風越のいま 2024年11月20日

学校に馬がいる

斉土 美和子
投稿者 | 斉土 美和子

2024年11月20日

学校に馬がいたらいいのに。
そう思い始めたのはいつの頃だっただろう。
子どもと馬が共に暮らすっていいだろうな、
そうずっと思ってきたことがかなう日が来た。

私の田畑には馬と羊が欠かせない。
馬と羊が田畑の草を食べてくれて、その糞は堆肥として田畑に戻す。
田んぼで採れた稲は人間のご飯のみならず、その藁は馬と羊の餌と敷料になる。
豆殻や野菜の残渣など人間がいらないものも餌となる。
全て循環していて無駄のないサイクル、いわゆる循環農法だ。

私の田んぼは軽井沢の西の端、追分にある。
追分宿の中ほどを下ると国道の先に開けて浅間山をどーんとのぞめる里山の景色、
田んぼが連なる昔ながらの農村地帯の一角に私が借りている田畑がある。

田んぼの地主の荒井猛さんは生まれも育ちも軽井沢、生粋の追分っ子。残念ながら3年前に90歳で亡くなられた。その猛おじいちゃんが最後に飼っていた馬がポニーのラッキーだ。

追分の田んぼは標高約千メートル、少し前までお米ができるギリギリの寒さ厳しい土地だった。浅間山の火山灰土で土質も良くはなく、作物の出来が悪くて苦労されてきたとのこと。馬や牛を使って馬耕や馬搬をしたり牛の乳を絞って売ったり、羊も毛刈りして1頭分の羊毛を紡績場へ出すとツイードの背広一着分の反物が返ってきて、動物たちが人々の暮らしを支えてくれていたそうだ。私が猛おじいちゃんの田んぼの一枚をお借りするようになってしばらくして「ずっと羊を飼ってみたかった。」と言うと、飼えばいいわ、昔の道具とか色々あるし飼い方教えてやるから飼ってみなー、と背中を押してもらったのだ。そんなおじいちゃんの傍らにはいつもラッキーがいた。

聞けば、安曇野のご友人が山で2頭の大きなサラブレッドとラッキーを放牧していたが、突然その方が亡くなり3頭の馬は馬肉屋に引き取られることになった。しかし2頭の大きな馬はすぐトラックに載せられたが、ラッキーだけは踏ん張ってどうしても乗らなかったそうだ。この子はきっと自分がどうなってしまうのかわかっているんだな、と不憫に思えて俺が引き取るよと連れて帰ってきてしまったと。「だから命拾いしてラッキーって名前になったのさあ。」とおじいちゃんは笑っていた。

マイプロジェクトで「暮らしづくりプロジェクト」に取り組む中学生8人は、風越の外環境での暮らしを自分たちの手で少しずつ作ってきた。畑を耕しそこで採れた野菜を使ってピザやドリアをアースオーブンで調理、ピザだけじゃなくてご飯を炊いたり炒飯も作りたい!と粘土土をこねて日干しレンガを150個並べてかまども手作りした。パーマカルチャーデザイナーの四井真治さんにアドバイスをいただきながら、そこに水場もあったらいいよねと移動式のドラム缶シンクまで作った。自分たちが使っている水はどのくらい汚れていてどのくらいの量を流してしまっているんだろう、と排水も見届ける仕様。いずれはそれを濾過して循環させるバイオジオフィルターの仕組みに繋げられるかもしれない。

でも校庭の畑の野菜の出来は正直言って良くない。土はザラザラとした火山灰土に石や瓦礫が多く水はけも悪い。雨のあとはいつも水が溜まっている畑を見て、水路を掘って水を流したりどうしたらいいかなとみんなで考えていた。もっとたくさん肥料が必要なのかな?何度となくそんな声が上がっていたが、ユロがやっぱり馬がいたらいいんじゃない?馬耕で耕せるし学校の景色に馬がいたらいいと思うんだけど。」と提案する。「確かに馬糞で堆肥がたくさんできたら野菜ももっとできるかも。」「馬を飼うってどのくらいお金かかるのかな。」ずっと前から馬を飼いたいと願っていたユロの思いをメンバーみんなが受けとってチームはぐっと動き始めた。料理が好きなコタとサク、畑でもっと野菜を作りたいリトやタイセイ、土に興味があるチー、生き物が好きなムサシ、みんなと一緒に楽しんでいるジュンノスケ、それぞれの面白いと思うことを暮らしづくりに活かしてメンバーみんなで楽しんできた8人。「馬、ほんとにいるといいかもね。」

