風越のいま 2021年6月7日

束縛と放任と寄り添うの曖昧な違い

片岡 亜由美
投稿者 | 片岡 亜由美

2021年6月7日

「1」のプライド

先日、ホーム東65人の朝の集いに行こうと向かっていたら、芝生で1年生になったカズヤとケイが何やら話しているのが見えた。

どちらもホーム東のため声をかけようかなと思っていたら、ケイがカズヤを一発叩いて、集いの方へ走っていく。まだそんなやりとりなのか、と思いながら近寄ると、カズヤは立ち尽くしたままで、その隣りに年少・じゃぶじゃぶチームのナツハがいた。

ナツハはカズヤのことを信頼していて、近くにいると安心する存在だった。ナツハも姉になったばかりなので、丁寧に関わりたいところだったけれど、「なっちゃん。朝の集い始まってるから行っておいで」と声をかける。「カズヤといきたい」と言ったけれど、「カズヤは少し話をしてから行くから、先に行っといで」と伝えると、何回か立ち止まってカズヤの方を見ながらも、朝の集いの方へ行く。

カズヤに目を向けると、拳を握って我慢していた涙が溢れ出てきた。その瞬間、カズヤが年上のプライドを持っていることに気づく。

自由奔放に生き続けていると思っていたカズヤが、そうか、そういう意識を持ち、我慢するなんて成長したなぁと感慨深くなりながらも、表情も声も平常心で「どうした?」と声をかけると、涙を拭きながら、よくわからないことを説明している。「どうしたい?」と尋ねると、「あさのつどいおわったらはなす」と。

ここにケイを呼んで話しても良かったけれど、彼の選択を尊重し、カズヤと身近に生活を共にしているみほさんにだけ状況を説明し、集いへ行った。

2ーちゃんたちも

ホーム東の中で、常に一緒に生活している3歳児のじゃぶじゃぶチーム11人も4月当初は、登園から朝の集いまで常に駆け引きの連続だった。

たとえ風越学園が楽しい場所であっても、保護者と離れる行為は、難しいものである。しかも風越は、保護者と離れた後、兄弟姉妹とも離れなくてはならない。保護者の人たちも、兄・姉がいるから大丈夫と言い、子の手を離すけど、兄・姉のところに容赦なく私が迎えにきて、いわば連れていかれる。

そんなことが続くと、たいてい観念して、兄弟のところではなく、自分がつくった安心できる場所へ行き、自分の生活を始めていく。

安心・安全の場を第一に考えるならば、兄弟の近くで日々過ごすことも良いかもしれないけれど、私の場合、自立(自分を自分でつくる)しての安心・安全の場づくりなので、弟・妹目線で生活していくのではなく、生きていってほしい。

そのため、少しでも困った弟・妹アンテナが敏感な兄・姉はすぐに近くに行こうとした4月は、手のひらを向けて《絶対来るな!!!!》と合図をよくした。そして「君は君の生活をしてください」と伝え続けた。

弟・妹が兄・姉に依存することももちろんあるが、兄・姉も新しい環境で不安になると、弟・妹を拠り所にすることもある。

でも、同じ場所でも、人間関係や生活リズム(お腹のすくタイミング、トイレに行きたいタイムング、歩幅、外気温など)は一人ひとり違うため、自分で自分をつくっていく以外、やりようがないのだ。

自分で考えて、自分で工夫して自分で決断して日々生きていく。そこを尊重したい。

3ノリ

自分に敏感な子と、「〜したい」が強く、自分の体の信号に鈍感な子と、それはまぁ本当に十人十色。一人ひとりに寄り添いながら、見とりと言葉掛けすることに、まぁ日々葛藤している。

ミノリは、「〜したい」が強いように思う。そして、すぐに心が折れて大声で泣く。(涙は出ないけど)

