風越のいま 2024年7月11日

うろうろしていろいろ考えてモヤモヤした(神吉 宇一)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2024年7月11日

うろうろ風越

7月4日に「うろうろ風越」が実施された。世間一般的な言い方をすると、授業参観・学校参観ってことになるのかな。この日は申し込みをした保護者が8時半に集まり、ゴリさん(岩瀬)がファシリテーターになって、みんなで語っては見る、見ては語る、そして聞く、みたいなことをやった。終了は15時、それまでたっぷり6時間半。こんな授業参観、ほかにはないだろう。

一般的な授業参観とは異なる点がもう一つあって、うろうろ風越は自分の子どもを見に行くわけではないということ。風越学園で何が起きているのか、風越学園がどういう場になっているのかを、見て語って考えるというのがうろうろ風越だと言っていいと思う。この日のタイムスケジュールは写真のとおり。

うろうろ風越はTyphoon(保護者とスタッフのオンラインコミュニケーションプラットフォーム)に投稿されている「毎日うろうろチャンネル」から発展したものなんだと思う(たぶん)。「毎日うろうろチャンネル」は、ゴリさんが校内を徘徊して出会った子どものことや出来事について、かなりミクロな記述をしている。ものすごく具体的な子どもたちとのやりとりなんかが書かれている。にもかかわらず、そのすごーくミクロな記述から、風越学園でどんなことが起きているのかという全体が見えてくるというのがとても興味深いといつも思っていた。

いろいろ考えた〜子どもたちのことば

うろうろ風越では、幼稚園から9年生まですべての子どもたちを見に行くことができる。だから、子どもたちがどんなふうに成長していくのかもわかる。最初にゴリさんから、見学は上の学年から順番に見た方がいいよってアドバイスがあった。なんで?って聞いたところ、直感的なものではあるけど、その方が成長・変化がよくわかると思うということだった。下から順番より上から順番ってこと。下からだと下の方の学年の雑然とした雰囲気に引っ張られちゃうんじゃないかなってことでもあった。それで、9年生から見学をはじめた。

僕らが「うろうろ」していることはスタッフも子どもたちももちろん知っていて、学習の妨げにならない限りは声をかけて話を聞いてもいいことになってる。それで、今なにやってんのーとかいろいろ話しかけながら見学した。
そこで感じたのは、子どもたちがみんなすごく「きちんと話せる」ということ。普段、仕事で大学生と接していてもよく感じるけど、あなたに聞いてるのに、隣の人とそのことについて「どうするどうする」ってコソコソ話したり、こちらの問いかけに対して正面から受け答えができない人たちってけっこう多いんだよね。

それに加えて、自分たちの学びが先に進まないときに、僕ら訪問者にもどんどん質問してくる。「地球と人(一般的に言う社会科らしい)」の9年生の授業で、自分なりのキーワードと社会的課題を関連づけて、それに関わる25のアクションを書き出すという課題をやっているのを見てた。すると、「海外」というキーワードを挙げてる人がいて、やっぱり僕は仕事柄そういう語に思わず反応しちゃうんだけど、そうすると「どんなことが考えられますかねえ」って質問され、こんなことも考えられるんじゃない?と、いろいろ話すことができた。

こういうのを見ていると、「風越の人たちは大人や訪問者に慣れてるんだよ」とこちらの解釈で片付けるのは簡単なんだけど、「慣れ」で済ませるのとはちょっと違う、なにかがあるんだろうなと思う。他者と率直にことばを交わすことに躊躇しないというか、ことばを交わしながら学ぶことが身体化されているというのかな、それは相手と自分との関係性に関わらず相手をリスペクトすることでもあるように思う。そこにある「なにか」ってなんだろうとここ数日考えてるんだけど、今の僕にはまだよくわからない。このことはもうちょっと考えてみたい。


子ども時代に大切な経験

今回、僕ら参加者に与えられたお題は「子ども時代に大切な経験」について考えることだった。そのお題について、9年生と7年生の5名が昼休みに僕らの輪に合流してくれて、いろいろと経験を語ってくれた。セルフディスカバリーファシトレアウトプットデイの準備などの経験が自分たちにとって大切な経験だったという声が多かった。

「自分はいつも先頭を走りたい、先頭でみんなを引っ張っていきたいと思ってたけど、セルフディスカバリーで自転車で日本海に向かっているときに一度最後尾についたことがあった。そしたらいつもと見える景色が違って、後ろからみんなを支えるというのも大切だと気づいた。」

「ファシトレの1回目が衝撃だった。元々人前で話すこととかあんまり得意じゃなかったんだけど、いい意味で自分らしくないことができた。」

その後、「大人にこういうふうにあってほしいと思うこと」「風越から出て行った後、社会で苦労するんじゃないかという声についてどう思うか」という二つの問いに対して、どちらでもいいから選んで答えて、というやりとりもあった。以下の二つの意見は、それぞれの問いに対して印象的だった回答。

