2023年12月27日
今年の4月に入職してきてしばらくは、飄々として掴みどころのないイメージだったが、少しずつ輪郭が見えてきた気がする。担当する授業数は多く、たまに青白い顔をしているが、無類のライブ好き。ライブに出かけた翌日と、放課後のオフィスで保護者と電話しているときに軽やかさを感じる。「今担当している5,6年生が7年生(中学生)になった時、どんな学びができるといいんだろうって、ずーっと考えながら授業つくっています」と話す語り口から、ほんとうに考えているのが伝わってきた。このあと、どんなふうに輪郭が立ち現れてくるか楽しみにしている。(かぜのーと編集部・辰巳)
自分は一人っ子で、かつ、両親が共働きで帰りが遅かったので、隣町に住んでいたおじいちゃんおばあちゃん家の校区内の小学校通ってたんです。毎朝、親がおじいちゃんおばあちゃん家に送ってくれて、そこから登校するみたいな。
自宅から歩いて1分のところに学校があったんだけど、中学校も高校も隣町の学校に自転車で通って。だから、親と過ごす時間よりおじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間が多くて、おじいちゃんおばあちゃんと過ごす時間より、友だちと過ごす時間が多かった。そうすると、必然的に自分が一番過ごしてる環境が学校になって、学校が居場所でした。
__ 学校が居場所。
でも、その中学校も高校も、自分にとっては厳しい環境で。校内に飴のかけらが落ちていようものなら全校集会だ、みたいな。教師が子どもたちを力で抑え込むような場所で、今思い返しても、精神的にも、肉体的にもしんどい子ども時代でした。
だから、学校や先生がすごく好きで教員になりたかったわけではなくて、どちらかというと自分の経験をもとに反骨精神で教員になった感じなんです。大学院でも「安心できる環境づくり」をテーマに研究をしてきました。
前任校は探究に力を入れている私学の中高で、道徳のカリキュラムづくりなどいろんなチャレンジをさせてもらいました。一方で自分は全体の流れになかなか入りきれない子とか、難しさやしんどさを感じる子たちにスポットライトがあたる目をしていて。自分の授業だけでなく学校全体での環境を整えたい、風越学園では制度やルール的にも大人の関わりの意味でもまだつくっている途上に感じて、そういう子も含めた個別のサポートとか、その子にあった学校生活みたいなところを一緒につくったりできるといいなっていう思いもあって、風越学園に来ることを決めました。
__ 実際に風越へ来てみてどうですか。
子どものサポートや支援の幅は、学校という枠を超えて本当に広いな、土台はあるなと感じてます。まだまだそこに関われていなくて悶々としているんですけど。
たとえば、決まった年間計画の行事をこなしていく学校って多いと思うんです。子ども主体みたいに謳っているような学校でも行事の枠はもう決まってて、その活動の中で子どもがやりたいことをやるようなパッケージのところって多い。でも、風越って良くも悪くも、来週の予定もわからないじゃないですか。
もちろん年間のイメージはうっすらとはある。でも、そこに行くまでのプロセスは、本当に子どもやLG(ラーニンググループ)によって違う、子どもたちとスタッフで自由度高く学びや生活を組み替えられることで、子ども自身が学びに向かう道筋を自分で決められるんじゃないかなと感じています。土台の学びだけじゃなくて、テーマプロジェクトでも、多様な子どもが受け取れる設計ができそうな思いはありつつ、実践していくと難しさはあって。
