2021年5月24日
前期(年少〜2年生)のホーム東は毎朝、カラマツ林(カラマツの木が茂る一角をそう呼んでいる)で65人が集い、朝のおはようの集まりをしている。
65人が集まる輪は結構大きい。当初はその大きさに圧倒する感じ、心がざわざわする感じもあったが、一日のはじまりに毎朝顔を合わせ、歌ったり踊ったり同じ時間を共に過ごしていくうちに「今日もさ、パプリカ踊ろうよ!」「つくった歌うたおう!」という声が上がったり、大きな丸太の上でお尻フリフリしている人が出てきたりと、それぞれのいろいろな姿が見られるようになってきた。安心して今の思いや感じていることが表れてくる場になってきている。
ホーム東のホームのイメージは家族というよりは、庭だ。誰でもいつでも集まれて、お喋りしたり遊んだり仕事をしたりすることが出来て、一人ひとりの心地よさが守られるところ。そこは、一人でもいられるし、交わることもできる。
そして、移ろいゆく自然に身を委ねながら一人ひとりが生活者となって過ごし、学ぶ中でつくられていく『暮らし』をカリキュラムの真ん中に据えて過ごしていこう、とスタッフで話して決めた。
でも実際目の前にいる子どもたちはどんな暮らしをつくっていきたいと願うんだろう。そんな事を思っていた時、年中チームの子どもたちが心を寄せたある小さな命たちとの出合いのエピソードを、今回のかぜのーとでは分かち合いたい。
年中チームのある日の集まり。昨年度、鉢に植えたドングリの種は鉢が倒れてしまって芽を出すことは無かったと経緯を話したところ「また、種を撒こう!」という声が上がり畑をつくることになった。
お日様がいっぱい当たるところはどこかなぁとカラマツ林の中を練り歩き、良さそうなところを見つける。
ここにしよう!となったとき、
ダイトが「ここにイチゴがあるよ!抜いたらかわいそう」と言ったことに他の人たちも集まりダイトが指差した葉をじーっと見つめる。それはヘビイチゴの葉っぱだった。
「ここにはヨモギもあるよ」というレイの一言に、リホ、コナ、ハルタカ、カエデも次々にヨモギを見つけた。
「たんぽぽも大きくなりたいのにかわいそうだよ」と、レイ。
「でもタンポポは雑草だよ」とダイト。
私が「雑草ってなんだろう…」と言うと、
「ハルタカのお家にいっぱいあるよ、こんど見せてあげる!」とハルタカ。
そこには、ここに元々ある命、そして引き継がれ新たに生まれ大きく育とうとしている命を見つめて想いを馳せている人たちがいた。きっと子どもたちにとってこれらの命たちとの関係性はずっと公平で自分事なんだろう。自分たちが大きくなるということと、こうした言葉を持たないものたちが生長する、ということは繋がっている、そう感じた出来事であった。
元々あるものは抜かない、耕さない畑…そんなことが畑のイメージになって畑づくりがスタートした。
一人ひとり容器に畑(苗床)を作り、そこに種撒きをした次の日のこと、ジンの容器がひっくり返されて種も土も無くなってしまっていた。ジンはションボリ。ダイト「(ホームの)みんなに倒さないでくださいってお知らせしなきゃ!」「コナもお知らせする!」と意気込んでいた。
そして、ホームの集いの中でダイトは大きく手を挙げて「ジンくんの畑が倒れてしまいました」と言う。その間、コナは空になったジンの容器を持って大きな輪を廻って見せていた。普段の集まりでこうして思いを表すことは少なかったコナ。「ジンくんの種が無くなってしまって悲しい、大きくなるはずの種も悲しい」そんな彼女の言葉にならない思いを空の容器をみんなに見せることで伝えていた。それは彼女の訴えの形だったように思う。
コナは次の日も森の中で出合った小さな命に思いを巡らせていた。コナはジカキムシが葉を食べた跡を見つけて「はっぱに字がかいてあるよ、なんてかいてあるんだろー」と不思議そうに呟いた。私はコナに「面白いものを見つけたね、みんなに見せてあげようよ」と葉っぱを採ろうとすると「だめ!」とその小さな両手で若葉を包み、守った。
そして「あかちゃんのはっぱ採っちゃったらかわいそう」「ねぇ、いやだよねー」
その姿はまるで若葉と対話しているかのように…。
言葉を持たない葉っぱたちとどんな風に出合いたいと願っているのか、彼女の想いが伝わってくる。
畑づくりで生まれた対話から、そしてこのコナの願いや訴えの姿から、彼ら彼女らの今の関心事は植物たちが大きく育とうとしている事実にあるのではないだろうか、と考え、次第にそこに焦点が当たっていった。
次の日の集いで、コナが見つけたジカキムシの葉っぱに会いに行こう!とコナの先導で森へ入ることに。そこは森の奥へとつながる人間の歩く道が出来つつあった。その道を行くとドングリの芽が土から出てきているのを発見。この今にも踏みつぶされそうなドングリの芽を知ったらこの人たちはどんな風に捉えるだろう、と思い投げかけてみた。
(あいこ)ここに、芽が出てるんだけど、踏まれちゃいそう、どう思う?
