風越のいま 2024年3月12日

いつか、幸せな子ども時代の話を聞かせてほしい (竹内 詠子)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2024年3月12日

風越に来て3年。年少から入園した娘は、この春、幼稚園を卒園して小学校に入学する。

幼稚園の3年間、本当によく遊んだ。

零下の冬、軽井沢は寒い。日中でも、濡れた手袋を投げ出しておけば、そのまま凍る。凍てついた屋外で1日遊んだ娘は、体力を使い果たして帰ってくる。帰りの車でストンと眠る。家に着いて抱きかかえておろすとき、娘から焚き火の匂いがする。土の匂いがする。森の匂いがする。冷たい風とあたたかい子どもの体温。1%のエネルギーも残さずに遊んで、すうすう寝ているときの満ち足りた表情。

幸せとはつまり、そんな一瞬のことかもしれない。

娘は言う。「どらにゃご(※)の思い出、忘れちゃうのかな…だって赤ちゃんのときのことは、もう覚えてないもん。嫌だな、忘れたくない」

この3年間のこと、私も忘れたくない。

※どらにゃご:「幼稚園では何組さんなの?」と親戚や東京のお友達から聞かれて「どらにゃごだよ」と答えると、相手が明らかに困惑する。どらにゃごが何なのか…私も未だによくわからないけれど、子どもたちが話し合って決めた、学年チームの名前である

3年前のはじまりの日を思い出す。風越には入園式がない。3年前はコロナ禍だったのもあり、入園式以外にも何のイベントもないまま、最初の1日は、いつもの1日のように始まった。

娘の手を引き、山のような着替えを持ってエントランスまで辿り着いた。てんてん(片岡亜由美)がやって来て、娘の名前を確認すると、あっさりと「それでは…」という雰囲気になった。ここで娘と別れるようだ。なんかこう、初日っぽい何かはないだろうか、と思った。「1人で行けるー?」と娘に聞いたところ、こちらにもあっさり「行けるよ」と言われてしまった。「えっと、荷物はどこに?」「あそこのフックにかけておいてください。後で子どもたちと整理するんで」どうやら私は、荷物も片付けなくていいらしい。

娘はもう、森に向かって走り出していた。てんてんは、それを目で追う。走って追いかけたりはしない。

私は物足りない気持ちで駐車場に戻り、写真を撮り忘れた、と思った。例えば「記念だし、写真でも撮りましょうか」という先生の言葉を待っていたのかもしれないと思う。初めての場所で、「ふつう、こんなとき〜だよね?」に頼ったり、誰かからの申し出や、サービスを受ける側でいることを期待していた自分に気づく。

3年経った今「風越にはそういうのないから」に慣れたし、むしろ心地よく感じている。必要だと思うなら、自分が動けばいい。でも、本当に必要なものはそんなに多くはない。

入園後の慣らし保育の期間というのもなくて、はじまりの日の15時、娘はたっぷり遊んで帰ってきた。噂には聞いていたけれど、たった1日でこんなにも汚れるものなのだと感心した。泥だらけの洗濯物を抱えて帰ろうとして、わこさん(斉土)に呼び止められた。

「靴もありましたよ〜。さっき履き替えました」娘を見ると、予備の靴として置いてきた長靴を履いている。「よかったです、靴の中にお名前書いていただいてたので」わこさんは微笑んで、泥に浸かった靴を私に渡した。…なるほど、これは泥に埋まらないところに名前を書かねばならない。

このくらいの汚れには動揺しなくなったな…

子どもたちは、ときどき「わこさんの田んぼ」で活動する。浅間山が一望できて、2両編成のしなの鉄道がたまにガタンゴトン走り抜ける、気持ちの良い場所だ。わこさんの飼っている羊も、のんびりと草を喰む。

私もこの場所が好きで、たまに農作業を手伝いに行く。手を動かしながら、わこさんは幼稚園での子どもの様子を話してくれたり、子育ての悩みを受け止めてくれたりする。

何より、そこでわこさんがふるまってくれるご飯が美味しくて、くり返し通いたくなる。美味しいものを囲んで気持ちがほぐれると、心を開いて話せる。

「全部材料入れて煮ただけだよ。味付けは醤油と酒と…」レシピを聞けば必ず答えてくれるけれど、わこさんの塩梅を再現できたことはない。適当で絶妙。

ある時わこさんは、寒冷地の軽井沢で農作物を育てる難しさを話してくれた。軽井沢の気候は特殊なので、標準地の栽培カレンダーや育て方マニュアルに沿って育てることはできない。そもそも、その年によって日照時間も降水量も変動するし、狭い町の中でも道路1本挟むだけで土壌の条件も異なる。カレンダーにせよマニュアルにせよ、あくまでそれは目安でしかない。どの程度水を与えたらいいか、肥料はどんなものをどのくらい使ったらよいか。ちゃんと育てたくて、私はつい正解を検索してしまうけれど…「大切なのは、ちゃんと目の前の作物を見て、感じて、成長に必要な作業を考えること」わこさんはそう話してくれた。

