風越のいま 2023年7月14日

風越学園のはたらくを知るー「協働する」と「らしさ」

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2023年7月14日

現在、2024年4月から風越学園に参画するスタッフの募集を実施しています(7月31日(月)応募締切)。

>> https://kazakoshi.ed.jp/news/recruit/30229/

この記事では、7月7日(金)に開催した採用説明会の中で風越学園での「はたらくを知る」について話した内容の一部をご紹介します。なお、説明会は7月18日(火)にも実施します。ご参加希望の方は、7月16日(日)までにお申し込みください。

>> https://kazakoshi.ed.jp/news/recruit/30227/

話し手:
栗山梓(あず) 
2022年4月に風越学園に参画。前任校は東京の私立小学校。2022年度は7〜9年生、2023年度は5,6年生のラーニンググループを担当。専門教科は英語だが、保健体育やテーマプロジェクトほか、子どもたちとの風越づくりにも全力。

井上太智(たいち)
2019年4月、軽井沢風越学園設立準備財団に参画。前任校は公立中学校の理科教員。開校後3年間は7〜9年生を担当、今年は学年問わず理科的なことを中心に幼小中の子どもたちとスタッフに全方位に関わる。
佐々木陽平(ようへい)
2022年4月に風越学園に参画。昨年度に引き続き7〜9年生を担当。専門教科は算数・数学。昨年11月から「かぜのーと」ならぬ「ますのーと」を書き続け、現在90ページ目に突入。今回は飛び入り参加で登場。

聞き手:
本城慎之介(しん)

 


本城

まずは、今日印象的だった子どものエピソードから聞かせてください。

栗山

今日は5,6年生の英語の授業があったんですけど、順番に私と1on1で英語のスピーキングの確認をしている横で、他の子は自分で自分の学びをつくることを試しにやってみようと思って。「どんなことができるようになりたい?そのためにどんな学びを選択する?」という問いから自分なりの学び方を選んでもらう時間をつくってみました。すると、いろんな子どもたちの姿があって。一人で黙々とデバイスで学んでいる子もいれば、いつも使っている授業の絵カードを使って友達と過ごす子もいれば、わからないところを友達に聞き回っている子がいて。一人でいることが寂しいのではなくて、一人でやりたいと選んでいる。自分たちで自分たちに心地よい学びを選んでいる様子をいいな、と思ってみていました。

井上

今日、理科室で片付けをしていたら、向かいの音楽室で9年生が合奏の練習をしていました。少し前に、スタッフから音楽の授業として合奏を提案したところ、9年生から「もっと僕らなりの表現を追求したい、この楽譜からじゃなくて自分たちで曲を選ぶプロセスからやりたい」なんてフィードバックがあったみたいで。

昨日はただの練習だったんですけど、「ちょっと今テンポ良くなかったよね、次はもうちょっと意識してやろうよ」なんてことを、子どもたち同士でまっすぐやりとりしてるんですよね。僕は公立学校で合唱コンクールみたいな行事も経験してきて、風越では何か表彰があるわけでもないのに、子どもたちが自分たちでいいものをつくろうと追究してる姿が、美しいなぁって感動しちゃうなぁって。そんな9年生の姿がありました。

本城

ふたりが挙げたエピソードは、子ども自身が自分たちの学びをつくっている光景の一つですね。今年度、子どもたち自身で学びをつくる姿がぐっと増えたなという印象が僕にもあります。

では、これからの時間は、風越学園で大切にしている「つくる」と「つくり手」について取り扱ってみたいと思います。

>> 大切にしたいこと

子どもたちが学びのつくり手であることを支えるということは、さっきたいちが紹介してくれた合奏一つにしても、大人からの提案に子どもとのやりとりが発生する。大人同士にとっても、協働的につくるって手間がかかることだなと思っています。

「つくる」ことと「つくり手」について考えると、次の5つが大事なんじゃないか、あるいは求められると考えているんだけど、風越で仕事をしていて感じていること、この5つについてどんなことを思うか、やりとりしてみたいです。5つの中からまずどれか選ぶとしたら、どれについて話してみる?(ちなみに、これ事前打ち合わせなしのぶっつけ本番です)

栗山

4の「協働する」。

本城

では、「協働する」。「協働する」を「あり方(Be)」と「やり方(Do)」の2つに分けてみると、「他者への関心」と「他者への関与」の2つになるんじゃないかなと思っていて、これについて、ふたりはどんなふうに考える?

