2023年5月16日
2023年4月。2020年春の開校以来、4度目の春を迎えた。今年の新年度スタートはこれまでと異なり、1年生以上の子どもたちの最初の3日間が、有志の子どもたちによる企画と運営でスタートした。
1か月前の2023年3月に、「卒業証書ランウェイ授与」があり、2020年からずっと最年長だった9年生が卒業した。風越学園では、いわゆる異年齢での活動が多く、年齢を感じさせないことも多い。それでも昨年度の9年生たちの活躍が、開校後の風越学園をつくっていく時期にかなり影響を与えていたことを感じている。
その「願い」や「想い」は、2020年のかぜのーとを読み返すと改めて伝わってくる。
2023年は、転換点の1つになりそうな予感がしている。そんな4年目のスタートを企画した9年生ノイ、コウタロウ、7年生ユロは、風越学園をつくることについてどう考えているのか気になり、インタビューをしてみた。
「はじまりの日」(風越学園では、年度の1日目を「はじまりの日」と呼んでいる)からの3日間は、これまでにないくらいたっぷりと1年生から9年生で遊んだり、風越学園全体に関わる活動を一人ひとりが考えて実際にやってみるところまで進めたりと、かなりダイナミックな動きがあったと思うけど、「つくる」がテーマだったんだよね。 3人にとってこの3日間の「つくる」ってどんなことだった?どんな願いを持ってこの日をつくっていたのだろう? 今回の3日間は、とにかくみんなでつくってほしかった。みんなで楽しむとか。「みんなで」ということを結構大切に考えたっていうのがあります。 だんだんつくる対象とかが、自分の手元に寄ってきちゃってて、風越っていう規模で考えてつくるっていうのが少なくなってきている。だから、この3日間のうち、後半の活動内容を「風越のちょいハピをつくる」にして・・・。(ちょいハピ:自分や周りの人がちょっとハッピーになるもの・こと) 「つくる」って概念は難しくて、なんでも「つくる」って言えちゃうんだけど、今回は対象が「自分」ではなくって「風越」という自分たちが過ごす環境を中心においてやってほしかった。
僕は、「つくるって何か」と言われたら、なかなか思い浮かばない。つくるって、すぐできることでもあるけど、改めて考えると難しい・・・。
この3日間は、みんなに対して「やってもらう」とか「こういう状態になっていてほしい」とかあまり期待をしないようにしていた。みんなとその時間を過ごして、楽しんで、一緒につくる。だから、企画者と参加者ではなくて、みんなが同じ立場ということを目指した3日間だった。
コウタロウは、結構いろんなグループの活動に顔を出していたよね。 うん。それが楽しかった。 それぞれにねらいや願いがあったようだけど、そもそも今回の3日間の企画は、なんでやろうとしたのかな? 俺はちょっと前からかざこしミーティングの運営に関わっているんだけど、やっぱかざこしミーティングの場に対して不満を持ってる人はいる。ミーティングの場をもっと変えていくように結構やってたんですけど、不満が全くなくなるということは難しい。 かざこしミーティングっていうのは、風越学園のことをつくるみたいな場だと思うけど、積極的な人、モチベーションをもっている人が少なくなってきているのを感じていて。あとは、年度を重ねるにつれて、つくる人が固定化していることが気になっている。例えば、掃除についてはこの人とか。そういうのが当たり前になってきてて。 かざこしミーティングでのみんなの姿に変化を感じているんだね。 そう。自分たちがつくれる隙間って、探せばいっぱいあるんだけど、それがあんまり見えづらくなっているのか、つくり手としての意識とか、つくる行動とかがだんだんと少なくなってきたなって思って。 あとは、9年生っていう大きな存在がいなくなって、再スタート的な新しい気持ちを持ってのぞめるはじまりの日がすごく大切だなって思ったから企画に参加しました。 僕は、たまたまコウタロウに話しかけた時に、はじまりの日の企画の話し合いに誘われて、最初はちょっと軽いノリで参加したんだけど、参加してみると、絵を踏んでくださいとか、今から1日黙ってコミュニケーションしてくださいとか、よく分からないところから始まったけど、なんか結構それも面白く感じて。そういう面白い企画を、自分たちでつくれるっていうのは、自分にとってすごい強みになると思って参加したというところがあります。 実際一緒につくってみて、どんなインスピレーションがあった? うーん。なんかね、すごい場のつくり方が上手いなって思って。 場のつくり方がうまい。どんな感じなんだろう? この企画をする上でのアイデア出しの方法とか、話し合いや段取りの取り方もすごい。そういうところって「手段」の話なんだけど、お互いの願いが心にちゃんと残るのか考えた手段を考えようとしているところがすごい。僕も参考にして、別な場面にもつなげていけたらなって思ってます。
