2022年2月22日
(書き手・青野 遼/2023年3月 派遣終了)
昨年度から続くコロナ禍。休校、延期、中止と、コロナの影響で今年度もあれよあれよと予定が変わっていく。社会や学校がコロナに翻弄される中、僕も昨年度の春に大阪から長野に移住し、軽井沢西部小学校にお世話になった。そして今年度は軽井沢西部小学校に籍を置きながら風越学園に派遣されている。
「あおのりは、西部小の先生なの?」
「そうだよ」
「でも風越にいるときもあるの?」
「そうだよ」
「何で?」
「う〜ん、風越と西部小、どっちにも行けるんだよ。“特別”なんだよ」
と、苦しい説明を前期の子たちにしていたのが半年前。今年度のはじめに、派遣研修の2年間が今までやってきたことの延長だったらもったいないよねとゴリさん(岩瀬)とも話をし、暮らしの中で遊び、遊びの中で学ぶ前期の子どもたちと共に過ごしてきた。
そんな前期の姿は、後期の暮らしにどう結びついていくのか。そんな問いを持って後期の5・6年に関わりはじめたのが9月。
「あおのりって、西部小に行ってるの?」
「行ってるよ」
「西部小で何してるの?」
「5年生の理科の授業をしてるよ」
「へぇ〜」
と、2校を跨いで動く大人は、後期の子どもたちにとっても珍しかったようだ。
5・6年生に関わってみて感じたのは、前期の子たちの暮らしと比べ、後期の暮らしでは遊びと学びのつながる場面が少ないかな?ということ。遊びと学びが必ずしもつながらなければいけないもの、というわけではないが、そんな子どもたちの姿から、「5・6年生の子どもたちにとって、暮らしの中の遊びと学びがどのくらい繋がりを持っているのか」という問いを持った。
ちなみに僕は今、遊びを「自然発生的に、その時にやりたいこと」という感じで捉えている。一方、学びとは「個人の『やりたい』が連続的に繋がっていくもの(繋がってできた成果)」「自分から『ありたい自分』になること。(なろうとすること)」。どちらも「その場で簡単には完結しない興味が広がり続ける感じ」と言える。そして、もう一つ学校現場でよく使う「勉強」という言葉は、「誰かの教えに従い『身につけるべきこと』を身につけること。」と捉えている。ここでは「遊び」「学び」「勉強」をそのように定義して、話を進めていきたい。
5・6年生を見ていると、一部の子どもたちは「わたつく(わたしをつくる)の時間」を使って自らの学びを形づくっていることに気がつく。ラボに篭って釣具のルアーを作ったり、ワークショップを開きたいからとマイプロの助成金を申請する書類を書いていたり。本人たちに聞くと、初めは「やりたい」「できるならちょっとやってみようかな。」とか、「やってみたら面白かった。」という興味(遊び)からスタートしたらしい。
今、その場での単発的な興味だったものが、連続的に「こうしていきたい」「こうなりたい」という思いに繋がって彼らを動かしている。「〇〇したい」ですすめた活動を通して、自らに必要な知識や技能、表現方法なんかを身につけ、よりよいものを模索していく姿がある。その姿から、あぁこの子たちの遊びは、学びに転化してきたんだなという印象を受けた。もともと重なり度合いの大きい「遊び」と「学び」の距離がより近くなってる(重なっている)とも表現できそう。
違うベクトルでの転化も起きる。勉強から学びへの転化。例えば、習ったこと学んだことを使って自らの「やってみたい」「どうなっているんだろう?」を深めるような動きがそれだと思う。
年末、学年の算数の学習内容を終えたコタ(6年生)は、中学の数学に手を伸ばしていた。そこで彼は、『素数』という概念に興味を持った。更にそこから代数の魅力に引き込まれていった。今では、「フェルマーの最終定理」なんて本を読んでいて、「それ、読んでみてどう?」と聞くと、「面白いよ。分かりやすいし。」と清々しい笑顔と一緒に答えてくれる。これまで小学校の学習内容として勉強した「数」の概念が、彼の中では学びのきっかけになった。楽しい、もっとしたい(知りたい)、そう思って取り組んでいるコタにとって、素数を探究することはまさに学びだ。
この半年、僕は自分の授業(単元)の中で子どもたちに「勉強から学びへの転化」を促そうと挑戦した。でも、その挑戦はなかなか難しいものだった。
「浅間山」を題材に据えたテーマプロジェクト。ここでは、”浅間山の歴史”、”そこに住む人々の想い”、”火山地帯に息づく命”、”大地や地球そのもののエネルギー”、子どもたちの興味に引っ掛かるのではないかというインプット(勉強)を用意した。歴史を紐解き、火山や火山から吹き出る物の組成を確かめ、ハザードマップから火山の隣で生きることの意味にも触れた。結果、テーマプロジェクトを終えて、勉強が学びに変わった子は少なかったと言うのが僕の印象。こちらから手渡した知識が学びのキッカケになることをねらいとしていたのだが、思ったようにはならなかった。
ねらいとするところに近づけなかったのは、なぜなのか?単純にこちら側から子どもたちに「このテーマの中で知っておいて欲しいこと、もの」を手渡しすぎたのだろうか?手渡すタイミングや順番にもヒントがあるかもしれない。いや、そもそも子どもたちに手渡すものとして「歴史」や「火山の組成」というものは適切だったのか?このテーマプロジェクトの時間の中で、子どもたちの探究対象がダイナミックに変化するには、どんなキッカケがあればよかったのだろうか?・・・テーマプロジェクトでの自身の反省は尽きない。しかし、これは僕(テーマを仕掛けた側)の印象。
