風越のいま 2023年3月27日

単元「オキナワ~声なき声を聴く~」子どもたちの言葉

甲斐 利恵子
投稿者 | 甲斐 利恵子

2023年3月27日

 遠く離れた「オキナワ」。長野に住む子どもたちの多くにとっては縁遠い土地である。2022年、沖縄は本土復帰50年を迎えた。公立学校で「オキナワ」を単元にしたいと思ってから長い月日が経ってしまっていた。政治的な要素の強い授業はしないようにと言われたことがあった。

 単元開きの日、一枚の写真を用意した。写真にはアメリカ軍の捕虜になってしまった3人の日本兵がカメラに向かって真っ直ぐな視線を向けている。その表情は無表情で、彼らの心の中にどんな感情があるのか読み取れない。キャプションには左からその3人の年齢が記されている。75歳・16歳・13歳。彼ら3人の後ろにはおそらくアメリカ兵と思われる人たちが大勢、捕虜たちを眺めている。
 「この写真から読み取れる情報を、同じテーブルの人と話してみてください。3分~5分くらい。」と指示を出した。「この人、じいちゃんと同じ歳だよ。兵隊にされてんの?」とソウの声。「13歳って、兵士になれるの?」という声も聞こえた。捕虜になった3人の胸ポケットに「PW」って書いてある!PWって?「捕虜」って意味かな。後ろにいる多分アメリカ兵も怪我してるね。攻撃した方なのに、怪我するのかあ。地面が掘ってある。なんで?「塹壕」だよ、と答えている。

 2回目の授業で絵本を読む。(『生きぬいた子どもたちーあの日、「対馬丸」に乗っていた私たちは』石川久美子著 本の泉社)じっと耳を傾ける子どもたち。絵本の朗読を聞いて、その内容を1分で話してみようという取り組みだ。「疎開」という言葉を持たない子どもたちはたどたどしくなりながらも、真剣に物語を自分の言葉で再生している。
 3回目の授業では、県民の四分の一が亡くなったこと、君たちと同じ年頃の子どもたちが「学徒隊」という名前で「兵士」になったこと、「ひめゆり学徒隊」を始め、美しい花の名前の女子部隊が結成されて、多くの犠牲者が出たこと、日本本土の捨て石のような立場だったことなどを伝えた。そして、3回分の授業をもとに短歌を作るということに挑戦してみる。
 子どもたちは指を折りながら、自分の心の中にある言葉を手探りしている。五七五七七。浮かんできた言葉が指に移っていく。思い直してはまた自分の心の中に入っていく。その繰り返し。生き生きとした沈黙の時間が流れている。次回から本格的な「探究」としての授業を始めるよと予告してこの日はおしまい。半分くらいの子どもたちが短歌を提出した。「わたつく」(わたしをつくる)の時間に完成して提出するからと念を押していく子の背中を見ながら、うんうん、待ってるからねと言った。提出された短歌が次のものである。(一部)

■防衛隊 人員不足が 鮮明に アメリカ軍の 捕虜になる(ニコ)
■傷ついた ふるさとの土に 立つもなお 未だ戦う 友を案ずる(コウタロウ)
■オキナワ戦 最前線で 戦う子 祖国のために オキナワ守る(ソウ)
■美しい 青空の下 オキナワは 日本のために 捨て石になる(ハルカ)
■捕まるな 降伏するな そのために 尊い命の 下す決断(イイナ)

 次の時間からは自分の知りたいこと、考えたいことに沿った本や資料を選んで読む時間になる。中軽井沢図書館・風越学園のライブラリー・沖縄の取材旅行で集めた資料など、子どもたちは用意した本や資料を前にして思い思いに手を伸ばしていた。今回実際に沖縄に足を運んで現地の方に話を聞いたり、沖縄にしかない資料をかなり集めることができた。そのことも、子どもたちと一緒に学ぶ楽しみにつながったと思う。本や資料を間において子どもたちと対話する時間は本当に楽しかった。沖縄の風景や現地の人の思い、記念館の様子、資料を見つけたときの喜び、激戦地での物語などを語る。子どもたちの「オキナワ」が徐々に輪郭を持ち始め、色彩が鮮明になってくる。読書記録を書きながら、子どもたちの中に言葉が溜まっていく。それに加えて、深めていくための問いを立てていく。8,9年生たちはどういう問いを立てていくことが本質に迫っていけるかを大半身につけている。だからこそ学びは加速度を増していく。

