2023年5月16日
軽井沢風越学園、4年目がはじまりました。
学校づくりがスタートした2016年6月。9月9日にしんさん(本城)と大宮でミーティングをして学校のコンセプトを話し合いましたが、以下はその時のメモです。
一緒につくる人としての子どもの存在。この時に話したコンセプトは、ホームページにある「大切にしたいこと」の以下の文へとつながっていきます。
私たちは子どもこそがつくり手であることを信じています。
ここでいう「つくる」は物理的なものや学習の成果物だけにとどまりません。安全・安心な場を自分たちでつくる、学びをつくる、自分たちの学校をつくる、コミュニティをつくる、仕組みをつくる、ルールをつくる、自分をつくる。つまり、「わたし(たち)の未来をわたし(たち)でつくる」冒険をするのです。
風越ではカリキュラムを「子どもの経験の総体」と定義しています。
学校での経験を子どもと共同でつくっていく、それが軽井沢風越学園の根幹。
しかし少し油断すると、そのことをサボってしまう。
何かうまくいかないことや困りごとがあると(それは多くの場合、主語は大人)、その困りごとを解決するために、大人だけで考えてしまうことが増えていきます。そうして少しずつ従来の形へと向かい、(大人が)安心しようとしてしまいがちです。残念なことに年々そういうことが増えてきているように思います。大切な意思決定に当事者である子どもたちの声がどこまで響いているか。「子どもこそがつくり手」をどこまで大切にしているか。
春休み、風越ミーティングのファシリテーターチームのカズアキ(新9年生)が、スタッフに向けてプレゼンをしました。開校3年を終え、子ども一人ひとりの「つくり手意識」が減ってきている。スタッフには子どもの「つくり手意識」を育んでほしい、と。
いやあ、参りました。赤木さんがかぜのーとの記事で書かれているように「子どものほうが,風越学園のことをよくわかっている」。カズアキが指摘している状況をつくっているのは子どもではなく、ぼくたち大人です。
原点に戻って、徹底的に子どもの声をきこう、子どもの声を拾おう、子どもに相談しよう、一緒に考えよう。「子どものことを子どもにきく」。2023年スタートのぼくの現在地はここです。
新年度が始まって2週間。校内をうろうろしながら、早速子どもたちの声を聞いて歩きました。今回はそのミニインタビューから言葉をいくつかひろってみます。
最初は5年生のアマネとヨウ。「ここちよくくらせるプロジェクト」を立ち上げ、2階にそのスペースを作り始めています。そのスペースで作業しているところで声をかけました。
新しいスタートだね。どんな感じ? ちょっと緊張。緊張というかドキドキしてる。勉強は難しさが一気にぐっと上がった感じがする。でもがんばってるよ!自分で進める算数なんだけど、スタートはうまくいっていると思う。算数おもしろいんだよ。簡単ではないから、家でもやってきたりしたんだ。わかってきて楽しいよ。 私は、楽しいんだけど、まだあんまり仲良くなれてない子もいるかな。この間男子と、尻尾とりゲームのルールでもめて、少しモヤモヤしてる。その子が負けず嫌いなのはわかってるから、まあ気にしているわけではないけどね。全体的には楽しい感じ!新しいラーニンググループでも、意外ともう仲良くなってきたし、けっこう話すようになってきた。あすこま(澤田)の国語、楽しいんだよ!(以下授業の詳細を楽しそうに語っていた) 新たな授業、新たなメンバーとの出会い。ポジティブなスタートを切ったようです。 続いて7年生のサンちゃん。授業が終わったところで声をかけました。 サンちゃん、7年が始まってどんな感じ?」 もはや3月が懐かしい感じだよ。7年になって学びがぐっと変わった感じ。難しくなったけど面白い。とくに数学がおもしろいんだよ。パフォーマンス課題っていうのがあって、みんなで協力して問題を解くのね。この間は解けなかったけど、みんなと協力しあって解いてみてよかった。どんどん好きになりそう。 いいスタートなんだね。サンちゃんは風越が開校した時は4年生だったけれど、風越の4年目はどんな感じ? 私は積極的にミーティングに参加したりしてる。みんなでつくっている感じがもどってきたかな。 つくっている感じって言っていたけど、さんちゃんにとって「つくり手」ってどんなイメージなの? 学校って、大人がつくったものを子どもが受ける場所と思っていたけど、風越にきてからは、大人が勝手に決めないで!自分たちでやる!って思うようになった。例えばさ、校則は子どもが関わっちゃいけないことって思っていたけど、子どももつくっていいんだって。私は最初からいる1期生みたいなものだから、いろいろつくっていきたいなって思ってる。 3月のアウトプットデーでは実行委員をやっていたサンちゃん。 「ただ参加しているのと、企画する側になるのとでは見えることが全然違う。こんなにやるのって大変なんだって」と話していました。今年度も実行委員をやるそう。今年の活躍も楽しみだな。 続いて8年生のジュン、掃除の時間の途中に「ジュン、ちょっと話聞いてもいい?」声をかけました。 新しいスタートだね。どんな感じ? そろそろ勉強頑張ろうーって感じかな。受験もちょっと意識したりしてる。マイプロジェクトでは、釣りプロジェクトで、環境にいいルアーをつくって実験しようと思ってる。 ジュンは自分のここが変わったなあって思うところある? プロジェクトや探究のときに、振り返りを大切にするようになった。 ジュンは今年どんなチャレンジをしたいと思っているの? りんちゃん(甲斐)が国語の授業で言っていたけど、「誰とでも私をつくる」だな。 「ジュン、頼もしいなあ。風越にきた5年生の時、友だちとケンカして窓から外へ飛び出していっていたころが懐かしいよ 笑」というと、「うわー懐かしー!