栗山

そうだなぁ。風越の仕事の中で一番協働しているなと思うのは、テーマプロジェクトです。「他者への関心」で思い浮かぶことは、一緒に同じテーマプロジェクトをつくっているスタッフの中にどんなことが起こっているか?に私は関心を向けています。たとえば、自分が子どもたちに対して話している時に、そばでサポートしているスタッフがどういうことを考えているんだろう?、とか。逆に、他のスタッフが子どもたち全体に向けて話してる時に、この場をどんなふうに見て何を考えてるんだろう?、とか。それについてやりとりする、関与するのが大事だなって感じています。

本城

それは、やりとりできるもの?

栗山

授業の中では、意識して踏み込まないとそれは起きないですね。普通にやっていると、授業を回すことや子どもたちと関わることに目が向いちゃうんですけど、ここは関わるぞ、って思う時にえいっと関わってみると、結構”いいこと”に繋がるという手応えがあります。次の自分の判断を変えるというか、今こういうふうに見えてるんだけど、どう思う?とか、それってどんな感じ?と踏み込んでスタッフに聞いてみると、あぁそんなふうに感じてるんだ、という発見も多いし、この後、どう判断する?ということも一緒に話せる。毎回はできてないけれど、次の選択をどうしようか迷った時にこそ、一緒にやってる仲間に聞くようにしてる気がします。

本城

そういう”いいこと”は確かに起こりそう、でも他者からフィードバックをもらうことって、時には自分が想定していなかったことが返ってきたり、ちゃんと受け取ってもらえなかったりもするから、誰かに関与することって勇気が必要だよね。

栗山

私に対して、こう見えてるんだけどって関与される立場の時に、あぁそう見えてるんだ!って気持ちがバクバクしちゃう時はありますね。私はそこまで悪い場と思ってなかったけど、このスタッフにはそう見えたかーって。そう見えてるってことは、そう感じてる子どももいるんだろうなーと思う。批判されているというよりは、違う角度で見ている世界がわかるなと受け止めています。

本城

あずが協働したいと思うのは、なぜ?

栗山

風越の中で私が自分一人でできることって、少ないなと思っていて。テーマプロジェクトでは、今までやってきたことを扱うことがほぼなくてどう進めるかの実践知もまだまだだから、私一人で頑張るより、いろんな人の力を借りてやる方がいいなと思っています。

風越には、自分にはない視点をくれるスタッフがたくさんいて、いろんな場面で他のスタッフの姿から学んでいます。うまく協働できなかった頃は、一人になってしまってどんどん苦しくなっていた。どうしたらいいんだろう?と仲間にも言い出しにくくて。でも、日々の小さいところから一緒につくっていると、どう思う?と聞きやすくなって、やりやすさもプロジェクトの質的にも圧倒的に変わりました。

井上

「他者への関心」って、「他者への関与」の前にあると思うんですけど、僕は関心を寄せていたいな、関与したいなと思いながら、日々働いています。例えば、ちょうどこの間、あずにある子どもとこんなことがあったよって、やりとりしたんですね。そのエピソードを伝えたら、あずの視点がちょっと変わるんじゃないかなと思って。でも家に帰ってから本当に伝えたいことが伝わったか不安になって、次の日にもう1回伝わった?ってやりとりした。そういうことって日々起きてるけど、もっとライトに、でももっと深くやりたいなって思っていますね。

本城

風越の校舎のオープンな構造上、他者のことが見えるし気になったりもするから、関心を持ちやすい空間ではあるよね。自分だけの学級もなくて、常に複数人のスタッフで子どもたちを見ている。たいちに聞いてみたいんだけど、関与しにくいなっていうタイプの人がいるとすると、どんな人?

井上

関与するって、愛と勇気を持って関わるということだと思うんです。ただ、それを愛と勇気ではなく、攻撃だと思って受け取られちゃうと、愛なんだけどなー、一緒にいいものをつくりたいっていう気持ちなんだけどなーって思って、そういう人には関わりにくくなってきますね。

本城

愛なのに、攻撃だと思われる。相手の立場に立ってみると、攻撃だと思ってしまうのはどうしてなんだろう。

井上

それは何かなぁ。関係性もあるんですかね。協働の中でそういう関係がつくられるのか。やりとりの量や質も関係あるだろうし。たくさんのスタッフがいる中で、僕も全然関われてないなぁっていうスタッフもいるんですけど、この人にはこれくらいなら受け取ってもらえるかな、って試しています。それを越えて、みんなでバッとやれたらいいんですけど、そんなすぐにはうまくいかないですよね。

本城

二人は、一人でやりたいなって思うことないですか?