あとは、僕はもともとアウトプットデイの企画委員会をやっていたけど、今年度はメンバーが少なくなって、ここも新しい始まりだなーって思っていて、どうしたらいいのかなっていうのをもう1回考えたいなって思っていたところだった。なので、先輩たちの考えからのインスピレーションを求めてやってみようかなっていう感じです。
コウタロウはどう? 僕は風越に入って2年目、3年目になって、風越にじわじわと違和感を感じていたのかな。もう3年目の2023年1月ぐらいにそれが爆発しちゃって。「もう俺は森に行ってやる」って森に逃げた。(自然の中で体験したことから実践的な学びをつくっていくため、2月〜3月はスタッフと学び方を相談しながら森で過ごした。) 違和感ってどんな違和感を感じていたのだろう。 なんだろう、教科の授業の時間もスタッフと一緒につくれそうなのに、ただ授業を受けているだけだし、プロジェクトも継続するだけで新しいものが立ち上がらない。なんとなく惰性的に進んでいる気がする。 その立ち上げづらい状況とか、もうちょっと困ってることとか、子ども同士でざっくばらんに話せないのかなと感じてて、日々お父さんにいろいろバーって愚痴をぶつけていたんだけど、ある時、みんなの困りごとややりたいことっていうのが、みんなの真ん中に置かれて、それにみんなが乗っかったり、支え合ったりすることをすれば、すごい楽しいんじゃないかなって気づいた。それではじまりの日を企画しようかなって。 この3日間をどう設計するかということは、かぜびらきの日(はじまりの日前日の校舎開放日)でも長く議論していたよね。とてもむずかしい挑戦だと思っていて、3人はどんなところで手応えや葛藤を感じていたのかな? 手応えというか、最初はこういうの出てくるのかなとか、こういうことが起こるんじゃないかってネガティブな予想をして結構心配していた。でも、やっぱそういうことばかり考えちゃうと考えがストップしちゃうなと、みんなの意見を聞きながら思って。だから、そっちを考えないで、あえてチャレンジするっていう風にすると、僕的にはこの3日間は満足っていうか、はじまりの日としては結構レベルが高かったんじゃないかって思う。 例えば、去年、マイプロジェクトとして取り組んでいることはないとか、何をすればいいか分からないとか、そんな感じの人もいたけど、はじまりの日の様子からは、みんなやりたいことのアイデアを出そうと思えば出せるっていうのがすごい分かったので達成感を感じた。あと、自分のやりたいこと、風越をちょっとハッピーにするっていうことをテーマに置いたんですけど、結構みんないろんなことを議論していた。デトックスウォーターを置いたり、ロードバイクのコースを作ったりとか、この3日間ですごいグッと行動に移して、普段に比べて実現することが多かったし、チャレンジできることが多かった。だから、「できるんだ!」っていうそういう思いを取り戻せた時間だったと思う。 今、ユロが言ったことは本当その通りだなって思って、学年の時間で9年生でも円になることがあったんだけど、そのときもきっぱり男子と女子に別れて発表するみたいな。そうすると、発表の時に男子から始まると男子が全員終わって、それから女子が続くってことに特に違和感を感じることがある。まあ、俺もそこの一人だったんだけど。でも、そういった面もありつつ、昨日も集まったんだけど、9年生みんなですごい盛り上がれるっていう一面もあって、一概に座り方でダメとかいうわけでもないのかなと。 いろんな人、ホームがあるじゃん。いろんなことに興味持ったり、いろんなことが得意だったりとか。なんか、そういう人たちと、もっと関わったらいいと思うんだけど、関わってない現状があって、ちょっともったいないのかなーみたいなのは思ってる。