笑 俺も大人になったんだよ」。人の変化、成長ってすごい。つくづく長い時間軸で人の成長を見ていきたいな。 続いて近くにいた8年生のチーとカノ。 (4月になって)特に私自身は変わった感じはないけど。あ、マイプロジェクト(旧・「わたしをつくる」の時間)が水曜日4時間にまとめてやることになったから時間配分が大変!今年は「日経ストック」をやりたいと思っているし、「ハッピーにゃんこ」も続けたいし、新しく始めた「本日和プロジェクト」もある。忙しくなりそうだね。 そうかあ。ぼくも、チーが言うようにいいスタートだなーって感じている。開校の頃の「みんなでつくるぞー!」みたいな熱を感じてるな。 うん、そうだね。今、「かざこしをつくる」がみんなの中心にある感じ。そして「かざこしをつくる」をみんなでやっているうちに、少しずつ自分が形成されていく。新しい自分が見えてくる。 自分も相手も楽しめる環境をつくるのがつくり手なんじゃない? 4月、オフィスでスタッフと話していても「なんかいい感じのスタート」と感じている人が何人もいます。この「いい感じ」の正体は一体なんだろう。 それぞれが「つくり手」として動き出した4年目の春。 学校も社会も、いろんなものって自己表現の集合体だと思うんですよ。 うん、それぞれが熱量をもって自分を出すことを大切にしていこう。
5・6年の新しいラーニンググループもいい感じ。みんな正直に話すし、自分のことわかってくれる感じがする。6年生もまざってみて最初怖いかなって思ったけど意外と優しくて、いいスタートなんじゃないかな。
ラーニンググループもすごい楽しいよ。8年とか9年とか、最初はすごい怖いかなと思ったけど、みんなやさしくてあったかい。7年生でものびのびできる感じのグループ。
例えば、何かをつくって終わりじゃなくて、つくってどう思って、これからどうしたい?と次を考える。例えば探究で使った資料も、この資料でよかったのかとか、もしダメだったら、何でこれではだめだったのかと考える。そして次からどうするかまで考えることを大切にしているかな。
だって、世の中では仲の悪い人とも仕事するじゃない。俺は仲良くない人とも前より活動できるようになってきた。どんな人とでも自分をつくる。そうすると、いろんな人のいろんな面が知れる。俺、他の人との接し方とか変わってきたと思う。これまで仲いい人とは「よっ!」ってできたけど、そうじゃない人とはあまり話さなかった。今は、割と誰とでも自分のことを話したり、相手に合わせたりもできるようになった。
あとは、今年は、授業全部、自分が納得できるように取り組みたいし、本ももっと読めるようになりたい。『君たちはどう生きるか』にも書いてあったんだけど、今は、俺は誰かの役に立とう、みたいに動いてるし、そうしていれば学校の問題を解決することもできるかな。
7,8,9年のラーニンググループは友だちも多いし楽しいよ!9年生が卒業してさみしい感じもあったけど、新しい7年生が入ってきて明るい感じ。最初の2週間で今まで関わったことのない人とも話せたりしているし、いろんなプロジェクトも始まっているし、いいスタートだなーって思う。
私にとってのつくり手は、一つは自分のやりたいことや興味のあることを追求して、自分が何やりたいのかなを見つけたり、楽しんだりすること。そうすると自分がどうなりたいんだろう、を深掘りしていくことになる。
もう一つは「かざこしをつくる」を中心において、みんなでつくっていく。「かざこしをつくる」ってゴールはなくても、学校が変わるということは環境が変わるということ。環境が変わるということは、自分が新しい環境にいられるようになるということ。その中で新しい自分を知る。環境が変わると自分が変わるよね。
前は「もっとこうすればいいのに」は友だちと話すだけだったけど、今は「こうすればよくない?」って考えて行動できる。自分も相手も楽しめるように変えていくのがつくり手。自分をつくるというのは、周りの環境をつくることも入るし、嫌なことがあっても自分が楽しめる方法を見つけるってことかなって思う。つくり手の感覚を取り戻す
スタッフにとっても、つくり手としての子どもの頼もしさと力強さ、子どもこそがつくり手であることの価値を実感した3月と4月スタートだったのではないでしょうか。子どもから生まれた熱や動きにどんどん乗っかってその熱を大きくしていこう、自分ごとにして全体に広げていこうと行動するスタッフが明らかに増えていることからもそれを感じます。はじまりの3日間もその一つでした。ぼくたちもまた「つくり手」としての感覚を取り戻している真っ只中にいるのだと思います。
最後に冒頭に紹介した9年生、カズアキの言葉を。
究極のところ、何をやるかも、やらないかも自己表現。
つくり手というのは「自分はこういう自己表現をしたい」を打ち出せるということ。それも他人とやりとり、調整しながら自分の違いを出していく。その違いが大切にされると退屈する人はいなくなるよね。全員がつくり手として関わるということは、それぞれが熱量をもって自分を出すということ。それぞれがそうできれば、悪いことが起きることはないと思う。
違うから衝突もあるだろうけれど、それ自体がいいことだと思う。
学校づくりの当事者である子どもの声を徹底的にきくこと。
それだけでおもしろいこと、大切なこと、たくさん動き出すはず。
「一緒につくる人」としての子どもの存在。その声をきく。
幸せな子ども時代を過ごせる場とは?過去の経験や仕組みにとらわれず、新しいかたちを大胆に一緒につくっていきます。起きること、一緒につくることを「そうきたか!」おもしろがり、おもしろいと思う人たちとつながっていきたいです。
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