風越のいま 2022年11月23日

枠を超えて生まれるものー7年ワールドピースゲームのふりかえりー(馬野 友之)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年11月23日

(書き手・馬野 友之/23年3月 退職)

風越でワールドピースゲームをやってみる

2022年9月12日(月)から16日(金)の5日間で、毎日3時間ワールドピースゲーム(*1)を実施した。参加者は、7年生26名と8年生2名、6年生2名の計29名。そもそも、今回このゲームを実施したいと考えたのは、つどいの時間や「地球と人」(風越における7年生以上の社会科の時間の名称)の授業で子どもたちをみていて、日々の新聞やテレビの報道などを通じて知った世界で起きている出来事にそれぞれが持っている距離感があることに気づいたからだ。「なぜ、こんなことが起こるのだろう?」と原因を知りたい人もいれば、「日本にいて何ができるのだろう?」と自分ができるアクションを考える人もいる。ただ、多くの子どもにとって、それは遠い国や世界の出来事であり、自分との距離は遠く、自分ごとになるのはなかなか難しい。

*1ワールドピースゲームは、1978年米国の小学校教師だったジョン・ハンター氏が考案した世界の課題解決型シミュレーションゲームです。世界が実際に直面しているような、政治的、経済的、社会的、環境的など様々な問題が、危機として提示され、参加者は、なんとか自分たちの手で問題を解決するよう試みます。そのなかで、答えのない問いに向き合い解決を目指す姿勢、深い思考力、交渉力、決断力、協働する力など、これからの社会に必要とされる大切なスキルを身につけることができます。参加者は、仮想の4カ国の内閣と国際機関のリーダーなどの役割を持ち、様々な交渉を試み、決断を下し、 複雑に絡み合う自らの国と世界の課題解決を目指します。詳しくは、ワールドピースゲームHPや、ジョン・ハンター氏によるTEDトークをご覧ください。

風越の「大切にしたいこと」に、次の言葉がある。

ー「つくる」ことを通じて、「自由に生きる」ということと「自由を相互に承認する」ということを繰り返し試していきます。そうすることで、1人ひとりが幸せになり、幸せな社会をつくっていくのです。

戦争や紛争、気候変動、未知の感染症…。現実世界が直面している課題に対して、仲間との議論やアイデアによって解決するワールドピースゲーム。参加した子どもたちには「1人ひとりが幸せを感じられる社会をつくっていくには?」という問いが迫ってくるはず。少しずつ世界にも興味が拓かれていく7年生という時期に、この学びを経験することで、今後の子どもたちの世界への見方が広がり、その結果探究も広く深くなっていく、そんな可能性を感じて、開催をしようと思った。

事前にワールドピースゲームのドキュメンタリー映画の上映会を実施。そこで風越でもやりたい!と賛同してくれた6,7年生が作成した掲示物

そのような僕の思いに、幼稚園スタッフのあやさん(遠藤)や、リソースセンターのとのちゃん(外崎)も賛同してくれて、3人で一緒にワールドピースゲーム実施の支援者集めや、当日までの流れをつくった。僕は主に中学生を担当しており、幼稚園やリソースセンターのスタッフと一緒にプロジェクトを計画・実施することは、今まであまりなく、その経験もとても貴重なものだった。後日、3人でこのプロジェクトをふりかえった。(ふりかえりは2022年10月27日実施)

自分も社会の一部として必ず関わりがある

初日、ファシリテーターの谷口さんからの説明を真剣に聴いている様子。解決すべき課題の説明が2時間ほど続いたが、集中力が途切れない

外崎

今回、うまっちがワールドピースゲームを風越でやろうと思ったのはなんでだっけ?実際にやってみてどうだったかな?

馬野

世界の問題が他人事であるということが、社会科をずっとやってきて感じている違和感なんだよね。動画や新聞記事を見せても、あの人はかわいそう、自分たちとは違う、というところで止まってしまう。でも、あの手この手でなんとかしたいと思ったけど、なかなかもう一歩先へ子どもたちと進むこともできなくて。そんな時にこのゲームを知って、中1ぐらいまではこのゲームに思いっきり入り込めそうな気がしたんだよね。この世界の複雑さとか、やりきれなさとか、不公平さに思いっきり悔しがったり、どうしたらいいか分からなくて呆然としたりとか。それで公立校にいる時にはできなかったんだけど、風越でやってみたい、やってみようと思った。そうしたら、放課後も、ゲームに参加していたメンバーの何人かでずっと話している姿があったり、家でもずっと話していたと保護者からの声もあってさ。ワールドピースゲームのあの課題は、どうしたら解決できるんだろうって、考え続けている子どもの姿が見られたんだよね。後日、授業で世界で起こっていることの話をすると、ワールドピースゲームのあの問題と一緒だ!という声が上がるようなこともあって、世界の問題が少しだけ自分ごとになったんじゃないかと感じて嬉しかった。

