2022年1月24日
神戸大学の赤木和重と申します。今年度もそろそろ終わりに近づいてきましたねぇ。年度末が見えてきたこともあり,今回は,少し大きな話をしようかなと思います。
私の専門は,発達心理学です。特に,発達障害など社会的にマイノリティの子どもたちの発達に関心を持って研究してきました。そのこともあって,風越学園では,ウェルネスのスタッフの方々と雑談も含めて,話すことがよくあります。
ウェルネスのスタッフと話すなかで,繰り返し出てくる話題があることに気づきました。それは,「学びに向かいにくい」子どもたちのことです。「学びに向かいにくい」とは,具体的には,「土台の学び」といった学習の時間に参加せずに, 1人でブロックをして遊んでいる」とか「複数の子どもで,教室から離れて特に何をするでもなく、ふらふらして話している」といった状態をさします。もちろん,このような学びに向かわないこと自体を否定するつもりはありません。誰でも勉強したくないときはあります。それに勉強しないかわりに何か熱中していることがあれば,OKだと思います。
ですから,単純に「学びに向かわないのはダメだ!なんとかしないと!」とは思いません。スタッフも思っていないでしょう。ただ,それでも,この「学びに向かいにくい子がいる」事態は,丁寧に考える必要があります。その理由の1つは,(全員でないにせよ)子ども本人が「学びに苦しんでいる」からです。学びに向かえない背景には,自信のなさからくる子どももいました。このような子どもを前にすれば,「学びの向かいにくさ」について考える必要があります。
もう1つ,「学びに向かいにくい子がいる」問題を丁寧に考えたいと感じる理由があります。それは,風越学園は,「個に応じた」学びを大事にしているのに,なぜ「学びに向かいにくい」子どもが出てくるのだろう? と不思議に感じたからです。例えば,風越学園では,自由進度学習が行われていたり,自分自身の探究テーマを深める時間があったりして,一般的な学校に比べ,それぞれの子どもの興味・関心・能力に応じた学習環境が保障されています。つまり,「学びやすい」はずなのです。なのになぜ,学びに向かいにくい子どもが出てくるのでしょう? 不思議といえば不思議です。
授業に参加するなかで,おぼろげではありますが,理由がつかめてきました。小学校3年生Aくんの様子を紹介します。なお,複数の子どもの様子を組み合わせるなどした架空のお子さんであることを断っておきます。「土台の学び」の時間がはじまると,ほとんどの子どもは,クロームブックを持ったりして教室を移動します。ところがA君は, 2階の教室に移動しません。浅間山がちょこっと見える1階のソファでごろごろしたり,カプラという積み木で遊んでいます。そして,たまたま通りかかったBくんに,後ろからキックをしてちょっかいをかけに行きます。そして,そのまま,2人で積み木で遊んだり,そのまま寝転んで何やら楽しそうにしゃべっています。
「土台の学び」の時間がはじまって10分ほど経つと,スタッフが2階から降りてきて,Aくんと対話をしながら,教室に入るように誘いかけます。その後,Aくんは,教室に移動し,学習をはじめました。
その様子を見て,Aくんが教室に入りにくい理由が少しわかりました。学習の基礎的な力が十分ではないようなのです。「136+268」のように繰り上がりが2回はいってくるようなひっ算になると,途中でこんがらがってしまいます。違う位から数字をとってきてしまいます。本人も頭のなかで「?」が浮かんでいる様子。独力でプリントを取り組むのは,ちょっと厳しいかな…という印象をうけました。実際,5問目くらいになってくると,数字を適当に埋めて,近くにいる友達の鉛筆を取るなどしたり,近くにある小さなブロックで遊び始めました。算数に取り組むことに苦手意識があるのでしょう。本人も,どこかで「できない」というのはわかっているようです。教室から足が遠のくのも無理からぬことです。
このような子どもの姿を見ると,「子どもの実態を丁寧にアセスメントしたうえで,対応を考えましょう」となりそうです。学習のとっかかり時など要所要所でスタッフがフォローしたり,学習の内容を変更するなどです。実際,このような方針は大事ですし,すでに取り組まれていることも多くありました。
そのうえでとなりますが,もう1つ考えたいことがあります。「子どもの学びに応じた学びを保障しているのに,なぜ学びに向かいにくい子どもがでてくるのか」についてです。繰り返しになりますが,風越学園は,一般的な学校に比べれば,個々の子どもに応じて,学習内容をアレンジしやすい環境です。実際,自由進度学習や探究学習では,かなりの程度,アレンジできます。にもかかわらず,学びに向かいにくい子どもが複数出てくることを考えれば,個々の子どもの個別具体的課題であることを超えたところにある,風越学園のもつ構造的な特徴が関係していると考えるのが妥当です。
結論を先にいえば,風越学園のカリキュラムに規定された子ども理解のあり方が影響していると考えられます。具体的には,3年生以上の後期については学習ベースで子ども理解がなされており,生活ベースでの子ども理解が十分ではないということです。
