2023年12月21日
ある日の研修日。あやや(中川)から実践ラボに関心ある人はいますかと投げかけがあった。ちょっとだけ手を上げたけど、他に誰も手を挙げていなかったので流れるように手を降ろしていったのを覚えている。実践を開いていくことに関心はあったけど、実際に開くには勇気がいる。やりたいけどやりたくない、そんな心情だった。
それから数日後、あややから実践ラボをやらないかと声をかけられて、「せっかくだしやってみるか」という気持ちで始めることにした。最初は風越で開くから自由進度学習のことや小学校のことを扱ったほうがいいかなという気持ちがあった。でも、だんだんとその気持ちは薄れていった。というのも、風越の中学校(7,8,9年生)数学科の授業はすべて僕が担当していて、数学を専門に学んできているスタッフも僕だけである。そのため、風越の中で専門的に数学の授業について誰かと語り合うことはほとんどなく、数学の授業について考えるときに孤独感がつねにつき纏い、数学の授業について語り合う仲間をつくりたいという気持ちがだんだんと出てきていた。それに、ほんとうによりよい授業を求めるのならば仲間は欠かせないし、仲間と共に授業をつくっていかなければ日本全体の授業はよくなっていかない。そんな気持ちがあって仲間をつくっていくために中学校数学科に焦点を当てて実践を開いていくことにした。
あややと場の設計についておしゃべりする時間はびっくりするぐらい楽しかった。一番印象に残っているのは「なぜ数学を教えるのか」について考えたことである。これまでも「なぜ数学を教えるのか」を考え続けてはいるが、自分が納得できるような一応の答えが出すことができていなかった。「なぜ」がはっきりしてこそ自分の実践の意味がはっきりするし、子どもたちの学びの意味もはっきりする。これをきっかけに改めて「なぜ数学を教えるのか」について同僚のふぅ(林)も巻き込んで考えることにした。
まずは世界が必要とするものは何か考えた。僕は世界が必要とするものに健全なコミュニケーションと話したら、あややが「健全なコミュニケーションが起きると何が起こるの?」と聞いてくるので、「愛とか平和が生まれるんじゃないですかねぇ」と答えた。「なぜ数学を教えるのか」の一応の答えは「愛を生み出す数学を子どもたちに手渡すため」か「愛のある数学を子どもたちに手渡すため」のどっちかかなと話したら、あややからは「数学なの?健全なコミュニケーションじゃなくて?数学は手段じゃないの?」と問われた。「数学は手段か?」と問われると気持ちがざわざわした。教育の営みとして数学が手段になる側面はありつつも、数学のすべてが手段になってしまうと僕の数学への愛はなくなっちゃうなと感じたからだ。結局、ふぅとあややの3人で話し合う時間では僕は「なぜ数学を教えるのか」に対する一応の答えを出すことはできなかった。
続きは一人で考えた。そのときも「愛」はキーワードとして引っかかっていた。なぜかというと、採用説明会で「協働のあり方」について考えているとき、「関与することは愛と勇気を持って関わることだ」と話していたたいち(井上)の言葉を思い出すからだった。この話を聞いたとき愛と勇気をもって他者と関わることは僕も大切にしたいなって思ったし、今は他者だけでなく数学のような対象や自分自身にもきっと愛と勇気をもって関わることを大切にしたいなと思うからだ。
そしてそれは、「なぜ数学を教えるのか」というところにも通ずる気がしていた。ただ、愛と勇気だけでは何か物足りなさを感じていた。何かを面白がったり、笑い合うって肌感覚で大切だと思っていたからだ。あず(栗山)はよく「同じと違いを面白がることを大切にしたい」って言う。最初はわかるようでわからなかったけど、今なら少しだけわかる。違ってもいいじゃないかという構えでお互いの違いを面白がる余裕が大切なんだと思う。数学の授業でも、分かり合いたいけれど、友だちとは違う考え方や解になるときや、ちょっと抽象的な表現になるがその問題と分かりあえないことがあったりする。そんなとき、愛と勇気に加え、ユーモアが必要なんじゃないだろうか。そう思い、「なぜ数学を教えるのか」の一応の答えとして「愛と勇気とユーモアを分かち合う」とおくことにした。
どんな授業をしたら子どもたちが「愛と勇気とユーモアを分かち合う」だろうか。あややは僕の授業をみて「子どもたちが中心になる学びをつくる」とおいてくれたけど、僕には違和感があった。子どもたちが”中心”になる学びをつくろうと思っていなかったし、実際にそういう学びは生まれていないように思う。創造性というのは対象にどっぷり浸かって生まれるものである。数学という対象に浸かれば、数学の声が聞こえてくるのではないだろうか。自分が語りたいことを語るのではなく、相手の語りたいことをちゃんと聞くことで学びは生まれるのだと思う。そう思うと、子どもたちが中心の学びというのは僕にはちょっと嘘に聞こえる。だから僕は「愛と勇気とユーモアを分かち合う」ための方法として「子どもたちが共に数学の声を聞く場をつくる」とおいてみることにした。
3人の大学院生と6人の現職教員、そしてぼくの10人で車座になって実践ラボは始まった。課題としてそれぞれの実践とその悩みや葛藤がわかる写真をA4の大きさで印刷してきてもらっていた。チェックインとして自己紹介しながら、持ってきた写真を観てお互いに実践の悩みや葛藤について分かち合った。