風越での「地球と人」は、自分たちが暮らしていく社会や卒業した後のより良い未来を、どうつくっていくかを考える教科であってほしいと思っていて、身近な地域のことを取り扱って考えることはしてきたけど、まだまだ世界のことにも目を向けるということはやりきれていなかったから、「地球と人」の授業の中でワールドピースゲームを開催できてよかったなぁと思っている。

遠藤

風越の中で、他人事になってしまうなぁとどんな時に感じるの?

馬野

以前、かざこしミーティングの中で、道しるべをつくろう、とホームで考えていたときに、学校でスマホゲームをしたり、ぼーっとYoutube見ている人に対してどう思う?と聞いたら、そんなの自己責任じゃん、自分たちが悪いんだから、ほっとけばいいじゃん、という声が7年生の何人かからあったんだよね。いやいや、同じ学校で学んでいる仲間のことなんだから一緒に考えようよ、、、とは伝えたんだけど、同じ学校の仲間でも、他人事になってしまうんだとショックだった。

僕は、自己責任って言葉があまり好きじゃないし、どんな物事もいろんなことが繋がってそういう結果が起こっていると思うんだよね。自分も社会の一部として必ず関わりがあるということを考えてもらいたい。ワールドピースゲームって、ある程度、他者と絡んでいかないと解決していかないじゃない。そこがよくできているなぁって思っていて。誰かが解決したらいいじゃんでは、解決できない。実際、自分には関係ないやと思っていた問題に実は自分も関わっているんだ、とゲームをやってみて気づいた子どもたちもいたよね。例えば、ハルノが世界銀行の総裁としてまわりを巻き込んでいく動きや、コウタロウの国連としての動きは、自分が動けばよくなるのではと感じての動きだったんじゃないのかな。

国連の担当として、各国の首相を集めて話しをするコウタロウ

世界銀行の総裁として、全体の動きをつくっていったハルノ

遠藤

ゲームの終了後に書いてもらった、子どもたちのふりかえりシートに、僕ができることを考えたとか、相手と自分の利益のどちらも優先させることにしたとか、市民のことも他の国のことも全体を見て考えたとか、書かれていたよね。ゲームの2日目くらいから、自分の国や自分の見える範囲だけではなく、他国と自国の両方がよくなるように考えなきゃいけないんだ、ということにどんどん気づいていったよね。いろんなことがつながって全て関係しているという感じがあって、さっきうまっちが言っていた自己責任とは異なる世界の見方が開かれているなと思いました。

馬野

あと、印象的だったのが、今まで一緒に過ごすことが少なかった人との関わりがこのゲームの体験を通じてその後も生まれていること。全然関わりがなかった人ともぶつかる経験をして、ぶつかっても話せるんだって気づいた、ワールドピースが終わった後でもなんでも話しても大丈夫なんだなって思えたと、10月の自分プレゼン(保護者とスタッフの前でここまでの半年間の学びをふりかえることが目的の三者面談)で話している子もいたんだよね。中学生ぐらいになると嫌なことがあってもぶつからずに逃げることができるようになるけど、それでは自由と自由の相互承認の感度を高めていくことはできない。今回、強制的にでもぶつかってしまうことで、やってみると意外にできた、という経験が生まれた。まだまだ、男女の壁や話しにくさはあるけれども、ぶつかってみたからこその安心感が生まれたんじゃないかな。

外崎

直接ぶつかり合うと仲が悪くなることもあると思うんだけど、今回のワールドピースゲームでは、同じ課題に対してお互いの見方が違うと気づきながらぶつかり合っていたよね。そのことに意味があるんだなって、うまっちの話を聞いていて思ったな。自己否定されているという感覚になりにくいよね。

私たちがプロジェクトを通して子どもたちの関わりやつながりをつくりたいと考えるときも、そういうことを意識することが必要なんだろうな。ぶつかればいいじゃん、ではなくて、どういう観点でぶつかりあうと、つながれるんだろう、ということを考えることが大事そう。

馬野

社会科の授業を通して、社会をつくる、ということに加えて多様な見方・視点も身につけてほしくて、普段の授業の軸にしている。あの人はああ考えるけど、この人はこう考えるというのが学校で学ぶことのおもしろさだとも思うんだよね。