学習活動ベースでの子ども理解とは,個々の学習活動にそくして,子どもの気持ちをとらえるという理解です。一方,生活ベースでの子ども理解とは,個々の学習活動を含めて,学校生活の1日の流れのなかで,子どもをトータルでとらえる理解の枠組みをさします。
一般的な小学校であれば,この2つの子ども理解は,ほぼ重なります。基礎集団が固定的であるため,1時間ごとの学習活動で子どもを見ると同時に,1日トータルに子どもを見ています。ですので,この2つの子ども理解はいずれも満たすことができます。そもそもこの区別を意識すらしないほど自然なことだろうと思います。しかし,風越学園の場合,カリキュラムの特性上,この2つの子ども理解が重なりません。そして,この重ならなさこそが,学習に向かいにくい子の出現につながりやすいのです。
スタッフは,コロナ感染対策の時期を除けば,基本的に学習活動を単位に動いています。例えば,国語を中心とした教科を担当するスタッフもいれば,5,6年生のテーマプロジェクトにコミットするスタッフもいます。もちろん,それぞれのスタッフは「ホーム」という異年齢集団を担当し,生活の視点からも子どもとかかわっています。ただ,このホームの時間は,基本,朝のつどいと帰りのつどいだけです。そのため,スタッフは,学習活動であれ,ホームであれ,1日トータルで特定の子どもを見ることは,基本的にありません。(編集部注:風越学園では、スタッフも子どもも1日を通じて活動するグループや場所の流動性が高い。参考記事:「やる、やらないの選択ではなく、どうやるかを選択しよう」)
そのため,学習活動ベースでの子ども理解が中心になり,子どもの生活をトータルで理解することが簡単ではありません。このことが一概に悪いわけではありません。スタッフは,学習での子どもの様子がよくわかりますし,それぞれの学習内容を深く準備し教えることができます。ただ,「学びに向かいにくい子」を考える場合には,難題が出てきます。
なぜなら,学習場面だけでの子ども理解は,子どもの気持ちをつかみきれないことが多いからです。トータルで子どもの姿をとらえていないために,学びの向かいにくさが,「学習全体にわたる向かいにくさ」なのか「この学習活動のみ」なのかが,判断がつきにくくなります。さらに,「おかんとけんかしたので,今日はやる気が出ない」といった学習活動とは直接関係のない原因についても想像することが難しくなります。
すると,子どもに対してのかかわりに迷いが生じます。「Aくんは,ほんとは算数に取り組みたい気持ちだけど,とっかかりがしんどいのだろう。だから,今日は,教室に強めに誘いかけて,あのプリントを一緒にやろう」とか「今は,子どものなかでも気持ちがたまっていないのだろう。だから,今週は,見守っておこう」といった「おす」「ひく」といった対応に確信がもちにくくなります。すると,「あまりに教室にもどってこないし,そろそろ呼びに行くかな…」みたいな対応になる可能性があります。
当然,このような迷いのある対応では,子どもが納得して自分の気持ちや行動を切り替えることはありません。結果として,「学びに向かいにくい」という状態が続くことになります。
なお,ここまで書いてきた対応は,ある程度あてはまるスタッフもいれば,そうでないスタッフもいるでしょう。一概にいえるものでありません。しかし,いろいろなスタッフと話す限りでは,スタッフの個々の違いを超えたところのカリキュラムのあり方が影響しているように感じています。
風越学園のそれぞれの子どもの関心・意欲・能力に応じた柔軟に学習内容が決められる流動的なカリキュラムは,とても魅力的です。「みなと同じ内容をみなと同じペースで教えられる」学びかたではなく,自分の関心に応じた学習内容に取り組めるような風越学園の教育は,子どもたちのもっている力を発揮・涵養していくことにつながります。本当に魅力的ですし,子どもたちが「変態」していく様に魅了されます。
ただ,今回のトピックでも明らかになったように,個に応じた学びをつくるカリキュラムを作りさえすれば,「すべてうまくいく」というわけでないことにも目をとめておきたいと思います。流動的なカリキュラムを組むことで,トータルな子ども理解のしにくさにつながります。その結果,学びに向かいにくい子どもが出てくることにもつながるのでしょう。
これまでの公教育を批判する際,「既存の学級システムを変えればうまくいく」的な話が語られがちです。私も「同一年齢・同一内容・一斉教授」の問題点は感じています。しかし,大事なのは,ここまで論じたことからもわかるように,カリキュラム万能論に陥らないことに注意することが必要でしょう。
もっとも,ここで書いてきた問題意識は,なにより風越学園のスタッフの方々が一番よくわかっておられます。今年度後半からは,コロナ禍による制約はありつつも,「子ども会議(ミニケース会議)」といったスタッフ間の対話の場がとられています。様々な立場から子どものことを語り合って,トータルに理解を深めていく場がとられ,丁寧に実践を進めていく様子を拝見しています。
大事なのは,「これさえすれば大丈夫」という「魔法の壺」を探すことではないですよね。理念を大事にしながら,子どもの事実を丁寧に把握し,その背景を考えていくことなのだろうと,ちょこちょこ入らせてもらいながら学んでいます。