「子育ても一緒だよね。情報はいっぱいある世の中だけど、大切なのは、ちゃんと目の前の子どもを見て感じること。その子にとって今必要なことは、本には載ってないから…いつだって子どもと向き合って、感じて、考えていくしかないよ」

子どもを見よ。本当にその通りだなと思った。作物も子どもも、たくさんのサインを送ってくれる。それを受け取って、返す。難しいけど、おもしろい。

「かっこうが鳴いたら蒔いてね」とわこさんから小豆の種を分けてもらったので、初夏、私は耳を澄ましながら過ごした。それが種まきにちょうど良い時季ということらしい。参考書やメディアからではなく、私たちは自分の五感を使って、必要な情報を受け取ることができる。

つまり、レシピが固定されていないからこそ、わこさんのご飯はいつも美味しいのだ。

わこさんの田んぼとは、寝転んで、空を見上げたくなるような場所

年中のころ「そういえば、娘からお友だちの名前があまり出てこないけれど、誰と仲いいんだろう?」と思って「お弁当は、いつも誰と食べてるの?」と聞いたことがある。お弁当を一緒に食べている子が娘の友だちである、という前提の質問である。

「お弁当?…うーん、1人とか?」娘は明るく答える。「えっ?1人?」予想外の答えだった。私が「えっ?」という反応をしたので、娘も「えっ?」という表情になった。リリー(勝山)に幼稚園での娘の様子を聞いたところ「そうっすね、今日も1人で食べてましたねー」と明るい。1人で食べているが、誰かが「一緒に食べよう」と来たら、誰かと食べることもあるそうだ。だから「1人とか?」という答えになったらしい。

私は考えた。どうも娘の中では、お弁当とはお腹が空いたら食べるもの、以上。なのである。風越では、お弁当を食べる時間も場所も決まっていない。好きなときに、好きな場所で、好きな人と食べればいい。もちろん、1人で食べてもいい。自由で気楽だ。

でも、子どもの頃の私が、その環境にいたら辛いかもしれないと思った。「みんなで仲良く」食べなければならないと思ってしまうからだ。そして先生に求めてしまうかもしれない。お昼にチャイムが鳴ったら、先生に食べる席を決めてほしい。1人で食べていたら、他の子に「一緒に食べてあげて」と声をかけてほしい。

後日、みんなで公園に行ったときの写真が送られてきた。何気なく撮られた、お弁当の時間の1枚。芝生にシートを敷いてみんながお弁当を食べている中、娘は遠くのベンチに座り、1人、空を仰いで食べている。インパクトはあった。

私は一体いつから「お弁当はお友だちと食べるもの。誰とお弁当を食べるか。一緒に食べる友だちがいることが安心。1人で食べるなんて寂しい、恥ずかしい」というややこしい価値観をもっていたのだろうか。そして、その価値観にふり回されていた子ども時代を思い出す。1人にならないように、エネルギーを使い過ぎた。

だから私は、娘に何も言わないことにした。1人が悪いみたいな、誰からはじまったかもわからない価値観を、これ以上コピーしたくなかった。

風越では、お弁当だけではなく、生活すべてが「その人がどうしたいか?」に委ねられている。自由ゆえに、一緒に遊びたいなと思っても断られることもあるし、私はこれがしたいと思っても一緒にやりたい人を誰も見つけられないこともある。娘も「一緒に遊ぶ人がいない」と泣いていたこともある。1人は、なんとなく心細いときもある。

でも、本当にやりたいなら、1人でもやればいいと思う。シンプルなことだと思う。

本当は、みんな同じタイミングでお腹が空くなんてことはない。何だって、まずは自分の声を聞いて決める。風越には、その機会がたくさん用意されていると思う。

もちろん、みんなで食べるご飯も美味しい。どらにゃごミートソース会

2月の終わり、無表情な冬の中に、春の兆しが見える。日が延びて、木の芽が膨らみ、小さな下草が地表に緑を覗かせる。と思ったら、また雪が降る。冬と春が混じり合う季節。

年中の最後、そんな季節に娘が急に何かを思い出して、目を閉じると見える鳥の話をしてくれた。雪が降った森でしか、その鳥を見ることができないと言う。「他の季節には、いるんだけど見えないの」「運が悪いと青とか紫の鳥で、運が良ければ虹色の鳥なの」「大人でも見えるよ、あやさんにも見えたから」その時期あやさん(遠藤)は、冒険に行きたい娘に付き合って、よく一緒に森を歩いてくれていた。

