2024年1月25日
『ますのーと』と名付けて、ほぼ毎日、数学の実践について書き残している佐々木(ようへい)。「1つの問題でどこまで考え続けられるか」「おもしろい!これ、おもしろい!が聞こえる場」「自由になるための数学とは」・・・こんなタイトルのものを70以上も書き続けている。今回、インタビューをしていても感じたが、この人、心底「数学」が好きなんだと思います。(かぜのーと編集部・三輪)
__ 風越学園にきた経緯を教えてください。
風越にくる前までは、数学の問題を学級全体で考えて話し合うという授業観だったので、子どもたちを集団で見ることが多かったんです。だから、 ある子のアイデアや考え方をどう思うかな、この解法をもっとよくするにはどうしたらいいかなと、集団に問い返しながら授業をしていました。もちろん、そういう授業をするよさもあったからやっていたんだけど、一人ひとりの子どもを見れていなかったなということや、僕が持っていきたい議論ややりたいことを子どもたちに押し付けてしまっていたということに気が付いて、これを続けていくのはちょっと違うなと思うようになって。
その頃にコロナがあり、文部科学省の通達する評価の方法が変わり、一人ひとりの子どもを見る機会が増えました。「子どもたちが見えた」という瞬間が自分の中に実感として感じることも少しずつ増えて、一人ひとりの子どもたちが深く考えたり、数学を面白く思ったり感じたりできる授業ができないかなと考えて風越にくることにしました。そこから、あっという間に2年目って感じかな。
__ きてみて実際どうですか。
以前、かぜのーとにも書いたけど、自由進度学習だと「考えるのって面白い」という感じにはなかなかならなかった。それは、風越という環境や僕の授業の場合は、というのはあると思うんだけど、1つ1つの問題がタスク的に進んでいくだけな感じがしたんだよね。得意な子は先に進むし、苦手な子はゆっくり進むという、それぞれの子どもに合った学習というかペースではやれるんだけど、数学面白いな、考えるの面白いなって感じにはならなかった。
だから今年はもうちょっとやり方を変え 「共に考える数学」と銘打って、みんなで考えながらも一人ひとりの子どもたちが深く考えるにはどうしたらいいかということを模索してます。一人ひとりの子どもたちにとってそういう場になっているのかはまだわからないけど、考えるのって面白いという雰囲気に少しずつなってきてる気はするかな。
__ 具体的にどうやって「みんなで考える」と「一人ひとりが深く考える」というのを授業で両立しているのか気になります。
考える問題はみんなで同じものにする。自由進度学習では解く問題がそれぞれ異なっていたのに対して、今は、授業のはじまりに僕の方から問題を手渡しています。
それをどう考えるのかは、子どもたちに委ねて、それぞれの個性がみえたり、ゆるやかな協同性が生まれたりするといいなって思ってて。今日も8年生の授業を見てくれたと思うけど、1人で取り組みたい子は1人でやるし、周りと話し合ってやりたい子は周りと話し合ってやるし、 僕に頼りたい子は僕に頼ってやっていたでしょ。「みんなで考える」の「みんなで」の意味が、グループがガチっと決められてたり、クラス全員でというよりは、それぞれのゆるやかな協同性の中で考えていくのが大事だなと思うんだよね。
あとは、考え方が面白かったり、いいなと思ったものは、次の時間に全体にシェアして、こんなふうにやってたよとか、こんな風に考えるといいよねとみんなで共有はしてるかな。
だから、一見、今の授業も前任校でやっていた授業もどちらも「共に考える」なんだけど、前任校の時は、全員で話し合うしかないみたいな、しかも僕が必ず介入するみたいな感じで、グラデーションが全くなかった。今は、それがだんだんグラデーションになっていってる気がする。一人で、チームで、全体でって。
__ 授業が変わったことで、そこでのようへいの在り方にも変化がありそうですね。
それは結構あるかも。今は、自分が引く時間をがっつりとってる。
__ 引く時間、ですか。
そう、余計なことはしないということを大事にしているかな。僕の役割は、授業のはじまりに問題を出したり場を整えることで、そのあとは頑張ってごらんってすることだと思うんだよね。
子どもたちが考えたり、問題と向き合っているときに僕がどんどん介入しちゃうと、子どもたちの考える力やすごいなという瞬間が減っちゃうんじゃないかなっていう感覚があるというか。だから、見る役割がグッと増えた。今、見守ってるよって。
__ ようへいはそこで何を見ているのかな。
一番は、深く考えてるかどうかかな。それだけ、と言ってもいいかもしれない。
この前、保育のドキュメンテーションの本を読んで、活動を見守るということをしても数学の授業ではこの記録はできないなって思ったんだよね。というのも、数学の時間で写真を撮ってもそこに現れる子どもの姿ってそんなに変わらない。だから、見かけだけで見てはいけないなっていうのと、見かけじゃ一人ひとりの違いが見づらいなっていうことを見ることを意識するようになって感じているかな。
そこで、改めて大事だなと思ったのがノートなんだよね。頭の中は見えないけど、頭の中で考えたことの一部がノートに残っているから一つずつちゃんと読むようにしたいなって。だから、授業で見るだけじゃなくて、後でノートを読んで「あ、この子はこういう風に考えたんだな」って知る時間があって、 自分の「見る」はできている気がする。
__ 深く考えているかを見る。それは、ようへいが数学を通して子どもたちに手渡したいと思っていることと関係があるのでしょうか。
それはすごくあると思う。数学というものをポンって渡すっていうよりは、数学の世界とか、数学のフィールドっていう中で、誰かと何かを深く考える場になるといいなとは思っていて。
