2021年5月21日
先日、ゴリさん(岩瀬)が書いたこの記事。
僕からの視点で、このエピソードについて書いてみたいと思う。
風越でよく使われる「子どもの学びに伴走する」という言葉。
僕はそれを『子どもの世界を広げることを目的に、こちらが見通しをもって自走できるようになるまで一緒に活動すること』だと考えます。
一緒に活動するとは言っても、ここで言っている“一緒に”というのは、こちらがつくるわけではありません。あくまでも、子ども自身がつくることにより、その心を広げることが目的です。ですから、大人の立ち位置はとても、微妙であるとも言えます。
その前提の下、キョウくんのベンチづくりに話は戻りますが、まずドリルドライバーはこの年頃の子どもにはハードルが高すぎる道具なので、普段は手渡しません。取り扱うには力においても技能的にも、安全面でも難しく、適当な渡し方をして大人が途中でいなくなったりすれば、子どもには「自分にはできなかった」という実感が残るのが目に見えているためです。
しかし、今回のキョウくんのように、「やりたい!」と来る時は、その子の世界を広げられる最高のチャンスでもあります。ですが、やるか否かは難しいチョイスです。僕が伴走できるのに残された時間を考えたすえ、確実に伴走し切ることを前提として一緒にやってみることにしました。
はじめに、目の前でやってみせてから操作に関する必要な知識を手渡します。ここで、やってみせることは本当に大切。それによって言葉でわかりにくい、力加減や微妙な角度などが一目でわかる上に、僕の道具に対する心意気も伝えます。それを捉えたキョウ君は、自分もやってみたい!と感じ、こうやってみようとイメージします。そうなったところで、危険に対しては抜かりなく伝えますが、本当にやってみたいから眼差しは真剣そのもの。
道具を受け取って、まずは恐る恐る自分でやってみます。でもネジはうまく回らない。もう一度。でも、また空回り。そして、もう一度。この、失敗のタイミングを見計らって、一緒に手を添えて今度は成功します。そうすると、自分ではわからなかった、こういう角度、こんなにも強い圧力が必要なのだということが、実感を伴って瞬く間にわかります。失敗したからこそです。
いろんな加減がわかったら、もうあとはどんどんやってもらいましょう。ねじ山が潰れてもビットが壊れても、細かいことはできるだけ目を瞑って。もう本人に、困難を乗り越えるだけの初速がついたのですから。
初速。それは、はじめにあった子どもの「やってみたい!」というモチベーションと、大人である僕が持っていた「できる」というイメージ、すなわち見通しを、子どもが現実を伴って得たということ。言い変えると、「できそうだという実感」を子ども自身が得たということです。
やりたいというモチベーションがあるからといって、それを実行し、実現できるかというと、そうではありません。その一歩を踏み出すためには、どうしたら本人の力でそれを実現できるようになるかを設計するとともに、本人の中にイメージをつくることが大きく関係していると考えます。
とは言え、その上でやっても上手くいかない、失敗することもたくさんあります。しかし、「やりたい!」に加え、「できるかも!」という実感があれば、チャレンジすることは楽しいものになるでしょう。
このような可能性における「実感」は、「物理的事実」に「感覚」が伴って経験されることによって成立する。と、僕は考えますが、それはまたいつか。