ワールドピースゲームでは、まさにそれが実現できていて、いろんな立場に立つからこそ見える視点でぶつかりあえていたと思う。ファシリテーターの谷口さんが最終日に、「子どもに流れている時間と大人に流れている時間はちょっと違う」と言っていたのが、今も心に残っているんだけど、大人にとっては、子どもが課題を解決するスピードがゆっくりすぎるなぁ、急すぎるなぁと感じていても、それは子どもにとってはちょうどよいスピードだということってあるんだよね。だから、課題を解決するスピードを、大人の流れに乗せようとしていないかということには自覚的であるといいなと感じた。結構、ゴールはどこなの?そこに向けてどういうステップで進んでいきたいの?ってついつい大人はやりがちじゃん。そういうことも必要なときもあるけど、子どもの中では、周りから見えないだけで、進んでいるっていうこともある。

子どももスタッフも枠を越える

最終日に国や役割の枠をこえて、交渉しあって全体の熱量が高まっていった。

外崎

私は、子どもたちの姿だけじゃなくて、普段別々のフィールドにいるあやさんとうまっちが出会って、共につくっていくということに面白さを感じたんだよね。お互いどう感じていたかな?

遠藤

以前からワールドピースゲームを企画してみたいと思っていたので、うまっちが開催を考えていると聞いて、いてもたってもいられない気持ちで手を挙げたんだよね。うまっち、きっとびっくりしたよね(笑)。

馬野

僕が苦手な突破力の部分で、あやさんがいてくれたことですごく心強かった。一度、公立校でワールドピースゲームを一人で実施しようとして、あと一歩のところでできなかった悔しい経験もあったから、一人じゃないというのはありがたかった。実際、たくさんの仕事を引き受けてもらったし。こうやって、学校の中で新しいプロジェクトを始めたりすることってできるんだなぁという経験ができたのはよかった。

遠藤

今回、とのちゃんも入ってくれて、3人で相談しながら一緒につくれたのはすごく楽しかった。風越でできることの可能性の広がりを感じました。得意分野を持っているいろんな人が集まっているんだから、枠を超えてコラボレーションすると面白いことが起こるかもといろんな人が考えられるようになるといいなあ。

馬野

今までにない組み合わせで生まれるエネルギーってあるよね。越境する動きはエネルギーを使うから、なかなかできなかったけど、そういうチャレンジができたことは面白かった。

あとは、ワールドピースゲームを見ながら、あやさんがどう子どもを見取ってるんだろうということをもっと聞きたかったかな。普段一緒にいないからこそのあやさんなりの見取りもあったんだろうなぁ。1週間がっつり中学生に入ってもらうことはまずないじゃない。中学生を幼稚園スタッフがみるって風越ならではの面白さがあるはず。

外崎

あやさんは、7年生をどう見ていたんですか?

遠藤

私は子どもたちのことをほとんど知らなかったので、ワールドピースゲームが始まってから、なかなかゲームに入れない子について、うまっちに質問をしたりしたけど、その時に、その子の心がどう揺れている状態なのかを話してくれたんだよね。うまっちは、無理にゲームに振り向かせることをしないで、その子の心持ちや在り方をそのまま受けとめているんだなぁと感じた。結果、その子は最後には自然とゲームに関わっていたんだけど。今だなという時しか声をかけないで、見守るという関わりは印象的だったし、幼児との関わりと基本的には同じだなと思いました。前後の文脈もわかった上で声をかけている、うまっちの関わり方はすてきだなぁと思って見ていた。

幼児だと泣きながらぶつかりあっていて、そういう場面が1日の中に何回もある。幼児期は、自分と相手の違いに出会っているし、そういう葛藤の中にある一人ひとりの心の機微を大事にしたいと思っている。そういう幼児の日常を私は日々過ごしているから、今回自分のことも相手のことも言葉にできる人たちの関わりを見られて学びになりました。

見えているものや意見の違いで葛藤したり、ぶつかりあったりというのは、大きい人でも小さい人でも同じものがあったけど、そういう一つひとつの揺れそのものが大事なんだなぁって改めて思った。世界に目を向けてみると、ここまで複雑につながり合っている世界の中でエッジはどこにあるのかと考えると、左と右とか西と東とかではなくて、何かと何かの間(互いの相違の中)にあるんじゃないかって思ってるんだけど、人と人との間にある葛藤が世界のエッジなんだっていうふうに見ると、いま子どもたちのぶつかりあいの中にこそ大事なことが凝縮されているって感じられて、大人の関わり方もかわってくるように思う。私は世界の中で民主主義の根幹が揺らいでいると感じているんだけど、ここでの子どもたちのぶつかりあいを丁寧にみとったり関わっていく動きこそが、その根幹を強くするんだっていう気持ちがある。

