だんだん風越 2024年3月21日

「まず、わたしがそうあろうとする」ということ

岩瀬 直樹
投稿者 | 岩瀬 直樹

2024年3月21日

風越ではホームというコミュニティを大切にしている。カリキュラムページにはこうある。

風越学園には異年齢構成の「ホーム」があります。異年齢で過ごすことを通して、自分の視線とは違う世界を見る、憧れる、ケアし合う、真似をすることを試してみながら、新しい世界をともにつくります。
安心してあそびや学びに没頭するには、自分の存在が大切にされていると感じられる場が必要です。ホームは「聴きあう」ことと「多様さを認めあう」ことを大切にします。わたしたちは学園の中で複数のコミュニティをつくり、そこで経験できることの価値を信じています。

思い描くまでは簡単、しかし実装が難しい。この4年間、子どもとスタッフはたくさんの葛藤を抱えながらホームづくりを続けてきた。
今年度は、中学生を中心にあらためてホームづくりにチャレンジしてきた。

卒業が近い9年生4人+同じホームを担当のスタッフのもい(新井)が、ホームについてこの1年を振り返ってランチしながらおしゃべりをすると聞いてお邪魔してみた。
メンバーは6月のこのインタビューの人たちが中心だ。

この頃からどんな変化や気づきがあっただろう。早速5人の声をきいてみよう。

新井

4月のホームの時間になっても集まれない時からは変わったよね。円になることができるようになったし(笑)。
でもいい意味で、9年生がホームを前方にぐいぐいひっぱっていた感覚はなくて、9年生がただその場にいる、空気の中に「いる」というのがホームの支えになっていた。9年生だけじゃなくていろんな人がひっぱる。5年生も6年生も交代でファシリをやってきた。だから9年生だけがつくってきた感覚ではないんだよね。でも、「みんながつくる」を支えたのは9年生がいたからだなと思う。

4月、時間になってもこんな感じだった・・・・

ノイ

確かにひっぱってきたという感覚もないよね。スタンスとしても「みんなでつくる」というところを大事にしてきたと思うし。きっかけは俺たちがつくったかもしれないけど、その後はみんなを巻きこみながらホームをつくっていった。

イイナ

ファシトレで力つけてきたけどさ、「じゃホームはファシトレの人でやって」みたいにスタッフから任せられても嫌じゃん。「うちらだけができる」は嫌だった。みんなでつくりたかったから、どう進めればいいかなと思ってたよね。

セツ

「ひっぱっていきたい」とも「ひっぱっていかなきゃ」とも思ってなかった。それより「その場にいる人みんなでつくっていこう」というスタンスが私たちの「ありかた」だった。私たち4人の9年生がそのマインドでいた。
実際に「みんなでつくる」に近づけた感覚はちょっとあって、よかったな。

新井

確かにファシトレメンバーからは「ファシトレに参加している人だけに任せないでよ」というオーラをめっちゃ感じるなって思ってた(笑)。

イイナ

この4年、いろいろ企画する機会が多かったけど、一方的に進めるのは成功しないということをめっちゃ学んだんだよね。一緒につくっていくほうが、最初は参加していない人も少しずつ巻き込めるんだよね。あとはファシトレで「人の話をきくこと」の重要性をちゃんと知ったから、自分が一番そうしようと思っていて。自分が変わることでホームの人たちがホームに関わろうと思えるようにしたいなと思った。

セツ

異学年ってキー(ポイント)。異学年って良さもあるけど怖さもある。風越は年齢関係ないよという校風だけど、実際気にするところもあって、下の子でも人によっては中3と過ごすって難易度高いと思うんだよね。そんな中でひっぱると「9年生すごい」ってなるけど、それが居心地の良さにつながるかはわからない。そんなことでまとまりのあるホームにしたくないというのはあったかな。

ハルマキ

ひっぱっていくと、その人が卒業した時に壊滅するじゃん。だからみんながどんどんひっぱっていってそれを9年生が支えていく感じ。今の状態が一番いい。

新井

最初の頃は、関係がまざるゲームを毎日やっていた。円になってもはずれちゃう人に、ファシトレ参加メンバーがよく声をかけていたなあと思うんだよね。ホームが変わってきてから、2人体制で交代で進行役を回すようにしてみんなが場に立つようになるにつれて、「どんなことやってもみんなが受け止めてくれる」、「チャレンジしたことに対して、みんながそこにいて声をききあう」という積み重ねをみんなでつくっている感じだった。
「受け止めてもらえた」の連続で最初はいづらかった人も柔らかい表情でそこにいるのが当たり前になったよね。
来週のホームの日に、セツがずっとやりたいと言っていた「みんなで大きな絵をかく」をやることになって、みんなにテーマ募集をして、下書きをケイくん(5年)がすることになって。大きさとか、どこに貼るとか、どういう素材を使うか、とか、ケイくんはメッチャ嬉しそうに熱く話していた。ホームのつくりかたとしては、スピード感はないなという気がしていて。引っ張っていった方ができるのは早いけど、「受けとめてもらえたの連続」はゆっくりだよね。