「遊びが学びになればいいな」、「答えを知りたがる生徒に対してどう接したらいいか」、「自分の想定したことしか書かれていない板書にもやもやを感じている」など、メンバーそれぞれが悩みと葛藤をもっていた。僕はみんなの話を聞きながら実践ラボを開いてよかったなと心の底から感じていた。ひとつは数学の授業に悩みや葛藤を抱えているのは自分だけじゃなかったという安心感があった。もうひとつはメンバーがそれぞれの悩みや葛藤を分かち合っていけばこの実践ラボはだんだんとよいコミュニティになっていくだろうという確信を感じたからだ。
そのあと、インストラクションとしてこの時間では「愛と勇気とユーモアを分かち合う」ことを大切にしたいことを伝え、7年生の授業を観てもらった。素直に共感したことと気持ちがざわざわしたことをメモしてメンバー同士でシェアをした。その後、9年生の授業も観てもらい、目指したい子どもたちの学びの姿と気になる子どもたちの学びの姿についてもおしゃべりをした。
ワンサークルになって「わたしが目指したい子どもたちの学びとは?」という問いをおいてそれぞれが話したいことを話しながらそれぞれが聞いた。あるメンバーが目指したい子どもたちの学びを話すなかで、「自分で考えることも大切だけど、わからないことを聞くってことも大切だし、それって勇気のあることですよね」とおっしゃっていた。学びにはやっぱり勇気が要るんじゃないかなと思ったし、勇気という言葉がこの実践ラボで使われているのがどことなく嬉しくなった。
そして、それぞれの今の関心事についておしゃべりができるといいなと思い、MM法(*1)を用いてそれぞれの関心事についておしゃべりをした。「授業デザイン」「生徒を幸せにするために教師ができることは何か?」「比較・検討・練り上げに大きな価値はあるのか?あるとしたらどんな価値か?」など、それぞれの関心に寄せ合いながらおしゃべりするいい時間だった。
*1:MM法…風越学園の評議委員でもある青木将幸さん考案のみんなで持ち寄るミーティング。各自が自分の話し合いたいテーマを決め、それを掲げてうろうろ。一緒に話し合いたいテーマをもとにグループを作り、話し合うミーティング法。誰かのテーマについて話し合うときは真剣に受け止めて話し合うのがルール。
最後に、今日の時間がこれからの実践につながっていくといいなというねがいを込めて、メンバーに1ヶ月以内に「やってみる」ことをおいてもらった。それぞれのメンバーの「やってみる」が出揃ったとき、「自由進度やってみる!」と書かれたものがあったのが印象的だった。最初のインストラクションで僕のストーリーとして自由進度学習をやめてみて今の現在地があるんだよという話をしていたからだった。他者の考えを鵜呑みにせず、それぞれの参加者が目指したい子どもたちの学びを考えている証だと思った。
僕にとってこの日の実践ラボは教師人生の一つの節目になったと思う。僕にとってよかったことが大きく2つある。1つは自分の実践を開く場をあややと2人でつくったことである。決して一人ではできない授業の振り返りをあややとすることができたと思う。「愛と勇気とユーモアを分かち合う」ために数学の授業をするというのは気に入っている。このフレーズが「なぜ数学を教えるのか」のすべてではないけど、「愛と勇気とユーモアを分かち合う」授業ができたらそんなに嬉しいことはないなと思う。愛と勇気とユーモアをもって他者に関わり、数学に関わり、自分自身に関わる。そんな授業をしたい。そして、自分の実践を自分で場をつくって開いていくという経験も1人ではできなかった。いわゆる授業研究の文脈だと研究テーマを設定し、研究授業を実施して、授業検討会をするというのが一般的な流れだが、今回の実践ラボはそれとは全く違う場だった。メンバーが僕の授業を観て、それを鏡にして自分たちの授業を考える、自分たちの目指したい子どもたちの学びを考える。今回の実践ラボはそんな場だった。この場は1人では絶対につくることができなかった。風越にどっぷり浸かった経験とあややとの話し合いがあって初めてできる場だった。授業研究のような場ではなく、メンバーが自分たちの授業について考える場をつくった経験は本当にいい経験だった。
もう1つは実践ラボが仲間をつくるきっかけになったことである。実践ラボが終わってもこのつながりが続くといいなと思い、自分でオンラインの数学教育サークルを立ち上げることにした。この実践ラボをきっかけに自分の数学の授業をよくしたいという人たちが集まって、みんなでよい授業をつくっていければと思う。「早く行きたければ、一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」なんて言葉がある。風越に来てからは一人で数学の授業のことを考える時間がとても増えて、寂しさを感じつつも一人だからこそ突っ走ってきた。一人で考えることは大切にしたい。けど、それだけじゃたどり着けない場所が見えてきた。みんなだからたどり着ける数学の授業を実現したい。僕は一人で早く行きたいし、みんなで遠くまで行きたい。欲張りだなと思いつつ、そんな道を模索している最中である。