それからは怒涛の勢いでことが進んだ。自分たちの思いをアウトプットデーで発表してそこでピザや焼きおにぎりを売って資金集めをしたり、子どもたちやスタッフに馬を飼うことを共有して理解してもらえるよう努めた。しかし時々は「飼うことには反対。」という声も上がって、そこをクリアしないとね・・とみんなで課題を整理して納得してもらえるよう踏ん張った。

スケジュール的に急すぎて無理があるのでは?というスタッフの心配をよそに、予定していた3日間で馬房と放牧地の柵を仕上げてしまった。今まで道具小屋として使っていた場所をリフォームして馬のために強度を上げ、柵も小さな子どもたちの手に棘が刺さらないよう、念入りにヤスリをかける徹底ぶりだった。とうとう馬を迎える環境が整った。

そして10月31日、とうとう馬のラッキーがやってきた。ハーモニーセンター蓼科の上村雄一郎さんにもお手伝いいただいて、軽トラックに乗せる前にはみんなで引き馬のレッスンを受けてラッキーの脚ならしをしてから出発、8キロの道のりをなんとか無事に乗り切ってラッキーはやってきた。

朝夕の餌やりとブラシ掛けや蹄の裏掘りなどの全身のグルーミング、ボロ(糞)の始末と管理など、一連のお世話の日々が始まった。ここから、ずっと馬が学校にいる景色を夢見てきたユロと7人の仲間の熱量は日に日に増していくことになる。

馬は群れで生活する草食動物で、群れのリーダーの役割は重要だ。そのリーダーに着いて行くということは、餌や水場のあるところへ連れて行ってもらえるのか、敵である肉食動物から身を守れるのか、そのリーダーに生命を預けるということでもある。馬と人間が暮らしを共にする場合、人間は馬のリーダーにならなくてはならないと言われている。なぜなら力では人間が絶対叶わない馬の方にリーダーになられては、振り回される人間は危険極まりないからだ。馬とのやりとりの中で、この人に着いていっても大丈夫かな、この人のいうことをきいていれば安心だと馬に思わせつつ、人間の方も穏やかに暮らすことができればお互い幸せというものだ。

しかしラッキーを迎えた翌日の朝、事件は起こった。餌をやって蹄の手入れをしようとした時、裏掘りしようとしたユロが振り向きざまに太ももを噛まれたのだ。しかしこの瞬間ユロは即座にラッキーの身体を叩くように押して距離を離し、「NO!」としっかり伝えられた。ユロすごい。怯まずがんばったお陰でラッキーは反抗的な動きをひとまずやめた。だがこの餌の後、リードで引き馬をしながら校内を散歩していたユロとリトが、ラッキーに暴走されかかる事件がまた起きた。このリーダーたちを全力で振り切れるかラッキーが試してみたのかどうかはわからないが、リードを離さなかったユロはまたもやお手柄だった。


ここから朝夕の世話をする中で、子どもたちはラッキーとの関係性のやりとりを積み重ねることになる。引き馬をして散歩するにもラッキーが草を食べたいときに食べさせるのではなく、引き手であるリーダーがどうぞと言った時だけラッキーに今食べてもいいよとOKを伝える。振り切って食べようとするときにも「今はダメ!」とまさに手綱をぐっと握り締める姿。蹄の手入れをするときには蹴られないように細心の注意を払いながら。

それでも、「オレさ今朝裏掘りする時ちょっと脚を振り上げられて怖かったんだよね」「そういうときもそれはいけないって伝えないとどんどんわがままになるよね」「どうやって伝えたらいいんだろう?」「絶対いったん持った脚を離さないとか?覚悟いるね」「馬を怖いと思うと相手に伝わるのかも・・。」中学生たちの試行錯誤は連日続いた。

やってみて違うと思ったら修正する、馬にこちらの思いをどうにか伝えてみる、その関わりを徐々にラッキーは受け入れていた。やってきて1週間ほどのうちに、小学生や幼稚園児の中で不意に声を上げて近づいたり、草やエサをあげているときに触りすぎたりして噛まれる子どもが出てきていた。でも8人の中学生たちは丁寧にラッキーと関わる過程でリーダーとしてのNO!をしっかり伝えることが出来るようになり、誰も噛まれる人はいなかった。これはとても大切なことだったと思う。リーダーとして馬に認めてもらえている、伝えようとしたことが伝わると嬉しい、すごく可愛くなってきた!と子どもたちの表情は日に日に変化していった。