 今回の課題は二つ。読書しながら心の中に溜まってきた思いや言葉と向き合い、短歌作品を二首完成させること。もう一つは随筆作品。短歌作りまでの道のりで膨らんできた思いや考えを客観的に分析しながら2,000字程度の文章に仕上げていく。短歌作品も随筆もひとりひとりの子どもたちが指を折りながら、あるいは自分の中に湧き上がってきた思いと照らし合わせながら、何度も何度も立ち止まって仕上げたものである。粘り強く自分の心と向き合い、言葉と格闘しながら着地点を見つけようとする作業はきっと子どもたちの力になっていくはずだと思った。
 
 この後、子どもたちの短歌を歌集として冊子にし、随筆も全員分を文集にして読み合った。

【短歌作品】
■青すぎる 大海原の 奥底に あの日の記憶 静かに眠る(オカショー)
■米軍機 空を切り裂き 消していく 市民の声も 過去の祈りも(オカショー)
■叫び声 あの子は一体 どこですか 枯れた大地を 濡らす滴と(サラ)
■爆音と 銃声にまた 眠れずに 起きることない あの子を置いて(サラ)
■沖縄に 攻め込みに来た 米軍も きっと誰かは 逃げ出したかった(アイリ)
■灯る顔 宵闇の影 伝えくる わするるなかれ 無にするなかれ(シュウゴ)
■燃え尽きる 儚い命 思い出も 忘れ形見と 侘しい帽子(ハヅキ)
■春の花 嘉靖の昔は 咲き誇り 令和の今は ふみにじられる(コウタロウ)
■響く海 気骨の声が 響く海 その声の名を 知る術もなし(ウタロウ)
■最期まで 他人を案じて 遠ざける その姿知る 私が生きる(イイナ)
■敬愛される 戦没者 忘れることなく そこに在る人(セツ)
■平和社会 あるのは過去の 忠誠心 無知なフリして 生きられない(ナナミィ)
■くらやみで 淡く冷たい 手榴弾 何を想い 何を伝える(カイト)
■生き恥を 晒すな戦え 国のため 弾けて消える 尊い命(リンタロウ)
■マリンブルー 儚い命と 沈む船 生きようとする 声も虚しく(コハク)
■生きられない そう悟って する覚悟 大事な命も もう惜しくない(コハク)
■沖縄の 基地予定地に 座り込み 長年続くも 報われない(ニコ)

更に、自分の心にとまった友だちの言葉を抜き出してコメントを書き、それも文集にして語り合った。9年生にとっては受験期であったにも関わらず、語り合っている姿からは切迫した雰囲気は微塵も感じなかった。友だちの言葉に心を寄せ、友だちの声を一心に聞こうとする姿がそこにはあった。

【心にとまった友だちの言葉】
■沖縄の人達が大切にしてきたことから気づきが感じ取れれば良いと思う。その灯(ともし)はきっとみんなの「大切な思い」になると思うから。(コウタロウ)
■あの国が悪い、この国が可哀想というのを知るために勉強しているのではない。学ぶべきものはなんなのかというものを考えて学んでいかないと、世界は永遠に恨み恨まれを繰り返すことになる。(アイリ)
■その記憶の多くには「友達が死んだ」「家族が死んだ」という「死」が貼り付けられている。「死」を近くで見た人間は生きた人間なのだ。当然のことながらそれらを考えられる のは生きている人間にしかできないものであると痛感する。(セツ)
■正しい情報を集めて、色んな人の生き方を尊重する。公平に判断して、全ての生き方を認める。(カズアキ)
■誰からも嘆かれることなく望まぬ最期を強いられる。それはどんなに切なく、辛いことなのだろう。(ハヅキ)
■再会して言われる言葉は「どうしたの、その姿、大丈夫?」ではなく、「おかえり」なのだ。そういう時代だったのだ。(サラ)
■自分はそれを実現できるだけの考えも力もない。だけどまずは戦争の恐ろしさを思い続け、人を認め尊重することができるような人間でありたいと思う。(フウダイ)
■ただし四人に三人は生き、記憶を紡いでいることを忘れてはならない。(セツ)
■その日本国民としての役目やプレッシャーが父親の心をごりごりとえぐっていったのではないか。(アオコ)
■一回の失敗では、人間は学べない。(ソウタ)
■大きな戦争にならないと過ちに気づかないのか?いや、気づけないのか?「戦争の美化」をしらんぷりし続けて良いのか?z世代、α世代すべてに問う。(シュウゴ)
■沖縄戦について学ぶとき、多くの場合は日本人として日本軍側の視点でしか学ばないので、アメリカ視点で沖縄について知るのは新鮮だと思う。(ソウ)
■他者からの思想を受けて思い込み、尊い命を奪ってしまう。(ハルカ)
■命は軽いものなのだろうか。いつから命がそんなに軽いものになったのだろうか。(リンタロウ)
■もしも自分を形成しているコミュニティを失い、足をつく場所さえも失って尚生きる時、私は生きる意味を見出せるだろうか。彼らは見出せたのだろうか。(セツ)