栗山

風越の中で、一人でやりたいなとは思わないですね。子どももいろいろだし、大人もいろいろで、人間だから合う・合わないはきっとある。1学級に一人担任では、どんなにいい先生だとしても、居心地悪い子は確実に出ると思う。複数の大人で見ていると、この人がいるからあっちの人とも関われる、ということが大人と子どもの間でも起きるなと思ってて。ラーニンググループの中でパートナーとして担当する子どもはいるけれど、困った時に話したいスタッフが他にいれば、その人に関わってもらったり話したりしてもらったらいい。話しやすいスタッフ、私の他にも誰かいる?って聞いて、私ではなくても誰かいるのが大事だと思う。なので、一人でやりたいというのは、私は全然ないですね。

本城

一人でやりたい人にはあんまり向かない職場かな?

井上

んー。一人でやりたいというか、ここは自分が責任持つよ、これは任せてっていうところも必要だなと思っています。でもそれは一人でやるってことではなくて、ここは俺がしっかりやるけど、孤独ではなくてみんなでもやってるみたいな感じでいるっていうイメージですかね。そういう人がいると心強かったりもするし。

本城

ここで、ようへいにも飛び入り参加してもらって聞いてみよう。ようへいは、去年から中学生の数学を担当していて、俺が責任を持ってやるんだっていう意識が強いんじゃないかなって思うんだけど、今の話どう聞いてた?(編集部注 ようへいはスタッフの一人としてこの説明会に関心を寄せて参加者の一人として参加していたところ、いきなり話を向けられた。)

佐々木(陽)

数学の場合は、一人でやることがおもしろいし、僕が一人で授業をすることで空きコマが生まれて助かってるスタッフがいるのも間違いなくて。そういうwin-winの状況だから一人でやってるけれど、テーマプロジェクトなんかは、到底一人ではできない。そういう一人じゃ絶対できない仕事が風越にはあって、それさえも一人でやりたい、だと苦しくなっちゃうんじゃないかな。

誰にも自分の悩みが言えないとか、違和感があるけどそれが言えないと苦しいと思う。協働せざるを得ない状況や、協働することがしんどいなって思うことはもちろん多い。誰かと一緒にやるには時間もかかるし、いいことばかりじゃないけど、これは協働でやったほうがいいなって思うことは確かにあるので、一人でやる仕事と一緒にやる仕事の自分なりの見極めが必要そう。

本城

ようへいは、「ますのーと」というふりかえりを書いて、スタッフにオープンにしていて、他者からの関心を持ってもらうきっかけにしてると思うんだけど、そんなふうにオープンにするのはどうして?

佐々木(陽)

昔は、オープンにすることが得意じゃなかったんだけど、プロセスをオープンにしておくことが協働を生んだり、思いがけないところでプラスになることはありそうだなと思ってからは、自分一人でやってることを一人のままにしないようにしてますね。関心を持っている人が関与できるタイミングをつくるというか、一人でやってるけど、一人にはならないっていうようにしています。

本城

オープンにしてると、ギフトがやってくるんだね。他のふたり含めて、「協働する」について、言い足りないなということはありますか?

井上

一人ひとりでやっている仕事が影響し合うことも協働だなって思っていて。たとえば僕が理科の時間をしっかりやる、あずは外国語、ようへいは数学でいい仕事をしようとしているっていうのが影響しあって、他のスタッフもがんばろうと思える。同じことを一緒にやることだけが、協働でもないなって。それぞれの仕事を大きく捉えて、チームとしてやってるのが学校だと思う。それがうまく捉えられないと独りぼっちだと思ったり、私だけ、と思って、うまくいかないことが起きたりするんじゃないかな。

本城

国語だとりんちゃん(甲斐)あすこまさん(澤田)がそれぞれのラーニンググループを担当していて、一人でやっているけど、お互いにいい影響や共鳴してる部分が確かにあるな。

井上

教科で表現しちゃったんですけど、教科というよりは、ようへいがようへいらしく過ごせているかどうかっていうことですね。ようへいの数学の授業がひどくてもよくて。いや、よくないか(笑)。ようへいが、ようへいらしくやってることが大事で、僕も僕らしくありたいし、あずにもあずらしくいてほしいって思ってるんですよね。

栗山

それを聞いていて思ったのは、他者に関心を寄せたり関与することができる自分がいるな、ということです。(1)のらしさとも関係あると思うけど、自分らしくいられているな、自分が保たれてるなと思えると、他者に関心を向けたり、ぐっと関与できる気がしていて。協働することと、自分らしくいられていると思えることは、強く関わっているなと思います。