一緒に伴走しているスタッフのもい(新井)が、ラッキーが来て2週間経つ少し前に「8人の子どもたちが本物の言葉を持ち始めている。」と言ったことが私はとても印象に残っている。馬を迎える前にはどこか頭で考えて表現していたことが、実感を伴って全身から言葉が出てきているような感覚。きっとアンテナ全部をラッキーに向けながら、身体全体を使ってやりとりするプロセスの中に何かが起きているのだろうか。国語スタッフのりんちゃん(甲斐)も、「表現が変わってきているのよ、あの子たち。馬と関係ない場面でもすごく積極的だし、語彙や表現力が増してるっていいうか、なんだろうね、ほとばしって出てきている感じ。」と。確かに何かが変わってきていると色々な人が感じていた。でも馬との間に起きていることを人間の言葉で表現するのはとても難しい。

2週間と決めていたお試し期間が終わり、ラッキーを返すかどうかの話し合いは3日間かかってもなかなか結論が出なかった。サクの「ラッキーが噛んでしまったりする今の課題を学校のみんなに伝える必要があるよね。その課題をクリアしてちゃんと解決して安心して飼える状況にしてから飼いたいんだよね、だから返した方がいいと思ってて。」という言葉に噛まれる人が続いて苦慮していた私も共感、雨漏りで屋根が傷んでいて雪の時大丈夫かな、小屋を改築するならその間ラッキーは音もストレスじゃないか、などと意見を交わして、8人はいったんラッキーを返すという決断をした。せっかく馬との関係性ができてきたのに返したくないという意見と、2週間と決めていたからいったん区切って小屋をしっかり冬仕様にすると同時に、お世話の仕組みや噛まれることに関しても学園のみんなにどうやって共有するか整理した方いい、という意見がずっと真っ二つに拮抗していた。決めたあともまだ後ろ髪をひかれる感じ・・。ムサシは「返すってさ、いなくなってきっと大切さってわかる気がしない?それ想像すると返したくないのに。」と諦めきれずに呟いていた。

とりあえず2週間のお試し期間が終わって、ラッキーは追分にいったん戻った。これから冬仕様の小屋を作ってお世話の仕組みも整えて、もう一度12月には学園に馬を迎えたいと暮らしづくりプロジェクトの8人は張り切っている。

まずは決めなくてはいけないこととして

– 世話の仕組みづくり
– 小屋の改修
– ラッキーへの関わり方
– 日々起こっていることの記録をどうするか
– 上記のことをどうみんなに共有するか
– スケジュール期限を考える

が挙がっている。でも同時にこんな問いが出てくることも「ほとばしり出てくる」ことのひとつなのかな、と思った発言がこちら。馬の飼い方やお世話の仕組みといった現実的な話とともに、馬のいる風景を作りたいという願いがあったこのプロジェクトならではの、風越の馬って?といった概念的な会話もちらほら。(こちら会話そのままの記録です。)

コタ「”風越の馬”って何?風越にいたら、風越の馬?」
リト「みんなに親しまれたらじゃない?」
ユロ「俺の中のイメージでは、みんながラッキーのイメージをもっていること。8人の中ではもうラッキーのイメージがあると思っている。」
コタ「ラッキーのイメージって何?」
ユロ「こんな子だよね、こういうところが可愛いよねってわかっている感じ。」
コタ「それ、わかっているんじゃない?イメージって何すかラッキーに会ったことあるなら、イメージ持っているじゃん。みんな1回は会ったことあるわけじゃん。イメージは人それぞれでいいなら、もう風馬(かざうま)になっているんじゃない?」
ユロ「最後のお世話の時、すごい良かったよね。」
ムサシ「いや、ラッキーはイライラしてたよ。たくさんギャラリーがいてさ。」


感じ方、受けとり方もそれぞれではあるけれど、メンバーみんながいまこの先の未来に、学校に馬がいること、馬がいる景色について一生懸命考えている。

ほとばしり出てくる言葉が本物になってきているのは、きっと馬との関わりの積み重ねの賜物だろうと思うが、言葉を持たない馬と言葉で考えてしまう人間とのやりとりには、彼らいわく「むずい!」瞬間がいっぱいある。でも生命と生命、存在と存在が出会っているようなそんな時間は本当に尊い。人間の言葉にしてしまうとなんだか薄っぺらくなってしまうのだけど。

学校に馬がいることになにか意味があるということだけは、メンバー8人の表情や馬の周りに集う子どもたちの様子を見ていれば確信が持てる。子どもたちの日々と学校に馬がいる景色がつながって、その暮らしがより豊かになれば幸せなことだ。

#12年のつながり #2024 #わたしをつくる

斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

投稿者斉土 美和子

浅間山の麓に来て20年。たくさんの命に出会ってきました。淡々と生きる命、躍動する命、そして必ず限りある命。生きるって大変だけど面白い。そんな命が輝く瞬間を傍らで見ていたい。一緒に味わいたいです。

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