2023年9月14日
この記事の書き手である佐々木陽平が講師を務める実践ラボ「中学校数学科において目指すべき子どもたちの学びをみんなで考える」の参加者を現在募集中です。詳細は、実践研究・実践ラボのページをご覧ください。
「数学の時間」に夢中になっている子どもたちが確かにいる。何がそうさせているのか知りたくて、今日はその中の一人、7年生のサンちゃんに話を聞いてみることにした。
サンちゃんって、数学の時間外にも夢中になって数学に取り組む姿がよく見られるなと思っていて。今日はそんなサンちゃんに数学や数学の時間についてちょっと聞いてみたいなって思って声をかけました。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 サンちゃんって、そもそも小学生の頃から算数は好きだったの? 私、前の小学校で1年生の頃は学校に行けてたけど、2・3年生のときは不登校気味で。だから、勉強なんか全然してなかった。そうすると、基礎ができていないから何をしたらいいかどんどんわかんなくなって楽しくないし、すごく算数が嫌いだった。 算数、嫌いだったんだ。 「あなたの答えは間違ってる」って算数で言われまくってきたから、算数は正解があるけど、私はその正解にはなれないとも思ってたし、ずっと不正解だった。 「あれ?!」みたいな(笑)。 想像してた中学校の数学とはちょっと違ったなって思ってて、私が「今まで蓄えてきたことは一体どこ?」って思った。 たしかに、7年生の数学の時間は、正負の数を計算するだけの時間や方程式を解くだけの時間は少ないもんね。 前の小学校は足並み揃えていきましょうって感じがすごい嫌いだったし、板書が多くて考える時間がないんだよ。だから何にも楽しい要素が1つもなかったわけ。 「6時間もなんで椅子に座らなきゃいけないの」ともずっと思ってたから、今の数学の時間は好きなところに座れるのもいい。
4年生のときに風越に来てからも、テストではひどい点数だったんだよ。でも、5年生のときに1年生から4年生までの復習ができたことで、6年生のときにしんでぃから挑戦状としてもらった方程式の課題が解けて、初めてそこで理解できた感じ。
その後に、「中学校ではどんなことを数学でやるんだろう?」と思ってYoutubeで調べ始めて、みんなより先にできていると思ってたのに、中学校の数学が始まったらそんなの使わなかった。
5年生の時に1〜4年までの算数の復習をできたことで、それ以降の単元も理解できるようになったことが、今の数学に夢中なサンちゃんを生み出している一つなのかなと話を聞きながら思ったんだけど、他にも何か理由はあると思う? 私自身の変化、成長もあると思う。 どんな成長をしたの? 人の話を聞けるようになった。 時間外にも問題をやろうって気持ちはどこから来るの? わかろうとするのが楽しいからかな。学校だとわからないときは、いつでも友達やスタッフに聞いていいじゃん。 なんでわかんないのか、わかろうとするのが楽しいからやってるかな。あとは、みんながやってないことをやりたいっていうのが1番あるかな。 みんなと同じことをやるってのはすごく嫌だから。
それに問題や自分の考え方に対する見方も変わったかな。前までは問題は解かなきゃいけないものだと思っていたんだけど、今はそうでもない。自分の考え方が正解とか不正解とかじゃなくて、こういう考え方もあるんだって楽しめるようになったから。小学校のときは問題が出されているときに、それを時間外にやるなんてありえなかったです。
だから周りの人にもなんか成長したねって言われる。私自身も成長してるんだよ。
「わからないことを聞く」って聞いたときに、この写真が思い浮かんできたな。この写真はたいちが撮ってくれた写真で、ぼくはこのときの様子を詳しく知らないんだけど、方程式の問題をシンノスケと一緒に考えてたのかな。この写真を見て何か感じることある?
風越には先輩後輩あるなって勝手に感じてるけど、先輩後輩を感じない人もいる。そのなかでもシンノスケは8年生で私より年上だけど、いつも普通に接していて。でも、そういう人たちが私の知らないことをたくさん知ってることがすごい興味深くて。風越って、知らないことを知ってる年上の人がいろんな場面で一緒に協力して解いてくれるイメージがある。私が考えていることに「なんでそうなるの?」って聞いてくれるのが嬉しい。小学校のときは「不正解です」で終わって、「なんでそうなったのか」っていうことを説明させてもらえなかったから。 なるほどね。一緒に考える嬉しさがあるんだね。この写真は風越の出来事だけど、家でも数学の問題をやってくるときがあるよね。7月頃に数学の時間で扱った「無理無理かたつむり」を考えていたときのサンちゃんのことはすごく印象に残っているんだよね。
それ、めちゃめちゃがんばったよね。 すごい頑張っていたなって思っていたよ。それぐらい夢中になれるっていうのはなんでなのかな。 なんでのかな…夢中になれることに理由って言われてもなー。 確かに。やってるときはどう感じていた? 無理でしょって言われてることを乗り越えたかったな。無理って言われてるのやるしかないっすよ。みんなあきらめてるムードだったから、絶対解いてみせるわって。家で考えた時は家族全員で苦戦した。
