風越のいま 2025年3月12日

いま 1ばん ふしぎだなぁと おもうことは なに?(竹内 詠子)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2025年3月12日

◆雨の声

「雨の声がする」まだ3歳だった息子がそう言って、「あ、ほんとだ、雨の声がする」と1歳上の姉が答える。二人は窓辺に駆け寄って、飽きもせず夕立を眺めている。
声じゃなくてね、と言いそうになって、私は思いとどまった。彼らは今、雨の声が聞ける世界にいるのだから。私が「それは声ではなく音だよ」と言った瞬間に、その魔法はとけてしまう。
息子は最近6歳になって、4月からは風越で1年生になる。もう雨の声とは言わなくて「雨の音すごいね」と言っている。詩の世界に住んでいた子どもたちは、少しずつ理屈や常識や正解を学んでいる。少し寂しい。

雨を知り、雨と友達になる。

◆死とは何か?

「ねぇ、アンディの奥さんって死んじゃったんだって」2年前、まだ年少だった息子は、帰宅するとそう私に話した。アンディからその話を聞いたと言う。
それからしばらく、息子は私に何度も何度も同じ話をした。「アンディの奥さん、死んじゃったんだ」と。それは大切な話である、彼はそう感じている気がした。きっと話の内容だけではなく、アンディの表情や声から、大きな何かを感じとってきたのだと思う。しかし「死んじゃう」ってことが、一体どんなことなのか、よくわかっていないようにも見えた。それをどう受け止めたら良いのか。
それで私は「だからアンディは、どんな気持ちだと思う?」と「死んじゃう」の後に接続詞を用意した。息子はしばらく考えて「…だから、悲しい気持ちだと思う。もう会えないから」それで、その話は一旦ストンと終わった。それで私は、息子が悲しみを理解できるようになったのだと満足していた。

しかし、私が示した「だから」は正しかっただろうかと思うことがある。息子は、死を捉えきれずに困っているようにも見えたし、純粋に「死んじゃうってどういうことなんだろう?」という不思議に向き合っているようでもあった。
「それは悲しいことだ」それも1つの捉え方であり、しかし、それが全てではない。私は息子が自分なりに死を受け止めようとしていた機会を奪ってしまったのかもしれない。用意された感情を示すことで。
もしかしたら、こんな風に人は、親から子に、大人から子どもに感情を教えることで、出来事に感情を結びつけていくのかもしれない。大人が「こういうときは、こういう感情なんじゃない?」と促すことによって。

息子はそれからも、いくつか老いや死について質問を投げかけてきた。「いままで、ずっーと死ななかった人っている?」「おねえさん、おばさん、おばあさん、その次って何になるの?」「死んだ人はどうやってお墓まで行くの?」「死んじゃった人って、みんなで焚き火で燃やすの?」「僕もいつか死ぬ?」姉より自分は後に生まれたので「死ぬのは僕のほうが後だよね?」そのたびに、私は自分の知っている限りのことを、なるべく誠実に答えた。
だけど私が知っていることは、ごく表層のことでしかないような気もした。「死とは何か?」を分解して捉えようとしている息子を通じて、私も「死」って何だろう?と考える。不思議だなぁ、と。

1〜3年生の哲学対話。人は死んだらどうなるんだろう?

◆キツネだって生きている

風越で子どもたちは、人間以外の生き物の存在を感じながら暮らしている。
軽井沢の森にはツキノワグマがいる。丸腰では、敵わない生き物。都市部に暮らす限り、人間は、自分たちの生き物としての弱さを忘れがちだ。ここには本当にクマがいるので、山に入るときなどは、生き物としての緊張感を思い出せる。出会ってしまったら、負けるから。
子どもたちが遊んでいる森にも、もしかしたらクマが来るかもしれない。だから風越の子どもたちは、1年に1度はクマについて学ぶ。クマってどんな生き物なのか?人間とクマがうまく住み分けをして暮らすために、どうしたらいいのか?
森には他にも、カモシカ、イノシシ、シカ、キツネ、サル、リス…様々な生き物が暮らしている。毎日遭遇することはなくても、気配は感じる。糞が落ちていたり、足跡があったり、誰かが校庭に忘れていった手袋が、翌朝、何者かに食いちぎられていたりする。

昨年、風越で飼っていた鶏が連れ去られたことがあった。鶏の姿がなく、鶏小屋に無数の羽が散乱していた状況から、おそらくキツネあたりにやられたんだろうという話だった。
子どもたちは、鶏に名前を付けてずっと世話をしていたし、すごくショックを受けるだろうと思った。私は息子に、静かな声で「鶏、キツネに襲われちゃったみたいで、いなくなっちゃったんだって」と一気に話した。「え?ふたりとも?」息子も驚いた表情でそう答えたが、鶏が捕食されたのだと理解し「そっか…でもキツネも生きているんだから仕方ないよ」と続けた。私をなだめるような口調だった。
森で暮らすということは、そういうことだ。それ以前にも、夜間、鶏小屋に他の生き物が近づいているようだという話は聞いたことがある。キツネはずっと狙っていた。そしてその日、たまたまチャンスがやってきたのを逃さなかった。それが、キツネが生きるということだ。息子は鶏を失って悲しい、という一面だけで物事を見ていなかった。

産みたての卵はあたたかい。その温もりで、命を分けてもらっていることを思い出す。

子どもたちはわかっている。わかろうとしている。
今はラッキーという馬が風越にいる。子どもたちは、距離感を間違えてラッキーに威嚇されると、自分が悪かったのだと考える。威嚇されて驚いたけれど、先にラッキーを驚かせてしまったのは自分なんだ、と。ラッキーが大好きだから、食事しているときには近づかない。小さな子が手を伸ばそうとしたら、今はやめて、と止める年長者がいる。

