風越のいま 2023年6月24日

共に考えることがだんだん”じゆうしんど”になっていく

佐々木 陽平
投稿者 | 佐々木 陽平

2023年6月24日

分けるとか、分けないとか

昨年度、自由進度学習をやめてみたけど、ゆっくり学んでいる子どもたちはゆっくりなりに学んで育つ、速く学んでいる子どもたちは速くなりに学んで育つということを諦めたわけではない。一人ひとりの子どもたちが数学に没頭しながら育つ時間と空間をつくりたい。そんな思いで授業の場をデザインしている。

そのために、今年度どうしてもしたかったことが「数学の時間は7,8,9年のラーニンググループ(LG)を学習内容(すなわち現状では学年)で分ける」ということだった。

算数・数学の意図的なカリキュラムは、階段型のカリキュラムで系統がはっきりしている。たとえば、かけ算の九九ができなければ二位数÷一位数のわり算はどうしても苦しくなるということが起こる(もちろん九九表を与える支援などやれることはあるけれども)。だから、階段を一段一段登るようにカリキュラムを手渡していく。そのときに、ベルトコンベアで大量に流していくのではなく、子どもたちのペースでやっていくというのが自由進度学習だったと思う。

しかし、階段型カリキュラムをそのまま階段型カリキュラムで与えてしまってはお気の毒。登山型カリキュラムとまではいかないけど、一つ一つの授業が登山のように数学的にチャレンジして考える場をつくりたい。考えるべき問題や面白い問題にみんなでチャレンジし、個で取り組んだりチームで取り組んだり、それぞれに適した道具を用いながら、それぞれのペースで取り組んでいくような場である。階段型カリキュラムにおかれている内容を登山のようなチャレンジングな課題に置き換えていくならば、課題は内容に依存するので内容でLGを分けないと子どもたち同士の支援も起きにくいし、僕も見きれなくなるだろう。

棒人間です。山は「問題」。

しかし、数学の時間を学年で分けると、他の土台の学びの時間も学年でわけないと時間割を組むのが非常に難しい。そう思いながら、昨年度の終わりぐらいから7,8,9年のLGのスタッフに、「土台の時間を、学年で分けたいです!」と話をしていた。まぜるを大切にする風越で分けるなんて言ってごめんなさい〜と思いつつも、どうしてもLGを内容で分けたかった。りんちゃん(甲斐)はそんな僕の提案に「国語はまぜたいなぁ。まぜると下の子が上の子に引っ張られるから」と言っていて、確かに…ぐぬぬぬ…という気持ちだった。

一方で、国語は混ぜても同じ内容だから下の学年の子どもたちが上の学年の子どもたちにひっぱられるのは確かにその通りだなと思う。自分の大切なところを譲るか譲らないか僕の中でかなりの葛藤はあったが、結局、大先輩のりんちゃんに譲ってもらってとりあえず国語を含む土台の時間を学年で分けてスタートすることになった。ありがとう、りんちゃん!

共に考える数学

新7年生や新9年生にとって土台の学びが学年で分けられるのは大きな変化である。しかも新7年生は小学校のときの学びと大きく変わってしまい、そういう状況のなかで、下手な授業はできないなという気持ち。

また、1・2年生が校舎内での暮らしを丁寧につくりたいということで、7,8,9年生の部屋を一つ譲ったので、数学は青床前でやることになり、環境も変わることになった。環境が青床前に変わることに対してネガティブな気持ちは一切無く、わくわく感にあふれていた。とりあえずでっかい画面で説明したいなと思って春休みはいろいろと試行錯誤した。246(西村)の協力があって(というかほぼ246がやってくれて)なんとか巨大スクリーンをつけることに成功した。制作費用は4000円もかかっていないけど、値段以上の効果があったのを既に実感している。246ありがとう!

机の配置にも悩んだのだけど、実はあそこの環境はカーペットの境目を軸に線対称な形になっているので、せっかくだからそれに合わせて机の配置を扇形にしてみることにした。スクリーンに対して背中を向かないような椅子の配置にして、話を伝えやすいような工夫もしてみる。実際に授業が始まって子どもたちが一人で黙々と考える姿や、同じ机の友だちと話合いながら考える姿をみると、環境設定はわりとうまくいっているかなという感触。

青床前で共に考える7年生。エントランス前のため、冬は絶対に寒い。

さて、今年度の授業開きは自分が手渡したいことやその価値をまっすぐ丁寧に説明するところからスタート。もちろんこの時間で子どもたちがすべてを受け取りきれないのは当たり前だけど、この授業が1年間の授業の基礎・基本になることを目指して話をした。