風越の生活はあまりメリハリがなく、切り替えのタイミングは朝の集い、昼食、帰りの集いくらいである。たいてい10時半頃、「おなかすいた」と言い、もうひと遊びした後、トイレに行ってお弁当の流れになる。

5月下旬頃から、食べるより遊ぶをよく選択するミノリ。それはそれで良し!と思っていたけれど、前から食べながら歩いたり、お弁当の途中で何かしらトイレだの手を洗いたいだの行って、そのまま遊びにいくのが続いていたので、声をかけられることが多かった。

田んぼに行った時に「まだおなかすいていない」と言い、結局お弁当を食べずに帰ったことをキッカケに「ぼく、おうちにかえってからたべたい」というようになる。まぁそれはそれで良いような気もしたけれど、暑い日も増えてきて、体力も奪われるようになるし、ホーム東のスタッフたちの雑談でも「みんなで食べるって楽しいことなのにね」という言葉に確かに、と思い、みんなが食べ終えてから、ミノリを誘って1対1でお弁当を食べることや、私が関われない時は他のスタッフにお願いしてそばにいてもらうようにした。

「みんなで食べるって楽しい」はミノリにとっては、みんなよりもまずは安心して楽しく食べる環境を整える方が良いのかもな、と思った。それを仲間の子どもに託すことは簡単だったかもしれないけれど、私自身がまずミノリと一緒に楽しく食べなくちゃ放任のように感じた。

一人で食べているミノリの横にずっといながら「一緒に食べたかったな」と伝えると、「ぼくもいっしょにたべたかったな」と言い、「あしたいっしょにたべようよ」と言い、ゆびきりげんまんをしてくる。

次の日、朝から「今日は一緒に食べようね」など種を蒔き、ミノリの遊びの一段落ついたところで、トイレに誘ってお弁当にする。ミノリはニコニコで、ずーっと喋ってはいるけれど、食べる勢いもすごい。

やっぱりいつもこの時間でお腹すいてるのか、と改めて感じると共に、12時15分に放送する担当を担っている私は、「てんてんさ、これからお仕事して来るんだけど、食べれるかな?」と聞くと「うん。でもてんてんはピカピカにおべんとうしてからいったほうがいいよ」と言われ、完食してその場を去る。戻って来ると、すでに食べ終えていて遊んでいる。「ピカピカになったかな?」と声をかけると、「ぼく、おなかいっぱいになっちゃったから、のこしたんだ〜。」と言われる。

次の日、また遊びが一区切りついたところでトイレに誘い、また一緒に食べる。「てんてん、今日もお仕事行ってくるね」と伝えると「またぁ?いいよ。がんばってね」と言われ「てんてん、すぐにもどってくるけど、ミノリちゃんがピカピカに食べてたら嬉しいな」と伝えると、「うん。ママもうれしいよね。」と言い、「そうだね。楽しみにしているね」と伝えると「うん。ぼくのことしんじてね」と言われる。「もちろん、信じているよ。」と言いながら、あー、心の中、覗かれたな。先回りして声をかけすぎたな。。。

この日、戻ってくると、ピカピカになったお弁当を机に置いたまま遊んでいたけれど、ピカピカになったことを一緒に喜んだ。もしかしたら、ピカピカになったのを見せたくて、そのままだったかもしれないし、片付けをただ忘れていただけかもしれないけれど。

4ever

保育者は、先導するものでもなく、一緒に生活する中で、環境を整えてみたり、整えすぎなかったりしながら、自分をつくっている君と一緒にいよう。

一緒に葛藤して、悩んで、考えて、そして選択していこう。

私と一緒にいて、安易な幸せは手に入らないけれど、充実した日々は必ずある。

君は自分で自分をつくる。そこに保育者として、ちょこっと参加させて欲しい。

#2021 #出願前おすすめ記事 #前期 #幼児

片岡 亜由美

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今しかできないこと、今だからできること、当たり前ではない今日を、子どもたちと共に生きて学んで経験していきたいと思います。

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