風越のいま 2024年3月20日

悩み、漂い、出会ったもの

藤山 茉優
投稿者 | 藤山 茉優

2024年3月20日

今年度担当した3・4年生は、週のおよそ3分の1が何かしらの「プロジェクト」の時間だった。風越学園のカリキュラムの中にある「テーマプロジェクト」「マイプロジェクト」に加えて、「3・4年プロジェクト」と呼ばれる、LG独自のプロジェクトもあった。今年度が始まって1ヶ月が過ぎた頃、同じ3・4年を担当するもとき(久保)から「それぞれのやりたいことで集って活動する時間とかあってもいいかなーと思うんだけど」と提案があったのがきっかけで、「3・4年生のみんなが楽しくなること」「いろんな人とかかわれること」の二つを大きな目的としたこの時間がスタートした。

今年度が終わろうとしている今だから正直に言うが、私は「プロジェクト」(と呼ばれるもの)へかなり苦手意識があった(今もそれが全くないわけではない)。輪郭はそんなにはっきりしていないのに、存在感は凄まじく、「〇〇プロジェクト」とつけばそれっぽい感じに見えてしまう(錯覚に陥る)感じが、「これって本当にプロジェクトなの?」という疑問を自分の中にうみ、目の前で繰り広げられる子どもたちの世界の面白さを純粋に楽しめなくて苦しかった。「伴走」だとか「自走」だとか、「プロジェクト」に関連する言葉も同様で、子どもたちと一緒になってその世界に漂い続けていると、どこからか「それが伴走者としてすることなのか?」と天の声が聞こえてきたり、停滞しているプロジェクトを見つけるとつい「走らせなきゃ!」と焦りが生まれて、「プロジェクトでいう自走ってなんだっけ?今この状態って自走してるっていう?私が必死で走らせようとしてない?」みたいな疑問がずっと頭をぐるぐるしていた。

4月から夏休み前までのマイプロ第1タームでは、どこかのプロジェクトに伴走することなく、いろんなマイプロを観察しながら過ごした。というのも3・4年スタッフは授業のコマ数が多く、空きコマがないという理由で、マイプロの半分の時間がフリーになっていた。ウロウロしながらいろんなマイプロを見るのは面白かった。同時に「マイプロってなんだっけ?」という疑問も浮かんだ。お菓子プロジェクトの人たちが「食べたらフィードバック書いてね」と作ったお菓子を持ってくる。ミニチュアプロジェクトの人たちが、ひたすらミニチュアを作っていて、「今日はこの部分を作ったの。見て!」と見せてくる。他にもデバイスとずっと睨めっこしてスクラッチで自分のゲームを考えている人。ミシンでカバンを何十個も作っている人。工房で木を切り続けている人。特に担当した3・4年生の子どもたちのマイプロは「質より量」「丁寧さより素早さ」「自分より友達」みたいな印象を最初の頃は受けた。ますます「マイプロ」という時間もそこでのプロジェクトのあり方も伴走するスタッフのあり方もわからなくなったまま第1タームが終わった。

ただ、どこかに「外から見ていても分からないままだろう」という気持ちはあり、夏休み明けから自分が手を伸ばせる範囲で、どこかのプロジェクトを伴走できたらいいなとなんとなく考えていた。

第1タームひたすらバッグをつくるサキ。第2ターム以降、布を重ねたり、裏地をつけるなどして、強度にもこだわり始める。

夏休み明けすぐ、マイプロの第2タームのキックオフがあった。創造の広場に集まり、第2タームのマイプロでどんなことをしたいか周りの人とおしゃべりしながら考える時間があった。ちょうどそこにいたアオバは、夏休み前に「ミイラプロジェクト」をしたいと言っていた。でも1ヶ月の夏休み期間を経て、あの時の思いは少し薄れていたようで、0からまた何をするか考えることになった。やりたいことが見つかった人からマイプロの時間に入っていき、気づけば創造の広場にいる人がほとんどいなくなっていた。

しばらくおしゃべりをしているうちに、夏休みに釣りに行ったことから、釣りに関するプロジェクトでもしてみるか、となんとなく決まった。ただ釣りをするのなら、学校のマイプロじゃなくてもできそう。それなら釣竿を一からつくって釣りをする?もし釣れたら釣った魚食べたいよね?そんなおしゃべりから釣りプロジェクトが始動した。そして、気づけば私はこのプロジェクトの伴走者になっていた。釣竿ができたらどこに釣りに行きたいか、何を釣りたいか、ライブラリーから持ってきた本を開きながら、「新潟県まで行けば釣りができるね」とこの先をワクワクしながら語るアオバを前に私は『そもそも「釣竿」を作れないと釣りさえもできないぞ?釣竿を作った経験はもちろん0。ものづくりに詳しかったり、得意だったりするわけでもない。伴走者なのに、何も力になれそうにないなーどうしよう』と光の見えないこの先を考えていた。