ホームの日。ケイの下書きをもとに、みんなで色を塗る。「ケイくんここ何色がいいかなあ?ときく中学生たち

セツ

受け止める、は大切にしてきたけど、私自身も受け止められたなという実感がある。
みんなにもけっこうあるんじゃないかな。9年生に頼らないことが当たり前になって、私たちも次につないでいかなくちゃとか、下の子に託すとか、そういう意識もなくて。いい意味で年齢とか関係性を意識しないで、ただ受け止め合っているという感覚に近いのかなって。

ハルマキ

ホーム3のつくりかたは遅いから、速いより不利かもしれないけれど、ゆっくり進んでいることで学べることも大きい。
みんなでつくるということをゆっくり理解して、例えばケイくんは絵を描くのが好きみたいに個性もわかってくる。そういう一人ひとりの個性や、やりたいことが大事にされてきた。
ひっぱっていくと速くなることはあるけど、ゆっくりで学べることはある。

ノイ

おれは「ひっぱっていく感じじゃなかったか」と言われると、そうでもない気がしている。ホームづくりはまず「コミュニティづくり」というフェーズと、「そのホームで一人ひとりチャレンジするフェーズ」がある。まず安心していられるコミュニティをつくるのが大事で、それを意識してつくっていったのは俺たちだったと思う。ひっぱっているとはちょっと違うけど、ひっぱっていないかといわれるとそうじゃないと思う。うん、最初の方は割とひっぱっていた。安心できるベースができて、初めてみんなのチャレンジが生まれるようになった。そこからみんなでつくっているという感じができはじめたのかなって。

イイナ

なるほどなー。ひっぱるとかひっぱらないとか、よくわからない感じになってきたなー。
私たちが「次これやるよ」「あれやるよ」についてくるのが全員なら早いけど、円に入れない子がいたら、それにはついていけないよね。「ひっぱり続ける」は一番遅いんだなって思って聞いてた。相手を認めるとか認められるとか、声をかけあうとか、ゆっくりに見えるけど、そんなことないよね。

岩瀬

「ひっぱる」を別の言葉に置き換えたら何だろう。「ひっぱる」は語感が違う感じがしているのは伝わっているんだよね。でも何もしていなかったわけじゃないでしょ。とすると、4人は何をしていたんだろう。

新井

大切にしたいこと、例えば「声をきく」とか、「その子の本来の姿を受け止める」とか、4人がファシトレや風越の中で大切にされていて実感したことを、まず自分がその人たちにやってみる、ということの連続だったのかな。

セツ

ホームという場が「前に進んだ」という感覚はない。私的には進んだというより、始まりからずっと同じ位置にいるんだけど、上にあがっていった、みたいな。進んだ、ではないな、うん。ひっぱるは進むにつながる。そういう感覚ではなくて。
はじめのころ私はホームの現状を、うまくいっていないことも含めて諦めを感じつつ責任も感じて、それを私たちがかついでいかなきゃって思っていた。一人ひとりのホームへのあり方や感じ方を、全部かついで進むぞって。
でも3月になって今のホームの感じって、すごくまざっているわけでもないし、「こんなホームがいいよね」、と話しているわけでもないけど、「家」みたいになってきている。ちょっと前にホームでやったトークフォークダンスの時に「ホームがほんと家みたい」と言っている子が結構いてさ、ホームって進んで変化していくじゃなくて、それぞれがその場にいながらお互いに認め合っているうちに、お互いの関係性の位置が高くなっていく、みたいな感覚が私には近いかも。

イイナ

今の話、メッチャ共感するな。私は「これをやろう」と意識していたことがあってね。
私、これまでのホームで参加できない側だったのね。だから今みたいに「ホームって家だな」って思えるコミュニティをつくりたいと思ったし、それは例えば「ホームの日に◯◯やりたい」という一人ひとりの声が反映されることが、安心感につながると思っていた。
自分の案を場で反映させることや、自分のことを「いいね」ときいてくれる人が私はほしかった。だから自分はそういう立場になりたいなと思っていた。場から離れている人にも、「場に入ろう!」っていう前に、その子の意見を反映できるように、「どう思っている?」ってきくことを大切にしようと思っていた。

