風越 参観記 2022年5月23日

実は「窮屈な」空間と「盤石な」カリキュラムに依り掛かっていたのではないかという問い(石川 晋)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年5月23日

N P O授業づくりネットワーク理事長の石川 晋です。

「晋さん、ここがぼくが授業してる教室です」とたいちさん(井上)が案内してくれた「理科室」はびっくりするほど普通だった。4人くらいが座るとちょうどいい実験テーブルがアイランドで設置されていて、普通。棚には実験器具が結構整然と収められていて、普通。日本中のどこにでもある理科室のたたずまいである。教室の前側に立ったたいちさんがこれから進める探究の時間について説明する姿も、普通。子どもたちがそれを聴くのも、普通。じっと座っているのはあまり得意でない子が前に出てきて体を揺すりながらたいちさんの話を聞き時々合いの手のように反応するのも、普通。一番後ろのテーブルの上に置かれている実験器具もビーカーやシャーレや若干のアルミ箔など、普通。

たいちさんの理科教室に来たのは彼が都内の公立中学校での教員生活を終える年の三月以来だから、気づけばもう3年ぶりか。

ぼくは北海道の中学校教員を退職した春からたいちさんの教室に何度も足を運んだ。ぼくのばん走スタイルはそこで生まれたと言っても過言ではないだろう。2年間で30回近くぼくはたいちさんの理科教室に通い続け、たいちさんと対話し続けてきたのである。ぼくのばん走・仕事については、ここでは詳しく書けないので、興味のある方は是非ぼくの本『学校とゆるやかに伴走すること』を読んでほしい。

ちなみに、たいちさんの教室でのばん走の記録はほぼ残していない。ほんのわずか、ぼくが理事長であるNPOが編集に携わる『授業づくりネットワーク』誌に記録が残っている程度だ。期せずしてその記録は一緒にたいちさんの理科教室を見た佐内信之さんと風越学園の校長いわせん(岩瀬)とのコラボの記録でもある。こちらも是非読んでほしい。

今回風越学園に赴いたのはそのたいちさんが久しぶりに自分の理科教室のばん走をしてくれないかと依頼してきたからである。

さて、ぼくは30年近く北海道の中学校で国語教師をしてきた。その当時はもちろんぼくのエンドユーザーは子どもたちだったのだ。が、今のぼくのそれは第一義的には教師である。だから“かぜのーと”の執筆を依頼されたけれど(ぼくはちゃんと愛読者である 笑)、その原稿の多くのように、子どもと教師との関わりや子どもへの眼差しや子どもが紡ぎ出すエピソードのことを書くということでは全くなく、たいちさんが今どんなふうに居てどんなふうにしているように見えるかを書いていくことになる。

みっちゃんが玄関に飾っていた本をたいちさんの授業で読み聞かせようと思ったが、やめた

たいちさんと理科教室の変化とその理由?

たいちさんのばん走をしていた二年間で、たいちさんの理科教室は、普通の理科教室とはまるで違う感じになった。教室の棚に入っているはずの実験器具は教室のさまざまな場所に溢れ出しており、アイランドのど真ん中のテーブルにはさまざまな実験器具が置かれているが、ビーカーだの試験管だのよりも、買ってきた食材だの、発泡スチロールだの、針金だの、100円ショップにある漬物用の空気抜きだのが、山盛りになっていた。子どもたちはたいちさんの説明も早々にわれ先にとそれらに向かって突進し(笑)、ためつすがめつ眺め、いじりまくりながら考える。そもそもたいちさんの授業冒頭の説明は10分弱くらいで、その間も教室のいろんなところに立っているから、教室の前や後ろがあるとも言えない。ある意味フィッシュボウルのような教室の中で、さらにはその外に、まさに自由に子どもたちが野に放たれる感じだ・・・。授業の最後にはぼくが理科とは何も関係ない絵本を読み聞かせたりする(笑)。

でも、今日目の前で見ているたいちさんの理科教室は、先に書いたようにかつてのそれとはずいぶん違っている。日本中どこにでもある典型的な理科室と言っていいだろう。そして、もちろんたいちさんにはそのようにしていることに明確な意図があるだろう。

「たいちさん、教室のデザインも授業自体も、かつての中学校とは比べ物にならないほど、普通だよね」

「うんうん、それは実はすごく意識してます」

「ああ、やっぱりそうなんだね」

「こういう感じの方が安定して学べるんじゃないかな、と思って」

「この学校のデザインの中で、どう振る舞うかみたいなこと?」

「そうですね、始まったばかりの年、ほんとどうしたらいいのか全然わかんなかったんすよ。子どもはみんな勝手に広いところでいろんなことしているんで、もう何が必要で自分に何ができるのかさっぱりわからなかった・・・」

そういうことで言えば、たいちさんの子どもたちとの関わりも、以前とは大きく違って見える。たとえば、以前たいちさんの教室に入っている同じ時期にぼくはあすこまさん(澤田)の教室にも入っていた。ぼくはあすこまさんを「カンファランス魔」と呼んでいて、たいちさんの理科教室との際立った違いについて、3人で議論したりしていた。でも、今日のたいちさんはあの頃のたいちさんとは別人のようにカンファランスする人になっているのだった(いや、あすこまさんみたいにってわけじゃないけど 笑)。当時ぼくやたいちさんは「カンファランスはやり始めると際限がないよね、しかもこのたくさんの人数の子どもたち一人一人にやっていくのは(あすこまさんみたいなアプローチは)超人的だと思うんです」と。そして「むしろシステムを作って(デザインして)、持続可能にどこまで子どもたち同士で学べるかってことを考えたいよね」と、話し合っていた。一体たいちさんの中で何が変わったのだろう。

