風越の教室に入ってみた 2021年8月23日

【第7回】アウトプットデイ,「フツーにおもしろい!」

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2021年8月23日

こんにちは、神戸大学の赤木和重です。

●はじめてのアウトプットデイ

私の住む兵庫県で緊急事態宣言が解かれたこともあって,7月8日のアウトプットデイに参加することができました。アウトプットデイとは,子どもたちが探究してきた学びの成果を発表・共有する場です。以前にオンラインで一度,参加したことはあったのですが,対面での参加ははじめてでした。
アウトプットデイの様子は,すでに,古瀬さんははじめ多くの方が詳細に書かれており,精緻な分析をされておられます。私が改めて紹介する必要がありません。そこで,ここでは,別の角度から,アウトプットデイの訪問記を書くこととします。今回,次回と2回に分けて書きます。

●「フツーにおもしろかった!」

アウトプットデイの第一印象は,「フツーにおもしろかった!」に尽きます。子どもたちの発表する探究する内容に魅かれました。様々な探究学習の成果が,発表・共有されました。そのなかでも,私が,印象に残ったものをいくつかあげます。

印象に残ったもの1つは,『風越「土」ミュージアム:土のはたらきとその可能性を探る 』です。5,6年生によるテーマプロジェクトでした。ハンナさんは,そのなかでも「土を作る」というテーマの発表をされていました。なんと,「花崗岩を土にする」というもの。「え?どうすんの?」と思って彼女に尋ねてみました。花崗岩を加熱し,冷やして,また加熱して,冷やすと,花崗岩がもろくなって土になるというのです。実際,その「石を焼く」様子を動画で見せてもらいました(写真参照)。私自身は,「石がもろくなる」ということ以前に,石を焼く行為自体が珍しくて,興味津々でした。

そして,実際に,加熱して冷やすことを繰り返した石が,下の写真のように展示されており,実際に触ることができました。そして,左のコップにある石を手で割ってみると,あら不思議!ぽろっと崩れるのです!手で割れるくらいにもろくなっていました!
そして,実際に体験してみると,なぜ,花崗岩がもろくなるのかについても俄然気になってきます。彼女に質問しながら,このメカニズムについていろいろ考えました。

もう1つ印象に残ったのは,同じく5,6年生のワークショップ的な発表でした。「森にいる土壌生物について調べる」というもの。下の写真のように,実際の土のなかから微生物を探すというワークショップ的な学習の場でした。土にいる微生物を,体験しながら探し,調べることを体験しようというもの。ちなみに,ツルグレン装置(?)というものを用いて微生物を取り出していました。

土を取り出すと,今度は,次の写真のように,土をプレパラートの上において,顕微鏡で確認します。すると,微生物がいて「おぉ!」となります。
…が,話は,そこでは終わりません。自分が顕微鏡で見た画像を,すぐさま,プリントアウトして,解説つきで「記念品」としてもらえるのです。なぜすぐにそんなことができるのかよくわかりませんが,なんだか感動!

とはいえ,私は仕組みがよくわかっておらず,微生物ではなく,なぜかアリを顕微鏡で見ておりました。全然微生物じゃなかった(笑)。今思うと,子どもたちを困らせていたかもです。すんませんでした。

他にも,ダンスやジャグリングといったパフォーマンス系の発表や,地層を調べるために井戸を掘り,そのままなぜか井戸の近くでキャンプをするという,凡人には思いつかない組み合わせの発表など,見ていてどれも楽しいものでした。

●「フツーにおもしろい」の「フツー」がなぜ出てきたのだろう?

アウトプットデイ,このようにおもしろく参加しました。しかし,ここまで書いてきてふと思ったことがあります。なぜ私は,「フツーにおもしろかった」というように,「フツー」という言葉をつかったのかということ。わざわざ「フツー」という言葉を使わなくても,「おもしろかった」でよいはずです。「フツーに」という言葉がなぜ出てきたのか,我ながら不思議でした。

一般的に,「フツーにおもしろかった」というときの「フツー」は,「そこまで期待していなかったけどおもしろかった」という意味で使われます。私は,アウトプットデイにそれほど期待していなかったのでしょう。大人が見ても楽しく勉強になる発表会だったからこそ,「フツー」という言葉が出てきたのだと思います。

これは,ひとえに私の不遜な態度ゆえの言葉だと思いますが,一方で,これは,学校の「発表会」の行事にも通じるまなざしだとも思います。

多くの学校では,「音楽発表会」「生活発表会」など子どもの学習の成果を発表する機会があります。「授業参観」も日ごろの学びの発表の場ととらえれば立派な発表会の1つでしょう。保護者は,発表会に対して次のような参加になることが多いのでないでしょうか。

授業参観では,教室の後ろにいって,わが子が授業にちゃんと参加しているかをチェックし,先生に当たられたときに間違いなく発言できるかドキドキしながら見守る。少し余裕が出てきたら,先生の授業の仕方を見て,「おぉ,ええ先生やないの」とか「やさしい先生やわぁ」などと感じる。また,生活発表会であれば,わが子の様子を遠くの席から血眼になって探し,見つけると,望遠カメラで撮るのに必死,そして,出番が終われば人数の関係で体育館からそそくさと退出する。