でも、この三日間は割と混ざってたチームもいたよね。 うん、いたいた。 俺らも多分、割と混ざるような設計にしてたなって思うから、結構、イケてたんじゃないかなとは、俺の手応え的には感じたかな。 次の週のマイプロジェクトのキックオフで、結構学年またいだ動きができたのも最初の3日間の影響あったんじゃないかな。昼カフェとか、7,8,9年生中心にやっていたところに3,4年生が入っているところもあったよね。 俺も動画編集のプロジェクトやってたけど、映画撮ってるっていうちっちゃい子たちがいて、確かに繋がりの手応えを感じましたね。 最近の3,4年はなんかすごい勢いを感じますね。 話を戻すけど、コウタロウはこの3日間どうだった? 僕は1日目から2日目の10時ぐらいまで、ずっと不安というか、イマイチだなというか、なんだろうなと思ってて。なんか自分がみんなに何かやれって求めてるように伝わっているような。それでモヤモヤが生じちゃって、心が痛いというか。 でも2日目に、みんなに「ちょいハッピーをつくろう」って手渡して、2時間ぐらいつくったところで、一気に雰囲気がガラッと変わった。自分自身も「風越の今」に対する見方も、何もかも変わって。希望に溢れてるっていうのかな。わかんないけど ここどうしようかな、ここなんかできそうだなとか、そういうのが生まれていって、なんか心地いいし、楽しいし、ずっと居たいっていうか、みんなともっと関わりたいって、そんな気持ちになった。 3日目もその雰囲気でいけたなっていうふうに感じて、話し方っていうのかな。何か決めるときの話し方も、誰かの提案に積み上げていくみたいな。相づちも、いいねとか、なるほどとかも、聞き流すような感じがなかった。だから、そういうのが楽しかったし、みんなからいろんな面白いものが浮かんできて面白かった。
だから、前の9年生が卒業したこととかは全く考えてなく、普通にただの年度始めだからっていう気持ちで始めた感じですね。
でも、なんか「うーん」って思ったところは、めんどくさいなって思っちゃう人がちょくちょくいるのが難しい。もちろん、全員っていうのは無理だとは思うけど、でもそこをうまくケアしてみんなが入れる場っていうのをこっちがつくらないといけないと思って。だから、あともうちょっと挑戦するんだとしたら、もう少しみんなが混ざれるっていうのをやりたいな。
最近風越の7,8,9年は意外と混ざっている。でも、8年はグループがあって、友達と一緒にやりたいなとか、男子女子できっぱり分かれてしまったり。それがあるのは良くないなと思って。それを無理にとは言わないけど、もうちょっと深められて、フレンドリー、ウェルカムな感じになればいいなと思う。
確かにそういう変化あった、雰囲気変わったよね。 1日目と、真逆の感じですよね。 1日目はどういう感じ? 最初の1日目は なんか…、みんな登校したら、グランドに行ってくださいって言われて、リュックを持ってグランドに行って、そしたらなんか準備しているみたいな、よくわからない不安もあったと思うんですよ。しかも、新入生もいたし。1日目は新入生をどう知るかっていうことを中心的にやってたんですけど。例えば、「オタク会議」っていう好きなものをみんなで掲げて、好きな人同士で集まって、その人たちで5分間ぐらい話し合うっていう時間もあったんですけど、その時間は、もうちょっと工夫できたよね。 そうね。 そのオタク会議のみならずね。イイナとか、フィードバックしてくれたけど、なんかもっとみんなが関わり合える場があってもいいんじゃないかって。本当その通りだなとは感じたんだけど、まあ目的っていうかその新入生がなじむっていうことは割と達成できてたかなって思う。たぶんああいうのが何か新年度あるのと、ないのとじゃあ違うんじゃないかなと思う。だいぶ良かったんじゃないかなとは思う。