「大人には子どもでいてほしいと思う。私たちは大人になったことがないから、大人のことがわからない。だけど、大人は自分たちが子どもだった経験があるから、子どものことがわかるはず。自分たちが子どものときどうだったのか、それを考えてくれるとうれしい。」

「他の学校に行って、もし自分たちがやりたいことができなかったら、その学校を自分たちで変えたらいいと思う。風越でできたんだから、他でもできるはず。」

二つの回答のうち上の回答は7年生が言ってくれたもので、下は9年生。9年生は5年生から風越にきているので、他の学校のこともある程度わかった上での「他でもできるはず」発言。僕は、この発言を聞いて、そもそも僕らの問いの設定が間違っているんじゃないかと思った。

僕ら大人は、「風越は自由で自分たちがやりたいようにできるからいいよね、でも君たちはまだ知らないだろうけど、外に出たら大変だぞ〜」とどこかで思っている。でも、それはまさに「大人には子どもでいてほしい」という上の願いからずれてしまってるんじゃないか。大人としてわかったふうなことを言ってるけど、もう一度子どもに戻って考えてみなさいよと、まさに突きつけられたんじゃないかと感じた。

そして、ここで話してくれた7年生、9年生は、ゼロからつくっていく大変さ、自分たちがつくり手になることのある種のしんどさに常に向き合ってきたんだろうと思った。それを、「多少大変かもしれないけど、自由で楽しくていいよね」ぐらいに僕らが考えているとしたら、その認識は変えていかなきゃいけないだろうなあと気づかされた。

そして、このセッションでも、やっぱり子どもたちのことばの力というものに圧倒された。自分が経験したこと、そこで考えたこと、感じたこと、それをどう乗り越えたのかまたは乗り越えられなくて煩悶しているのか…、そういったことを一人ひとりが自分なりのことばで語ることができる。また、他の人が話していることをうまく引き取ったり、それに乗っけたりしながら語ることができる。学術的に言えば、協働的かつリフレクティブに学ぶためのことばの力がついているってことなんだろうし、ジョン・デューイが、ドナルド・ショーンが、フレット・コルトハーヘンが、ユーロ・エンゲストロームが、っていろいろそれっぽい説明はできる。でも、そういう学術的な説明はあくまでも後付けの説明的なものであって、今ここで、みんなのことば一つ一つに向き合うことこそが、ことばと学びを豊かにしているんだろうと感じた。

風越の特徴はいろんなところにある。自由、個別性、プロジェクト、遊び、本、森、コミュニティ…、たぶんいろんなキーワードが挙げられる。でも今回うろうろに参加して感じたのは、風越の真髄は「みんながつくり手」だということ(つくり手に関しては稲葉さんの記事)、理事長のしんさん(本城)の子ども時代の話とか、とても興味深い)。それぞれが「自分ごと」としてつくり手になること、そしてその根っこには、自分自身も風越という場の中で変わっていくということがあるんだろうと思った。

 

モヤモヤしながら向き合い続ける

大人になるとなかなか変われない。自分が今まで積み上げてきたものがあって、どうしてもその上に積み重ねていきたくなるし、それは普通だと思う。積み上げていくことでできることもいっぱいある。でもときには痛みを伴って、今までの積み重ねから離れて変わっていくことが、さらに自分を成長させるんだろうと思う(痛みについては、おかつさん(竹内)のこの記事必読!)。

学びの場である学校のつくり手になるということは、自分自身が学び・変わっていきながら、つくることに関わっていくことなのかもしれない。僕らはいろんな能力と経験を持っているから、それを使って風越の何かをよくできるかもしれないし、誰かをサポートしてあげられるかもしれない。でもつくり手として関わることの本質は、そういう関わり方じゃなくて、自分自身も学びの当事者・変化していく当事者として関わるってことなんじゃないかって思った。僕が今回のうろうろで風越に「出会い直した」経験は「つくり手とは何か」を深く考えるきっかけになった。

そして、もう一つ大切だろうと思うのは、みんなが「ほんとにこれでいいのかなあ」とモヤモヤしながら歩み続けることじゃないかな。まさに、子どもたちはそうやって自分たちに、そして風越という場に向き合ってるんだと思う。それはとってもしんどくて、なんか正解みたいなのがないと苦しいし、誰かに「こうやればいいんだよ」って教えてもらうと一時的に楽になるのかもしれない。だけど、そのモヤモヤに向き合い続けるところにこそ価値があって、それが風越を風越として成り立たせている真髄なんだろうと思う。そういう意味で、単に自由な学校でも、プロジェクト的に学んでいる学校でもない、他のどこにもない唯一の学校なんじゃないだろうか。

 当日対応してくれた7年生、9年生、途中で話を聞かせてくれたスタッフのみなさん、僕らの問いかけにいろいろと答えてくれた子どもたち、一緒に参加してくれた12人のみなさん、ファシリをしてくれたゴリさん、貴重な学びの機会をつくってくれて、本当にありがとうございました。

 

#2024 #保護者

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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