2024年3月27日

第83号(2024年3月28日発行)

2024年3月27日

こんにちは、軽井沢風越学園です。

3月18日は幼稚園の卒園式。一人ひとり読み上げられる証書を照れくさそうに耳を傾ける表情に、あぁこの子には、このメッセージが届いたのだなと思える瞬間が何度もありました。

21日は卒業式。たくさんの子どもと大人が見つめるステージ上で、その時に心に浮かんできた言葉を紡ぐ9年生の姿に、それぞれの3年間や4年間がギュッと詰まっていました。

ありがとう、おめでとう、いってらっしゃい。またいつでも帰ってきてね。

かぜのーと 第83号(2024年3月28日発行)
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【1】『「まず、わたしがそうあろうとする」ということ』岩瀬 直樹
【2】『悩み、漂い、出会ったもの』藤山 茉優
【3】『いつか、幸せな子ども時代の話を聞かせてほしい』竹内 詠子
【4】『リリーのマニキュアが教えてくれたこと』友廣さやか
【5】『アドベンチャー雑感5「ひとりになる」』甲斐崎 博史
【6】『風越でばん走する「ふり」をしながら考えていること』石川 晋
【7】書籍『プロジェクトの学びでわたしをつくる』出版イベント━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■

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【1】# わたしをつくる
   『「まず、わたしがそうあろうとする」ということ』岩瀬 直樹
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風越ではホームというコミュニティを大切にしている。カリキュラムページにはこうある。

風越学園には異年齢構成の「ホーム」があります。異年齢で過ごすことを通して、自分の視線とは違う世界を見る、憧れる、ケアし合う、真似をすることを試してみながら、新しい世界をともにつくります。
安心してあそびや学びに没頭するには、自分の存在が大切にされていると感じられる場が必要です。ホームは「聴きあう」ことと「多様さを認めあう」ことを大切にします。わたしたちは学園の中で複数のコミュニティをつくり、そこで経験できることの価値を信じています。

思い描くまでは簡単、しかし実装が難しい。この4年間、子どもとスタッフはたくさんの葛藤を抱えながらホームづくりを続けてきた。
今年度は、中学生を中心にあらためてホームづくりにチャレンジしてきた。

卒業が近い9年生4人+同じホームを担当のスタッフのもい(新井)が、ホームについてこの1年を振り返ってランチしながらおしゃべりをすると聞いてお邪魔してみた。

メンバーは6月のこのインタビューの人たちが中心だ。
この頃からどんな変化や気づきがあっただろう。早速5人の声をきいてみよう。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/dandan/33514/
岩瀬の他記事:
・自分らしい自分を見つけていく >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33428/

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【2】# プロジェクト
  『悩み、漂い、出会ったもの』藤山 茉優
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今年度担当した3・4年生は、週のおよそ3分の1が何かしらの「プロジェクト」の時間だった。風越学園のカリキュラムの中にある「テーマプロジェクト」「マイプロジェクト」に加えて、「3・4年プロジェクト」と呼ばれる、LG独自のプロジェクトもあった。今年度が始まって1ヶ月が過ぎた頃、同じ3・4年を担当するもとき(久保)から「それぞれのやりたいことで集って活動する時間とかあってもいいかなーと思うんだけど」と提案があったのがきっかけで、「3・4年生のみんなが楽しくなること」「いろんな人とかかわれること」の二つを大きな目的としたこの時間がスタートした。

今年度が終わろうとしている今だから正直に言うが、私は「プロジェクト」(と呼ばれるもの)へかなり苦手意識があった(今もそれが全くないわけではない)。輪郭はそんなにはっきりしていないのに、存在感は凄まじく、「〇〇プロジェクト」とつけばそれっぽい感じに見えてしまう(錯覚に陥る)感じが、「これって本当にプロジェクトなの?」という疑問を自分の中にうみ、目の前で繰り広げられる子どもたちの世界の面白さを純粋に楽しめなくて苦しかった。「伴走」だとか「自走」だとか、「プロジェクト」に関連する言葉も同様で、子どもたちと一緒になってその世界に漂い続けていると、どこからか「それが伴走者としてすることなのか?」と天の声が聞こえてきたり、停滞しているプロジェクトを見つけるとつい「走らせなきゃ!」と焦りが生まれて、「プロジェクトでいう自走ってなんだっけ?今この状態って自走してるっていう?私が必死で走らせようとしてない?」みたいな疑問がずっと頭をぐるぐるしていた。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33482/

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【3】#保護者
  『いつか、幸せな子ども時代の話を聞かせてほしい』竹内 詠子
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風越に来て3年。年少から入園した娘は、この春、幼稚園を卒園して小学校に入学する。
幼稚園の3年間、本当によく遊んだ。

零下の冬、軽井沢は寒い。日中でも、濡れた手袋を投げ出しておけば、そのまま凍る。凍てついた屋外で1日遊んだ娘は、体力を使い果たして帰ってくる。帰りの車でストンと眠る。家に着いて抱きかかえておろすとき、娘から焚き火の匂いがする。土の匂いがする。森の匂いがする。冷たい風とあたたかい子どもの体温。1%のエネルギーも残さずに遊んで、すうすう寝ているときの満ち足りた表情。

