風越のいま 2023年2月27日

おまえはどこでどう生きてゆこうとしているのか(川松 絵梨)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2023年2月27日

(書き手・川松 絵梨/2022年度インターン終了)

寒い冬を乗り切ろうと、1・2年きいろグループでつくった牛乳パックのこたつ。



1月、きいろグループ解散とともに解体された牛乳パックたちは、次に、うんどうの時間に使うハードルへと生まれ変わった。思い思いの形のハードルを作っている横で、黙々と何かを組み立てているキョウ。そこに、いつもは一緒にいることのないユイの姿もある。出来上がったのは、牛乳パックでできたお墓だった。「こたまる」と名づけられたそのお墓の前に場が生まれ、きいろのシンボルとなった。



こたまるは、キョウの怒りから生まれたお墓だ。牛乳パックのこたつを壊したくなかった。それなのに破壊された。こんなのめり込んだキョウの姿を見たのは、はじめてかもしれない。そこにハジメやリョウも加わる。まさか、こんなグループ活動終盤でみんなの心がぐらっと動く出来事が起こるなんて、思ってもみなかった。

思えば、私が風越に来てからいくつものお墓が生まれてきた。道で出会ったモグラのお墓。窓にぶつかって動かなくなった小鳥のお墓。飼っていたにわとりコッコのお墓。私がお墓に心を寄せているのは、スタッフのみやちゃん(宮原)がきっかけだ。

4月。みやちゃんと初めて話したのは、お墓についてだった。「お墓って、人間が発明したものの中で、いちばんだと思う」と、みやちゃんは言う。お墓があることで、安心してちょっとの間忘れることができる、って。なんでも埋めていい。感情も、言えなかったことも、過去も。忘れているからこそ生きていける。だけど、絶対忘れちゃいけないこと。ものも、人も、気持ちも、つながりも。

風越に来てから、「暮らす」って言葉をたくさん耳にしてきた。風越に行く、風越に通うじゃなくて、風越で暮らす、になるためには・・・

暮らすって、やりたくないこともやらないといけないし、見たくないものも見なきゃいけない。悲しいことも、逃げ出したくなることも、まるごとやってくる。「暮らす」はお客さんじゃないんだ。

今日は、そんな「暮らす」にまつわるあれこれを言葉にしてみようと思う。

おくりもの

冬休みに入る子どもたちに、スタッフから手渡したのは「ふゆのおくりもの」。いわゆる「冬休みの宿題亅だけど、宿題じゃない。提出の約束があるわけでもないし、やるやらないは一人ひとりに委ねられている。自分で選び、決定する。小さなことだけど、こういう経験の積み重ねを大切にしていきたいなって思う。

友だちが、親が、大人が言うからやる、じゃなくて、自分で受け取って自分で考える。こういう場面が散りばめられているのが風越らしさだと思う。

私からも、みんなにおくりものがある。おとしもののおくりもの。

「クリスマスまでに落とし主が見つかりますように亅って願いを込めて1・2年きいろグループでつくった、おとしものツリー。おとしものをアートにして風越のみんなに訴えた。

なくしたら、探してほしい。どうしたら受け取ってもらえるのかな。

音を感じる

暮らしの中には、音があるといい。それも、自分にとって心地のよい音。私にとって、風越で心地のよい音が聴こえてくるのは、森のざわめきであり、早朝ひそかに響き渡るみやちゃんのピアノであり、どこからともなく聴こえてくるフミちゃん(8年生)のカリンバだった。

こまやかでありながらも、よく響く、冴えた力強さをもつ音の持ち主が、フミちゃんだった。フミちゃんよりも先に、その音に出会ってしまった私。声をかけずにはいられなくて、勝手に弟子入りした。

