風越のいま 2021年7月17日

現在地。(岡田 達明)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年7月17日

(書き手・岡田 達明/日野市教育委員会から派遣・21年度派遣終了)

「風越学園に行きませんか。」

校長室でそう言われたのは今年の2月。なんだか遠い昔のように感じてしまう。駆け抜けてきたな、と思う。家庭のこと(単身赴任になる)、学校のこと、自分の力量。考え出すとすぐには返事を出せなかった。でも、面白そう。わくわくする。最終的には、「一年だし、違う世界を経験してきたら」という家族の後押しが決定打になった。

気づけば4カ月、自分の現在地はどこなんだろう。何かを見つけたり、問いをもったり、この4カ月で得たものはきっとたくさんあるはずなのだけれど、今はぐっと子どもの世界にフォーカスしていきたいという気持ちもあって、その辺りの解像度はすごく下がっている気がする。

僕は風越学園に入職するにあたって、「公立の学校に生かせる」という視点を持って学びたいと思い、自分なりにミッションを課していた。それは、「地域と保護者と一緒に子どもを育てる視点を得る」ことと、「子どものやりたいことと大人がやってほしいことについて考える」こと。

この4ヶ月を振り返り、自分の今の現在地を見定めるためにも、この2つの観点について、今僕から見えていること、感じていることをここに綴っていきたい。

大人も一緒に面白がる

前者の方。風越に来て「保護者と面白がれる」自分がいることに驚いた。

そんな自分に出会ったのは、スタッフのたいち(井上)が企画してくれた保護者とおしゃべりしよーの会だった。少し身構えてしまうというか、緊張してしまっていたのだけれど、始まってみると楽しくて、話し合えることが嬉しい時間だった。

マーキー(青木将幸さん)考案のMM法※でおしゃべりをする会で、「これ、やってみるとすごくいいんですよー。」というたいちの説明からスタート。

※MM法…みんなで持ち寄るミーティング。各自が自分の話し合いたいテーマを決め、それを掲げてうろうろ。一緒に話し合いたいテーマをもとにグループを作り、話し合うミーティング法。誰かのテーマについて話し合うときは真剣に受け止めて話し合うのがルール。

僕は『子どもの健康や運動』についてのテーマを持ち寄ったグループの話に入った。その中で、出てきた言葉を抜粋するとこんな感じ。

「もっと思いっきり外で運動しちゃえばいいのにねー。」
「ホームごとの対抗戦とかも楽しいかも。」
「運動イベントもいいね。」
「運動部、盛り上がってて、合宿がめちゃくちゃ楽しかったんだって。」
「デバイスに負けない運動コンテンツを作りたい。」

「(保護者がやっている)ベリーダンス楽しいんだよ。」
「えー、何それ!見たい!子どもとにぜひ教えてあげてよ!」

子どもにまつわることに大人が面白がって笑いが起こって、盛り上がる。子どもの成長を願うのは親もスタッフも一緒なんだということに、改めて気づく。子どもを育てることについて、面白がりながら語り合えることって素敵だなと思う。次に公立で担任をもったら、「わくわくすることを一緒に考えましょう!」と言うのかもしれない。

地域には実は面白い大人ってたくさんいる。僕自身、子ども時代に、子どものように夢中になって釣りをしている近所の人や、虫取りのアドバイスをしてくれるおじいさん、悪さをすると全力で怒ってくれる社宅の人、面白い本を教えてくれた先生。そういった人に感染しながら「わたし」がつくられていった気がする。とにかく子ども達にはいいも悪いも関係なくたくさんの人に出会いながら過ごしていってほしい。そしてそんな人に出会わせるのが今の教員の役目ではないかと思う。

やらされ感って何?

後者。これは本当に悩み続けている。

今までも「やらされていると思ってやっていても楽しくないよね。」なんて言いながら日々子どもと過ごしてきたが、一方で、言葉ではそう言いながら結局はやらせているんじゃないか、と矛盾を抱える自分もいた。矛盾を感じながらも、例えば運動会が終わったときに涙を流したりする子どもの姿を見ると、やってきてよかったなと思ったり・・・。

風越学園では、やらされ感に対する子どもの拒否感はすごく強い。自分に合わないな、面白くないな、と思った途端に話を聞かないモードに入ってしまう。分かりやすいフィードバックはヒリヒリするし、なにくそ、とも思う。

日々過ごしていて、強制力を伴うことでできるようになることもあるのではないかと思うこともある。けれど、既存の価値観を壊すくらいの覚悟をもってチャレンジをしている風越では、そこは違うなというのも分かる。1年間でそのチャレンジの手ごたえを感じることができるのだろうか。

今、3・4年生ではテーマプロジェクトで1年を通して村づくりをしている。その2ターム目では、グループを3つに分けることになった。グループ分けはスタッフが決めたもので、必然性があるわけではない。

そのテーマプロジェクトの中で、「ニワトリを飼いたい」という話が出てきた。きっとこの時点ではほとんどの子がなんとなく飼いたいという気持ちで、実際に飼うためには何が必要か、どんな困難が待ち受けているのかを考えている様子はなかったように思う。みんな振り返りに、「それ良いね。」「飼ったら楽しそう。」と書いていた。そんな中、サキは「みんなやすい(安易な)気持ちで飼おうとしているのが残念だと思った。」と書いていた。一緒にグループを担当しているスタッフのゆうこりん(依田)とも話して、この言葉を大切にしよう、という話になった。

サキに話を聞いてみると、「命があるものだし、面白半分で飼っていいものじゃないと思う。それに、みんなに飼われるために生まれてきた命じゃないと思うから。」と語ってくれた。サキの言葉がみんなの意識を変えた。「やっぱり自信がない。」「飼うのをやめた方がいいんじゃない。」という意見が出始める。

「やりたいことをやってほしいし、グループ内でそれぞれのことをしてもいいんじゃない。」と投げかけると、トキは、「せっかくこのメンバーになったんだから、バラバラなことをしても意味ないんじゃない。みんなで一つのことがしたい。」と答えた。安易な投げかけだった。必然性のあるグループではなかったけれど、いつの間にか「自分たちのグループ」になっていたのだった。

その後も議論は続き、ケイシンの「もっともっと、飼ったらどうなるか調べたい」、レイの「本当に飼えるかどうか飼っている人のところで修行したい。」と新しい意見が出てきた。修行をするかあ。全然思っていなかったけど、すごくいい発想。本当に子どもの世界って面白い。


その後、実際にニワトリを飼っている人がいないか調査をしたり、飼っている人のところへ訪問して種類や小屋、エサや天敵のことを質問したり。少しずつ、少しずつ進んでいくこのスピード感が面白い。

やらされ感について、答えは出ない。もしかすると、子どもの文脈を考えて合うものを「提示」しようという意識自体は違うのかもしれない。純粋に子どもの世界をもっともっと見つめて寄り添って、一緒に悩んだり楽しんだりすることが良いんじゃないかと、今のところは考えている。少なくとも、この「ニワトリを飼いたい」についてはこちらがゴールを決めずに子どもと話し合っていくことが楽しい。

サトミとタツが言っていた。「大人になると夢中になれなくなるんでしょ。子どもはいいよー。」そんなことはないよ。大人だって夢中で楽しんでいる人はいるんだよ。と思いながらも、その言葉から、二人が夢中になって自分がしたいことを取り組めていることを嬉しく思った。

#2021 #3・4年 #保護者 #後期

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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