風越のいま 2021年8月20日

今、何が、どう見えてる?

山田 雄司
投稿者 | 山田 雄司

2021年8月20日

 今年度はかぜのーと記事を書くにあたり2人でペアを組んでいて、3ヶ月に一度、ペアのどちらかが執筆を担当することになっている。
とはいえ、ぼくたち山田(さんだー)・青野(あおのり)ペアは、お互いのことについてまだほとんど知らない。今回は対談形式で相手に聞いてみたい質問をもとにおしゃべりしてみることにした。

コミュニティ意識って、どう育つ?

青野

今の風越はさんだーにどんなふうに見えているの?もしくは、どんなことが気になってたりする?

 
山田

今の風越…。後期の子どもたちのコミュニティ意識って、どう育っていくんだろうっていうのを、最近考えているかな。

青野

コミュニティ意識って、もう少し具体的に言うと?

山田

「自分がいるこのコミュニティ、この場をより良くしよう」みたいな意識かな。

青野

「どう育っていくのか」ってことは、「まだ育ってないなあ」みたいな感覚があるのかな。

山田

かなり人による感じかな。たとえばトイレが汚いって時に、じゃあ掃除しようって子や掃除プロジェクトを立ち上げた子もいる一方で、「他の誰かがなんとかしてくれるだろう」と、汚してもそのままな子もいる、みたいな。

 

でもそういう個人による部分というよりは、いま自分がおもに見ているホーム(3年生から8年生、計30名弱の異年齢グループ)と、5,6年ラーニンググループ(国語や算数などの土台の学び、テーマプロジェクトなどを一緒に行なう43名)との違いの方が気になるかな。

青野

違いを感じるんだ。

山田

うん。ホームの方が「このコミュニティをより良くしていこう」っていう意識を感じる。とは言っても、ホームで使う部屋(ホームベース)がいつもキレイってわけではないんだけど(笑)。

 

ただそれでも、たとえば掃除のたびに色々な子が「こういうものがホームベースに落ちていたから、気をつけよう」と注意を促してくれたり、「私の筆箱が見当たりません」「えっそうなの。どんな筆箱?」みたいなやり取りが、朝や帰りのつどいの中で自然に起こったりする。他にも「あの子がつどいにいないけど、どうしたんだろう」とか「今は前で話している人がいるからChromebook閉じよう」とかの声も子どもから出ていて、このコミュニティを大切にしよう、より良くしていこうっていう意識が子どもたちにあるからなのかなと思う。

 

一方で5,6年ラーニンググループは、過ごす時間はホームより長いのだけど、お互いへの関心や学びの場への意識は、ホームより薄いように感じてる。

青野

なんでそういう違いが生まれるんだろう?

 
山田

ホームは異年齢の集団だから、ケア的な関わりが生まれやすいってのはありそう。上級生の振る舞いとか関わり方が、下級生のいいモデルになってると感じることも多いね。

あとは、ホームの方がチャレンジしやすい空気感があるって言うスタッフもいて。たとえば、朝のつどいでみんなで遊ぶことも多いのだけど、その中で「この遊びをしよう!」「それだとこういう部分が面白くない」「じゃあこうしてみよう」みたいな感じで、自分が声をあげたり思いを伝えたりすると、小さくともたしかに集団が変わっていく、って感覚が生まれやすいんじゃないかな。そういう積み重ねが、チャレンジしやすい空気感につながっている気がする。

青野

そういう感覚がラーニンググループでは生まれにくいとしたら、なんでなんだろう。

 
山田

うーん。そもそもまだ安心して自分の思いを伝えられる集団になっていないってことなのだと思う。ラーニンググループってどうしても学びの集団としての側面が強いから、「できる/できない」の世界になりがちで、できない部分を見せたくなくて自分をオープンにできないって子もいるし、他にも、お互いまだ知り合えていないから自分をオープンにできないって子もいる。

 

でも、ここでの学びがよりよいものになっていくための土台としても、5,6年ラーニンググループの子たち同士が、もっと自分を開いて、お互い興味を持って関わったりケアしたりと、しっとりした関係になったらなと思うんだよね。

青野

それに対して、どんなことをさんだーはしようとしているの?