ノイ

感覚としては、ホームの中にいる自分は「紐でつながっている人」。円に入れていない人とも紐でつながっている感覚だったなーって。人と人、自分と人をつなげる・つながる、みたいなイメージだったな。ひっぱるを置き換えると、つなげる・つながっているよ、かな。

ハルマキ

輪に入ろうとしてくれるって、その段階で心開いてくれてることだと思うのね。安心できるから入れる。まず安心、が大事だよね。
俺は、最初は単純に集まるだけの場所と思っていたけど、今は家で朝起きて「おはよう!」という感覚で入れるあったかい場所になっていったな。
最初の方、おれたちがホーム変えたいと頑張っている時、その想いが伝わるってこともあった気がするな。想いも大事。

岩瀬

4人はここで卒業するけど、4月からまた新しいホームがスタートするよね。8年生中心に「いいホームにしたい!」という熱量も感じている。また0からホームをつくっていく人にアドバイスするとしたら、どんな言葉を残したい?

イイナ

「いいホームをつくりたい」と思っている人自身が、そのホームに安心感を持ってそこにいること。私の意見もちゃんと言うしそれは受け取ってくれると信じる。あなたの意見も受け取るぞという信頼を持って行動にうつすこと。ホームにいて楽しい、とその人自身がまず思うこと。自分がまず「こうありたい」で場にいて、そういう人が動くと、広がっていく気がするな。それがいいリーダーだと思う。

新井

「これ大切にしようよ」って言いたくなるけど、それはもう身体全体で表現しているということだね。でも私たちは「円になろうよ」「きこうよ」とまず言いがちだものね。

イイナ

これは単純な話だけど、人が聞いていると自分も聞こうって思える。私はノイをみてそう思った。ノイはすごい真剣にきくから、その姿をみて私もきかなきゃって思う。
そういう雰囲気から、「ああこの人はこういうホームにしたいんだな」って感じるんだと思う。そういう人が増えていってだんだんとホームができてきたらいいなって思うな。

セツ

正直ホームに対して「頑張ってやんなきゃ」とは今は思っていなくて。こうしたほうがいいなーという理想はあるけど、そこに向かって真剣にやってきた、みたいな感じではない。学年とかラーニンググループとか年齢が近いともっと切羽詰まった感じになるけど、ホームは違うな。
いいホームになるためには、まず自分が素でいられること。立場とか年齢とか関係なく、気を遣わず自分らしくいられること。譲りたいな、一緒にやりたいな、反対だったけどやってみたいかも、一緒に挑戦しよう、それはめんどくさいなって、気を使わずに素直に思える自分でいること。
コミュニティをつくろうとする前に、まずそういう自分を形成すること。気負わずにフラットにいられる自分でいられると、自然に、(それぞれの)自分が大切にされる場の形成につながっていくんじゃないかなって。

ノイ

セツの話を聞いていて、気負ってまで考えたり行動したりすると「ひっぱる」になるんだなって思った。力入りすぎるとうまくいかなくなっちゃう。考え過ぎると「ひっぱっていく」になるんだな。
やっぱりホームは誰かがひっぱる、であってほしくない。ホームは一人ひとりのチャレンジしたいがあるといいな。俺はホームづくりからチャレンジして、1年かけて世界が広がっていった感覚がすごいあった。自分だけじゃなくて、みんなの成長の場なんだよということを意識して、その意識が「みんながつくり手」につながっていくんじゃないか。
自分だけ力入れてなんとかしようとせず。自分だけじゃないよって。

ハルマキ

一人が主導権を握らないようにしたほうがいいよね。言いたいことを言い合って、みんなで考えあう、全員の考えを大事にするってことだね。

新井

最初の頃は、いいコミュニティにしたいなと思っていたし、朝の集い以外の時間もホームのことをめっちゃ考えていた。毎日、ある程度下準備して朝の集いに行っていたんですよ。
頭の中で想定した状態で次の朝の集いに行く、みたいな。でも今は、その日の話し合いがもやもや中途半端で終わっても、次の日にまた子どもたちともやもやしたところから始めたらいいやって。そうなったら楽でした。スタッフだからなんかやらなくちゃとは思わなくなった。
もやもやも、うれしかったことも、その都度子どもたちと味わえばいいんだなって思う。
そのもやもやを受け止められるか。家族だから大げんかすることもある。そういう状態になったとしても「次の日また会って話そう」って思えるといい。

イイナ

最近思っているのは、本当に「家」。ホームって名前にちゃんと意味を感じる。素でいることってセツが言っていたように大事だし、今、私は本当に素でいられている。
それこそ私が変わったのは、全員がいるところで発言したり、こうしたほうがいいんじゃないって気楽に発言できるようになったことが一番大きくてすごい居心地がいい。朝来たときも、一回家族に会ってから授業に行きます!というテンション。
でも同時にホームは挑戦の場でもあったし、意外と下の子が自分をよく見ているなって。だから自分がどうあるかを模索できるし、してきた。
自分のファシリの力も試せる場になったのも、どんな失敗も成功も認めてくれる家族がいるホームがあったから。