伴走者として何ができるか見つからない。それでも毎週水曜日にマイプロの時間はやってくる。とりあえず来週の予定を考えることにした。ライブラリーの本や釣りに詳しい上級生に聞いてみるも、釣竿の作り方にまでは辿り着けず。結局「釣れたときのために、魚を捌く練習をする」ということで、スーパーで買ってきた鯵の三枚おろしをすることになった。

翌週のマイプロで、魚の生臭さをキッチンに漂わせながら、鯵を3枚におろし、それをグリルで焼き、「鯵の斜塔」と名付けた一品が完成した。

この日、たまたまキッチンに来たキズキは何に惹かれたのか、「俺も釣りプロやる!」とメンバーに加わった。

その後も釣竿づくりに移行することなく、3週間が過ぎた。その間、三枚おろしの時に出た鯵の骨や内臓を土に埋めてみたり(アオバの頭の片隅に、ミイラがあるんだと実感)、後日その骨を掘り起こして理科室で実験してみたり(鯵の骨から脂を取れるのか)、釣竿作りには一歩も近づかなかったが、アオバの「気になる」世界を一緒になって見ることの面白さがそこにはあった。ただ、「伴走者」としての私は「このまま漂っていいのか?」と気になり始め、釣竿の作り方をラボスタッフのこぐまさん(岡部)に相談した。さすがのこぐまさんでも「釣竿かぁ〜4年生ぐらいだと難しいかな〜」と言うかと思いきや、「竹があればできるよ!竹竿。5本ぐらいあるといいかな〜。」と余裕の返答だった。

翌週のマイプロの日は特に計画をしていなかったのだが、こぐまさんから得た情報を伝えると「じゃあ今日は竹を取りに行こう!」と決定。たまたま通りかかったトトが「何してるの?」と聞いてきて、釣りプロのことや釣竿づくりのために今から竹を取りに行くことを話すと、「俺も釣りプロ入る!」とまたメンバーが一人増えた(あとで知ったが、トトはお父さんとよく行くほどの釣り好きだった)。

往復7kmの道のりを途中迷子になりながら歩き、それほど太くはない竹だったが、ノコギリで5本も切るのはそれなりに大変だった。頑張って手に入れた竹は、翌週には釣竿に変身した。私が越えられないと思っていた山は、こぐまさんと3人の軽やかさによって越えられた。

キズキとトトは他にもプロジェクトを掛け持ちしており、3人が集まって活動できる日は飛び飛びで、その後は亀のような歩みで進んでいた。時に私から声をかけなければ、3人の予定が組めないこともあり、「本当に釣りプロやりたいのかい?」と思うこともあった。「プロジェクト」は、「~したい」という強い気持ちや熱量が原動力になると思っていた節があり、3人からそんな強い気持ちや熱があまり感じられず、それが不安になることもあった。「私の声かけが彼らをつなぎ止めているだけで、伴走者がいないと彼らは走りを止めてしまうのかな?」と。

12月に町内の川に釣りに行ったのを最後に、年が明けてからは一度も活動をしなかった。年明けすぐのマイプロの日に、3人で集まったのだが、マイプロの回数が少ないこと、他にしたいマイプロとの兼ね合いが難しいこと、そして、この寒さに打ち勝つほどの釣りをしたい気持ちはないことがわかった。二度行った川釣りでは釣れないどころか、魚の姿さえ見えなかった。時期やスポット選びに課題もあるだろうが、釣り経験のある3人にとって、自分で作った釣竿ではそう簡単には釣れないことを思い知った様子を見ていただけに、「このまま終わってしまうかなー」と感じていた。

1月下旬。駐車場に向かう途中、たまたまこぐまさんと会った。「このまま釣りプロ終わってしまうかもしれません」と冗談まじりに話をした。

こぐま「時期的に今は釣りするの難しいよね。寒いし。でも、暖かくなればまた「釣りしたい」って思うんじゃない?その火種がまたついた時に僕らはどう燃やせるかじゃないかな?」

3月7日、8日。この1年の経験や学びをアウトプットする「わたしアウトプットデイ」があった。

キズキ「俺の中での釣りプロの目標は、9年生まで続けて、お金を貯めて、沖縄に行って魚を釣ること。」

私にできることは、火種がついたその瞬間を見逃さないこと。そして、燃やす方法はわからなくても、その火種が消えないように一緒に心踊らせることはできるかもしれない。

 

#2023 #3・4年 #探究の学び

藤山 茉優

投稿者藤山 茉優

投稿者藤山 茉優

山口県出身。学生時代の6年間を熊本県で過ごし、2018年に長野県へ。
これまでに出会ったヒト、モノ、コトともう一度ていねいに、出会い・出会いなおしていきたい。自分ともね。

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