そして最後に「あとがき」を書く。9年生にとっては中学校最後の大きな単元であった。子どもたちの言葉には、立ち止まり、考え抜き、沈黙の中に浸って表現した力強さが表れている。サラのあとがきを紹介したい。

【あとがき】サラ
 
普段から戦争について深く考えることはしないので、こうして授業で長い時間をかけて戦争について知り、学び、自分の考えを出すことはとても良い機会だった。
戦争の映画の予告で泣いてしまったことがあったが、それはちょうど授業でオキナワ戦についてやっていたからだ。重ねて、思い出して、そして一瞬にして感情移入してしまった。それほどに今回の授業は自分に大きな刺激を与えていた。
今まで数々の文や言葉を書いてきたが、今回の随筆ほど大変なものはなかっただろう。セルフディスカバリーの時の随筆はまだ簡単だった。何故なら、自分の「体験」があるからだ。辛く厳しい状況でも、周りや自分に助けられながらゴールをする。そんな素敵なエピソードがあるのだ。だが、オキナワ戦の随筆を書くとなると話は違う。慎重に言葉選びをし、ただ「戦争はよくない」だけで終わらせられない。それに何より、「体験」が無かった。自分の身に起きたことではなく、資料や映像からインプットするだけ。当事者の方からすれば、「恐ろしい体験をした」。私からすれば、「恐ろしい体験だったのだろう」。この違いは大きかった。実際、私の随筆は随筆とは言えないだろう。事実を元に、物語風に書いてしまっているからだ。間違ったことは書いていない。だが、もっと客観的に、もっと事実をそのまま書くべきだった。それは私の今回の心残りである。しかしこうして反省点を見つけられるのも、刺激を多くもらえたのも、今回の授業では大きな成果であり学びになった。今回の授業は、常に心のどこかで残り続けるだろう。

 この2年間、この8,9年生のコミュニティーで国語の時間を過ごしてきた。子どもたちはいつの間にかこんなにも豊かな言葉の使い手になっていた。「国語」という枠の中だけでは到底作ることのできない「対話」がそれを支えていたのではないかと思っている。
 目の前にいる大人たちが大きな優しさで問いかける。「信頼」に支えられた問いにはいつも真剣に、私たちはみな答えようとする。そんな環境の中で子どもたちは日々を過ごしている。また、「つくる」は常に「考える」を連れてくる。「話す・聴く」「話し合う」は「友だち」も一緒に連れてくる。こうして子どもたちはたくさんの「対話」のチャンスに出会ってきた。そして今も、そのための言葉を探し、言葉を生み出し続けている。
 言葉を探す作業は骨の折れる作業である。自分の心を何度も確認しながら、自分の身体の奥の方にありそうな言葉をささやかな灯りで照らしてみる。ありそうで、でも無いような気もするし、見つかったような気がしても捨てることも多い。そこで、再び言葉ではなく心の再検討をすることになったりもする。あなたは本当はどう思っている?どうしたい?投げ出したいんでしょ?と。このいつでも不躾な問いをしゃあしゃあと投げてくる「自分との対話」のチャンスも、風越の中では非常に多い。深く自分の中に入り込み、沈黙の中で言葉を探している子どもたちの姿は本当に頼もしかった。一緒に学べたことを誰に感謝すればいいんだろう。

#8・9年 #わたしをつくる #土台の学び

甲斐 利恵子

投稿者甲斐 利恵子

投稿者甲斐 利恵子

九州生まれの九州育ち。お気に入りの九州弁は「よか、よか、気にせんでよか」。いつまでも子どもたちのそばにいられる幸せを感じています。

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