ハルマキ

イイナが言っていたことがすごくわかる。おれもホームは最初はあんまり楽しくなかった。ただ朝集まるだけの場所だったから。でもこの1年徐々に変わった。おれは遅刻はするけど、朝来ると楽しい場所だからね!遅刻しちゃうけど来たらめっちゃ楽しいよ。終わっちゃうのは寂しいな。

セツ

私にとっては、ホームは面白い立ち位置にある。今は自分の中であんまりコミュニティという感覚じゃないな。このホーム3も最初はあまり好きじゃなくて、うまく関われていなかったけど、今になって、周りの人も自分も変化して新鮮な場になったな。
朝テンション低いままいって、低いまま座ってるという日もあるし、嬉しいと思ったら素直に嬉しいっていえて、面白くなかったら面白くないなーってそのままでいられて。楽しいと思うことがあったらそのまま楽しい!って思える。そんなことを全部一緒に共有できる人たちがいる場だなって思います。

ノイ

ホームがなかったら、全然いろんな人と関わっていなかっただろうなと思う。
例えばユウキとか、ホームなかったら一生かかわらないもん。でも一緒に過ごして本当に価値観揺さぶられるし、何か自分の中で壊れたりするし、そういうのがいいなと思う。いろんな視点の人がいるから。本当の家族もそうだけど、ホームでは本当にいろんな人と関われるから、その中で過ごしてきて、自分が一度崩れてまた形成されていくみたいな、そんな感覚をいっぱい感じたかな。

新井

うまくやろうとしたらうまくいかないんだろうなって思った。予定不調和だし、突如のことが起こりまくるし、なぜか今日セツ機嫌悪いなとか、今日なぜかハルマキが早く来てるとか(笑)。ホームっていつも通りのことがないじゃん。そういう状態で今日はどうする?みたいな場所なんだろうな。それを楽しむみたいな。うん、予定は予定。計画は計画。
来年、私はまたメンバーがちがうけど、ホーム3以上のものをつくりたいって思わない。ホーム3は永遠ですからね。また集まった人たちと、1日1日、かな。

新井

(おしゃべりを終えて)
4人が卒業していく前に、ちゃんと声を聞いておいてよかったなと思った。自らやってみて、その感触を自分で確かめてきたからだろうか。4人の言葉は、「ホームをつくる」「みんなでつくる」のヒントで溢れていた。子どもたちとの話し合いを何度も重ね、来年度の春、今の5〜9年生のホームは解散となる。また1からホームをつくっていく私たち。これまでのやり方に囚われず、でもヒントはもらいながら、集まったメンバーとともに、つくっていきたい。

開校から3年間。ホームという異年齢のコミュニティが、どうすれば冒頭に描いたような方向に向かっていくのか、わたしたちはずっと悩んできた。
でも、その回答は一番近くにあったんだ。「子どもとつくる」を真剣にやること、これに尽きる。
今回の5人のおしゃべり、4人の9年生とスタッフのモイは「同じつくり手」としてフラットに話していた。一緒に悩み、一緒に真剣につくってきたからこそ、このような対話が生まれた。

軽井沢風越学園の大切にしたいことには、「私たちは子どもこそがつくり手であることを信じています」と書かれている。
子どもこそがつくり手。子どもがつくっていくモノやコトに、スタッフも保護者も全力で乗っかっていく。それが「共につくる」ということなのではないか。「軽井沢風越学園では誰もがつくり手です」の本質はここにあるのではないかと考えている。

「みんながつくり手」になるために、私たち大人、私たちスタッフはどうあるといいのだろう。いやスタッフだけではない。9年生も大人と同じ問いを持ちながら、イイナが話していたように自分たちのあり方を模索し続けている。
「子どもとつくる」を真剣にやること。両者が真剣になることで、そのあり方は少しずつ、少しずつ見えてくるはずだ。

というわけで、ホームづくりのチャレンジ、4年目が終わります。
頼もしいつくり手たちは、これからも自分自身のつくり手として、ありたい社会、コミュニティのつくり手として、あれこれ試していくことでしょう。
卒業おめでとう。
いってらっしゃい。

岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

投稿者岩瀬 直樹

幸せな子ども時代を過ごせる場とは?過去の経験や仕組みにとらわれず、新しいかたちを大胆に一緒につくっていきます。起きること、一緒につくることを「そうきたか!」おもしろがり、おもしろいと思う人たちとつながっていきたいです。

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