風越の教室に入ってみた 2021年10月25日

【第8回】ゴム銃バンバンフェスティバル〜風越学園の「語られかた」を考える

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年10月25日

こんにちは、神戸大学の赤木和重です。

7月8日,アウトプットデー

アウトプットデーの記事の続きとなります。前回は,「探究活動は,子どもと大人の関係性をフラットにする」的な内容を書きました。真理を追究する場では,人はみな平等になるよなー,いいなーと実感する時間・空間を過ごすことができました。

さて,今日は,角度を変えた記事になります。注目するのは「ゴム銃バンバンフェスティバル」。「ゴム銃バンバンフェスティバル」とは,子どもたちが銃をつくり,写真のように,ゴムを弾にしたうえで,的あてを楽しむというプロジェクト活動です。

当日の朝,私がプログラム表をスタッフからいただいたところから,時系列に沿って書いていきます。いただいたプログラム表は,以下の写真のように,A4で1枚,裏表のものでした。

プログラム表を見ると,午前のプログラム(表面)には「土」とか「生命」といったテーマが並んでいます。そして,裏面には午後のプログラム内容が,開催場所とともにかわいらしく書かれています。

「SDGsプロジェクト」や,「てつがく対話」といった社会派的な内容から,「ジャグリングクラブ発表」「ダンス発表」など体育会系の内容まで様々です。ただ,正直に申しますと,私が一番目をひかれたのは,「14:00~ ゴム銃バンバンフェスティバル」でした。そう,ゴム銃! 小学生のころ,割り箸で銃らしきものを作って遊びましたよね! どうやったら,ゴム銃の威力が増すか,日夜,改造と研究を繰り返した読者も多いことでしょう。

フェスティバル開催の危機

まさかのゴム銃!?と興奮し,これは見逃せないと思いながら,参加しようと思っていたところ,スタッフの澤田さんから「ゴム銃バンバンフェスティバルは,実施できないかも…」との話が出ました。「え?なぜ?」となって,理由を尋ねたところ,次のような事態に陥っていることが判明しました。

もともとゴム銃を人に向かって撃つ子たちが「危険だ」と問題視されていた。そこで、安全にゴム銃を楽しめるようにと、スタッフ(澤田)の提案もあってアウトプットデーにてゴム銃フェスティバルの開催を企画。日本ゴム銃射撃協会の沼田さんも訪問し、企画を準備する。
にもかかわらず、アウトプットデー前日に企画メンバーの一人がついゴム銃を人に向かって撃ってしまい、「このまま開催していいのか?」と澤田が子どもたちに問う。本城含めて話をする。
実施か中止かをスタッフが決めるのではなく、子どもたち自身で結論を出すよう話し合った結果、「事前申し込みも受付して参加者もいるし、沼田さんもいらっしゃることから、この場で中止は決定せず、当日、開催前にその場に集まった人たちに話して、開催するかどうかを考えよう」となった

あくまで想像ですが,しかし,ものすごく想像がつきます。銃をつくっているうちに,うれしくなって興奮してしまったのでしょう。そして,うれしくなりすぎて,つい,ふりまわしてしまったのでしょう。それに,これまた想像ですが,銃を持っているうちにノリノリになってしまい,友達についつい撃つ真似とかしてしまったのかもしれません。
危ないことですし,やってはいけないことです。ただ,同時に,一方で,その男子の行動に「わかる…」と共感してしまうところもあります。

そんなこんなで,14時が近づいてきました。時間です。果たして,ゴム銃バンバンフェスティバルは開催されるのでしょうか? ドキドキしながら,開催地であるライブラリーの端っこに向かいます。そこには,なんと理事長の本城さんがおられました! 子どもたちとこの件で,やりとりしているようです。遠くからなので,詳細は聞こえなかったのですが,今回の事態を子どもたちがどんなふうに思っているのかを聞き、それを聞いた上で本城さんがどのように思っているかをやりとりしておられました。本城さんと子どもたちの対話が続きます。

頭のなかの98%はゴム銃?!