互いを尊重しているから距離をとる。相手の行動には、どんな意味があるか考える。人間とそれ以外の生き物は言葉を交わすことはできないが、人間には想像力がある。
息子に「人間はクマと闘っても勝てないと思うけど、人間のすごいところって何?」と聞いたら「頭で考えるってことじゃない?」と言っていた。おぉ、そうだよね、だったら私たちは、もっと考えてみたい。他の生き物たちと(ときに自分以外の人間たちとも)、共にどう暮らしていくのかを。

ミミズだって オケラだって アメンボだって みんなみんな 生きているんだ友達なんだ♪

◆夏の終わりに

息子が年中の夏、G(水澤)が森で採ってきたクワガタやカブトムシの幼虫を、子どもたちに配ってくれたことがあった。一緒に朽木を削って、幼虫を探す体験の場を用意してくれたこともあった。「Gが子どもの頃には、もっとたくさんのクワガタやカブトムシがいた。今、それが減ってしまったのはなぜだろう?」そう投げかけてくれたこともあった。風越には、スタッフだったり保護者だったり、勉強を教えてくれる役割以外のたくさんの大人がいる。

息子はGといつも虫の話をする。気づくとけっこう長時間話し込んでいる。「あのさ、僕の家ができたらGを呼びたいんだよね。一緒にライトトラップを仕掛けて、虫を採りたい。Gをうちに呼んでもいい?」
友達でも親でも先生でもない、興味関心でつながった関係。スタッフと子どもが。ときには異学年の子ども同士が。保護者とスタッフが。立場とか関係なくて、知らないこと教えてもらったり、情報交換したり、友達になりたい人と友達になれる自由が心地いい。

Gから虫のことを教えてもらって、息子がカブトムシを飼いたいというので、友人の畑から幼虫をもらって育てた。友人は、息子のためにわざわざオスの幼虫を掘り出してくれた。息子は最初、見た目の良いオスばかり欲しがった。
その幼虫が羽化したときの、息子の嬉しそうな表情が忘れられない。元いたところに放つのはどうしても嫌だと言うので、同郷のメスと一緒に飼うことにした。
一度繁殖させると、その後は「メスって卵を産めるからいいよねぇ!」と言うようになった。そうして性差の特徴や、どっちの存在も大切なんだということを学ぶ。親の私も一緒に学ぶ。

僕のクワガタを、Gに見てほしい!職員室(のような場所)がリビングのよう。

一度繁殖させたカブトムシの子どもがまた卵を産んで、今、3代目の幼虫たちを越冬させている。
どのカブトムシも、秋になると必ず死んでいく。晩秋まで生きる子もいたが、それでも冬を越すことはない。自然の中の絶対の法則。
幼虫から育てた子が、弱っていくのを見るのは意外とつらい。親の気持ちになってしまうからだろうか。
夏、確かにみんな元気だった。盛夏の夜、飼育ケースから出たがって暴れ、中で身体を傷つけそうだから、締め切った部屋に放ったこともある。息子が眠っている真夜中に、私は何をやっているんだろうと思いながら。蓋を押し上げ、自力で脱走した子もいる。
あんなに力強かったのに、食べる量がだんだん減っていく。動く範囲も狭くなる。ついに動かなくなってしまったと悲しい気持ちでひっくり返したら、右の前脚だけが少し動いた。クイクイっと。バイバイと手を振っているように見えた。軽い感じで手を振っていた。暗くなかった。もしかして笑っていたかもしれない?
その季節がきたら生まれて、その季節が来たら死んでいくのは、苦しいことじゃない。ごく自然なことなのだと感じた。

命を終えたカブトムシを手に乗せると、軽くなっていると感じた。水分が抜けたのかもしれないし、動かなくなり抵抗がなくなったからかもしれないけれど、そこにあった何かが消えたような感覚。生と死ってこんな感じだ、を手のひらで感じる。自然の近くで暮らすとき、小さな生きものたちが、死とは何か?のヒントをくれる。

例えば、羽化できなかったアサギマダラの蛹。羽化の前にはペリドットのように美しい緑色の蛹が、黒っぽく変色する。しかしその黒が、どんどん濃くなって、やがて塗りつぶすところがないほど黒く変色した個体があった。
私と息子は、蛹をじっくり観察して、その命の時間が止まったことを確認した。変色し始めてから時間も経っているし、そして何より、感覚的に「もうこれは羽化することがないだろう」という気がした。
わかりやすく、恐ろしいほど死を感じさせる黒だった。なぜだろう、美しいとも感じた。飼育瓶の中で、黒い蛹は乾燥していった。それを見て、触って、死の色や質感を感じ取る。

死んでしまったさなぎ。青虫はいったん溶けて蝶になるらしい。どういうことなんだろう?そんな魔法みたいなことが、うまくいく方が不思議なくらい。

私は息子に、死とは何か?を明確な言葉で伝えることはできない。ただ一緒に並んで、感覚的に死に触れて、その体験を積み重ねる。
息子は少しずつ、死んじゃうってどんなことか捉えはじめているように思う。親が教えるのではなく、自然から学ぶ。

息子は「ありがとね」と言って、死んだカブトムシにやわらかい土をかけた。

有精卵は育つが、色のうすい無精卵は孵らない。たくさんの学びをありがとう、カブトムシ。

そうして成虫が去った後、飼育ケースの土を返したら、小さな幼虫が5、6匹モゾモゾ動いていた。すごい。命は消えたのではなく…増えていた!!
親が死んでも残された子が育ち、命は途切れることなく続いてきた。そんなこと、頭では十分に理解していた。でも、こういうことなんだなぁと、じんわり感動しながら、大切なことを心に落とし込む。息子は、再び命が灯った飼育ケースを抱きかかえる。

私は虫なんて好きでもなかったのに、今はこの幼虫たちがすごくかわいい。幼虫は、秋から冬を越して、初夏に蛹になるまで、ひたすら土を食べて大きくなる。たくさん糞をする。土しか食べていないから、糞はまったく臭くない。なんて静かな生き物なんだろう。騒がしい人間の子を育てているところだから、このおとなしい赤ちゃんに感心する。

そうやって、死が生につながっているのを、私は息子と確認する。

好奇心でワクワクしている姿って、なんて眩しいんだろう!

