風越の教室に入ってみた 2023年3月27日

【第14回】はじめての卒業式 ―子どものほうが,風越学園のことをよくわかっているー

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2023年3月27日

●周縁者からみた卒業式●

神戸大学の赤木です。
3月21日,風越学園のはじめての卒業式に参加してきました。とってもよかったです。同時に,記事にするのは正直はばかられるな…とも感じました。こう感じる理由の1つは,私が部外者だからです。卒業していく子どもたちの様子を詳しく知っているわけではありません。スタッフや保護者の喜びや苦労といったプロセスも十分には知りません。大事な大事な卒業式を,文字にする資格が果たして私にあるのだろうか,と躊躇しています。

ただ,一方で,1~2か月に1回程度ではありますが,開校から3年間にわたって風越学園を訪問させてもらってきました。これまでの子どもと風越学園のあゆみも多少は知っているつもりです。まったくの部外者ではないと思ってます。

ということで,内部とも外部ともいいきれない,周縁(マージナル)な人として,卒業式で感じたことを書きます。卒業式のことは,かぜのーとで,他にもたくさん記事が出るでしょう。あわせて読んでいただき,卒業式を立体的に想像してもらえれば,うれしいです。
なお,今回の記事は,あまり流れをつくらずに,気づいたままに箇条書き風に書いていきます。

●「『  』になる」がにじみ出たランウェイ●

卒業式は,1日がかりで様々なイベントが行われた。もちろん,卒業生が中心になっての企画だ。そのなかでも中心は,9時からはじまるランウェイだった。子どもたちが,ファッションショーのように,観衆のまえで,大音量の音楽のなかで,お立ち台を歩く。歩ききった先で,理事長のしんさんから卒業証書をもらい,そして卒業挨拶をする。

なんだろう,もうめちゃくちゃ自由でした。歩きながら,上着を脱いで観客に飛ばす人。騎馬戦で出てくる人(なんでやねん),照れながら,でも,1人でしっかりと歩みを進める人,複数人で仲良く歩いてくる人。歩き方だけではない。挨拶もそうだ。興奮してうまく表現できないけど,でも,大きな声で宣言する人。「みなさん,ありがとうございました」とクールに終える人。「最後に背中を押してもらえる卒業式でした」と重みを感じる言葉を綴る人。去るときも普通には去らない。お立ち台の途中で,観衆をバックに自撮りして,盛り上げる人。すごい。ただ,スタッフのりんさんがいってたのだけど,単純に「自由だ。よかったね」だけでは終わらない式だったとも思う。私なりにいえば,「自由って難しいのに,よくその自由を自分なりに表現にできたな」と思う。

どんな音楽を流してもよい,1人で出てきてもよい,3人で出てきてもよい,どんな服装でもよい,どんな歩き方でもよい,どんな挨拶でもよい,笑いをとろうとしてもよい,照れたまま終わってもよい,泣いてもよい,泣かなくてもよい,そもそもそんなこと決めなくてもよい…。自分で「自分の表現を決められる」のがすごいと思う。ほんまに自分ら中3か?と思うくらい。風越学園の理念である「『  』になる」がにじみでたランウェイだなぁと思う。子どもたちは,風越学園のことをよくわかっているのだろうな,と思う。

●卒業式はアウトプットデイだ! いや,アウトプッティングデイだ!●

9年生にも驚くが,7,8年生の姿にも驚く。7,8年生が,卒業生の司会(MC)を勤める。軽妙な司会ぶりにも驚くが,そのなかで,さらっとマユが,「来年は,これよりいい卒業式を目指してるんで!」と宣言して場をもりあげる。

「おお!マユ、すごい!」と思うと同時に,「え?!」と思う。卒業式って自分でつくるものなのか?私のなかでは,「先生がつくったセリフを覚えさせられて,間違えたら怒られる」という修行の儀式だった。でも,そうではなく,つくるものなんだ。おぉ。