うんうん。サンちゃんは負けん気があっていいよね。サンちゃんの得意なことはなんだろう? 「記述」は好きかなと思ってる。これまでは自分の得意なことはあまり目に見えないものばっかりで何が得意か知らなかった。 「記述」はほんとうにサンちゃんの武器だなって僕は思ってて。考えたことを書き言葉で残すことや書き言葉を使いながら考えるってことは、みんなにだんだんできるようになってほしいことの1つなんだよね。サンちゃんの場合はすでに書くことが武器になっている。 他の人のノートを見ると、あんまり書いてないのはちょっと気になってたかな。 書き言葉の代わりに「話し言葉で考える」とか「頭の中で考える」とかあるからね。 ああ、そういうことか。それも得意不得意なんですね。 そうだね。考えるときにいろんな得意不得意はもちろんあっていい。でも、「書いて考える」ことは思考を正確にするのでもっと子どもたちの道具になるといいと思っているし、僕は数学そのものが書き言葉の文化だと思っているので「書いて考える」ってことを数学の時間では大事にしてるかな。 あと、前より考えられるようになったかな。前は「なんでそうなったのか」とか苦手だったし、「自分がなんかわからないこと」が嫌いだった。わからない理由がわからなかったので、もうわかんない、で終わりだった。家では「なんでわかんないのかわからなかったら、それを考えなさい」ってお母さんにずっと言われてた。小さいときはその… わからないことに耐えきれなかった? そうそう。「なんでわかんないの?うわーっ」ってなってた。それが考えられるようになったんです。一人でも自分と相談しながら考えることができるから、数学の時間はまずは一人で考えている。 「わからないことに耐えられる」というのもサンちゃんの武器だね。 聞いてみたいことがあって、毎時間みんなが考えたことの成果物としてノートにABCの評価をつけることはいいかどうかちょっと悩んでいるんだよね。これは評定には含まない学習のための評価なんだけど、すごく頑張ったのに評価が低かったりしたら何か感じていることあるかなって。ノートの評価についてサンちゃんが感じてることある? 評価は気にしなくていいって言われてるじゃん。でも、私は小学校のときはひどい点数を取ってきたなって感じてるし。もちろんいい評価が取れたら嬉しいじゃん。だから、気にしてるっちゃ気にしているし、気にしてないっちゃ、気にしてない。1つの目に見える形としての評価なんだなっていう風に受け取ってる。そのまま評価として受け取るというよりは、「じゃあなんでダメだったんだろうな、 ここがわかりづらかったのかな」って思って「なんでそういう評価になったのか」って考えるようになったかな。評価が低くても分かりづらかったってだけだと思うし、得意不得意もあると思うし、問題によっても違うし。自分がわかってないんだからそれは相手にも伝わらないよね、とは思う。高ければいいとか低ければ悪いとかって話じゃなくて、ただ伝わらなかったんだなって。いい評価がもらえたら嬉しいけどね。 評価をそのまま受け取るんじゃなくて、その理由を受け取ろうとしているんだね。もし、ノートを評価するABC制度がなかったらどうかな。 目を通されていないんだなって思う。自分で書いて渡したのに、受け取ってくれていない感じ。 受け取った何かは返してほしいなって感じかな。一番丁寧なのはそこにコメントすることだと思ってるんだけど、毎時間読んでコメントしてっていう返却は物量的には厳しい。 その代替案として、よさをなんとか目に見える形にしたくてABCをつけている。すごくいいものにはSをつけているよね。 Sはすごくレアな感じだよね。 わかりやすさとレアって違うじゃん。ようへい自身はどうやって、どういう基準でSをつけているのかなってちょっとわからなくて。Sがなかなか出ないんだったらさ、わかりやすいとかっていうやつじゃない気がするんだけど。Sって何? Sはね、僕の期待以上に考えてきたなっていうことなんだよね。 僕の気づかなかったことを考えているとか、僕の期待以上の努力を見せているとか、そういうときにSをつけている。ABCも分かりやすさだけでつけているわけじゃなくて、考えているプロセスや考えた深さをみている。そういうABCの延長線上にSがある。 わかりにくいと当然わからないからうまく評価できないことがあるんだけど、わかりやすさだけで評価してるわけじゃないんだよね。基準を示せていないのはその通りなので、僕が期待していることがみんなに伝わるといいのかな。 なるほど。理解した。 最後に、数学の時間でこんなことを学んでいるなってことはある? 何だろう。一人で考える時間だなとは思う。 答えは一応示されてるけど、そこまでの道筋が人によって違ったりするじゃん。「こんな◯◯さんの答え方がありました。」ってようへいが紹介するじゃん。そう言われると「ああ、そういう考え方もあるんだ」って思う。問題をやっていたときは、自分の考えしか頭になかったけど「こういうのがありました」って言われると「なんで?」ってなるから、そこを考える。そうやって考える時間かな。 数学の時間は「一人で考える時間」、いいね。ありがとうございました。 とても楽しい時間でした。 ありがとうございました。 インタビューしていると数学の時間のことよりもサンちゃんのことをもっと知る時間だった。サンちゃんは数学の時間だけじゃなくてサンちゃんの物語のなかでこの世界をまるっと経験しながら”サンちゃん”とすうがくをつくっているようにみえた。僕はサンちゃんにとっての「数学の時間」がどんなものかを知りたかったし、サンちゃんが「数学の時間」で夢中にさせている何かを見つけたかったけど、その問いの立て方は多分間違っていた。誰もがきっと何かしらわたしとすうがくをつくっている。他の子どもたちはいったいどんなわたしとすうがくをつくっているのだろうか。なんでそういう評価になったのか、理由を受け取る
数学の時間は、一人で考える時間