風越の教室に入ってみた 2022年3月15日

【第10回】「どうして動かしたいの?」 ~「~したい」は,関係のなかで,確かで,ひらかれたものになっていく~

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年3月15日

こんにちは,神戸大学の赤木です。コロナの感染状況が落ち着かないまま,風越学園に行けないことが続いています,残念ですが,安全・安心を考えると,しょうがないな,とも思います。
そこで,これまでの訪問のなかで印象に残ったエピソードを紹介します。日々のよくある出来事かもしれませんが,いまでも何度も思い出すエピソードです。

●お土産がやってきた!

11月29日・30日に訪問したときのことです。29日の朝,いつものように,軽井沢駅前7時40分発の町営バスに乗って風越学園に向かいます。何人かの子どもたちとも一緒です。毎回,しりとりをしたり,学校のことを聞いたり,犬のうんちをみつけて「じゃんけんで負けた人は踏む!」などよくわからない提案をしながら,学校に向かいます。この日も,とりとめもない話をしながら学校に向かいました。
学校の敷地に入ったところで,前期のユウダイくん(7歳)と出会います。ユウダイくんと私は,お互い名前はおぼろげなのですが,なんとなーく,気があって,すれちがいざまにちょこちょこ遊ぶ仲です。そんなユウダイくんと,じゃれあいながら遊んでいると,ユウダイくんは,私を,スタッフのリリーさん(勝山)のところに連れていきます。そして,リリーさんに,「お土産もってきた」と一言。リリーさんも私も「???」。私たちの「???」を見て,ユウダイくんが,黙って私を指さします。

なんと! 私が「お土産」だったのです!

うれしい! お土産とは,外からの贈り物です。ユウダイくんにとっては,風越学園の外からやってくる「おもろいおじさん」として歓迎してくれているのでしょう。だから「お土産」という表現になったのだと思います。うれしいことです。もっとも,これは,私個人の資質というよりも,風越学園が,外部の人を「ギフト」としてWelcomeする開放的な雰囲気があるからこそです。本当にありがたいことです。

●トラブル発生

さて,そんなユウダイくんたちと遊んでいたときのことです。トラブルが発生しました。もっとも,トラブル自体はよく起こっていますので,それ自体は,特筆すべきことではありません。トラブルの際のやりとりがとても印象深かったのです。
エントランス前で遊んでいた前期の子どもたち。当日は氷点下になる寒い日で,氷もところどころ張っていました。だからなのか,子どもたちは,容器に水をいれて,水をまき,凍らそうとしています。わかる~。やりますよね~。

水まき遊びと同時に,ほかの遊びも近くでおこっていました。その1つは,写真のように,黒いプラスチック製のパレットの上にのって,ぴょんぴょんはねるというもの。微妙なたわみ感が,心地よいようで,みんな,ぴょんぴょんしています。

そのさなか,突如,ユウスケくん(6歳)が,黒いパレットの横の立っている大きな板を動かそうとしはじめました。私は「え,ちょっと待って,いま,ええ感じで楽しんでるのに,なんで?」とびっくりします。ほかの友達も,「え?」という顔をして,ユウスケくんに近寄っていきます。ちょっと,これ,やばいやつやん,と思ってオロオロします。というのも,こういうような状況で,小競り合いがおこり,結果として,手が出る/手が出されることが多かったからです。これは,困った~と勝手にオロオロするワタクシ。

そんなときに,ユウダイくんが,「どうして動かしたいの?」と,ユウスケくんに声をかけたのです。すると,ユウスケくんは,「スタジアムをつくりたい」と答えます。ユウスケくんの中では,黒シートを広げたり,見栄えをよくしたい思いがあったようです。私は,ユウスケくんの言葉を聞いて,「そういうことか~」と納得し,子どもたちも,なるほど,それならという感じで,一緒に板を動かして,「スタジアム」が完成しました。

●すごい!