「おもしろいかどうか」という視点ではなく,「わが子ががんばっているかどうか,ちゃんとしているかどうか」というまなざしで,発表会を見に行くことが多いかと思います。たぶん,私だけではないはずです。もちろん,このような発表会への参観の仕方が一概に悪いとは思いません。制約があるなかで仕方がない面はあるでしょう。

それに対し,今回のアウトプットデイでは,私は「子どもがちゃんとやっているか」という評価のまなざしではありませんでした(正直いうと,最初はそうだったかもしれません)。しかし,すぐに,「おー,その発表おもしろいね」と知的におもしろがるまなざしに変わりました。だからこそ,私は,「フツーにおもしろい」と感じたのだと思います。

●真理を探究する仲間としての保護者

子どもの発表の出来不出来を評価するのではなく,子どもの発表内容をおもしろがるまなざし。これは,決して私だけではなく,多くの保護者も持っていたように思います。

例えば,ある3,4年生の子どもたちが,「にわとりを飼う」計画や,にわとりが住む小屋の設計について構想を発表していました。

10名程度の保護者のかたが発表を聞いていました。その後,質問がじゃんじゃん出てくるのです。例えば,「鶏は鳴き声が大変では?」「チャボ,飼っている人がいるけど小さくて飼いやすいよ」「なぜ180センチ×180センチの広さにするの?」「その小屋の設計で工夫したところは?」「その高さだったら,鶏を食べる動物が飛び上がれるのでは?」などの質問がどんどん出てきます。子どもたちは,「ちゃたまやの社長に聞きました」(?)(編集部注:ちゃたまやさんは、お世話になった佐久市の卵専門店です)と答えたり,「うーん」と考えなおしたりしています。

とても爽快なやりとりでした。

子どもの知識の足りなさを,上から目線で「教えてやる」という雰囲気は全くありませんでした。そうではなく,にわとりを飼う計画自体をおもしろがり,小屋の設計理由を知りたがり,どうしたら成功できるかを一緒に考えていく雰囲気があふれていました。そう,これはまさに研究者があつまる学会での質疑応答と同じです! 相手の研究をおもしろがって,ともに真理を探究していこうとする雰囲気にあふれていました。
ここまでくると保護者は,真理を探究する仲間です。とても気持ちがよい時間・空間でした。

同様なことを,「コトバト」という発表で感じました。「コトバト」というのは,国語辞典を使って,バトルするというもの。例えば,「あ」からはじまる「やさしい言葉」を探そうというお題が出されて,国語辞典に乗っている言葉を,3分という時間制限のなかでみつけるというもの。以下の写真のように,子どもたちが前に出てバトルをしていました。

この発表もおもしろかったのですが,同時に,印象に残ったのは,保護者の聞く姿勢でした。保護者のかたは,この発表では,基本「観る」立場です。にもかかわらず,次の写真のように,保護者のかたは,スタッフに言われる前から近くにあった辞書を自ら手にとってスタンバイしているのです! めちゃめちゃやる気やん!(笑)とつっこみたくなりました。一緒におもしろがろうという保護者の姿勢を感じることができました。

●探究学習は,大人と子どもの関係性を変える

保護者はなぜ,「真理の探究者」になりえたのでしょう?
風越学園の保護者が,もともと知的好奇心にあふれていることが考えられます。でも,うーん,それだけじゃないと思うのですよね。もし一般的な「授業参観」とか「生活発表会の参観」だったら,「なぜ180センチ×180センチの広さ?」という質問は出ない気がするのです。

鍵は,探究学習だとにらんでいます。探究学習が,保護者を子どもと同じ「真理の探究者」にさせたのだと思うのです。

探究学習において,子どもたちは,知識の多さを発表しているのではありません。そうではなく,真理の探究のプロセスを発表しています。花崗岩など岩の種類をよく知っていることを誇示したいのではありません。そうではなく,岩や石が土に変わっていくメカニズムを追究しようとしています。鶏小屋に関する正しい知識を披露したいのではなく,鶏が安全に暮らすことのできる環境を模索しつつ発表しています。真理を探究する場では,人はみな対等です。「知」という文化遺産・文化創造を前にすれば,子どもも大人も,よく知っている人も知らない人も,一緒にわいわいとおもしろがることができます。探究学習の性質が,私を含めた大人のまなざしを変えたのでしょう。そして,このことは,子どもにたちにとっても,大きな意義を持ちます。「大人が賢くて正しい」のではなく,「知の前ではみな対等」という感覚です。この感覚こそが,子どもたちが自律して学ぶ背骨になるのです。

探究学習ときくと,「子どもにどんな力がつくのか?」「どう教育すればいいのか?」というせまい問いを立ててしまいがちです。もちろん,この問いを考えることは大事です。しかし,もう少し広い視野で見ると,探究学習が,子どもと大人の関係を変え,学校をよりフラットな場にしていく重要なきっかけになることが見えてきます。そんなことを学んだアウトプットデイでした。

次回も,アウトプットデイについて書きたいと思います。特に,発表のなかでは異質に感じた「ゴム銃,バンバンフェスティバル」について書こうかなと考えています。あぁ,もうこの名前からしてわらけますよね。お楽しみに!

#2021 #アウトプットデイ #探究の学び #赤木和重

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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