風越のいま 2022年6月26日

二〇二二年六月 (内沼 カンナ)

かぜのーと編集部
投稿者 | かぜのーと編集部

2022年6月26日

ライブをライブラリーでやる、ライブライブラリーの日。校舎のほとんどを占めるライブラリー、本棚にぐるりと囲まれた真ん中のスペースがステージとなり放課後のジャズライブが開催される。

お迎え時間の十五時になると、駐車場からぞくぞくと保護者たちがやってきて、各々の子どもたちと落ち合い、連れ立って校舎に入っていく。自分が出演するわけでもないのになんだかそわそわとした緊張感と色めきをまとって賑わいのほうへ寄っていく。その時点ですでにウッドベースやピアノやドラムの音がばららんばららんと聴こえ出している。このご時世にプロの演奏が生で観られるなんて本当に有難い限り。

しかしいざ演奏が始まる頃には、半数以上の子どもたちは座るどころか思い思いに駆け回ったり、階段を登ったり、段差からジャンプしたり、転げ回って大笑いしたり大泣きしたりしている。それでもお構いなしに、あるいは包み込むといったふうに、演奏は海のようなうねりを次から次に産み出し、ライブラリー中を響き渡らせていく。一曲終わるとまた一曲と、波間を泳ぐ大魚のようにゆうらりゆうらりと奏でられていく。保護者たちもいろいろで、おひとりで座って聴き入っていたり、楽しげにほかの保護者と会話をしたり、誰かが誰かを紹介して紹介された誰か同士がにこにことお辞儀をし合ったりしている。あらゆる模様が混在した平和を、わたしは両方の服の袖を長男と次男に引っ張られながら眺めている。そこを音楽が吹き抜けていく。

風越学園に入園して今年で二年目、長男は年中、次男が年少。

幼稚園児のお迎えは十五時で、水曜日だけ十四時。時間になると、到着した保護者たちはそれぞれに駐車場側で待つ。水平線を見るかのように、遠くでいくつかの円になって帰りの集いをやっている色とりどりの子どもたちの方を向いてじっとその終わりを待つ。

時折、視界の脇で誰かと誰かが笑い合っているのが目に入ると、急に自分だけひとりのように思えてきて、所在のない両手を前で組んだり後ろで組んだり、iPhoneの画面を点灯させたりすぐに消灯させたりする。足の方も突っ立たせたままでは仕方がないので、交差させたり、半歩右へ半歩左へとうごうごして砂利石の音をたてたりしているとふいに、こんにちはと言ってもらえることがある。話が弾み、それなら今度お茶しましょう、と連絡先を交換したりもして、晴れ晴れとする。途端に大声が鳴っていつものように子どもたちが終わりを告げる、ではまた、と言ってそれぞれの子どもの元へ歩み行く。わたしを見つけた次男が身体全体を喜び一色にしたような笑顔で両腕を広げて飛びついてくる。抱きしめるや否や、今日のおやつなあに? と聞かれる。長男も走り寄ってきて、ママお腹すいた、とわざとかすれたような声で言う。

六月、ある雨の日、お迎えに行くと大きな虫かごを抱えたスタッフのあやさんを見かけた。気になって、なんですか、と声をかけると中は大きなカタツムリだった。四、五歳だと思いますよ、と言うので、四、五年生きているということですか? と尋ねるとおそらくそうだという。キャベツの破片が無造作に入れられた真ん中で蠢いているそのカタツムリは子どもたちによってニコちゃんと名付けられたらしい。

ニコちゃんの甲羅は小さめのみかんくらいの大きさで、古木のように固そうな焦げ茶色をしていた。その渦の隙間から大人の人差し指くらいある重たそうな肉体が伸びている。長く生きているせいか、たまたまそういう個体なのか、背中側は小さな突起がずらずらと列をなした硬質な粘膜で覆われており、それらが薄茶色のまだら模様を浮かびあげている、身は進むともなくうねうねと左右によじらせている。腹側はめっとりと小枝に密着している。頭の二本の角はちらちらちらちら忙しなく動いている。

我々とあまりにもかけ離れたニコちゃんの姿はどうしようもないじっとりとした不気味さで、しかし子どもたちの前でそんな反応をするわけにもいかず、挑む姿勢をもって自分の感覚と照らし合わせているうちに、この感情の正体は畏怖と呼ばれるようなものかもしれないと思い始めた。それから、これは神さまかもしれない、それか神さまがニコちゃんに化けているのかもしれない、とも思えてきた。そういう飛躍した妄想もすんなりいってしまうような出立ちだった。仮にこの森に無数の自然の神さまがいたとして子どもたちに世界のひとつひとつを教えてくれているのだと思ってみると、そこら中の木々の枝葉や茂みの揺れひとつひとつの重なりが踊りみたいにして届くようだった。

長男が、カタツムリの甲羅には毒があるんだよ、と言った。あやさんが、毒はないと思うよ、と言った。次男は顔ごとカゴに突っ込まんばかりにじっと見入っていた。傘を持たないわたしたちは、上から延々落ちてくる小雨に濡らされながらニコちゃんを囲んで立っていた。

後日、お迎えの十五時。霧雨の中、クローバーの葉を集めるのに夢中な子どもたちを見ていると、再びあやさんがやってきて、ニコちゃんがカゴから脱走したので今日はみんなでニコちゃんを探すためのポスターを作成したんです、と話してくれた。

#2022 #キュレーション #保護者

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かぜのーと編集部です。軽井沢風越学園のプロセスを多面的にお届けしたいと思っています。辰巳、三輪が担当。

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