◆土になる

死んだものたちは、どうなっていくのだろう?
何事もないように見える今日も、たくさんの命が生まれ、死んでいる。なのに、死んだものたちはどうなっていくのか、考える機会は少ない。

夏の日、息子は駐車場のアスファルトの上で、死んだ小鳥を見つけた。1匹の小鳥に対して、無数の蟻が集まっている。息子はしばらくその様子も見つめた後、スコップで小鳥をすくい上げ、植栽の土の上に置いた。蟻がゆっくり食べられるように、という配慮らしい。私は「そうだね、そっちの方が小鳥も土に還れると思う」と息子の行動に、また違う意味付けをする。
「見て。拾った」あるとき息子は、美しいトンボの羽を持っていた。身体はない。「羽はかたくて食べられないのかもね」と私たちはトンボを捕食した生き物を想像する。
朽ちた木にはきのこが生え、中を割るとクワガタの幼虫など朽木を食べる虫がいる。死んだ者たちが、次の命を支えている。

この鳥はどうして死んでしまったのだろう?じっくり観察してみる。

わこさん(斉土)が羊を掘り返した話が、すごくいい。
少し前のことだけれど、わこさんの飼っていた羊が死んで、土葬した。まだ子羊を産んだばかりの母羊で、残された子羊は、母親の亡骸の回りを鳴きながら、ぐるぐる回っていたらしい。まだ乳離れもしていない子羊。みんなで、涙ながらに埋めて、わこさんはその後、母親代わりになって子羊を育てた。

しばらく経って「あのとき埋めた羊って、土の中でどうなっているの?」と疑問に思った男子がいたそう。わこさんって本当にすごいな…と思うけれど、その疑問に答えるため、なんとその子と一緒に、埋めた愛羊を掘り返したらしい。
1年くらい経っていたという話だったが、骨がむき出しになった羊の周りには、大量のミミズがわいていて、その中には、見たこともない太いミミズもいたらしい。
その頃には、埋めた羊の上に草が生え、子羊はその草を食べて大きくなっていた。埋葬した場所は、他と比べて草の生育がよかったそうだ。
その様子を見て、男子は母親にこう話したそう。「死んだお母さんの身体がいい土になって、そこから生えた草を食べて、赤ちゃんは大きくなったんだね。お母さんは、死んでも赤ちゃんの役に立ってるってことだ」そして「人間は、死んでも役に立たないね…」とも。火葬しちゃうし、骨も骨壷のままだったら永久に土に還らない。だから「お母さんが死んだら、僕、埋めてあげるね!」

掘り返した羊は衝撃的な姿だったと思うが、命が次の命に繋がっていくということを、その子はしっかり心に刻みこんだと思う。

子を産んだわこさんの羊。産後すぐに、息子と2人で見に行った。ちぎれた臍帯が付いたまま、子羊は乳を飲んでいた。じっと見ていた息子と、帰りの車の中で、臍帯はもう役目を終えたんだね、というようなことを話す。この母子は、今も元気に暮らしています。

◆シャケなベイベー

昨年、みぃ(佐藤)から鮭の卵(つまりイクラ!)を分けてもらった。年末あたりに孵化した鮭を冬の間飼育し、3月に指定の場所に放流に行く。義務教育学校のプロジェクトだが、幼稚園の息子が飼育に興味があると言ったら、プロジェクトのチャンネルに招待してもらえた。プロジェクト名は「シャケなベイベー」いい名前!楽しい感じがする。

鮭の稚魚は、低温で管理しなければならない。むしろ薄氷が張るくらいで良いらしい。冷水に手を突っ込み、よくこんな低温で生きて行けるなぁと思う。水を替えるときに、鮭を掬おうとするが、金魚のつもりでのんびり構えていると、泳ぎが早すぎてなかなか捕まらない。金魚は自然界では生きていけない生き物なのだと悟る。
稚魚は孵化から1ヶ月ほど、お腹に付いている袋(つまりイクラ!)から栄養を採って成長する。袋はだんだんしぼんで行き、自力で餌を捕り、食べるようになる。小さくなった袋を見つめて、息子はポツリ「生きるって不思議だねぇ」と言った。それぞれの生き物たちが、生き抜くためにたくさんの工夫をしている。不思議だし、興味は尽きない。

近年の環境変化で、鮭の遡上数は激減しているそう。貴重な卵を分けていただいた。

3月になり、私は息子と放流に行った。放流場所は指定されているので、私たちは稚魚を冷やしながら、県北に向かった。まだ少し、雪が残っていた。
放流場所に着くと、私は川の大きさに急に心細くなった。千曲川。千曲川の水源は長野県内にあり、流れが新潟県に入ると信濃川と呼ばれ、最終的には日本海に注ぐ。この川は日本で1番長い。川幅は広く、対岸は遠かった。水量を保ちながらゆったりと流れる川は、どこか海を感じさせた。
「ここに、小さな稚魚を?」急に母親のような気持ちになって、不安が芽生える。数ヶ月で水槽の中では大きくなった稚魚も、ここではすぐに溶けてなくなりそうなほど小さかった。ここに捨てていくみたいな気持ちになって、怖くなる。
その私の横で、息子は、稚魚を1匹ずつ小さな入れ物に入れて「行ってらっしゃい、元気でね、また会おう」などと声をかけている。息子は、稚魚の生命力をただまっすぐに信じている。そして、静かに川に放った。
稚魚は身体を揺らし、深く潜って行った。すぐに見えなくなった。