ムサシがチーに計算を教わるようす

昨年度は「考える数学」と銘打ってみたが、いろいろと思うことがあって今年度は「共に考える数学」と銘打つことにしてみた。個が尊重される風越におけるコミュニティでのあり方はよく議論になる。そういう議論のなかで僕はコミュニティの方に重きをおきたくなる。個の学習はコミュニティのあり方に埋め込まれているからだろうか。人の有能さは文化に埋め込まれているからだろうか。自分たちのことは自分たちでできるようになってほしいからだろうか。うまく理由は語れないのだけど、コミュニティと個の両方が矛盾を抱えつつもそれぞれが尊重されることで健全な成熟や成長があるのだと思う。

コミュニティは確かにここにある。コミュニティだからといって話し合うわけではない。

そう考えて「共に考える数学」と銘打つことにした。自分たちで考えたことを自分たちで味わい、喜び、面白がる。そういう「数学の時間」でありたいし、そういうコミュニティであってほしい。一人ひとりが共に考えながらつくるコミュニティにだんだんなっていく。そこで何をつくるかはわかっているようでわからないのでまだ考え中。コミュニティかもしれないし、”わたし”かもしれないし、数学かもしれない。そのへんがわかればもしかしたら「共につくる数学」や「共に考えながらつくる数学」になっていくかもしれない。でも、まだこれらの言葉にはしっくり来ないので使えない。

学習がだんだん”じゆうしんど”になっていく

自由進度学習だってお互いを尊重し合うLGでないと成立しないと思う。各々が好き勝手に学ぶわけではなくお互いにケアするように学習していくイメージ、もっと言えば、自由進度学習を通してLGが育つぐらいのイメージがないとおそらく自由進度学習は成立しない。自由進度学習を成立させるには子どもたちの関係性が実は決定的で、自由進度学習を個人の学習方法と解釈していると多分うまくいかないのだと思う。

算数・数学の面白さや考えることの面白さを生み出しながら、個の考えがそれぞれの速さで深まりつつ、コミュニティとして相互に影響を与え合いながら考えをだんだんと深めたり広げたりしていく。そんな自由進度学習を「共に考える数学」で実現したい。これまでの授業を振り返ってみると、ある日の9年生の授業は、だんだんそうなっていくかもしれないと感じられる時間だった。

その日、1時間目の授業は次の問題を提示することからはじめた。

*1 提示した問題。解いてから続きを読もう!

子どもたちはよく考えていて、1時間目の終わりにもうちょっと時間が欲しいという声がちらほら聞こえてきたので、2時間目もこの問題に取り組むことにした。2時間目は、1時間目のとき子どもたちが立てた問いをシェアしてから始め、また子どもたちは考え始めた。

アオコが考えているようす。真剣な目つき。

たっぷりと一つの問題に向き合った2時間だったのだが、この問題に対してどう考えていくのか、個の違いがはっきりと問いの形で現れてきた。当然、自分たちで立てた問いなので答えがないときもあるし、答えを出せないときもある。でも、立てた問いの先で予期せぬ問いに出会えるかもしれないと感じる、子どもたちの姿だった。

オガレイは自分で性質を発見して感動している。

キヨは負の数を並べてみる。

コウナガは3×3をやってみる。いい性質は見つからなかったかな?考えた跡を消さないことが大切。

ミヤッチはすごいはまっていて家でもやってきた。2時間目はリンタロウの考えにのっかってみる。最近のミヤッチは情意面の記述がうまい。

セツは一週間の日数を一般化してみている。記述がうますぎる。

チヒロはカレンダーを奥行きで重ねてみることに。よくそんなことを思いつく。うまくいかなかったので✕がついているのかな。

カズアキは正方形の一辺の長さを一般化する。確かにがんばっていた。

授業者の提示した問題から出発して自分たちなりに問いを立てて、それに答えていく。考えたことを整理してまとめていく(ここが授業者としてまだまだなわけだが)。自問自答しながらまとめていくことがだんだんできるようになっていって、それをお互いにわかちあって、面白がって、コミュニティとしての考えが深まっていく、そんな時間だったように思う。

こんなふうに個とコミュニティが育っていくと、学習がだんだん”じゆうしんど”になっていくんじゃないかな。なっていくといいな。

 

*1 図は教科書より引用し、問題は一部変更している。藤井斉亮 他(2020),『新しい数学3』東京書籍,p.40

 

#2023 #7・8年 #9年 #土台の学び

佐々木 陽平

投稿者佐々木 陽平

投稿者佐々木 陽平

確かな数学教育を求めて三千里。身の回りの環境や子どもたちの活動の環境を整えるのが好き。最近は読書にはまっている。

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