本城

ではこの流れで、(1)の「らしさ」の話に移りましょうか。「らしさ」も「あり方(Be)」と「やり方(Do)」の2つに分けてみました。スタッフ一人ひとりのあり方・やり方の「らしさ」もあるけれど、風越の「らしさ」もあるんじゃないか。スタッフと風越の「らしさ」が完全一致する必要はないんだけど、重なりはあったほうがストレスがないというか、心地よいというか。一人ひとりの「らしさ」は離れててもいいが、風越の「らしさ」と自分のそれは、1ミリでも重なってるほうがいいんじゃないか、みたいなことを考えてみたんだけど、どう思う?

栗山

去年、入職したばかりの頃、その「風越らしさ」がよくわからないというか、私が勝手につくりあげた「風越らしさ」に変に縛られている時期があって。風越的なスタッフのふるまい方、みたいなゴールや正解がある気がしちゃっていて。それに合わせていくにはどうすればいいんだろう、合わせたほうがいいのかな、って変に考えすぎて、目の前で起きている子どもたちにぐっと関われなかったことがありました。たとえば、子どもたちが喧嘩してる時に、前任校での私だったらすぐに止めてた喧嘩の場面で、風越のスタッフはまだ止めないんだ、みたいなエピソードが自分の中に溜まっていくと、喧嘩は止めないほうがいいのかなと、起きる喧嘩の全部を引きで見てしまうみたいなことです。

「風越らしさ」ってたぶんしっかりしたものはないんだけど、それに対して、自分なりにこうかな、とぽんと投げてみて、反応を確認してみる、を繰り返して、だんだん私らしさが出てきました。こういう時は、ぐっと関わろうとか、こういう時は周りの子どもの動きを見ていようとか、自分の中での軸がだんだんできてきたなって思います。

佐々木(陽)

すごくわかるなと思って聞いてました。僕も去年は勝手に「風越らしさ」みたいなのを想像していて、例えばあんまり子どもに介入しないほうがいいのかなとか。今でもよく、見学に来た人とかに風越のスタッフって、よく子どものことを待ちますねって言われる。確かに待つ場面もあるけど、待つと決めて待つことと、なんとなく待つのは違うなとも思っていて。「自分らしさ」と「風越らしさ」の重なりはあるだろうけど、僕がやってることもそのうち、「風越らしさ」に入ってきそうだなっていう感覚はある。

本城

「風越らしさ」って、お化けみたいなもんなのかな。

井上

「風越らしさ」は、なくしましょう(笑)。僕らが「風越らしさ」に寄せようとするのではなく、一人ひとりが自分らしくいて、結果的に今の「風越らしさ」はこんな感じ、くらいなんじゃないですかね。「風越らしさ」は「文化」って言い換えてもいいと思う。風越の中で自分はこういう文化をつくりたいから、この場面でこんなふうに言おう、みたいな気持ちでいます。

本城

「風越らしさ」は誰かがつくっているんじゃなくて、僕たち一人ひとりも子どもたちも日々つくっている。自分たちの行動そのものが、それをつくっているっていうことなのかもしれないね。

栗山

改めて、毎日大人とも子どもとも一緒に「つくる」ことを泥臭くやっているのが、風越の特徴だなと思います。


(本城)あず、たいち、ようへいとのやりとりを通じて、「協働する」はもっと表現を吟味したいなという気持ちが生まれました。「協働する」には、みんなでつくるというイメージが伴うことが多いように思いますが、僕はそれが先立つことに対してはちょっとした違和感がある。僕にとっての「協働する」は、みんなでつくるよりもぐんと手前に、「まずは自分でつくる/わたしがつくる」があり、そこからスタートするものだというイメージが鮮明にあります。「らしさ」から湧き上がってくる「自分がつくるぞ」という気持ちの交わし合い/ぶつかり合いというプロセスを経てから、協働が生まれるんじゃないか。交わし合い/ぶつかり合いを避けた”協働”は、協働のように見えて別なものなんじゃないか。そんなことを考え始めた「はたらくを知る」でした。次回7月18日は、どの問いをもとに対話できるかな。

採用説明会のお知らせ
>> https://kazakoshi.ed.jp/news/recruit/30227/

#2023 #スタッフ #説明会

かぜのーと編集部

投稿者かぜのーと編集部

投稿者かぜのーと編集部

かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

詳しいプロフィールをみる

感想/お便りをどうぞ
いただいた感想は、書き手に届けます。