当の子どもたちはと言うと・・・
アウトプットデイのふりかえりシートを見返すと、子どもたちなりに「がんばった」「いい感じにまとめることができた」という言葉を書いている子が半数ほど。残りの子たちの中にも「もう少し時間があれば、、、」「もっと調べてから実験すれば、、、」というような前向きなコメントを書いている子がいた。
そうか、子どもたちにとってはある程度満足感のある時間になったのか。でも、今回僕が手渡した勉強的な知識が「もっと深めたい」「もっと知りたい」という「学び」に繋がらなかったと感じるのはなぜなんだろうか。今回のテーマプロジェクトを設計した当初、僕はテーマプロジェクトの過程で(もしくは終盤に)子どもたちのどんな姿が見られるといいなと想像していたのだろうか。
今でもその部分がぼやけていて、そのことは子どもたちの「勉強」を「学び」へと促すことができなかったことと繋がっているように感じる。これは、次回のテーマプロジェクトに向けて、自分自身への大きな宿題だ。そう、テーマプロジェクトにおいて「勉強から学びへの転化」を促そうという今回の僕のチャレンジは、そんなモヤモヤを残したまま終わった。
最初に感じた問いに戻りたい。『5・6年生の子どもたちにとって、暮らしの中の遊びと学びがどのくらい繋がりを持っているのか』だ。この問いに対する一つの解は、『遊びの時間が少ない。だからそもそも遊びと学びの繋がりが薄くなる。』だろうか。そうだとすれば、遊びの時間を増やせば、遊びと学びの距離が近くなり、結果的に遊びから学びへの転化が起こる。後期も前期のように遊びの時間を増やせばいいんだ!と。・・・でも、本当にそうなのだろうか?
『幼児にとって「遊び」を「学び」に転化することは比較的容易な流れであったとしても、10歳前後の子どもたちにとっては、「遊び」から「学び」よりも「勉強」から「学び」への転化の方が生まれやすかったりするのではないだろうか?』と、そんな仮説を立ててみた。(ただし、幼児期に遊びを学びへの転化を十分に経験した子たちは、僕のこの仮説の範疇ではないのかもしれない。)
風越の前期の子どもたちは、とにかく遊ぶ。遊んで遊んで、その中にポッと生まれてくる学びの芽に目を留めて、その芽を伸ばしていくイメージ。
一方後期は、勉強を積み重ねて、その中で生まれてくる学びの芽を伸ばしていくイメージ。ときには外にも出かける。自然の中に存在する本物に触れる。本に書かれていることを手を動かしながら実験して確かめる。(成功なんて90%は失敗から生まれたもの。失敗することを確かめるのも大事なプロセスだ。)そんな経験を経る中で、少しのきっかけで勉強は学びへと転化する。
そもそもその”きっかけ”自体、子どもたちの数だけ存在して、それぞれに引っかかるモノも深さも濃さも違う。ある子にとっては、スタッフの「花火のこと詳しく知りたいんだね。じゃあ、炎色反応っていうのがあるんだけど・・・」という言葉が科学的な勉強を学びへと転化するきっかけになるかもしれない。ある子は、「俺、今新しいスポーツを開発してるんだ。でもルールの説明が難しいんだよな〜。一緒にルールブックづくりに協力してくれない?」という友だちの誘い言葉で説明文作りという国語的な学びに変えていくきっかけを得るかもしれない。またある子は、雪解けしたグラウンドに頭を出している土筆に足を止め、その小さな命の生命力や春の足音を音楽として奏でたい、表現したいと感じるかもしれない。
人はそれぞれ違う。学びをつくろうとするとき、「遊び」からのアプローチも「勉強」からのアプローチも間違いじゃないし、目の前の子どもによっては、もっと違うところから学びへの道筋をつくる子がいてもおかしくない。とは思うけれど・・・仮説は、子どもたちを見続けることでしか確かめることはできない。
ここまで「学びへの転化」という話をしてきた。でも、実際の暮らしの中ですぐには転化しないことってとても多くて(むしろ、遊びや勉強なんて、それ単独であることの方が絶対多いように感じるし)、全てを「学び」に向けたり促したりするのは、とーーーっても難しいし不自然なことだとも思う。
それでも敢えて「勉強」から「学び」を促す手助けを僕がしていくとしたら・・・「遊びから学び」と「勉強から学び」そのどちらの様子も見比べながら学びへのベクトルを考えていきたい。そういうふうに考えられるようになったのは、風越にきたからかもしれない。
遊びと勉強と学びは、地続きだ。授業の中で勉強が学びに転化する場面、そして風越の暮らしの中で遊びが学びに転化する場面。転化の種(きっかけ)は、いろいろなところに転がっている。転がっている種にアンテナを向けながら、目の前の子どもたちに日々向き合う。自分自身にとっては、日々是学びである。風越にいても西部小にいても、子どもたちと一緒に学び成長していくということに変わりはない。
「あおのりって、西部小で何してるの?」と次に問いかけられたとき、「風越で学んだことを生かして、西部小の子たちと「学び」をつくってるんだよ。」と自信を持って言うために、今日も目の前の子たちと関わっていきたい。