 
山田

まだまだ手探りだけど、「みんなでつながること」と「一人ひとりの『〜したい』を出すのを応援すること」かなあ。

 

1つめについては、まずはホームでみんなで遊ぶみたいに、ラーニンググループでもゆったりお互いのことを知り合う時間があるといいかなと思ってる。夏休み明けには、そんなふうに過ごせたらいいな。

ラーニンググループはたしかに学びの集団ではあるけど、学び以外の部分でのつながりがあるかどうかは、学びの質にも関わってくると思う。「みんなで遊ぶ」のと近い感覚で「みんなで学ぶ」ができたらいいよねって話もスタッフ同士でしているから、学びの部分でも、お互いの学びをシェアする機会なんかは、これからも少しずつ増やしていきたいね。

でもこれについては、そうやって「スタッフがどう意図して設計するか」だけじゃない気もしていて。

青野

ふむふむ。というと?

山田

この間の学園説明会で、8年生のサラが「『私はどうしたい』というのが他の人に伝えられるようになるのが学校なんじゃないか。」って言ってくれて。大切なことだなあ…と聞いていたら、最後に「子どもとスタッフが、もっとまざったほうがいい。」って言ったんだよね。なんか「もっと一緒につくろうよ」という呼びかけにも聞こえて。

 

スタッフの意図はもちろんあるけれど、それが外から持ち込まれるのじゃなくて、子どももスタッフもその集団の一員としてもっともっとまざりながら、その場のみんながつながっていけたらいいなと思った。

青野

なるほどね。確かにあの言葉には、結構衝撃を受けたなぁ。大人が「みんなで」って言ってる割に子どもたちに対して一方的に「手渡す」って感じになってる時とかってあるもんね。

 
山田

2つめの「一人ひとりの『〜したい』を出すのを応援すること」については、たとえばこの間のタネまきの週(アウトプットデイ翌週の一週間を「タネまきの週」としている。子ども・保護者・スタッフが、その先の探究につながるような「タネ」と呼ばれる場を開き、子どもたちはその中から選んで「タネ」に参加する)に、ミハルとユウナが「第一回将棋大会」を企画したんだよね。

 

ミハルが自分の好きな将棋を他の人にも伝えたいってことで、初心者用には駒の少ないどうぶつしょうぎを自作して楽しめるようにしたり、優勝者用に表彰状をつくったり、家から将棋盤を持ってきたりと、すごくがんばっていた。一緒になってこのプロジェクトをやっていくうちに、ぼく自身、将棋自体にもハマっていって、一緒に駒をつくったり当日の流れを考えたりしていた。

 

当日は想定以上に30人弱の人が集まって、すごく運営は大変だったんだけど、終わった後、「こんなに将棋に興味がある人いるんだ」「すぐ負けちゃった人が暇になっちゃったから、そこは工夫できたな」と嬉しそうにふり返っているミハルの姿が印象的で。こうやって自分の「〜したい」を形にしてみて、他の人と関わる経験も大切だなあって思ったんだよね。

青野

そんな素敵なシーンがあったんや。見事にタネが蒔かれている感じ。ミハルやユウナの今後の姿から目が離せないね。

 
山田

とはいえ少ない人数の子どもにここまでどっぷり関われるのってなかなかなくて、「狭く深く」と「広く浅く」の間で、その場その場でバランス考えているような感じもあるかな。

どういう思いで前期スタッフに?

青野

それで言うと、前期のスタッフって、「狭く深く」と「広く浅く」のどちらにも偏らない感じがあるなぁと感じてて。60人のホームの子たち「全部」見てるってイメージ。少なくない人数だけど、狭くもないし浅くもない。

僕なんかは、見ていこうと思っても30〜40人くらいでキャパがいっぱいになっちゃう。しかも、前期スタッフってただ見ているんじゃなくて、子どもたち一人ひとりのことがすごくよく見えてる。これは経験や慣れなのかもしれないけど。

 
山田

それはどういう時に感じるの?

青野

前期は今、東と西それぞれのホームに子どもが約60人、スタッフが5,6人いるんだけど、スタッフ全員がどの子についても話せる。6月の時点で、それができることに驚いたんだよね。

 

新年度が始まって2ヶ月でそれができるようになるのは何なんだろう?って考えた時に、一つは同じ場にいる時間が多いことかなって思う。一日のうち、同じ場や時間を3〜4時間は共有できていることで、その子がどんなことをしてたとか、誰と喧嘩して誰にものを貸してあげたとか、何を喋ってたとかっていうのが、エピソードとして全部入っている感じ。

それって小学校教師の僕の感覚から言えば、1学期の本当に最後あたりでできることなのに、それが6月に、自分がメインの担当じゃない子に対してもできる。長く一緒に過ごすことだけが理由ではないと思うから、それがなぜできるのかはまだ分からないけど、それを後期の子どもたちに関わるスタッフができたなら、それは強いよなって。隔たりを超えられると言うか。そんなことを感じつつ、でもこれって技術的なことじゃないんだろうなと思ったりもする。