鮭が生まれた川に戻ってくる可能性は1%にも満たないらしい。回帰率が1%未満だとしても、遡上途中で息絶え、産卵前に死んでしまう個体もある。確率のことだけを言ったら、そのほとんどが道半ばで死ぬために生まれてきたみたいだ。

何だろう、頑張れって言うのも違うな。大きな流れと小さな小さな稚魚を比べたら、頑張ることなんて意味がないように思える。その運命に対して、小さな命が頑張れることはあるんだろうか。そうだとしても、生きるのを諦めるという選択肢もない。
だったら「Shake it up,baby!」かもしれない。踊りながら、海を目指せ。その命で全ての目的を果たすことはできないかもしれないが、今日を味わい、今日を生き切る。生きるって、その積み重ねでしかない。

息子は「3年ってどのくらいなの?また会えるかな…」と5歳にとっての果てしない3年に思いを馳せていた。もしかしたら、もしかしたら、もしかしたらまた会えるかもしれない。だって、その「もしかしたら」が続いてきたから、鮭は死に絶えていない。

今年も5匹の稚魚を育てており、暖かくなる前に川に放ちに行く。

稚魚が潜っていった水面を見つめる。きれいな場所だった。

◆大きなもの

軽井沢にある1番大きなもの、それはたぶん浅間山。
自宅の玄関からも、スーパーや図書館や病院からも、車に乗っていても、遅刻しそうでも、子どもがどれだけ泣こうとも、山が見える。私たちの暮らしは、ずっと山に見守られている。ここに暮らしていると、気づけばこの山を好きになっている。

風越から見える浅間山。大きなものからは、小さな私たちがどんな風に見えている?

浅間山から、ときどき白煙が上がっていることがある。息子はそれを見て「これは浅間山のあくびなんだって」と話す。今は眠っている活火山が、ときどきあくびをするらしい。
あくびというとかわいいけれど、もし噴火したら、きっと私たちの生活を一変させるだけのエネルギーをもっている。そんなこと、忘れながら暮らしているわけだけれど。

幼稚園で、浅間山が噴火するという設定の引き取り訓練があった。当時年中だった息子は、そこから浅間山の噴火に興味をもった。いつも見ている浅間山に、そんな激しい一面があったなんて!という驚き。
なぜ噴火は起こるのか?次はいつ噴火するのか?噴火したらどうなっちゃうの?何が出てくるの?噴火口はどうなってるんだろう?気になることがたくさんある。しかし、質問を受けても、私も答えられないことばかり。

ちょうどそんなタイミングで、あすこま(澤田)がナビゲーターの「天明の大噴火を訪ねるツアー」という裏風越の企画があった。

裏風越は、風越に関わる大人のための企画で、ナビゲーターの趣味や仕事や得意なことを、一緒に学んだり体験したりする会である。実にさまざまな企画があり、自分が参加したものだけでも、全部は思い出せない。
例えば、りんちゃん(甲斐)の大人のための国語の授業を受けたり、こぐま(岡部)とクライミングに行ったり、もいちゃん(新井)が能登に炊き出しに行った話を聞いたりした。保護者がナビゲーターの会もある。
学内企画でありながら、正直子どもは関係がない(笑)裏の方で大人たちが楽しんでいる。

天明の噴火ツアーは、ささ(佐々木)が運転するバスで、1日ミュージアムや噴火による遺構などを巡り、240年前の天明の大噴火を学ぶ企画だった。リュックを背負って、さながら遠足か社会科見学のような楽しい1日。
学ぶって、本当に楽しい。いつも見ている浅間山なのに、知らないことだらけ。この山がどのように誕生したのか、これまでどんな火山活動があったのか、噴火はどのように始まり、どれほどの影響があったのか。山に生息する動植物のこと。だからここでキャベツを育てているんだなーとか。火山活動を毎日見守ってくれている人がいること。現代でも、噴火したら逃げるしかない人間の無力さも。学んで知ると、見える風景が変わる。

後日、息子を連れて、同じコースを、今度は私が運転して回った。浅間山麓ビジターセンターでは、毎日、どんな風に火山活動を記録しているか聞くことができた。鎌原観音堂では、泥流から逃げ遅れた人たちに思いを巡らせた。やんば天明泥流ミュージアムのシアターで、息子は噴火の恐ろしさにすっかり怯えていた。リアルな映像で、4歳の子どもには、刺激が強すぎたかもしれない…!?
しかし、そこで知識を得た後は、以前よりもっと力強い火山を描くようになった。山の恐ろしい一面を知ってなお、募る憧れ。畏怖のような、その気持ち。

子どもの「なぜ?」を一緒に考えてみる。私も知らないことだらけだから学びたい。知ることで見えるものは変わる。

火山雷を描いた絵。写真や映像で見るだけでも、迫力に圧倒される。私は日頃まったく使わない「山体崩壊」という言葉の迫力とスケール感に痺れている。漢字もいいし、音に出してもカッコイイ。

◆自分の石

洗濯機から、銀色の石が飛び出してきた。小さな石が銀色の絵の具で塗られている。息子がポケットに入れたものを、気づかずに洗濯してしまったようだ。
息子はよく、石や枝や木の実など、森からお土産を拾って持って帰ってきた。銀色の石のように、ときどき色の塗られた石や、やすりで削られた枝など、息子の手で加工されたものもあった。どんどんたまっていくので「捨てていい?」と聞くと、すごく悲しい顔をして「だめ!」と言われる。