幸せとはつまり、そんな一瞬のことかもしれない。

娘は言う。「どらにゃごの思い出、忘れちゃうのかな…だって赤ちゃんのときのことは、もう覚えてないもん。嫌だな、忘れたくない」

この3年間のこと、私も忘れたくない。
3年前のはじまりの日を思い出す。風越には入園式がない。3年前はコロナ禍だったのもあり、入園式以外にも何のイベントもないまま、最初の1日は、いつもの1日のように始まった。

娘の手を引き、山のような着替えを持ってエントランスまで辿り着いた。てんてん(片岡亜由美)がやって来て、娘の名前を確認すると、あっさりと「それでは…」という雰囲気になった。ここで娘と別れるようだ。なんかこう、初日っぽい何かはないだろうか、と思った。「1人で行けるー?」と娘に聞いたところ、こちらにもあっさり「行けるよ」と言われてしまった。「えっと、荷物はどこに?」「あそこのフックにかけておいてください。後で子どもたちと整理するんで」どうやら私は、荷物も片付けなくていいらしい。

娘はもう、森に向かって走り出していた。てんてんは、それを目で追う。走って追いかけたりはしない。

私は物足りない気持ちで駐車場に戻り、写真を撮り忘れた、と思った。例えば「記念だし、写真でも撮りましょうか」という先生の言葉を待っていたのかもしれないと思う。初めての場所で、「ふつう、こんなとき〜だよね?」に頼ったり、誰かからの申し出や、サービスを受ける側でいることを期待していた自分に気づく。

3年経った今「風越にはそういうのないから」に慣れたし、むしろ心地よく感じている。必要だと思うなら、自分が動けばいい。でも、本当に必要なものはそんなに多くはない。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33402/

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【4】# 保護者
  『リリーのマニキュアが教えてくれたこと』友廣さやか
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年中の冬頃の話です。
わが家のコウタはかわいいものが大好き。2歳年上の姉の影響もあり、マニキュアを塗ったり髪の毛を結ぶことが好きなのですが、かわいく装って登園した日は浮かない顔で帰ってくることが気になっていました。
ある日、マニキュアを塗って登園した日のこと。家に帰る車の中で目にたくさん涙をためながら、「コウタくんは、もう、マニキュアをやらない」と宣言したのです。

よく話を聞くとお友達から「男はそんなことしない」と言われて、そのことに傷ついていることが分かりました。親としては、やっぱりそうなったか…という気持ちと、コウタの好きなものを大事にしてほしいという気持ちが半分で、さて困ったなと思いました。

なぜならそのような発言をするお友達は、悪意からそう言っているのではないことが分かるからです。家庭でのちょっとした会話や、テレビや漫画の影響で、男性であるコウタが、一般的には女性のものとされるマニキュアやヘアアレンジをしていることに対して、「なんか知っているのと違う」と思ったわけで、このような反応はごく自然で当然だと思うからです。

一方親としては、我が子の好きなものや、我が子らしさが、誰かのモノサシではかられて消えてしまうことが悲しく、悔しくもありました。コウタの「好き」を大切にしてほしい。でもその過程でコウタが傷つくのは見たくない…。

家庭でもたくさん話をして「ママもパパもコウタくんが好きな色や格好、やりたいことを大事にしてほしい」というのを伝えましたが、「それはわかる。でもお友達に「変なの」と言われることはとても悲しいから、もうやらない」と決意は固く、その日からマニキュアをすることはなくなりました。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33462/

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【5】# アドベンチャー
  『アドベンチャー雑感5「ひとりになる」』甲斐崎 博史
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 2023年夏のブッシュクラフトプログラム、立場川キャンプ場での2日目朝、日が登ってからしばらくして、キャンプサイトに張ってあるタープのひとつから、ごそごそと這い出る子がひとり。その子は寝床のシートを引きずり出し、ひょいと肩にかけて、サイト下の河原に向かう。河原の真ん中におもむろにシートを敷き座る。髪を少しいじって整えた後、膝を抱えじーっと景色を眺めながら座っている。私は、彼女が向き合う景色の中に彼女がいる景色を遠くから眺めている。この瞬間が私は大好きだ。

 前々回の記事でチームのことを書いたのに、その真逆の「ひとりになる」とか書いていてどうなのかとも思うが、チームでチャレンジしていても、ふっとひとりになる瞬間があるってことを書きたいと思う。そこに何があるのかは想像だけど。

 チヒロのように、自分からみんなのいるところから離れてひとりになれるのは、ブッシュクラフトのプログラムに時間的余裕がたっぷりあるからである。次の写真のミオもひとりで山を眺めているが、ちょっと離れた右側には、実はチームのメンバーも座っている。でも、ちょっとチームから気持ちが切り離された時、ふと目の前の自然に、目や心が向かう瞬間がある。それは山だったり、火だったり、川の流れだったり、そそり立つ岸壁だったり、一輪の花だったり。

