してみたい」と言うので、つながる時間にわこさんにきてもらったんですよね。そういう感じでホーム外のスタッフにきてもらうのは、私はありかなと思うんです。こっちがこういう人がいてという部屋を用意するのではなくて、子どもがその人と話したいという時に話すという方が自然なんじゃないかなあって。
ー 健全に迷いながら進んでいるなあ。こう自分の大事なことは大事にしたいけど、他の人の真似、武器とかは意識して。
ユーミンが「私たちは私たちらしくいこうよ」と、ホームが決まった時からずっと言ってくれてるんです。スタートダッシュは遅くても、最後は笑おうよみたいな。本当にその言葉がぴったりな一ヶ月を過ごしているなと思います。
(インタビュー 2020年4月24日)
*?の部屋:参加する子どもが、不思議!と思っていることを持ち寄って,スタッフの日江井(がちゃ)と一緒に考え探究の種を探す時間
何をしているのか、何が起こっているのか、ぱっと見てもわからないような状況がどんどん生まれるといいなと思っています。いつもゆらいでいて、その上で地に足着いている。そんな軽井沢風越学園になっていけますように…。
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