以前、イベントのときにしんさん(本城)が紹介していた本がある。『すべての人に石がひつよう』なかなか謎めいた本ではある。
・すべての人に石がひとつひつよう
・友だちの石を持っていない人はかわいそう
たくさん魅力的なものを持っていたとしても、自分が友だちだと思えるような石を持っていなければ、その子はかわいそうだと言う。そして、その特別な石を見つける10のルールを教えてくれる。できたら石が集まっている山に行って探したらいいけど、それは家の裏の道でもかまわない、というような石探しのアドバイスが続く。

検索して本のレビューを見ると「石が好きな人向け」「石で自然と繋がれる」「石にはパワーがあるよね」といったことが書かれていた。しんさんがどんな意図でこの本を紹介していたのかは、わからない。だけど私は、この本のテーマは「自分を知る」だと思う。

ときどき、抽象画をどう見たらいいのかわからないと言う人に出会う。好きに見ればいいのに…とも思うが、私もつい解説文から見てしまうことがある。答えを知りたい、という気持ち。価値は何なのか、誰かに明確に示してほしい。そして、価値あるものを手にしたいと思ってしまう。
ダイヤモンドには価値基準がある。カラット(Carat)、カラー(Color)、クラリティ(Clarity)、カット(Cut)の4つのC。だけど、石ころに正解はない。いろーんな石がある。小さいのがいいのか。ゴツゴツがいいのか。水切りに使えるような、まるくて平べったい石がいいのか。だから自分の声を聞く。自分の感性を開いて、これが私の石だと言い切れるかどうか。
自分の石を見つけるということは、自分を知るということ。子どもたちは、森に落ちている石や枝に自らを投影させながら「自分ってこんな感じ。こういうのが好きな感じ」を見つけている気がしてならない。

価値観が多様化している世の中で。いや、価値観なんて、そもそも多様だったに違いないが「私はこういうのがいいと思う」と言えるようになってきた世の中では、より、すべての人に石がひつよう、だと思う。自分のものさしを持つということ。自分が「こういう感じに囲まれていると幸せ」を知って大人になってほしい。そして、せっせと自分の石を集めること。
息子にとって、拾ってきた宝物は自分そのものなので、私が「捨てるよ」なんて言ったら悲しくなる。ごめんね。それで私は、息子に気づかれないようこっそりと、たまった石や枝を森に返している。

入園当初、気に入って集めていたレンガコレクション。空き箱に仕分けしてあげたら喜んだ。

◆大人の風越ミーティング

大人の風越ミーティングという集まりがある。テーマを置いて、保護者とスタッフで話す機会だ。正解を求めていくものではなくて、共有することによって考えを深めていくといった感じ。その日は、幼稚園3学年の保護者とスタッフで集まり「最近、何か葛藤した場面ってありますか?」を語り合った。
私は、息子の言動で気になっていたことを話した。例えば、故意ではないが走っていて人にぶつかってしまったとき、息子は「わざとじゃないから謝りたくない」と言う。謝罪をすることは、相手に負けたような気がするから嫌なのだろうか。なかなか謝罪の言葉が出てこないとき、私は落ち着かない気持ちだった。
私は「わざとじゃないけど、当たってしまったんだから謝ろう。相手は痛かったかもしれない」と説得するのだが、そのときの「ごめんなさい」は、言わされた「ごめんなさい」になっているように感じる。表面的な「ごめんなさい」を言わせることに、意味があるだろうか?という葛藤だ。
さらにこんな出来事もあった。ある日、息子が作った工作に、わざとじゃないけど友だちがぶつかって、壊れてしまったということがあったそう。息子は私に「でも、その子はわざとじゃなかったから、謝らなくていいよって言ったんだ」と話す。つまり自分も謝りたくはないが、わざとではないなら、人からも謝ってもらわなくて大丈夫、という考え方らしい。
私はそれについて答えを出せずにいた。謝罪の心がない「ごめんなさい」は意味がないと思うが、謝らないのもおかしいような…何と言っても、あの子どもから「ごめんなさい」が出てこない沈黙が苦手である。

何人かの保護者の方が、この葛藤について考えを話してくれた。「うちは、姉が妹に『ごめんなさい』を言わせたがる。だけど妹は謝らない。姉は妹が今まで何回ごめんなさいが言えなかったか、カウントしてる。けど、そういうことじゃないんだよねー」「『ごめんなさい』もそうだけど、『こんにちは』や『ありがとう』も親が促して言わせるのは意味がないと思う。私は誘導して言わせることはしていないよ」などなど、たくさんの話が出た。その中で「ごめんなさいを言わせるのではなく、相手にケガはなかったかとか、まず相手を案じることを伝えてみたらどうだろう?」といった話が出て、私はなるほど!と思い、深く頷いた。
そもそも、私のあたまに「とにかく謝らなければ」という考えがあったけれど、その考えそのものが、表面的な「ごめんなさい」を産んでいる。本当に相手を思っているとしたら、どんな行動を取ったらいいのか?息子には、それを考えられる人になってほしいと思った。

私が育ってきた環境では「とりあえず謝る」がルールだった。親も先生も「ごめんなさいは?」と謝罪を促した。喧嘩しても、喧嘩両成敗。どちらも謝って、なんとなく握手などさせられて、仲直りするのがゴールだった。ずっと、違和感はあった。
だいたい、喧嘩両成敗って、漢字でこうやって書くのだと今知った。意味もわからないまま、大人が呪文のようにいう「ケンカリョウセイバイ」の呪術にかかっていただけだと思う。