__ どんな難しさ?
7,8,9年生になると、土台の学びにもテーマプロジェクトにも教科の専門性が入ってくる。そうすると、アカデミックの難しさもあるけれど、合わせてソーシャルスキル的な難しさも増します。 話を聞きながら考える力だったり、学びに向かうために必要なスキルというか土壌みたいなところの要求値が高くなっていく。
土台の学びでも探究していくものが結構高度で、全体で学んでいく中で、どんな子どもも楽しめたり、深めたり、伸びたなって感じるには難しさがあるのかなと。
いわゆる五教科の学びの中でも、模試で結果が出るようなインプットは、風越でも求めてる子どもと保護者がいるように感じていて、そことのバランスもすごい難しい。僕が担当する「地球と人(社会科)」も、そもそも授業数が少なく、全部をインプットにしても収まりきれないぐらいの知識量がある中で、心の底から湧いてくる学びたいという気持ちと、高校受験のために必要だよなとか、知っていたほうがいいことだよね、という学びへの意欲や葛藤みたいなものを、子どもも僕自身も行ったり来たりしている感じがあって。そこは難しさですね。
__ 現状、その難しさにどういう折り合いのつけ方をしてるんだろう。
折り合いはつけられていないというか、今の自分としてはいわゆる暗記や知識、資料の活用といったところもあったらいいなと思いつつ、なくてもいいかなと思っているのが、正直なところです。
それよりも今、大事にしていることは、教科の本質をおさえること。たとえば、歴史でいったら、「縦軸」で物事を捉えること。1つのできごとについて、100年後だったらどうなるんだろうとか、100年前の人が考えるとどうだろう、などと考えていくということは大事にしています。地理の場合は、軽井沢だったらこうだけど、地球の裏側の場所だったらどうだろう?という「横軸」で見てみる。そして、その考え方に「角度」をつける。自分だったらこう思うし、これが正しいと思うけど、別のバックグラウンドを持つ人は、これをどう捉えるんだろう?という視点ですね。物事をクリティカルに捉えたり、多面的・多角的にみる視点、考え方、捉え方を大事にしたいと思って、授業づくりをしています。
__ 授業と言えば夏休み直前、9年生との社会の時間、コウタロウからの投げかけをおもしろがって受け取っていたぱわーの姿が印象に残っています。
風越が大事にしている「つくり手」という言葉は、自分の中で腑に落ちているというか、大事だなってすごい思ってて。 それは、社会科の目的でもある「国家の形成者を育成する」と繋がるのもあるし、自分自身で学びをつくっていきながら、その近くの人たちも意識する在り方が、自分の研究テーマである「安心できる環境づくり」との重なりも感じるんです。
歴史や地域には関心が高いコウタロウが「社会科を学ぶ意味がわからない」とメールをくれて、そこからふたりで話して「自分(コウタロウ)は、ぱわーとやりとりして社会科を学ぶ意味とか、自分と社会科の距離感がなんとなく結べたけど、他の子たちはどう思ってんだろう。知りたいから、僕に2時間ください」みたいな感じになったときは、むしろ嬉しかったんです。9年生には自分や自分たちで、授業をつくってほしいみたいな気持ちがあったので。
その2時間が1学期の最後の授業だったので、おぉと思う気持ちもあったけど、これは大事な時間になりそうだなと思ったし、どんなもんじゃい、という気持ちもあった。当日、最終的に何も形にはならなかったんですけど、荒削りではありながらも自分たちの思いや考えたことを紡いでいく姿やそのプロセスに、自分が見てきた中学3年生とは違うな、他のスタッフが言う「9年生がすごい」の中身をすごく感じました。
__ それを受けて、2学期はどんなふうに始まりましたか?
9年生との始まりは、2学期と3学期の授業内容とそれをどんなふうに評価するか、みんなで考えてみようって提案をしたんです。そのときの9年生の感触がよかったので、7,8年生でも同じように子どもたちと考えることにしました。
僕がやりたいと思っているテーマの内容とスケジュールを見せて子どもたちからもアイデアを募って。評価については、僕の案として「授業の参加・取り組み:60%、 成果物:30%、テスト:10%」という割合を提示して、このパーセンテージをそれぞれでいじっていいよと伝えました。
そうしたら、ある子は最初テストのパーセンテージを低く書いたけど、それって本当に自分の学びのためになるのかな?と考え始めたり。逆に、テストを90%で、残りはもういいみたいに書いてた子が、他の子とのやりとりの中で、書き直すみたいな姿があったんですよね。それぞれの学年なりに自分の学びについて考える様子が印象的でした。