 ことさらにそれを見るためにここまできたわけではないけれど、ふと目に入ったその景色をじっと見つめる。たぶん、心の中はけっこう無に近いのではないかと思う。雑念がないというか、しーんと凪いだ水面のような感じ。これは、自分自身もそんな体験をしてきて、感じたことでもある。陳腐な言葉だが、自然と一体になるとか、自然とつながるとか、そのような感覚、これに近い。これ、ひとりだからなんだと思う。ひとりじゃなきゃこの感覚は得られない。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33599/
アドベンチャー雑感4「感情の共有」 >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/now/33584/

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【6】# 風越参観記
   『風越でばん走する「ふり」をしながら考えていること』石川 晋
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まとまりのない文章を書き連ねていくことになります。ぼく自身が見ているもの感じていることをどう書き留めたらいいか、立ち尽くし、逡巡している感じなのです。とりとめもない文章にお付き合いいただくことになりますがお許しください。

2022年度から風越学園に入っています。ぼくは元々風越学園の訪問にはとても慎重で、遠くから行く末を応援していたいというような心境でもありました。ぼくがばん走(*)していた先生方の多くがいろんな事情で結果的に風越学園のスタッフ入りしたことなどもあり、また、立ち上げの前から、中核的なスタッフと親しく関わっていたこともあって、近すぎない距離を選んである意味冷静に見ていたいという気持ちが強かったからでしょうか。ただ、今のばん走の動きを作っていく直接的なきっかけになった井上太智さんが、個人ばん走の形でぼくに授業に入ってほしいと要請してきたことで、これはもちろん引き受けるしかないなあと思って、2022年度から入ったわけです。

ちなみに太智の授業を岩瀬さんと一緒に見て、それを元に二人で対談するというのが、授業づくりネットワークが今の形態の発行になった1号目でした。少し時間が経ちましたが、今読み直すとさらに面白いところがたくさんありますので、興味のある方はお読みください。佐内信之さんが当時の太智さんの授業の記録も克明にとって、それも掲載されています。

さて、それで、2022年度の後半は率直に言ってなかなか校内の空気は厳しく、先生方が背負ってるものが大きいんだなと、そばで見ているこちらの胸が潰れそうになる感じでした。
しかし今年度は春先の最初の訪問時から空気は大きく一新されていて、かなり驚きました。
卒業生が自分たちで卒業式をつくり上げて飛び立っていったということが多分一番大きかったのだろうと推察します。
教員の仕事って基本的に何かの成果が、例えば陶芸家のように成果物としてずっしりはっきり、自分の手でつくり上げたものとして残るわけではない。そういう仕事です。それだからこそ、卒業式というのはとても大きいものだなあと思います。

でも、これって面白いなあとも思うんです。もちろん風越の卒業式自体は、ぼくらの既成の概念を打ち破るような自由で闊達なものなのだろうと思うけれど、「卒業式」という仕組み自体はどのような形であれ健在で、ある意味「学校的」なものの究極の存在でもありますね。それが、スタッフや子どもたちの上に明るい日差しを差し込ませるというのは、とても面白い。そのこと自体が、「学校」「学校的」ってなんだろうということをぼくらに深くかんがえさせるものになっているなあと思うのです。

続きはこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/kazenote/insight/33590/

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【7】#お知らせ
   4月7日開催『プロジェクトの学びでわたしをつくる』出版イベント
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「プロジェクトの学びでわたしをつくる」の出版に際して、久しぶりに東京にてイベントを開催します。風越学園のスタッフが、プロジェクトの学びに関する実践について、本やかぜのーとでは書ききれないことも含めて(?!)、具体的な子どもとの関わりについてお話します。本のタイトルにあるプロジェクトの学びが、子ども一人ひとりの「わたしをつくる」とどうつながっているのか、風越学園での実践のリアルをもとに直接やりとりできる機会、よろしければどうぞご参加ください。学習者中心の遊びや学びの実践に興味がある、あるいは自身で試みている教員など実践者の方を対象としています。

1)4月7日(日)10時〜11時半「マイプロジェクトに伴走する大人の役割とは?」
  話し手:栗山梓・藤山 茉優
2)4月7日(日)13時半〜15時「テーマプロジェクト、どうつくる?」
  話し手:井上 太智・林 里紗・力久 聖也

お申し込み・詳細はこちら >> https://kazakoshi.ed.jp/news/event/33397/
予約受付中の販売ページはこちら >> https://www.valuebooks.jp/bp/VS0058752973

また本の紹介映像が昨日公開となりました。よろしければご覧ください。

(あとがき)

本校スタッフ・澤田(あすこま)の書籍も4月23日に発売です。ただいま予約受付中!

君の物語が君らしく 自分を見つけるライティング入門』(岩波ジュニアスタートブックス)

(あすこまより)
風越学園の国語の授業「作家の時間」の経験をもとに、誰かのためでなく、自分のために書くことの魅力を伝える本を出版します。風越の子たちの文章や作品も載っていて、『君の物語が君らしく』というタイトルも、子どもの発案です。きっと、自分もなにか書きたくなります。ぜひ読んでくださいね!
 
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発行元 学校法人軽井沢風越学園
ホームページ https://kazakoshi.ed.jp
メールアドレス info@kazakoshi.jp
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