風越に来て驚いたことがある。子どもたちは揉め事があったときに、本人同士で徹底的に話し合う。その結果、当人たちから「ごめんなさい」を言うことはあるかもしれないが、スタッフが子どもに、意思のない「ごめんなさい」を言わせることはない。
子どもたちは、自分の気持ちをひたすら伝え合う。話は平行線で終わることもある。最初の頃は慣れなくて「え?結局どっちが悪かったの?謝ったりしないの?」と不思議だったが、言いたいことを言い切った子どもたちは、意外なほどスッキリしている。そのまま、また一緒に遊び始めることもある。
自分には自分の気持ちがあるが、相手には自分とは違う気持ちがあることをよく知っている。その関係性をうらやましく思う。

この集まりでは、最後まで「親が子どもを促して謝らせるべき」という意見は出なかった。「そういうことってあるよねー。どうする?」という柔軟であたたかい眼差し。「すべき」に捉われず、本質を考えてみようという仲間たち。この環境で、共に子育てができることが、とても有難い。

◆詩は生きている

昨年の11月、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなった。ひっそりと悲しい気持ちでいたら「今度、風越で谷川さんの詩を持ち寄って朗読会をしようと思っているんだ。どうかな?」と声をかけてくれた保護者がいた。
朗読会に行くと、その人が会のはじまりに言った。「今日は、自己紹介はしないことにしましょう」と。その理由は聞かなかったし、実のところ、私はそこにいるほとんどの人を知ってはいたけれど、すごくいい、自己紹介はいらないと思った。
詩のことだけを話したかった。スタッフもいたし、生徒もいたし、保護者もいた。だけど誰であるかに捉われずに、本当に思っていることを小さな声で話したい気分だった。そして長く生きた詩人を、静かに偲びたかった。

私は「生きる」という詩を読んだ。この詩は1971年の詩集で発表されているが、2013年にも絵本として出版されている。私はこの絵本版を持っていて「好きなページがあるんです」と話した。
水色のバスが、夏の商店街を走り抜けていくのが描かれている見開きのページ。文字はない。私が生まれ育ったエリアでは、この水色の京急のバスが走っている。私はこの絵を見ると、いつだったか、クーラーの効いた商店街のファストフード店を出て、外のぬるい夏の空気を吸い込んだときとかに、なんとなく「あぁ生きてるなぁ」と感じたような気がするんです、と一気に話した。冷えてかたまった身体が暑さに溶けて、感覚が戻ってくる感じ。そんなとき、唐突に生きていることを思い出す。そんな何でもない瞬間に。
気持ちがこもり過ぎてしまったかもしれない。少し恥ずかしくなって場を見渡したが、みんな優しい顔で聞いてくれている。少し頷いたりしながら。

私は、偶然その場を共にした人たちと、一瞬、深く通じ合えたような気がして嬉しかった。そのとき私は、誰かのお母さんという立場でそこにいたわけではなく、隣に座っている人も誰かのお父さんではなく、先生という人も生徒という人もいなかった。詩人の残したもので、繋がっている私たちがいただけだ。

時間の長さは関係ない、私はそういうときに、人との繋がりに手応えを感じられる。1人じゃなかった、みたいな気持ちになれる。子どもを通わせている学校で、こんなにも私のままでいられるのはすごいと思う。子どものためではなく、私のための時間。次にこの詩を読む時に、私はきっとこの朗読会を思い出す。

朗読会は、風越における教室のような部屋で行われており、なぜか黒板ではなく窓に、詩がひとつ書かれていた。授業でも谷川先生の詩を扱ったのだろうか。
部屋に入ったとき、うすい水色の空に、言葉が浮かんでいた。部屋を出ていくとき、空はすっかり暗くなっていて、夜の中に詩が浮かんでいた。
詩は、さっきと違う表情をしているように感じた。詩は生きている。谷川さんは亡くなったのに、そうして詩は生き続けるのだと思った。
詩は、言葉の並びでしかない。一度仕上がってしまったら、動かない言葉だ。詩のほうは永久に変わることはないのに、私たちが変わり続ける限り、それは何度でも新しいメッセージをくれる。

詩って、窓に書いたらよかったんだ!

◆芝生

芝生  谷川俊太郎

そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ

開校当初、風越の校庭には芝生が貼られていた。ある時、なぜかそこを掘り返して、校庭に川やら畑やら鶏小屋が作られ始めた。しんさんが校庭に立っていたので「風景変わりましたね」と言ったら「もう芝生はいいかなと思って」と言う。
おや?芝を貼ってまだ2、3年しか経っていないのでは…?むしろやっと定着し始めたところなのでは…?と思ったけれど、私も芝生に思い入れがあるほうではない。単調でつまらないと思ってしまうほう。言われてみたら舗装されたわけではない芝生の校庭ですら、この学校には合っていない気もした。芝生の庭は自然のようでいて、不自然だ。

ここが「つくる学校」というのは、本当なんだなと思った。「つくる」と「こわす」がここではセットになっている。ずっとつくり続けるために、ときに壊すこともある。失うものがないわけではない。壊すから、また不安定になってしまう。きっと、もったいないとか言われたりもする。それでも、また、新しくつくる。

ここにはいつも刺激がある。刺激があってほしいと思う。
私は子どもと一緒に風越というこの場所に辿り着いて、不意に芝生の上に立っていた。最初は子どもの教育の話だったのに、私にとっては、それだけではない場所になっている。意図していたこと以上のことが起きたなーと思う。ここまで来たから、出会うことができた新しい考え方、新しい友人。
そして4年が過ぎてだいぶ馴染み、すっかりここが居心地よくなっているが、しかし。
いつか確かに踏みしめていた芝生だって、違うものに変わっていく。なかなか安定した場所には立てないものだと思う。きっと、そういうのが好きなのだろう。変わり続けるこの場所が、私はきっとずっと好きだ。

夏休み明けて行ったら、ひまわりが咲いてた!種の蒔き方が、まばらだったり密集してたり。だから、大きく咲いたり小さく咲いたり。この感じが、風越らしいなと思う。

◆地図は必要?

