2023年6月1日
風越にはホームというコミュニティがある。
昨年度はぼくもホームを担当していて、このコミュニティの大切さを実感していた。ラーニンググループ(公立学校では学級)という単一のコミュニティだけでは、どうしても比較という視線が強くなってしまう。早い遅い、できるできない、大きい小さい。比較の中で自分の位置を決める、自分の位置が決まるのは、その人ののびやかさ、その人らしさが発揮されにくくなるなと感じる。複数のコミュニティに所属できることの価値をぼくたちは大切にしたい。
その中でもホームという異年齢で「自分たちの居心地のよいコミュニティを自分たちでつくる」経験は、きっと大人になった時に「自分たちの居心地のよい社会を自分たちでつくる」原体験になる、ちょっと大袈裟だけどぼくはそう考えている。
昨年担当していたホームでの記事、「ぶつかったその先に」にはこんな言葉がある。
お互いに大切にしている思いをぶつけ合い、お互いに納得できる着地点を探す。ホームというコミュニティを形成する一人一人に決定権があり、メンバーが心地よく過ごせる関係や環境を自分たちの手で考えていくのだ。これぞ民主主義!
うん、本当にそうだ。そういう意味でホームは風越をつくっていく真ん中にあるんじゃないか。一方、スタッフからはホームの大切さはわかりつつ「ホーム運営は難しい」という声をたくさん聞いてきた。これまでの学級づくりのイメージでいるとうまくいかないことが多い。大人も子どももホーム運営への熱量がなかなか上がらない感じもあったように思う。
今年度が始まって、ホーム3のニシム(西村)から相談を受けた。「ホーム、なかなかいい感じにならないんですよね。9年生たちとも相談してるんだけど」。
せっかくなので、大人だけで考えるのではなく、つくり手である子どもたちと相談したい。ニシムにそう話すと、早速9年生のノイがやってきた。
「ゴリさん、ホームなんとかしたいんだよね。」
二人で話しているうちに、ホームを運営するファシリテーターのためのお稽古をしようという話に。ノイには「仲間を3人集めておいでよ。お稽古は人数いた方が効果的だし、仲間がいたら悩みも相談できるでしょ」。一瞬「エッ?」という顔をしたノイだが、その日のうちに5人集めてきた。おお本気だ。ならばぼくも本気でいこう。子どもの動きに、全力で乗っかってみる。
そこからはじまることの力を、はじまりの日の3日間で実感していたことが、ぼくの背中をも押してくれたように思う。
4月下旬、第1回のファシリテーション講座(通称ファシトレ)は10人の参加。ノイ作成のポスターの威力か。ホーム3だけではなく他のホームからも参加者があった。きっかけを求めていた人が実はいたのかもしれない。
初回の講座は、まず学習者として30分間、場づくりを体験する。その後はファシリテーターの目線(実践者の目線)で、「ゴリ(岩瀬)は一体どんな工夫をしていたのか」を分析してみる、という1時間にした(実はこれは、ぼくが教員向けに行うワークショップとほぼ同じ内容。むしろ高度にしている)。
具体的にこんなことをやってみては?という具体的な「やり方」を経験を通して共有した1時間。「明日から1週間、小さくチャレンジしてみよう。自分が動き出せば、きっとホームはかわっていくよ。そして1週間後やってみてどうだったか共有するところから始めよう」という言葉でファシトレは終了。さてどうなっていくだろうか。
ホームというコミュニティはだれがつくっていくのか。うっすらと「自分たち」とは思っていながら、これまでは「運営を誰がするのか」が必ずしもはっきりしていないホームもあった。なんとかしたいと思いつつ、動きだすことへの躊躇。これは大人も子どももあったと思う。
そんな中、ファシトレに参加したホーム3の人たちが、経験したことを生かしてホーム運営にチャレンジし始めた。「やってみることのできるなにか」は一歩目を踏み出す支えになるようだ。
いろいろ迷いながらも、懸命にファシリテーターとして場に立ち続ける。「ごりさん、今日ホームいい感じだったよ! 楽しそうに参加してくれる人が増えた!」と嬉しそうな声だったり、「途中で飽きちゃう人もいるんだよね。どうすればいいだろう?」「意見言う人と言わない人にわかれちゃうんだよね」「ゴリさんフィードバックちょうだい」と相談にきたり。自分が動くことで変わりそう、という予感を感じて熱量が生まれてきた。僕も全力でフィードバック。
ホーム3が動き出したよ、ということを他のスタッフに共有すると、数人のスタッフが「生まれているものに全力で乗っかっていこう」と動き出した。
どこかのホームだけがよくなっても仕方ないと思うんだよね。いろんなホームに呼びかけて広げていこう。全体の動きにしよう。ぐっと踏み込んでいこう。
