風越のいま 2023年11月21日

わたしには力があるんだという実感

岩瀬 直樹
投稿者 | 岩瀬 直樹

2023年11月21日

4月から毎週続けてきたファシリテーター・トレーニング(通称ファシトレ)。

この記事のその後の子どもたち。

前回の記事の最後に書いた言葉、「いいコミュニティは誰かがつくってくれるわけじゃないんだ。自分やコミュニティの変化は一人ひとりの手の中にある」。この手元感を持ちはじめた人たちはその後も歩みを続けている。さまざまな企画チームをつくっては、コミュニティの変化に参画している。

楽しそうに苦しいことに向かっていく

7月に実施した今年度1回目のアウトプットデイ(通算13回目)の閉会式では、「子ども・保護者・地域の人がまざって振り返りたい!」という企画チームの願いから、トークフォークダンスをしたい!という声があがった。

いやいや200人近くの人でできるのか?無理じゃない?大人のぼくはついそう思ってしまうが、なんと実現させてしまった。大人と子どもが混ざり合いながら、200人が校舎の2階廊下で円になってアウトプットデイのことを語り合っている場は圧巻だった。(22:00〜から全員でのトークフォークダンスの様子)

「閉会式」という言葉の当たり前に縛られていたのは大人の方だった。実現したい世界に向かって全力でやっていけばかたちになっていく。

10月に行われたアウトプットデイ開会式はこんな感じだった。

7月の開会式では小さい人が飽きてしまっていた、という反省から、「1年生から9年生みんなが楽しんでほしい!」という願いをもったオープニング企画チーム。そこで生まれたのが演劇。マリオとルイージが魔王のクイズに答えてピーチ姫を助ける!というストーリーを編み出した。クイズの答えを会場みんなで考えているうちに、アウトプットデイの概略がわかるという秀逸なデザイン。それはそれは楽しいオープニングだった。

企画チームのメンバーは、ファシトレ初期から参加している8、9年生と、今回の企画で初めてファシトレに参加してみたという5、6年生が混ざっていた。8、9年生が5、6年生の力を引き出しながら一緒につくりあげた。異年齢が当たり前であると、大きい人たちが小さい人たちの「あこがれ」になっていく。

6年生ハナコの振り返り
初めてファシトレに参加した日からオープニングを企画し始めて、まだファシトレを3回しか行ってなかった時にここまで皆のレベルについていけたのは、私もけっこうすごいのではないかと思った。ついていけてると思ったというよりは、そのファシトレチームの一人として皆が見てくれてるから、「あ、私もファシトレチームなんや」って思ったときとか、前までは出来なかったことをやってるな。と思った。
ファシトレチームは、いつも皆の前でいろんな発表をしてるし、なんかホームをまとめてくれていたり、ラーニンググループをまとめてくれていたり。いざという時に話してくれるのもファシトレチームやったし、みんなが、アドリブが多い本番でもすぐに対処してるっていうのが、ファシトレチームさすがやなっていう、自分にとってかけ離れた存在やったな。 だから、その仲間に入れたのは結構嬉しかったし、そのアウトプットデイで1から9年生が楽しんでくれたっていうのが嬉しかったアウトプットデイだった。
ファシトレチームに居ると、すごくアドリブが成長するなと思ってて、すごく話しやすいし、まあすごく居心地のいい場所なのね。なんでかっていうと、例えば友達とか家族と話す時は普通なのに、イツメンじゃないと、私は気軽に話せないの。みんなに話しかけられると、考えついたことが言葉にならなかったり、頭が空っぽになったりして周りを見渡したりしてしまう。
そういうのが多いから、普通ならファシトレは居心地のいい場所ではないはずなんだけど、すごく安心感がある。
あとなんか、人が困ってると助けに行きたくなった。前からやけど。ちっちゃい子とかが困ってたら何を話してあげたら良いのかとか、前は分からなかったけど今は分かる気がする。

つくり手としての実感。それは自分が何かしら場にはたらきかけて、そこで起きる変化を目の当たりにした時に感じる。ホームが楽しくなった、今まで参加していなかったあの子が参加するようになった、たくさんの意見が出てきた、アウトプットデイで参加者の喜んでいる顔が見られた、地域の人を案内したら感謝されたなどなど。