1年前、娘が卒園に当たって、3年間過ごしてきた幼稚園での体験をかぜのーとに書いた。
年子のきょうだいは、似ているところもあり、全然違うところもある。生まれたときから(正確にはお腹にいるときから)それぞれの個性をもっていたと思う。昨年のかぜのーとに書いた通り、娘は「冒険に行くのに地図はいらない」タイプである。一方息子のほうは、「地図を確認しながら進みたい」人である。
実際、子どもたちを山に連れて行ったら、掲示板で現在地を確認している弟に向かい、姉は「え?何で地図なんて見るの?迷ってからが大冒険なんですけど!!!」と言い放っていた。親としてはだいぶ心配である。
こんなこともあった。「わー!ここ、子どもも泳げるじゃーん!」と言って、いきなり深いプールに飛び込んだ娘は、足が付かずに慌ててプールサイドに這い上がってきた。そんな姉に向かって弟は「よく見てー!!子ども泳いでいるけど、みんな浮き輪してるから!」と言い放つ。息子はよく見ている。そこで溺れずに這い上がってきて、泣きもしないのは、娘の強さではあるが。
いきなりプールに飛び込んだ娘は、ファーストペンギンになれるかもしれない。今後どんな成長をしていくかわからないけれど、素質はありそうだ。誰よりも早く飛び込めば、獲物を獲得できる可能性は高い。しかし、事故に遭うリスクも高い。
準備してから行く息子は、出足は遅れるかもしれないが、リスクを回避できる可能性は高そうだ。でも、魚を取り逃すかもしれない。
どっちなんだろうな?と思う。獲物を確実に捉えられるのは。
地図があるのとないのと、先にゴールに到達できるのはどっち?確実にゴールできるのはどっち?道中がおもしろいのはどっち?一緒に行きたい人を連れて行けるのはどっち?思いがけない風景にたどりつけるのはどっち?
2人が一緒に行けるなら、それが強みになる気もするし、争いが絶えないという気もする。でも、その違いがたくさんの物語を生むような気がする。
いずれにせよ、自分がもって生まれたものを大切にしてほしいというのが、私からの願いだ。他の何者かを目指すのではなく、君は君らしく。

風越に入園すると、3歳から15歳までを一緒に過ごす子どもたちがいる。3歳から、自分の子どもだけでなく同級生の子どもたちを見ていると、本当に人の個性というのはさまざまだし、それぞれに輝くものを持っているんだなということがわかる。

風越に子どもを通わせても、みんながみんな、そのことによって美しく花を咲かせられるわけではないと思う。と言うよりは、そこを目指して、育てられていないという感じ。ここでは、子どもから出てきたものを、とにかく摘み取らないという印象。へぇ…これって何だろう?花は咲くのかな?という感じなのに、育ちたいように育つことを見守っている。どうなるかわからない感じを楽しんでしまっている。

もし年少で入園した子どもたちが中学卒業まで在籍するとしたら、12年間も人の成長を見守ることができる。どんな個性が育つのだろう?どんな個性と個性が、ぶつかったり、まざったり、削りあったり、膨れ上がったりするのだろう?親として子を見守るだけでなく、保護者としては、風越の子どもたちみんなを見守る楽しみもある。(その一方で、子どもたちは親の成長を見守ってくれているかも…?!)

キャンプの持ち物リスト。事前準備はぬかりなく派の息子。リストは配られるのではなく、何が必要か、自分たちで考えて書き出す。文字ではなくて、絵なんだね!

◆いま いちばん ふしぎだなぁとおもうことはなに?

卒園間近になって、子どもたちの姿や声を残しておきたいという話が出た。卒園記念に、有志の保護者で制作物などを作ることになったのだが、そのひとつである。
ちなみに風越では、卒園記念に保護者がどんなイベントをやるか、制作物を作るかなどは、その年の保護者の気持ち次第であり、決まっていることは何もない。やりたければ、やりたい人がやりたいことをやる、というシンプルなその感じが、私は好きだ。
そういうわけで今年はインタビュー動画を撮ることになった。いくつか質問事項があって、それに答えてもらって動画に残す。お題に上がった質問の中に、「これは息子に聞いてみたいな」と思う1つがあった。
「いま いちばん ふしぎだなぁとおもうことはなに?」
思えば息子は、言葉を話す前から、目新しいものを見つけては指を差し(あれはなぁに?)と聞いてくる子どもだった。彼の「なぜ?どうして?」には、子どもらしいかわいい質問も大人をうならす深い質問もあった。不思議について知りたいと思う好奇心は、彼の原動力になっている。
そして、その「なぜ?」を通じて、私も改めて、見慣れてしまったこと、当たり前になってしまったこと、知っているつもりのことを考え直している。子どもは、親にたくさんの機会を与えてくれる。
今、彼が不思議に思っていることは、雪が降ること、雲が流れること。それから、太陽が、朝と夕方で違うところにあることらしい。
本を読んでは、時に「雲ってさ、浮かんでるけど実はすごく重いんだよ」と科学うんちくを語り、だけど雷が鳴ると、誰に言われなくてもシャツをズボンに入れて臍を隠している。その両面を今の彼はもっているから、「なぜ?」に対して、私よりずっと幅広く、自由な答えを出せる。答えなんて、出ないこともある。「わからない」が答えでも「なぜ?」を考えてみる。
息子の話を聞くのが好きだ。正解しかない話なんて、もうつまらなくなってしまった。

