2021年5月21日
(書き手・有山 裕美子/2023年3月 退職)
風越に来て、1ヶ月とすこし。着任して最初のスタッフ研修で、自ら「問い」をつくった。日々の営みの中で、「問い」はあちこちで生まれているはずだけれど、敢えて今の「問い」を可視化し、仲間と共有する機会はあまりなかったように思う。
改めて自分の「問い」に向き合う。3月までの自分を一旦リセットし、新たな自分と向き合う。今私が一番知りたいことはなんだろう。最も大切にしたいことはなんだろう。しばし熟考する。
私の「問い」には、複数の仲間からのコメントが入り、戻ってきた。なるほど、そういう解釈もあるのか、うんうん、そういうかたちにもつながっていくよね。ひとりで考えることの大切さ、仲間と一緒に考える豊かさ、改めてそのことに気づく。そしてその関係性こそが、私自身の「問い」でもある。
ひとりで「つくる」
みんなで「つくる」
そのふたつをうまくつなげていくにはどうしたら良いのだろう。
その間にはなにがあるのだろう。
今回、自分の「問い」と向き合うなかで、子どもたちが「問い」と向き合うことについても考えてみた。
私にとって「問い」とどう向き合うかが大切なように、子どもたちにとっても「問い」は大切である。いかに豊かな「問い」を持ち、それに向き合っていくか。
風越には、それぞれがそれぞれの「問い」やテーマに対し、ひとりでじっくり取り組む「わたしをつくる時間」と、3、4年、5、6年、7、8年といった2つの学年から構成されるラーニンググループと呼ばれる集団の中で、仲間と協働しながら同じテーマに取り組む「テーマプロジェクト」の時間が用意されている。一人ひとりが自分の問いに向き合い、豊かな時間をつくることができたら、それは仲間との協働作業にも反映されるだろう。逆も然り、仲間との豊かな協働作業が、自身の学びをさらに豊かにする。
学園の中のさまざまな課題も、ひとりで考え、そしてそれをさらにみんなで考える、そしてまた自分でじっくり考える、そんな文化が風越のそこかしこに根付いている。
「問い」は、何もないところからは生まれない。日々のあらゆる体験が、その「問い」のタネになっていくのだと思う。
簡単に答えが出る「問い」もあれば、なかなか答えの出ない「問い」もあるだろう。もしかしたら一生答えが出ない「問い」もあるかもしれない。それでも「問い」を持たなければ、新しい発見も成長も生まれてこないだろう。「問い」を持つことは、いや、自ら「問い」をつくることは、とても大切だなぁと改めて思う。
風越の子どもたちは、とにかくよく読む。ライブラリーが中心にあるという環境がそうさせているのかもしれないが、とにかくよく読む。
そして、わからないことがあるとすぐに本で調べようとする。「問い」が生まれた時に、すぐ手が伸ばせる場所にさまざまな本がある。なんて素敵なことなのだろうと思う。「読む」ことで、「問い」が解決したり、また新たな「問い」が生まれたりする。学園を取り囲む自然もまた、その「問い」を広げ育む、大きな要素になっている。子どもたちは自然に問いかけ、自然に学んでいる。
最初に作った私の「問い」は、仲間の問いと一緒に、1冊のノートになって戻ってきた。
風越ノート「問いの地図」。
1年をかけて、仲間の「問い」にも向き合っていこうと思う。
じっくり たっぷり
ゆったり まざって
遊ぶ 学ぶ 「 」になる
その言葉の意味が、私の中で少しずつ解けていく。
自分の自己紹介のページに、こんな言葉を書いた。
「1日1日を大切に、感受性豊かに、常に新しい発見に驚いていたい。」
常に新しい発見があることに驚きたい、新しい発見をし続けたい、そんな思いで書いた。
私はいったい「 」になるのだろう。
わくわくしながら子どもたちと一緒に、風越での時間を楽しみたい。