葉が落ちた冬の森には、光がよく入る。軽井沢はとにかく寒いが、冬場の晴天率は高い。冷えた冬の空は、非現実的なほどくっきりと青い。太陽からまっすぐに差し込んだ光が、森に残った雪に反射する。眩しいと思って目を閉じる。何かが横切る。おかしいな、目を閉じたのに…明るい?そして、その光の中を飛び交う鳥が、たしかに見える。

風越に接する森は広い。森には私の知らない何かがあるかもしれない。森は、私たちが想像を広げることを、寡黙に受け止めてくれる。見えないものの存在を、許可してくれる。森には、そんな鳥がいるかもしれないね、と。

子どもたちは、よく森に冒険に行く。この森はどこに続いているのだろう、妖精やおばけがいるかもしれない、クマやイノシシがいるかもしれない。期待、ちょっとした緊張感。

武器になりそうな木の枝や、何か拾ったり捕まえたりしたときのための袋を持っていく。自分たちで書いた地図を広げる。アイテムの存在が、ファンタジーと現実をつないでくれる。

自由な子どもの感性で、森を歩くのはどんなに楽しいだろう。

目を閉じると見える鳥、言葉遊びのような、詩的な美しさ。目を閉じても、まったく見えなくなるわけじゃないんだ、という身体の不思議。冒険に行って、私が発見したんだ、という自ら世界を捉えている感覚。

子どもでいられる時間は有限だ。そのこと自体を悲しいとは思わない。むしろ有限ということに、子ども時代の価値があると思う。小さいからどこまでも持っていける荷物みたいに、ずっと心に残しておくことができる。使わなくても、捨てなくていい。

でも、限られた時間だからこそ、感性を解き放って、子どものときにしか感じられないものを感じきってほしいと願う。自由に感じていい、自分の感じたことが世界なんだという体験は、きっと豊かな生き方につながっている。

大人もその鳥を見ることができる、という言葉には希望がある。もしかしたら私は、少し目を閉じて、不思議を不思議だね、と受け止める時間を忘れていただけかもしれない。見えないものが「いる」ことに思いを馳せる時間を忘れていただけかもしれない。

大人でも鳥が見えるのか、試してみたくなる。

こんな青が撮れた!補正していません。

物心ついたときから、娘は「私はこれがやりたい」が強い人だった。思いついたことはやってみないと気が済まないし、なぜか「自分ならできる」と思っている。親が教えたわけでもなく、弟ともまた違うから、どうやらそれは、彼女が持って生まれた気質のようだ。

「やりたいことやってみる!」娘のやりたいことは、無謀なことも多いし、何の意味があるのかわからないこともある。それでも、やりたいことをやっているとき、娘は最高に楽しそうだった。目的が実現しなくても、やりたいことを試しているとき、楽しそうだった。自分の心の声を聞いて、そのリクエストに自分が応える。シンプルなことだけど、それが叶うとき、人ってこんなに幸せになれるんだと思った。私もそんな風に生きてみたいな、と思うくらいに。

娘にとっての幸運は、風越が「あなたはどう思う?何をやりたい?やりたいことをやろうよ」と問いかけてくれる場であったこと。その問いがあったから、娘は幼稚園でも自分の声にしっかり耳を傾けることができた。まだ幼い娘の声を丁寧に聞き取って、伴走していただいた3年間は感謝に堪えない。

6歳の今、彼女は当たり前みたいに、自分の声に従って生きている。

「やりたいことやってみる!」のトライ&エラーをくり返す以上に、幸せになれる方法はあるのだろうか。今の娘を見ていると、そんな気持ちになる。

娘が幼稚園で1番楽しかったのは、年長の初夏にやったパーティーだと言う。「幼稚園のみんなでパーティーやったら楽しそう!」と思いついて、そしたら「いいね」と言ってくれる仲間がいて、どらにゃごのみんなでドレスや招待状を作った。飾り付けもした。当日は、自分たちでスープやホットケーキを作った。

娘にとって「私のやりたい」が「みんなでやりたい」に広がった瞬間なのかなと思う。自分のやりたいことを叶えるのは楽しいし、みんなでやるともっと楽しい。協力したら、もっと素敵なことができるんだ。私たちはできるんだ。その実感を得られたのが、このパーティーだったような気がする。

パーティーの日、娘は疲れていたのか、帰宅すると眠ってしまった。リュックから、お弁当箱を出して洗おうと思ったら、その朝描いていた手紙が出てきた。チカ(奥野)に渡そうと思って、渡しそびれた手紙らしい。