◆旅をする蝶

アサギマダラという、美しい蝶がいる。透きとおるような浅葱色の翅は、澄んだ空気と朝の空を想起させる。アサギマダラは、春は南から北へ、秋は北から南へ長距離を旅をする。その移動距離は、1000kmから2000kmとも言われている。
秋のはじめ、アサギマダラは軽井沢にも飛来する。軽井沢で調査のためのマーキングを受けた蝶が、40日後に台湾で発見された記録もある。ふわり飛び立って、身ひとつで外国まで行けるなんて、私はとても想像できない。

入園前。蛹から蝶が出てきたことに、おそるおそるの「なぜ?」世界は不思議でいっぱい!

息子はあるとき、アサギマダラが好むフジバカマの花を、風越に植えたいと言った。自分がトンボや蝶を追い回していたフィールドに、アサギマダラが寄ってくれたらいいなという閃き。
種から育てた苗は小さく「今年は咲かないと思うよ?」と言ったけれど、それでもいいと言う。息子は苗を植え、小さな苗を守るための看板を作った。幼稚園の方でも大きな株を手配してくれて、それも植えてもらった。

冬、フジバカマの地上部は枯れて、雪に埋まっていた。春になれば芽生えるのか?見たい風景を見るまで、時間がかかることもある。でも、待つ楽しみがある。

息子はもう卒園なので、小学生になれば、幼稚園のようにずっと外で過ごすわけではない。だけど、もし次の秋にフジバカマが咲いてアサギマダラが来たら、幼稚園のスタッフが、きっと校舎にいる息子に知らせに来てくれる。約束したわけじゃないけど、必ず、一緒に喜んでくれるだろうなと思う。
関係は続いていくのだという信頼がある。そもそも風越は、幼稚園も義務教育学校も、担任制という考え方が薄い。学年の担当はあるけれど、担当じゃなくても、子どもが必要としていたら、そこにいるスタッフが手を貸してくれるし、子どもと一緒に楽しんでくれる。卒園しても、そこで関係性が切れるという感じではない。その自然な感じが心地いい。
幼稚園の3年間、スタッフには本当にあたたかく子どもの成長を見守っていただいた。雨の日も風の日も…という表現があるが、屋外での保育、本当に雨に降られ風に吹かれ、炎天下でも零下でも、子どもたちに寄り添っていただいたこと、感謝に堪えない。
子どもの成長や幸せを一緒に願ってくれる人がいること、嬉しいし、心強いし、本当に有難い。

大切な家族の話を、子どもたちにしてくれたアンディ。
大きな喪失の後でその話を持ち出すのは、負荷も大きいし、それを子どもたちがどう受け止めるかもわからない。それでも本当のことを、アンディが感じている気持ちを話してくれた。
大人でも、子どもでも。生きていたら色んなときがある。子どもだからわからないだろう、じゃなくて、本当のところで子どもと向き合ってくれたことに、心から感謝している。
大人が真剣に生きていて、本音で向き合ってくれるから、子どもの深いところに届くものがあると思う。
私自身、素晴らしい大人の背中を子どもたちに見せられているわけじゃないけれど、いいときも悪いときも、真摯に子どもと向き合いたい。信頼があって、本当の気持ちを語り合える、そんな人と人との関係を築きたい。

風越で感じる刺激と安心。子どもたちにとって素晴らしい環境なのはもちろん、この環境で子育てができて、私は本当に幸せな人だなと思う。

まだ3月に入ったところだけど、昨日今日と暖かくなって、今日は地蜂が飛んでいるのを見た。カレンダーはなくても、虫は身体で春を感じて動き出す。
「もうすぐ1年生だー」と呟く息子は、言われてみれば1年生に見えなくもない。赤ちゃんだったのに、いつの間に?不思議だなぁ。

卒園、おめでとう!

年長になった息子。羽化した喜びと、蛹から出たばかりの蝶を傷つけまいという緊張感。ここが別れで、これから長い旅が始まることも知っている。蝶はしばらく庭に留まった後、春の光の中を飛び立って行った。

子どもの頃は違ったのに、大人になった私は、わからないことがあると何でもすぐにネットで検索している。それっぽい答えは、割とすぐに見つかる。時代の変化もあったと思うけれど、いつからそれが私の普通になってしまったんだろう?

先週、君は助手席で突然「この道はどこまで続いてるの?」と呟いて、私は「どうなんだろうね?」と答えた。それで会話は終わってしまった。君はどうしてもその答えを知りたいという感じではなかった。

だけど。なぜか何年とか何十年後とかに、そういうふわっとやってきた問いの答えが、ピタっと見つかることがある。
道の終わりがどこだかわかったという話ではなくて、なぜ自分はそんなことを考えたんだろうかとか、こんな答えだったらよかったとか、今なら答えを出せるなとか、こういう答えもアリだな…とかを含め、答えが出ることがある。

それで、実は頭の片隅で、そのことをずっと考えていたんだな…と気づく。小さな小さなボリュームでずっと音は鳴り続けていたんだなと。
いい答えが見つかると嬉しい。ここにつながっていたんだ!という感じ。
そういうのがおもしろくて、私は生きている。
答えってすぐに出なくてもいいね。
いつか回収できる日のために、いくつも問いを立てておこう。

あなたが今、1番不思議だなぁと思うことは何ですか?

#2024 #保護者 #幼稚園

かぜのーと編集部

投稿者かぜのーと編集部

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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