この「つくる」思想は,さらに空気のように自然だった。次の写真をみてほしい。8年生のコハクが,PCを片手に,9年生の個々の出場曲をコントロールしている。後輩として,卒業式を一緒になってつくっていく,そんな姿勢が,自然になっていることがわかる。

余談だが,そばにフツーにいるだけで,基本的にはなにもしない(笑)うまっちの背中を見るのが大好きでした。うまっちに限らず,風越のスタッフはこんな背中をよく見せるんですよねぇ。

極めつけは,このボードだ。見た瞬間,「卒業式までフィードバックするんかい!」と,思わず心のなかでツッコんだ。聴くところによると,しんさんと8年生が相談して作成したとのこと。9年生への愛とともに,もう次の卒業式をつくる気持ち満々だ。卒業式は,アウトプットデイなんだということがよくわかる。いや,どんどん動いているので,卒業式は,アウトプッティングデイと,進行形で表現したほうが適切だろう。しかし,年度最後の日でフィードバックかぁ。まじで,すばらしい変態っぷりだ。

そんな子どもの動きについていけないのは,このような感想を述べる私だけではないと思う。他の多くの大人もついていけてないのでは? その証拠に,写真のフィードバックボードをみてほしい。かなりの数の大人が参加していたのに,フィードバックのコメントはこれだけだ。実際,このフィードバックボードを見たある大人は,「フィードバック?」とつぶやき,去っていった。一方,子どもは,「コメント少ないな…」と不満そうなつぶやき。
大人にとっては卒業式は見るもの。でも,子どもにとっては卒業式は参加するとともに,つくるものなのなのだろう。(※でも,まぁまぁ多いかも笑/私が見たときは少なかったのだけど)

子どもたちのほうが,風越学園のことを,よくわかっている気がする。

●小さな子にとっての卒業式●

マージナルな立場としては,卒業式に外れた子どもがいるか,気になる。そこで,ランウェイの輪から外れてウロウロする。すると,いた! 写真のように,幼児のだいせいたちが,ランウェイ中,「卒業式はどこへやら」モードで走り回る子どもたち。めっちゃいいですね。めっちゃいい!
アメリカの異年齢学校の先生,Mirandaの言葉を思い出す。「小さい子はすべて参加しなくてもいいよ。そもそも,本人なりに参加してるやん」「今だけで判断せんでええ。数年のスパンで見たら,じわじわわかってるから」。幼児たちは,おそらく関心のあるところは,卒業式に参加し,そうでないところは,彼らなりの参加をしているのだろう。小さいになりに,安心して参加できる雰囲気があるのを受け取っているからできる動きだ。
小さい子は,小さい子なりに,風越学園のことをよくわかっている。


●9年生の最後のチョイス:異年齢でのとりくみ●

ランウェイを終えても,「校舎内で全員で宝探し」など,様々なイベントが行われていた。謝恩会でおいしいご飯を食べたり,みんなで遊んだり。そのなかで印象に残ったのは,10時45分からの1年生から9年生までの子ども全員,保護者,スタッフ全員があつまってのゲーム。学年ごとに一列にならんでの伝言ゲームを行うというものだ。

もちろん,しきるのは9年生。シュウゴとテッピーのコンビで,場がすすむ。でも,はたから見ていて,なかなか難しいんじゃない?と思った。ランウェイを終えて,みんなほっとしてなかなか場に集中できない様子があったからだ。おしゃべりに夢中になる保護者もいたし,1年生や2年生はそこかしこで遊んでいた。そんなとき,あろうことか,8年生のキヨが,スマホでネットをみていたのか,「WBC,日本が逆転!村上がうったぁぁ!」など大声で前に出てくる。場はそちらにひきずられる。「あちゃ~。もうこれぐちゃぐちゃなるやん」と思うわたし。ところが,シュウゴは,むしろ一緒に盛り上がって,WBCの日本の活躍を喜ぶ。そこで,場が一体になったところで,「私たちもWBCに負けないくらい盛り上がりましょう」と続けて,場がつくられていく。いや~,一喝して注意したくなるところを,みんなのアドリブや脱線を受け止めながら,場をつくっていく。すごい。ほんとにキミは9年生なのか?