どらにゃごでわ なんでもできる
みんなみんな なんでもできる
だって もりのかみさまがいるから
なんでもできる
やりたいこと なんでもできる

素敵な仲間と豊かな自然に力をもらって、娘は成長を始めた。

畑に苗を植えてしばらくしたとき、苗がその土地に定着し、水や養分を吸い上げ始めたのを感じることがある。もちろんそれで収穫まで無事に行くとは限らないけれど、そこでひとつ安心する。手が離れた感じがする。広い大地から力をもらって大きくなってね、と思う。

年長の最後のイベントとして、鳥井原にあるフィールドに探検に行くことになった。行ったことのない場所。風越から鳥井原のフィールドまで、1時間以上は歩く。そこまで6歳が地図を見ながら歩いていくことは、探検に違いない。

娘は「私は行きたくない」と前日の夜から言っていた。行き先も決まっていて、地図の通りに行くのはつまらないと言う。結局、当日の朝も娘は泣いて、みんなの出発を2時間も遅らせてしまった。

どこに行くのか。どんな道を行くのか。それは自分で決めたいんだ。3年間、ここで過ごしたからこそ出てきた思いのような気がした。嬉しかった。

だけど、その意思をはっきりと示してきた娘に、何と答えたらいいか迷う気持ちもあった。「とは言え、社会ではみんなで…」「いつもあなたのやりたいようにやれるわけじゃ…」”親として”言っておきたいことが浮かんだ。

でも、今はいいかと思った。少なくとも今は、娘の気持ちが整うまで2時間も待ってくれるスタッフや仲間に恵まれている。3年かけてつくられたその安心の中で、娘は自分の思いをこぼしている。それ自体が幸せな体験だと思った。

鳥井原には3日間通い、最終日の帰りに娘は「地図見ながら行きたくなかったけど…そうはいかなかったみたい」と空気は読みつつも「次は地図のない冒険をするから!」と決意を見せ、「崖が楽しかった」と言った。

崖、地図にない崖。なんだ、結局地図の通りに行ってないじゃん、と思う。

きっと地図から外れるときに1番ワクワクするから、大人が地図を配ることにも意味があるのかもしれないと思う。

年前、娘の幼稚園を探していて初めて風越のホームページを見たときに「幸せな子ども時代」という言葉に出会った。

子どもに幸せな人生を歩んでほしいから、子どもに持たせられるだけのものを持たせたいと思ってしまう。きっと、勉強はできるほうがいいよね、英語はできるほうがいいよね、泳げるほうがいいし、楽譜もよめるほうがいい?コミュニケーション能力、リーダーシップ、創造性、あと体力あったほうがいいよね…

情報だけはたくさんあるから、正直、よくわからなくなる。正直、私はそんなにいっぱい持っていないから、あんまり偉そうなことは言えないとも思う。

でも、私がたった1つ、実感をもって子どもに持っていってほしいものがあるとしたら「幸せな子ども時代」かもしれないと思った。

卒園までもう少しという今、娘は「小学生になりたくない。ずっと外で遊んでいたい」と泣いている。それほどのことなのか!と思うほど、大きな声をあげて泣いている。

今が楽しすぎて、ずっとここにいたいって幸せだと思う。でも、ずっとここにいるわけにはいかないことも理解して泣いている。成長を感じる。そろそろ次の場所に行く時期なのだと思う。

さてさて。私には、この3年間、あなたはたっぷり遊び、幸せな子ども時代を過ごせたように思えるけれど、いかがでしたか?いつか、あなたの言葉で幸せな子ども時代の話を聞かせてほしいと思う。

そのときにはきっと、誰かに行き先を決められるでも地図を渡されるでもない、本当の冒険に出ていることでしょう。最高に楽しいと思う。

私はあなたが「いいこと思いついたんだけど!!」と話しだすときの、ワクワクしたあの声や表情が好きです。けっこう面倒くさいこと言ってくるから、困ったな…と思いつつも大好きです。

そして冒険の途中には、多少は、困ったこと、嫌なこともあるでしょう。疲れたなぁと思うことも。あなたは人の忠告なんてほとんど聞かずに飛び出して行ってしまうし、いかにも痛い目に合いそうです(笑)ご無事でしょうか?

行き詰まったとき、私自身は海に行きたくなります。そんなにきれいではないけれど、生まれた街の海が1番いいです。たぶんその理由は、海が私の幸せな子ども時代に繋がっているからです。

海に行って、問題が解決したことはありません。でも必ず、気持ちは良い方に向きます。昔の思い出はかなり断片的になってしまったけれど、海に行くと安心する。子どもの頃に感じていた自由な気持ち、あたたかい気持ちに近づきます。むしろ実際には海に行けなくても、海に行こうと思うだけで、少し大丈夫な感じになります。また頑張れる。

幸せな子ども時代は、未来のあなたに力を分けてくれていますか?

卒園、おめでとう。
娘の子ども時代は、もう少し続く。

3年間お世話になったスキーウェア。お疲れさまでした!

#2023 #保護者 #幼児

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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