そのことは、3、4時間目の個人探究の時間の子どもたちを見ているとぼんやりとはっきりしてきたなあと感じた。

校舎内をくまなく歩くと、たくさんの3年生から9年生の子どもたちが思い思いの学びを進めているのだが、日本中の学校で普通に見られるように学びから「ばっくれている」子どももいる。そういう時間にも意味があるんだというような哲学的な話は一旦横に置いて、要するに、何もしていない子、ぼんやりゲームをしている子の学びのことは、風越学園だけでなく、日本中の学校に深刻かつ普通に起こっている課題である。日本中の学校で「普通に」と書いたが、現実には多くの小中学校では、タブレット利用が様々に制限されているので、先生の目を盗んでチラ見することはあっても、子どもたちは授業中にゲームをしたりすることはできないから風越学園で起きていることと全く同じとは捉えにくい・・・。そういう視点で風越学園で一定程度いる「ばっくれている」子どもたちの学びの実情を見ていると、「あああー」と思う。そうか、広い校舎の中で、一人ひとりの姿はともすれば広いが故に埋もれてしまうのか。たいちさんが個々の子どもと丁寧に話すことを選択することの意味がわかるような気がする。

非構成なデザインの中の構成的な場の意味合い

風越学園のデザインも、そこで行われている様々な取り組みも、一見すると制限がなくて自由だ(無論そんなことはないのだが)。それは、これまでの学校には子どもの学ぶ意欲を削いでしまうものが多いという気づき。そうした要素を取り除いたり緩めたりすることを基本にしようという意思。それを働かせてきた結果出来た(出来つつある)ものなんだと思う。また、ここに集まってきた教師の多くは、公立私立を問わずその元々の学校が抱え込んでいた窮屈さに苦しんできた人たちだろう。彼らの闘いは定型的な場・カリキュラムをどれだけ緩められるかに知恵を絞ることだっただろうと思う(実践人としてのぼくもそうだったから十分に共感もする)。つまり、箱のような教室(学校)の中で、1時間ごとの評価に紐づけられた教科書中心の授業ばかりの中で、どのように子どもらしさを発揮する時間と場所とを用意するかに腐心してきたのだ。いわばあまりにも構成的で定型的な場にいかに緩みを加えるかという方向でのチャレンジだ。ということは、ここでチャレンジしている先生方の多くは、不定型な場所で非構成な授業を行うという経験をほぼ持っていないとも言える(いや、そんな経験を持っている先生は日本中の学校にほぼいないのだが)。3、4時間目の子どもたちの姿を見ながら、非構成・不定型をデフォルトにしているデザイン下では、非構成な授業はむしろ新しい当たり前過ぎるのではないだろうかという問いが浮かんでくる。それはここでは、十分に機能しない可能性もあるのではないか、と。

そう考えてくると、たいちさんが今考えて実践している取り組みは、非構成なデザインの中に構成的な場を持ち込むというアプローチなのだろう。そもそも中学校という場所では、一般に学力重視の一斉的な授業が延々と朝から行われていく。自分の担当するこの1時間が子どもたちの生活の中でどう位置づけられるのか、そういうことをたいちさん(とぼく)は考え抜いてきたと思う。とすると、そういう視点で今の自分の時間を新しいデザインの中で再定義しようとするたいちさんの関わり方や学校を捉える視点・姿勢自体はぶれず変わっていない。そう思える。

いま、この場所で、どう考え抜くか

ところで、ぼくが北海道の中学校でWW(ライティング・ワークショップ)にチャレンジし始めた2年目。ぼくは子どもたちと相談しながら学校中のスペースを使って自由に書くという選択をした。忘れもしないその初日に愛佳がぼくに「外で書いてもいいですか」と尋ねてきたのである。ぼくは一瞬の躊躇の後、「君が外で書くと、きっとこの学校中で作文を書くという活動はできなくなってしまうと思う」と応えた。愛佳は「分かりました」と応えた。学びの本質とは全く関係ない大人の事情について飲み込んでくれた、そういうことだったと思う。ぼくは、その後の『わたしたちの「撮る教室」』(学事出版)としてまとめた写真活動実践も含めて、いつも学校とはどういう場所なのか。そして学校の内と外との境界線というのは、どのあたりにあるのかということを考え続けてきた。

ぼくが最後の8年を過ごしそれらの実践を展開したのは、北海道の上士幌町立上士幌中学校だった。ここも風越学園ほどではなくとも、できたばかりの斬新なデザインの校舎であった。そして「この校舎だから、最新鋭のデザインだから、できる実践なのでしょ」という時折聞こえてくる声にぼくなりに落胆も反発も感じていた。

風越学園はそのデザインも、チャレンジングなカリキュラムも、外から覗いたり時折やってきたりする多くの先生にはまだ過刺激なのだろうと思う。実際その斬新さをどう取り入れるかにばかり関心を寄せて視察したりする人や学校もあるのだろう。

でも、たいちさんの楽しい苦闘にばん走していると、デザインの問題でもカリキュラムの問題でもないのよね、と思う。一人の教師がそこでどう考え抜くかってことなのよね。と。

全力でだるまさんが転んだをするとっくん(片岡・授業づくりネットワークの理事でもある)の姿

   

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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