馬野

人とぶつかるのはすごく勇気がいることだけど、ぶつかったその先に、豊かな時間があるんじゃないかと思ったりしている。僕自身、ぶつかるのをやめてうまくいかなくなるという経験をしてきたし、ちゃんと言っておけば良かったって後悔したりしてきた。ぶつかるってそのときは辛いけど、後々「あのときぶつかってよかった」という経験を、子どもたちはできていていいなと思う。ある程度ぶつかっていくことが、西だ東だって分断された社会ではないものをつくっていくことにつながるんだよね。自分がそんなにできていないことを子どもたちに要求したかもしれないけど、子どもたちの力ってすごいなと感じた。

遠藤

子どもが書いたふりかえりに、世界はいつか交渉でまとまると思います。武力はいつか憎しみを生み出すって書いてあって、すごいなと思った。温暖化の課題を解決するときに、自国の利益ではなく世界全体の利益を優先したいと思った、という発言もあって、複雑な状況を自分なりに読み込んで、行動しているんだなとも感じたな。

外崎

子どもたちのふりかえりを読んでいると、世界はよくなるなぁって思うよね。

馬野

このゲームって情報量が多いし危機の内容が複雑でとても難しいから、子どもから「もっと説明してほしい」という声があがるかと思ったけど全然なかった。放課後に、あれってどういうことなんだっけ?っていうことを子どもたち同士で話したりしていたのかな。7年生がチームとしてもすごい伸びているなぁと感じたな。

遠藤

子どもたちにが複雑な状況を咀嚼して整理する力があるということがよくわかったよね。渡している情報のミスを指摘する子もいましたよね。書いてあることが全部正しいわけじゃないという前提はあったものの、それに気づいた子がいたことに驚きました。ゲーム開始直後の宣言の時から、ファシリテーターの谷口さんがそれぞれの人を首相として見ているんだなという姿も見受けられて、子どもたちは甘えられる隙間がなかった。そういう態度が一貫していたことで、それぞれがその役割になりきっていくことにつながったんじゃないかな。

外崎

このワールドピースゲームのハイライトってそれぞれどんなふうに見ていた?

遠藤

私のハイライトは、2日目の最後に、国連の人たちが各国の人を集めて話し合う一歩が踏み出されたこと。その前までは自国のこと、自分の組織目線でやりとりしていたけど、世界全体の利益を考えた時にどうか?という問いかけを誰かが発したことから、世界全体のことを見る視点を持った人が出始めて、それが連鎖していく感じを受けた。一人が起こすこと、一人の発する言葉から変化が生まれていくことが2日目にして見れたのはすごいことだなぁって。このゲームを通して、一人の可能性と子どもたちの可能性を想像していた以上に感じられた。この風越学園という場所でも、誰かの言葉や問いが全体に及ぼす影響ってきっとある。みんなが声をあげられる、そして変わっていく、ということが実感できていくといいなと思いました。来年もワールドピースゲーム開催したいなぁ。

馬野

最終日のラスト30分、すべて子どもに任せたって感じでファシリテーターの谷口さんが存在を消したところが印象的だったな。課題を解決するために子どもたちがやっていることは一緒なんだけど、谷口さんがファシリテーターをするという枠がなくなってある程度自由にやっていいよとなった時に、あんなこともこんなこともできるよね、というエネルギーがあふれたのは風越らしい瞬間だったと思う。谷口さんがそんな子どもたちの姿を見て、「自分たちで枠をつくるということが好きなんだろうね」と言っていてドキっとした。自分たちスタッフがどれだけの枠をつくるべきだろうか?つくりすぎると子どもたちのエネルギーを減らしているんじゃないか。本当にそうなのか?とかいろいろ感じたな。

今回、ワールドピースゲームを風越で実施してみて、いろいろな問いが僕の中に生まれてきた。

  • 子どもたち一人ひとりの持っている熱量が他の子どもたちに伝わるようなよりよい機会を、風越の中でどのようにつくるのか?
  • どんな枠をスタッフは子どもに手渡す/手渡さないのか?

思えば、開校前からも、それらはずっと考えている問いだ。この問いについては、スタッフがLGや学年の垣根をこえて12年間のつながりの中で一緒に考えることで、ワクワクするような面白い次への挑戦につながる、と思っている。きっと、その過程ではこれからもたくさんぶつかるし、時間もかかる。ワールドピースゲームで、たくさんぶつかった後に、晴れやかな顔をしていた子どもたちの顔をみていると、大人だってやってやるぞ、という気持ちだ。

#2022 #7・8年 #スタッフ

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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