何気ないエピソードにも見えますが,すごいことだと感じました。そう思ったのは,2つあります。
1つは,ユウスケくんが,「スタジアムをつくりたい」と自分で自分の要求を言葉にしたことで,手が出ることをおさめたからです。言葉の力ってすごいですよね! 自分の要求を自分で言葉にすることが,自分を抑える力になり,まわりとのコミュニケーションを変容させていくことがわかります。私たちは,「手が出る」ことを直接やめさせたくなります。でも,それよりも,このような言葉の力が偉大であることを感じます。言葉は,伝えるためだけにあるのではありません。自らを律するためにもあるのですね。
2つは,ユウダイくんが,「どうして動かしたいの?」とユウスケくんに尋ねたことです。私のこれまでの経験上,今回のようなエピソードに出会うと,多くの子どもは,「勝手に動かしちゃだめ」「やめてよ」「なにしてんの!」的な制止をする発言が多いものです。楽しく遊んでいるときに,その遊びを壊しかねない他児の行動に出会えば,止めたくなるのも無理はありません。子どもだけではありません。大人も,「さっきも言ったでしょ」「やめなさい」といった制止・注意をする発言が多くなります。特に,突発的な子どもの行動で,かつ,それがトラブルになるだろうと予測するときは,制止したくなります。
ところが,ユウダイくんの場合は,制止ではなく,「どうして動かしたいの?」と尋ねています。だからこそ,ユウスケくんも,自分の要求を言葉にすることができ,トラブルではなく協同的な遊びが展開していきました。ユウダイくんの呼びかけも,それに応えたユウスケくんも,すごいなー,と思います。

●「~したい」という主体性は,尋ねられて育っていく

 ただ,だからといって「みなさん!これからは子どもに『どうしたいの?』って尋ねましょう!」と呼びかけたいわけではありません。子どもの気持ちを尋ねることは大事ですが,状況によっても違いますので,一概に「尋ねることさえすればOK」にはならないでしょう。
このエピソードから私が考えたいことは,風越学園の「~したい」という理念との関連についてです。今回のエピソードは,風越学園の教育で大事にしたいことと密接につながっていると思うからです。風越学園では,子どもそれぞれの「~したい」を大事にしています。その思いは,ホームページの「わたしたちのカリキュラム」にある次の文章にあらわれています。

前期の子どもたちは、あそびや生活の中で、身の回りの世界を体全体で感じたり、感情をめいっぱい表現したりしながら、「〜したい」を軸とした自分らしさや自分の生活をつくっていきます。後期の子どもたちは、前期の間にじっくり育んだ「〜したい」をもとに、他者や社会との関係を大切にしながら、様々な「つくる」を本気でたっぷり経験していきます。

ここでいう「~したい」は「主体性」という言葉にいいかえてもよいでしょう。前期の間に,子どもたちは,「~したい」という主体性をじっくりと育んでいくことを大事にされています。ただ,その具体的な育み方は,案外,難しいものです。放置していても「~したい」は育つわけではないし,こちらが教え込んでも「~したい」は育つとはかぎりません。この難問を考えるうえで,本エピソードは,2つの道すじを与えてくれます。

1つは,「~したい」という主体性は,他者から尋ねられて,確かなものになるということです。ユウスケくんは,「板を動かす」という「したい」は有していました。その意味では主体性があるともいえます。ただし,それは,言語化されないため,周りにはわかりません。なにより,本人のなかでもどこまで自覚的なものだったかはわかりません。それが,ユウダイくんに尋ねられることで,本人の口から「スタジアムをつくりたい」という言葉が紡ぎだされます。言葉にすることで,自分の行為を自覚し,よりその「したい」を確かなものにしていきます。言葉は,伝える・共有するためだけのものではありません。再帰的に,自分の気持ちを確かなものにしていく機能があります。そして,その契機は,「どうして動かしたいの?」という他者からの呼びかけでした。