たいち(井上)、みっちゃん (大作)の声から、各ホームで「ファシトレに参加してみない?」と5−9年生全員に呼びかけがあり、2回目のファシトレにはなんと20名超の子どもたちと、スタッフ何人かも参加。5つのホーム全てからの参加者があり、ファシトレを生かして、全部のホームをよりよくしていこう、という動きが生まれはじめた。
小さく始まった動き、そこにある熱を捉えてみんなで乗っかっていき、じわじわ大きな動きへ。これは「はじまりの日」から連なっている動きだなと思う。
この日のファシトレに、他の授業で参加できなかった9年生ハルマキから「もう1回やってほしい!」とリクエストがあり、結局次の日に同じ内容でもう1回行うこととなった。こういう熱量に出会えることは本当にうれしいことだ。この指とまれで始まったファシトレは、第3回には30名まで増えた。
ファシトレをきっかけに、それぞれのホームで子どもとスタッフがつながりながらチャレンジが続いていた。もちろんうまくいったりいかなかったりだが、自分(たち)が動いてみることで確かに自分の周りが変わっていく感覚、自分には何らかコミュニティへの影響があるんだという質感が、それぞれのチャレンジを支えているようだ。
経験したこと、学んだことをスタッフと相談しながら試してみる。それでうまくいったりいかなかったりしたことをまた持ち寄る。楽しさに基づいて学び、それを適用してみる。適用してみて起きたことから振り返り、また学ぶ。そこに感じる確かな成長や手応え。「学ぶ」ということの一つの大切な形だと思う。
乗っかっていく動きはさらに加速する。
今年度は、月に1回「ホームの日」があり、その日は終日ホームで過ごす。その企画の段階でホームブランチ(ホームのことを考える教職員のチーム。学校で言うところの校務分掌)が「ファシトレをしている人たちとホームの日のことを相談して一緒に進めよう」と、子どもたちに呼びかけた。
この動きは実にうれしかった。大人が設計したものを子どもに手渡していくのではなく、起きたことを大切にしてそれを一緒に育てていく。スタッフの「共につくり手である」という構えのようなものが子どもと呼応し、じわじわかたちづくられ、少しずつできあがっていく。それが風越が大切にしている「つくる」なのかもしれない。
ファシトレ参加者から、多くの有志がこの呼びかけに応えて昼休みに集まった。なぜ風越にホームがあるのか、なぜこのコミュニティを大切にしているのか、ホームの日をなぜ置いたのか、その想いをスタッフから伝えた後、集まったメンバーでどんなホームの日にしたいかを話しあった。所属するホームをこえて、混ざり合いながら熱量高く話し合う姿に、ホームをよりよくしたいから始まった小さな動きが「風越をよりよくしたい」にじわじわと育っていくのを感じていた。ここから各ホームは、ホームの日に向けて加速。スタッフと相談しながら、ぐいぐい企画していく。
さらにこの中から、ホームの日の「終わりの集い」を進行するメンバーを募ったところ、コハク、セツ、ユリ、ユイ、マユ、イイナ、ハルカ、アオコ、ミヤッチの9名が立候補。
どんな集いにしたいか、その願いをきいたところこんな声がでてきた。
「ホームを通して風越がいい雰囲気に」「一人ひとりがつくり手になってほしい。全員が誰かの提案にのっかることができる風越になってほしい」という言葉に表れているように、彼女たちのみている世界は、もはやホームだけではなく、その先に広がっている風越というコミュニティがよりよくなっていく情景だ。
本番まで6日のタイトスケジュール。木曜金曜の昼休みに集まって2回のミーティング。コンセプトを決め、役割分担し、役割ごとに土日にズームでミーティングをしたりしながら、Googleドキュメントで共同編集してプログラムを完成。月曜日のスタッフ研修日(子どもは休み)に集まってリハーサル、と超タイトなスケジュールの中、「準備8割」というファシトレの「教え」を大切にしながら全力で準備を重ねた。
30分の出番に全力をつくす人たち。
この原稿を書いているのは、ホームの日当日。ホームの日はとてもとても楽しそうだ。1〜9年生が初めて集まったこの日。それぞれいい時間を過ごしているように見えた。きっと、これからかぜのーとに書かれるんじゃないかな。
そして今は終わりの集いが始まる2時間前。もちろん終わりの集いがいい感じになってほしい、と願っているし、それを全力で支えようと思う。
でも結果がどうであれ、ここまでのプロセスの中に大切なことが詰まっている。そう、いいコミュニティは誰かがつくってくれるわけじゃないんだ。自分やコミュニティの変化は一人ひとりの手の中にある。
幸せな子ども時代を過ごせる場とは?過去の経験や仕組みにとらわれず、新しいかたちを大胆に一緒につくっていきます。起きること、一緒につくることを「そうきたか!」おもしろがり、おもしろいと思う人たちとつながっていきたいです。
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