たいへんだけど、自分が手を動かしたことで、自分の周りが幸せになっていく実感。

それは「わたしにはこんな力があったんだ」という気づきにもつながっていく。自分のなかにある確かな力のようなものに出会うと、人は自分だけではなく他者の心地よさへと関心が向いていくんじゃないか。身体が自然にそう動いていくようになるんじゃないか。ハナコの振り返りの最後の言葉を読むとそんな感じがしている。

そしてここが大切だが、そういう身体やつくり手としての力って、本来一人ひとり備わっていて、それがあるきっかけで表に出てきているだけなんだと思う。

ファシトレはけっこう大変な授業だ。毎週90分、理論を学んだり、スキルのお稽古をしたり。振り返りもたっぷり書いて毎回提出だ。そこを起点に学んだことを日々のホーム運営や授業の中で実際に使ってみる。さまざまな企画の実行委員になる人たちは、それもプラスされるのでとても忙しい。並行してマイプロジェクトを進めるので、さらに忙しい。

8年生のマレは、そのことについてこう話していた。

「今、アウトプットデイとか、文化祭の実行委員とか、テーマプロジェクトとかめちゃくちゃ忙しくて。でも、その忙しさはいやじゃなくて、忙しいから楽しい!という感じ。今のわたしはとてもいい感じ」。

何度もファシトレの時間を参観してくれているスタッフのりんちゃん(甲斐)は、そんな人たちの姿をみて、こんなフィードバックをくれた。

「楽しそうに苦しいことに向かっていく。苦しいから向かうんですよ、

面白いから向かうとか、楽だから向かうとか、すぐにできるから向かうとかっていうのを、もう身体が求めていないんですよね。楽しいということは、いつも苦しいとセットであるということに、恐れてないような気がするんですよ。
今、風越にはそういう風土ができてきてるんじゃないかなって思うんです。
何かに挑戦する人たちがキラキラしていて、もちろん、そういうものに乗っていけない子たちもいるけれど、そういう子たちも少しずつ少しずつ、動き方みたいなことがわかったりしてきている。」

うん、確かにそんな感じだな。マレの伸びやかな姿と言葉が物語っている。

もちろんうまくいかないこともある。10月のアウトプットデイの閉会式企画チームは、自分たちが思い描いていたような時間をつくれなかったようだ。

マユの振り返り
学んだことは身についたと思っていても実践できなければ意味がないのだ、と本当に痛感した。ファシトレにこれまで十数回、通ってきた中で本当に色々なことを教えてもらって、それを深く振り返って自分の中に落とし込めているとは思っていたけれど、実際の場になると本当にうまく行かなかった。
うまく行かなかった、というのには理由がある。準備をほぼ何もしてこなかったこと。大勢の前に立つことを甘く見すぎていたし、前回の成功体験が体に残っているせいでどこか「準備なくてもなんとかなる」というようなマインドがわたしにも、みんなにもどこか絶対にあったと感じる。臨機応変に対応することは大事なことだけど、臨機応変と適当に、なんとかするのとでは全くわけが違うのだが、何故かそこを履き違えていたみたい。油断とか、適当みたいな言葉が一番当てはまる。
その証拠に、実際に当日はタイムキープや声掛けなど、臨機応変に動くことは何もできなかった。
クロージングは個人的にかなり挑戦をした部門だった。時間の切れ目がはっきり決まっていることと、子供に向けてする、この2つの要素が今の私にとって最大の課題であると自負していたからである。
前回地域の方向けのセッションに関わらせてもらって、ここが自分のコンフォートゾーンなんだろう、と思った。もちろんあの部門もまだまだ作り込まなければいけない場である。だけど、大人に向けてのセッションは子供に向けてするような危うさ、不確定さがほぼない。大人に向けては、作り込めば作り込むほどそれに則って時間は進んでいくし、多少のトラブルがあっても説明することで大半のそれは解決する。その安心感が私はきっと好きで、というか楽だったんだろう。
けれど、子供には説明がほぼ通用しない。(と勝手に思っている。笑)
時間の枠を決めていてもそれがひっくり返ることなんてザラだし、下手すれば何もできないみたいな状態になることもある。本当に不安定で、心配が尽きない時間、そんな場所に自分から飛び込んだのはかなりの挑戦だった。その挑戦を、作り上げていいものにしようとしなかった自分にはかなり失望した。挑戦をしようとした自分にも失礼だなと思った。とにかく、自分はこんなに非力なのか、と痛感した時間だった。