伝言ゲームの問題の1つは,同じく9年生のテッピーがつくった「ぎゃくてんサヨナラまんるいゆうしょうけっていホームラン」。なかなかの難問で,特に1,2年生チームは苦戦する。また,保護者チームも人数が多いこともあり,同様に苦戦。時間がとてもかかってしまう。結果として,なかだるみ的な時間ができる。私なら,イライラして「早くしてください~」と言いたくなるところだ。

でも,シュウゴ,テッピーは,まったく動じない。ゆったりとかまえて,ときおりみんなに話かけながら場をつなぐ。だからこそ,最後は,1年生の「満点ホームラン」とかかわいく変換された答えを聞いたりしながら,みんなで楽しむことができた。前回の記事にも書いた「全力でゆるく」が体現されているような活動だった。

スタッフに聞けば,9年生の間でも,「学年別に分かれてしようか」という意見も出たらしい。でも,やっぱり風越だよねぇ,ということで,このような全員参加の取り組みを企画したとのこと。最後の最後で,この活動をチョイスした9年生。
子どもたちのほうが,風越学園のことを,よくわかっている。

●子どものほうが,風越学園のことをよくわかっている●

「子どものほうが,風越学園のことをよくわかっている」と書くと,「ほうが」にひっかかるかたもいるかもしれない。誰やねん? と。もちろん,これは,「大人よりも」という比較が念頭にある。もちろん,大人といっても様々な人がいるので,おおざっぱすぎる比較かもしれない。
でも,やっぱり,こう表現したくなる。風越学園は,自分たちでつくっていく学校だ。よりかかることのできる明確なモデルや枠組みがない。すると,今のやりかたでいいのか,不安になってきてしまう。そして,迷ってしまって,幅をせばめたくなる。「異年齢よりも学年の幅を狭くしたほうがいいんじゃないか」「1つの教室でやったほうがいいんじゃないか」「勉強ガンガン教えたほうがいいんじゃないか」などと思う(ちなみに,これ,すべてワタクシのことです。あしからず。同時にスタッフ,保護者のなかの心のなかにも,こういう迷いはちょっとはあると思う)。
そんななか,今回の卒業式で見せてくれた子どもたちの姿は,風越学園の良さを十分,うつしだしてくれていた。子どもたちの姿を見たおかげで,風越学園の良さを改めて感じたり,発見できた大人も多かったはずだ。やっぱり,「子どものほうが,風越学園のことをよくわかっている」のだと思う。

●卒業,おめでとう●

この3年間,9年生のみんなは,楽しいこといっぱいのなかで,もしかすると不安なこともあったかもしれない。「おれたち実験台だから」と,以前にはつぶやいた人もいたとも聞きました。確かにそうですよね,スタッフでさえ,そもそもどうすればいいかわからず,手探りでやってきたのだから。
そんな状況のなかで(しかもコロナもあるなかで),「実験される人」という教育の客体という立場を反転させ,今回の卒業式に象徴されるように,作り手として,立派に風越の歴史をうちたてたことに,敬意を表したいし,ここまで書いてきてやっぱり,風越学園のことをよくわかっているのだなと思う。

敬意を表するとともに,でもやっぱりみなさんは,大人ではありません。まだまだ守られていい存在だ。これから迷うこと,悩むことも,モヤモヤすることたくさんあると思う。そんなときは,いつでも風越学園に来たらいいと思う。そうだ! しれっと,内緒でホームのつどいとかにまぎれこむのがいいと思う。みんなが一番わかっているように,風越学園は,異年齢でごちゃごちゃしているから,まぎれこんでもわからないはず(笑)。それに,まぎれこんでいるのがばれても,スタッフは,きっとおおいに面白がってくれて,そして,キミたちを愛おしんでくれると思うよ。

また,どこかでお顔を拝見でき,お話を伺えること,楽しみにしています。卒業,本当におめでとう。

 

#2022 #9年 #みらいをつくる #わたしをつくる #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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