この前の実践ラボでもそういう話をしたんだけど、どっぷりとその対象の世界に浸かることで、自分や友だち、対象への愛情を感じたり、わかんないけどやってみようとか、普段はあの子とやらないけど声掛けてみようかなっていう冒険する勇気がうまれてくると思うんだよね。そういうものを、数学という想像の世界で分かち合えるといいなと思ってる。
数学って、抽象的で、形式的で、とっつきにくいけど、その世界に乗っかるとなんでもできる。室内でも外でもどこでもできるというのも数学のよさで、 物理的な環境に依存しない想像の世界で楽しめるっていうのは、やっぱり数学にしかできないよなとも思うんだよね。それに想像の世界だからこそ考えることに焦点を当てることができる。
だから、数学そのものも好きになってくれたら嬉しいという気持ちもあるけど、数学という場で考える面白さだとか、友だちと一緒にやる面白さとか、 そういうことを味わう時間を何より手渡したいかな。
__ 考える面白さや友だちと一緒に考える面白さの中で、自分や他者を好きになるみたいなことって、 例えばテーマプロジェクトや他の教科でもできることでもあるのかなと思うのだけど、数学と数学じゃないものに違いはあるのかな。
僕自身の数学への愛情というか、数学が好きだという気持ちもあるから、なんでもいい(数学じゃなくてもいい)んだけど、なんでもよくない(数学じゃないとだめ)みたいな気持ちは正直あって。
でも、教科にこだわらず子どもとの関わりを大事にする人や、プロジェクトのような学びの形に着目してやってるスタッフに風越にきて出会って、自分がこだわってるものって僕にとっては必要だけど、本当にそれが目の前の子どもたちにとって必要なのかと思ったり、視野を狭めてる自分がいるというのは感じてる。だから、目の前の子どもたちにとって数学を学ぶことはどう意味があるのかというのは、毎回問い続けて考えなくちゃいけないことだなと思う。
__ 数学の時間のようへいと、テーマプロジェクトやホームという場でのようへいとでは、子どもと関わる時の自分や大切にしていることに違いはありますか?
同じだなって思うのは、目の前の子どもたちが自分で考えたり、自分のやってるものにこだわってほしいなって思っていること。もちろん、生きてりゃ疲れる時もあるから、中途半端になったり、適当になったりする時もあって、それは全然いいんだけど、でも願いとしては考え続けたりこだわり続けてほしい。深く考えているかどうか見ているという話の時にもしたけど、こだわることで自分や友だち、対象への愛情を感じたり、見えてくる面白さみたいなものがあると思うから。
だから、すごいなって思った時は、すごいなってちゃんと言ってあげたい。それは評価でもあると思うけど、あ、なんか面白いことやってんじゃんとか、一緒に面白がったり一緒に笑ったりするってことは大事だなって思う。
あとは、最近「きく」って大事だなって思ってて。自分の声を聞くとか、 友だちの声を聞くとか、擬人的になっちゃうけど数学の声を聞くとか、相手に寄り添って相手のことを知る時間っていうのは大事にしたいな。
__ なんで「きく」が大事だと思うようになったんですか?
日々の積み重ねの中で思ったのかも。ファシトレの「聞き手が力を持ってる」ということとかか、 きくに関する言葉が僕の中に残っていることが増えてきた。この前、テーマプロジェクトで山崎繭加さんが生け花のワークショップをやってくれた時にも「花の声を聴こう。花の声を聴くことで生け花ができる」と言っていて、これだ!やっぱりそうなんだ!って。
自分のやりたいだけじゃなくて、相手のやりたいこととか、相手がどうしたら活きるかとか。それぞれが「きく」ことを大事にしたら、またちょっと変わっていくんじゃないかなっていう感覚がある。
__ 最後に、これからようへいがチャレンジしたいと思ってることがあれば聞かせてください。
今チャレンジしていることの一つだけど、やってることが自分だけで完結しちゃうと自分にとってもプラスにならないだろうし、 世の中にとってもプラスにならないだろうなって思うから、風越の外にも仲間を増やしたいなと思ってる。
実践ラボも、最近つくったオンライン数学教育コミュニティ「あーだこーだの会」も、それぞれに悩んでる実践者が集まって、それぞれが持っている授業観みたいなのを超えてつながりあいたい。そうすれば、風越の数学の授業以外もよくなっていったり、世の中の数学の授業がよくなっていくんじゃないかな。
__ ようへい自身も、共に考えたい人なんですね。
3、4年前の自分から今の自分を見たら、お前頑張ってるなって感じだと思う。本当は割とうちに閉じた人で、積極的に仲間とかそういうタイプじゃなかったから、今年の自分はよくやってんなって。
このあいだ、みらいツクールに参加した時に、どんな自分でありたいか、どんな「 」になりたいかという話をして、「勇気づける存在」になりたいという結論が自分の中で出たんだけど、それって今の自分にあってるなというか、いいなって思ってて。自分の頑張りや存在が誰かにとって勇気づけられるんだったらそんなに嬉しいことはないから、そういう生き方ができるといいな、していきたいなと思ってる。
__ どんなことがようへいの中に変化を生み出し、今の考え方や在り方をつくったと思いますか?
風越にきて、1人でやれることって限界があるなって感じてることと、誰かとやることでインパクトが生まれるっていうことを日々の積み重ねの中で感じてることが大きいんじゃないかな。あとは、子どもたちも大人たちもまずやってみるっていうことを大事にしてるなって。消えちゃうものもいっぱいあるけど、まずやっている姿から、僕もまずは1回やってみようかと思えるようになったのかも。このスタンスは、間違いなくここで培われています。
インタビュー実施日:2023.12.07