「振り返りこそ学び!」と、口酸っぱく言い続けてきているが、それは、うまくいってもいかなくても、どんな経験からも人は学んでいけるからだ。マユの振り返りからはその力強さを感じる。自分と状況をメタにみてそこから学んで次に生かす。まさにファシリテーターの学び方だ。ちなみにマユは今、1ヶ月先の企画に向けて真剣に準備に向き合っている。

つくり手の場がひろがっていく

子どもこそがつくり手。
風越が大切にしていることは、学園のさまざまなところに広がってきている。

3・4年生のラーニンググループでは、毎月「お誕生日会」を自分たちで企画して運営している。また、11月からはじまった1〜4年生のホームでは、3・4年生がはりきってファシリテーターをしている。

1〜4年生のホームのつどいの様子。4年生、ハレとワカコが「お知らせありますかー」。頼もしい。

5・6年生では、ファシトレメンバーが帰りの集いを企画運営したり、テーマプロジェクトの企画自体に子どもが参画している。

テーマプロジェクトの全体設計チーム。スタッフと一緒にミーティング

7、8、9年生の有志の企画チームでは、10月のホームの日に「エニモフェス」という全校文化祭を企画し、全校でステキな場をつくりあげた。

かざこしミーティングでも新たなメンバーが増えて、ぐっと動いている。今は「来年度ホームどうする?」のミーティングがスタートしている。ホームが自分たちごとになってきているからこそ。

ファシリテーターチームが場をつくる。一人ひとりにつくり手意識が生まれてきていて、「きく」「ききあう」ということが大切にされてきている

第3回アウトプットデイ実行委員会もスタッフの伴走でグッと動き出している。

7年生サンちゃんがファシリテーション。当事者意識を持ったメンバーが頼もしい。

そう、ファシトレはきっかけに過ぎないのだ。そもそも希望者だけの参加だ。

それぞれのスタッフが日常の中で「子どもこそがつくり手」であることを真ん中に置いて実践しているからこそ、ファシトレがほどよい刺激になっている人がいるのだと思う。日々の実践にファシトレの時間は支えられている。スタッフそれぞれが、日常の実践の真ん中に「子どもこそがつくり手」であることを本気で信じて置くからこそ、子どもたちは日々チャレンジし続けられる。


さて、ファシトレはその後も毎週90分の時間を積み重ねている。

2学期は、プロのファシリテーターから学ぶ時間も持っている。これまで川島直さん青木将幸さんを講師に招いての「お稽古」を実施した。場のコーディネートも子どもたち。zoomで打ち合わせ、場のセッティング、振り返りまでをプロと一緒におこなう。そのプロセス自体が「ファシトレ」だ。

今は、第三回のアウトプットデイの企画やら、長野県から依頼があった意見交換会の企画運営やらで大忙しだ。毎日のようにランチミーティングを重ねている(昼休みが75分ある風越ならではの光景だ)。

5年生から9年生がまざってミーティング中

その場に一緒にいるぼくは、時々助言を求められるだけで、あとはニコニコ眺めてみればいい感じ。毎日ごきげんなランチタイムだ。あまりに頼もしいので「もう一緒にファシリテーター事務所を起業しようぜ!」なんて冗談も言いたくなる(実際に思わず言ってしまった)。

ファシトレは12月いっぱいで一旦終了の予定。
もうそれぞれ動き出してるから、その動きに大人がそれぞれ全力で伴走していけばよさそう。手放しすぎず、干渉しすぎず。その人自身が「わたしには力があるんだ」という実感と手応えを感じられるように。

つくづく。
学校は実践によってつくられていくなと思う。

 

#2023 #わたしをつくる

岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

幸せな子ども時代を過ごせる場とは?過去の経験や仕組みにとらわれず、新しいかたちを大胆に一緒につくっていきます。起きること、一緒につくることを「そうきたか!」おもしろがり、おもしろいと思う人たちとつながっていきたいです。

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