先日のアウトプットデイに向けてデュオを申し込み、二人でひぃひぃ言いながらも弾ききった、すずめの戸締まり。私たち、戸を締められたかな。

その後、1年生の子がカリンバに興味をもって、「誕生日にお願いしたんだ」と話してくれた。音ってつながっていくんだよなぁ。

次は、きみが風越に音を響かせてくれ。

それしか言えないのか

ハレがずんずん近づいてくる。はぁ、とため息をついて言う。

「それしか言えないのか」

ことの発端は、きいろグループでの話し合いでもめたこと。

私は、風越に来てすぐ、使いたい言葉に出会った。「あなたは、どうしたいの?」忘れ物をしたとき、友だちと言い合いになったとき、お腹が減ったとき。誰かに許可を求めるんじゃなくて、「あなたは、どうしたいの?」と問いかける文化が大人にも子どもにも根付いていた。

ケンカが始まると、なんとかして仲直りさせようと、ただ一人焦っていた私。でも、風越に来て、この言葉に出会って、「あなた」を見るようになった。私がどうしたいか、じゃなくて、その子はどう感じていて、何を望んでいるのか。

今回も、話し合いの中で思いがぶつかり合い、一方の子が表情を曇らせた。すかさず私は聞く。

「あなたは、どうしたいの?」

その言葉の唐突さと、突き放された感じに敏感に反応したハレが言う。それが冒頭の言葉だ。

「こうしたい」気持ちはあるけど、それを通せないから苦しんでいるのだ。それなのに、私の身勝手な発言でさらに追い打ちをかけてしまった。

「えり(私のこと)は、何もわかってない。」

そうなのだ。ハレは今、自分がどうしたいかを伝えたいわけじゃない。まだまだだなぁ、自分って思う。

「マユ、そうじしたいの」

来年度1年生になる年長さんに向けて、1年生ってこんなかんじ、と紹介する活動をしている『ようこそ1年生!』の時間のこと。スタッフ紹介を担当しているマユは、紹介の紙を飾る場所を探していた。青床の空いている棚に目をつけ、そこに置こうとしたものの、置かずに帰ってくる。

「マユ、そうじしたいの。あの棚ね、ほこりがたまってるから。」

汚いから、嫌。別の場所にしよう、ではなくて、自分の手できれいにすることを選んだマユ。風越を巡れば、飾る場所なんてどこにでもある。でも、あそこがいいんだ。あぁ、マユは風越で暮らしているなって思った。

僕はムースになる

放課後、校舎のゴミ回収をしていると、たくさんの本たちとすれ違う。不思議なことに、毎日目に留まる本は違っていて、「やあ」と語りかけてくる。ある日、目が合ったのは星野道夫さんの写真集。

「生きる者と死す者、有機物と無機物。その境とは一体どこにあるのだろう。目の前のスープをすすれば、極北の森に生きたムースの体は、ゆっくりと僕の体にしみこんでゆく。その時、僕はムースになる。そして、ムースは人になる。」

風越が大切にしている「循環」。

お墓で眠る生きものたちは、やがて土に還り、草木の栄養分となって育ち、葉の呼吸が森へと広がり、それを私たちが吸いこむ。畑で育てている豆や野菜もそう。人間は、他の生きものの犠牲の上に成り立っているんだ。

それを食べる私たち自身がお墓そのものなのかもしれない。人間は、移動するお墓。私は、にんじんにもなれるし、とかげやきのこにもなれる。暮らすって、生きるって、そういうことなのかなぁ。

風越の素敵なところは、「プロセス」を子どもも大人も大事にしているところ。大事にしすぎて、ときには「効率」なんてことが忘れ去られるぐらい。風越は、大量消費社会じゃない。どんなことにも、過程はつきもの。そこで何を感じ、受け取り、考え、選び、動くのか。葛藤したその日々をもかみしめながら生きていける風越の文化が好き。

奇しくも、破壊と再生がテーマとなった、きいろのお墓事件。こたまるは、今日も棚の上から私たちを見ている。こたまる、わたしたちを見守っていてください。

#1・2年 #2022

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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