多くの子は,本城さんの言葉を真摯な表情で受け止めています。なによりしっかり考えているようす。し,しかーーーーーーーーーーーーし,一部の子は,もう「心,ここにあらず」状態。そわそわしています。目と手がばっちしゴム銃を向いています。
「話,全然聞いてないやないかーーーーーーい!」と壮大につっこみたくなると同時に,「わかる,わかるよ,わかりすぎるよ! いま,君の頭のなかは98%はゴム銃になっているのでしょう。必死でつくって,ええ感じでできたゴム銃の出来を試したいのでしょう!」と共感もしながら,事の推移を見守りました。
その後,無事にゴム銃バンバンフェスティバルが開催され,真剣に,かつ,楽しく大いに盛り上がりました。いや~~ほんと,よかった。

このエピソードをなぜ取りあげたのだろう?

自分で自分が不思議なのですが,なぜこのようなエピソードをここで取りあげたくなったのでしょう? ゴム銃ではなく,他の活動を取り上げてみてもいいはずです。それに,ゴム銃を取り上げるにしても,「遊びと学びの接続」とか,「銃を作成するプロセスに注目した探究的な活動の意味」「異年齢のかかわり」などでもよさそうです。

確かにそうだよなと思います。ただ,このエピソードがなぜか鮮烈に印象に残っており,かつ,書いた方がいいな…と思ったのです。そう感じたのは,今思うにつぎの理由からです。

それは,風越学園のよくある「語られかた」に,はまらないエピソードだからです。風越学園に限らず,教育のなかで新しい取り組みを語る・語られる場合,「効果」「有効性」「オリジナリティ」「斬新さ」などの語感を伴って語られがちです。同時に,これまでの公教育の問題点もセットで語られることも多いです。例えば,「同一年齢・同一内容の学習では,学びに苦しむ子どもが多い。それに対し,風越学園では異年齢で,インクルーシブな教育が行われることで多様性の教育が実現している」などです(ちなみに,これはほかでもない私がよく用いる語り方でございます)。

もちろん,このように語られる内容は事実ですし,風越学園の意義を明確にするうえでとても重要です。社会が求めているからこそ,「有効さ」や「斬新さ」を語られるのだと思うのもよくわかります。ただ,何度か訪問を繰り返していると,決して,このような有効性や斬新さ「だけ」じゃないなと感じます。もっといえば,この「だけじゃない」ところも,意識しておいたほうがよい気がするのです。

こう考える理由は,2つあります。
1つは,学校のなかが「有効性」「斬新さ」で充満することを避けるためです。この「語られかた」が充満すると,いつも肯定的な「意味」を見出さなければならない雰囲気になってきがちです。しかし,学校には,常に意味があるわけではありません。なのに意味を見出そうすると,子どももスタッフも学びも窮屈になり,実践の幅を狭めかねません。実践には,一見意味がよくわからないことや,ありふれたことがたくさんあります。そして,そのわからなさにこそ,次の一手が見えてくることがあります。充満さにブレーキをかけるためにも,「語られていないこと」「異なる語りかた」を意識することは大事でしょう。

もう1つは,有効性や斬新さだけの語られかたになった場合,肝心の子どもの気持ちや学びが見えなくなる恐れがあるからです。「これまでの公教育と違うところはどこ?斬新さはどこ?」といったメガネで見ると,確かに有意義なことはたくさん見つかります。しかし,そのメガネだからこそ,見えなくなることも出てきます。例えば,今回のような,とてつもなく子どもらしくて,ほほえましいエピソードです。めちゃくちゃいいエピソードですよね! (※もっとも,事件発生時では,スタッフも子どもたちも真剣に困っていたと思います。あとからみれば,ということです。その点,どうかご理解ください)。
こういうちょっとしたことは,おそらくどの現場でも日々語られていると思います。それが,公共的な語りの場になると消えてしまうのは,もったいなと思います。
こういうエピソードを日々意識して語ることが,学校や教室の空間を守る意味で大事になります。それに,こういうエピソードって,子どもたちにとって振り返りたくなる過去になるんですよねぇ。

なお,急いで断っておきますが,風越学園のスタッフたちは,とても丁寧に子どもの声を聴いておられますし,子どもたちと一緒に学園を創っておられます。ですので,このような心配は杞憂です。そもそもプロジェクト学習に「ゴム銃」があげられているのですから。
そのうえでとなりますが,最近増加してきているオルタナティブ・スクールなどに対する語られかた(しかも,それはたいてい外側から)に,ちょっとザワザワしています。
主流の「語られかた」とは異なる「語られかた」を意識することが,案外,実践の奥行きを広げていくことにつながるのかな?と考えさせられるエピソードでした。ゴム銃フェスティバル,偉大ですね。

#2021 #アウトプットデイ #後期 #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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