最後に改めて「つくる」ってみんなにとってどんな感じ? つくる。ちょっとポエムっぽくなっちゃうんですけど(笑)、「つくるっていうのは壊すのと一緒」。ニコイチみたいな感じがしてて、しかも、その時々で最善って違う。例えば、掃除とかは、その場その場とか、年間でとかで変化させていかなきゃいけないものだと思うから、だからつくるっていうのは壊すことでもあるのかなって思ってる。 変化のためにつくることは、壊すことでもある。 僕にとってつくるっていうのは、ちょっとずつ進めていくという感じ。なめくじみたいなスピードで。 風越をつくるみたいなつくるって、いきなりできないと思うんです。時間っていうのは常に流れてるけど、早いわけでもないし遅いわけでもない。そう感じる時は、自分の中のペースっていうのを大事にして、そこで自分のやりたいことと、目的っていうのをしっかり見ている時だと思う。 あと、僕は、楽しいっていうのが一番力になるんじゃないかなって。ゆっくり徐々につくるってことをやっていければなって思ってます。 つくる…。うーんと、なんだろうな。やっぱりつくるって、つくる人たちと同じ地面っていうのかな。そこに立って一緒にやっていくこと。やっぱり楽しいっていうのがいいかなとも思いつつ、はじまりの日の1日目くらいに、それぞれの活動から全体の場に帰ってきた時に、楽しいよりも、なんかちょっと別なこともあった気がするんです。 りんちゃん(甲斐)が、「自分がつくったなあって感触を体が覚えてる。うおーとなる」みたいなこと言っていたけど、それとは別の体の覚えてないつくるもあるだろうとも思っている。例えば、僕もおじいちゃんの仏壇を作ったときは、うおーとはなんなかった。でも、ゆっくり徐々に、そこにいる人となんか楽しむっていうか、その時間を楽しく過ごすっていうことなのかなと思うし。まだ答えはあんまり・・・。うん、まだ言葉にあんまりならないっていう感じです。 最後に、この言葉はぜひ置いておきたいっていうのがある? 置いておきたい…。今回はじまりの日は、みんながやりやすいように、「ちょいハピ」っていう枠をつくったと思うんだけど。枠の中でいつまでも楽しいというのは、ちょっと違うと思っていて、いつでもつくっていくことができると思っている。みんなと一緒につくっていきたいっていうふうに思ってます。 俺、はじまりの日でつくるっていう体験をして、それだけで終わらないっていうか、終わらないでほしいっていうのがあるんです。やっぱそのはじまりの日が終わって、また日常でつくらない感じの空気感になっていくと、今回やったのは何なんだみたいに思っちゃう。 でも、今は、その流れをスタッフも汲み取ってくれて、授業とかでもなんかでも、ちょっとつくるってことを重点的に取り上げてもらったりしていて、今いい感じに進んでいるなって思う。みんなつくり続けていてほしいなって、すごい思います。 軽い感じでつくるっていうのをやって欲しいな。あと、そこに風越の良さっていうのがあるんじゃないかなって思っている。その風越の良さを活かしきれるかどうかってことを考えたい。 あと、風越をうまく利用して、自分に取り込むっていうこともやっていきたい。僕はまだ7年生なので、まだ3年ぐらいいるので、どんどんつくっていけたらなって思ってます。 将来有望ですね。 でもね、一緒につくる仲間っていうのがいないとつくれないなって思っていて。 そうだね。 ちょっとやる気はあるんだけど、引き気味な人もいる。偉そうに言える立場じゃないんだけど、そんな人も含めて、みんなでつくるっていうのをずっと大切にしていけたらなって思ってます。
インタビューを終えて、何度か出てきた「一緒につくる」ということについて少し考えたい。
当初、今回の企画に関わっていたカズアキ(9年)は、企画の方向性に違和感を感じ、途中でチームから離れた。3日間が終わった翌日、カズアキはコウタロウに「仲が悪いわけではないけど、場の進め方についての考えは全然合わないんだよなー」と話しかけていた。率直に言葉にできる素直さとともに、尊敬している様子が伝わってきた。
はじまりの日の朝、カズアキも早くに登校し、ホワイトボード前で最後まで意見を出し合っていた。方向性が違っても、企画チームを信頼した上で自分の意見を言える関係や関わり方は、「一緒につくる」ことを支えているように思う。
子どもも、大人もいろんな「願い」や「想い」をもって日々を過ごしている。意見が合わないこともよくあること。関心があってもうまく関われてないこともある。
それでも風越学園を「一緒につくる」ことをあきらめたくない。関わり方だって自分たちでつくっていける。3日間の企画チームの様子からそう思える2023年4月だった。