山田

面白い!ぼくからの質問は「あおのりが前期に入ることを決めたのは、何を見て、どういう思いがあったからなのかな?」にしようと思ってたけど、今の話にもつながってきそう。

青野

今年度のはじめに、派遣研修の2年間が今までやってきたことの延長だったらもったいないよねってゴリさん(岩瀬)とも話したんだよね。全然知らないとこに足を踏み入れる時期があってもいいんじゃない?って言われて、じゃあ前期に行かせてくださいって。

その時にも、ゴリさんに「前期のスタッフの子どもの見方は、後期とは違う」と言われてたんだよね。

良い悪いとかじゃなくて、見方が全然違うから勉強したらいいよって。それって何なのかなって、思いながら入っていて、いまだに何かがはっきりとはよく分からないけど、でもさっき言った「一人の子に対してエピソードを語り合える」っていうところからも見方の違いはたしかに感じる。

その子を細かく見ているところもあれば、子ども同士の関わりをみている時もある。大人の関わり方で子どもがどう変わっていくのかもすごくよく考えている。前期に入ってみて、自分の保育に対する考えが失礼なくらい浅かったなと思う。

たとえば、この前てんてん(臼田)に「今日年少さんたちとめっちゃ遊んでたよね。今まではあんまりそんな姿見えなかったけど、今日はなんで一緒に遊んでたの?」って聞いたの。そうしたら、「今日は、いつもと遊ぶ場所が違った。慣れない場所で3歳の子たちがすぐに自分たちで遊びをつくれるかは疑問だったから、今日はちょっと入って遊ぶ場をつくった。私が抜けた後は、子ども同士で遊んでたでしょ」って答えてくれたの。

ここでこう関わったらこうなるだろうな、っていうのをすごく考えながら過ごしているんだなと感じて、だから公立にいたときよりも、子どもたちとの関わりを丁寧に感じたいなと思うようになった。

 
山田

丁寧に感じる。

青野

そう、丁寧に…意識しながら、関わるなり関わらないなりするようになったなあって。

山田

それは自分だけじゃなくて他の人の関わりも?


青野

うん、あの人がどんな関わりの意図を持っているんだろう、関わらなかったのはなんでなんだろう、って意識を働かせている。


最初は、子どもたちに関わる前期のスタッフの様子を見てると、どっちかというと、子どもたちに任せてるスタンスに見えてたんですよね。だからぼくも最初は、「無理に関わらない方がいいのかな」とか「変に声かけたりしない方がいいのかな」って思って、5月のはじめくらいまでは子どもたち同士をどうつなげていったらいいのかっていうのを意識してたんですよね。

で、ある時、「いやー、子ども同士をつなげるのって難しいですよね」って、あいこさん(坂巻)に聞いたら「あなたはその時に、その子とその子をつなげたいって思ったんだね。なんでつなげたいって思ったの?」と聞かれて「えっ?」ってなった。つなげたいと思う理由なんて、考えたことなかったって。

山田

つなげるのはいいことだ、みたいな前提があったんだ。

青野

そうそう。「たしかに。なんでつなげたかったんだろう」って思った。その目の前の子が「つながりたい」って感じてたかどうかなんて関係なしに、自分がつなげようとしてたなって。「子どもって、つながりたいっていうときにつながろうとするから、無理やり大人がつなげようとしていいときと悪い時があるよね」って言われて、ああそういう見方もあるよねって思った。


どの見方が正解ってわけじゃないけど、いろいろな見方、いろいろな角度から子どもたちを見れるっていいなって思うことが、前期に入ったことですごくあるな。目の前にいる子の見方を自分の中で一つに絞るんじゃなく、多角的に見ることができたらその子のエピソードについて語るときに幅が出るんじゃないかって思ってる。

多分だけど、4月から後期のスタッフとして入っていたら、味わえなかった感覚だろうなって今感じてるから、今感じてるこの感覚、言葉で言えないこの感覚を、忘れないようにはしたいな。

 
山田

面白いなあ。そうやって、子どもの見方とか実践とかについてのフィードバックをお互いにできるって大切ですよね。

 

そろそろ終わりにしようかなと思うんだけど、今回この形式で話してみて、どうだった?

青野

結構話せちゃうもんだなって思った。

 
山田

ね。お互いのことをほとんど知らなかったから、対談形式でやってみるってのは、よかったな。あおのりの思いを知って、身近に感じるようになったし。

青野

そうね、対話していくことって、関係を築いていく上で本当に大事だな。

 
山田

次回はどんな話になるのかなあ。楽しみです!



(2021.07.06, 08.18  談)

#2021 #スタッフ #前期 #後期

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