2つは,「~したい」という主体性は,他者から尋ねられて,公共的なものになるということです。繰り返しになりますが,行動だけみれば,ユウスケくんの「板を動かす」行為は,「~したい」のあらわれであり,主体性があるといえます。ただし,ここでの「~したい」は私的なものにとどまっています。周囲には理解・共有されていません。そのため,小競り合いが起こりそうになっていました。
主体性を私的なまま,つまり,個人のなかだけでとらえた場合,「この場ではがまんしなさい」などとして,結果として主体性を制限しがちになります。しかし,今回は違いました。主体性を制限するのではなく,むしろ,公共的なものにひらいていったのです。そのきっかけは,「どうして動かしたいの?」というよびかけであり,そのよびかけに応答する「スタジアムをつくりたい」発言でした。この応答的なやりとりのなかで,ユウスケくんの「~したい」は,個人のものではなく,公共的なものになります。とがったものではなく,まろやかなものになります。だからこそ,遊びが協同的に創発されていきます。板を動かしたのは,ユウスケくんを含めたみんなだったことに,協同性の構築があらわれています。

●ええ感じの関係性が,主体性を下支えする

この2つに共通するのは,「~したい」という主体性を,個人のなかだけではとらえられないということです。主体性を個人のものとして,とらえる限り,主体性を育みきることができないということです。他者から尋ねられ,応答していくような関係のなかで,「~したい」はより確かなものになっていきますし,ひらかれたものになっていくことがわかります。もっとも,誰から尋ねられても,こううまくはいかなかったかもしれません。2人の普段の「ええ感じ」の関係性こそが,「友達の気持ちを知りたくなる」「友達のよびかけに応えたくなる」というやりとりを下支えしたのだとも思います。ですので,ハウツー的に「尋ねればOK」という単純なものではないでしょう。一瞬の小さなエピソードは,日常の保育・教育の連続線上に成り立っているのですから。
いずれにせよ,今回のエピソードは,「~したい」という主体性がどのように育まれるのかを考えるうえで,とっても示唆を与えてくれることだな,と書きながら,改めて感じています。

※補足
このエッセイを読んで, 2つの疑問を持たれた読者もいるかもしれません。1つは,「どうして動かしたいの?」と言えたのはたまたまだったのでは? という疑問です。もう1つは,「どうして動かしたいの?」と言えた背景についてです。
いずれも明確に答えるのが難しいところではありますが,前者の質問については,「たまたまではない」と答えることができます。というのも,それ以外の場面でも,友達の気持ちを考える姿勢がみられていたからです。例えば,他の場面で,また違う別のお友達どうしがトラブルになって,手が出る場面がありました(AくんがBくんにたたいたとします)。すると,たたかれたBくんは,「(Aのパンチ)弱いなー」と挑発的に口撃します。私はこの時点で,ドキドキオロオロします。オタオタしつつ,そのやりとりをみていたユウダイくんに,「困ったねぇ」と話しかけると,ユウダイくんは,

「(Aくんは)自分が馬鹿にされたんだと思ってる」
「なんで(Aくんが)怒ってるか,ずっと考えてる」

と話してくれました。友達の気持ちをずっと考えているとは!

さらに,Cくんが,午後の時間に勉強をせず,本を読んでいたときのこと。ほかの子どもがCくんに「なんで本読んでるの?」とちょっと責めるような感じで話します。それを聞いていたユウダイくんは,「しょうがないよ,Cは本好きなんだから」「(注意をずっと)ゆってると,C怒るよ」などと言っています。これらの発言からもわかるように,友達の気持ちを推測するような言動は多く,「どうして動かしたいの?」と尋ねる声かけが,「たまたま」ではないことがうかがえます。
 後者の質問については,まだ十分に自分のなかで確たるものがありません。そのうえでとなりますが,スタッフのかかわり,および,その背景にある風越学園の理念が,影響しているだろうと思います(もちろん,個々の子どもの性格や,子どもたちの関係性,家庭の養育方針などもあるとは思います)。例えば,スタッフのゆっけさん(井手)の声かけ。ある子どもが,他の子どもを注意したときに,「なぜ注意したの?」など,行為自体ではなく,行為の理由を子どもたちに尋ねることがありました。風越の保育・教育では,自分の気持ちを言葉にすることを大事にこころがけられていることが,今回のエピソードに地続きとして位置づいているのかな?と思っています。

#1・2年 #2021 #わたしをつくる #前期

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投稿者かぜのーと編集部

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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