__ 他にも、風越学園にきて印象的な場面はありますか?
いろいろあるんですけど…ひとつ挙げるなら、ワールドピースゲームですかね。今年は7年と9年を対象にワールドピースゲームを開催したんですけど、学年がまざることによって、グッと伸びたり、引っ張られていく瞬間が結構あったなと。しかも、それが7年にとってだけじゃなくて、7年生の姿を見て9年生に変化が生まれるみたいなこともあって面白かったです。今まで、7年と9年の関わりはそんなになかったから、そこのよさはすごいあったんじゃないかなと思ってます。
あと、 ワールドピースゲームって非日常だけど、日常と同じようなことがロールプレイの中で起こる。だから、ゲームの中で対人関係や利害関係で何かが起こった時に、その子がどう立ち回ったり動いたりするのか、現実世界に近いところが見え隠れする。でも、その一方で、ワールドピースゲームという設定の中で、自分はその国を代表する責任者として発言したりするから、普段だったら「お前なんなんだよ、このやろう」みたいになるところでも、話し合いをしてみたり、このままだったら戦争になるからと回避するために誰かが入ってきてくれたりする。
これはワールドピースゲームを行う目的でもあったんですけど、子ども同士で今起こっている問題や、これから起こりそうな問題を解決するロールプレイというか、そういう瞬間がいろんな場面であったのが印象的でした。
__ 最後に、これからぱわーがチャレンジしてみたいことがあったら教えてください。
自分の研究テーマでもある「安心できる環境づくり」というところにつながるんですけど、保護者のサポートをもっとしたいですね。本当は保護者への連絡をもっとしたい。毎日したいくらいだけど、できていなくて、すごくストレスを感じます。
__ 今でもよくしているほうだと思うけれど、保護者とのコミュニケーションをもっと取りたいという思いは、そうすることで子どもが変わっていく手応えがあるのかな。あるいは、単純にそのやりとりが楽しいってこと?
どっちもある感じがするけど、ルーツには子どもの支援をする時に、保護者とのやりとりや連携は不可欠だと思う気持ちがありますね。
あとは、子どものことがより深く見えた瞬間とか、知らなかった一面を知ることが好きなので、きっと保護者にとってもそうなんじゃないかなと思って。学校と家での様子とが全然違うことってよくあるじゃないですか。特に風越って、どんなふうに過ごしているのか保護者にはわかりづらいと思うので、学校での姿がちょっとでもクリアになっていくといいな、ちょっとでも共有したいなと思います。
子どもや保護者の支援みたいなことはもっとやりたいな。ラーニンググループのスタッフとしてできることもあると思うけど、その枠を越えてもう少し広く、全部の家庭とやりとりできる人みたいな立ち位置になってみたいです。最初は5,6年の2学年とかだけでもいいんだけど。保護者とスタッフの二者面談で話す話題がないくらい、日常の子どもの様子や保護者の不安はやりとりできていて、そのうえで今こういうふうにしていますよ、みたいなやりとりができるのが理想です。
子どもの支援については、構成された授業だけでなく休み時間や放課後など、なんでもない時間を一緒に過ごすことで、子どもが言葉にならないことも含めて汲み取りながら、それぞれの子どもが安心できる環境を探し、子ども自身が学びに向かう道筋を自分で決められるサポートをしていきたいです。年明け以降、そういう子どもとの時間を増やすことで、来年度にも繋げていければと思っています。
佐賀→福岡→京都→鳥取→長野
「安心できる環境って何だろう?」ということをずっと考えています。体を動かすこと、表現すること、聴くこと、おしゃべりすることが好きです。答えのないことについてを 一緒にじっくり考えたいです!