「根っこが出てる!」
「ほら、つちにくっついてるでしょ」
「おかあさんはどこにいるんだろう」
「この木かなぁ」
「赤ちゃん探してるんじゃない?」
「大きくなりたいっていってるよ!」
「いいことかんがえちゃった!!ここはあかちゃんがいまーす、ってお知らせすればいいよ」
「そしたらずっと(ここに居て)紹介しないといけないんだよ、いいの?」
「看板つくれば?」
「みんながこの道通れなくなると困るんじゃない?」
「あ!熊も踏んじゃうかも!」
「でも熊は文字よめないよね?」
「じゃあ、✖ってかくっていうのは?」
「ちいさい熊さんなら踏まないかもよ」
「案山子をつくればいいんじゃない?」
「それは鳥でしょー」
「こわい案山子をつくればいい」
「熊さんがかわいそう」
「かわいい案山子は?」
「そうしたら熊が、森から外に出られなくなっちゃってかわいそう」
それぞれの考え、想像が膨らんでくる…。
この日ちょうど熊学習で熊のことを教えて貰ったので、時間軸を広げて伝えてみることに。
(あいこ)熊は何をたべるんだっけ?
「アリ」「木の実」「どんぐり」「はちみつ」
「このあかちゃんどんぐりが大きくなったら樫の木になる!」
「どんぐりたーっくさんできるんじゃない?」
「熊さん喜ぶよね」
「わかった、いいことかんがえた!熊ベルは?」
「森は風が吹くでしょ、そしたら熊もわかるんじゃない?」
「ここにベルをぶら下げたらいいんだよ」
「風が吹けばベルもなるよね、いいじゃん!」
「やじるしは?」
「くまさんは矢印わかるのかなぁ」
「わかるよ!」
言葉を持たないものの側に立って思いを巡らしてみたり、自分たちの生活場面を想像したり、行ったり来たりしながら、どうしたらいいんだろう…と考えていた。
こんな風にじっくりそのものに出合い、この両者を行ったり来たりしながら、それぞれが思い描く「いいことかんがえちゃった!」を膨らましていった。
たくさんの思いが出てきたところで、わからないことはやってみようとなり、まずは矢印を作って立ててみよう、ということに。
ラボ室へ行き必要そうなものを準備する。ジンとダイトは以前ここで看板を作っていたこともあり、どんな道具を使うか慣れた様子で必要なものを準備している。スタッフが用意したえのぐは4色であったが、彼らによって、多様な色のえのぐが用意された。アイラ、カホ、カエデは様々な形の木片を繋ぎ合わせて新たな形を作った。コナは三角と長四角を組み合わせて矢印を作った後、もう一つ作り始めた。レイが「にじいろの看板つくろー」と色を板にのせていくのを見て「わたしは星の看板にするー」と、一つ、また一つと色が繫がり板に星空のイメージをのせた。リホはダイトがのこぎりを使っているのを見て挑戦し始める。「つかれたー」と苦戦しながらも1枚の板から3枚もの板をつくり出した。
自分と他者の間で揺れ動いた思い、色や筆、木の形などモノの間の中で動いた思いや気づき、それぞれの出合いによって、新たな形が生まれ、新たな挑戦が生まれていた。小さな命への関心を始まりに、わたしたちの暮らしづくりが始まった。
子どもたちの心の中には言葉にならない願いがある。それはそのもの(自分)だけが輝きたいという願いではなく、子どもたちが関心を寄せた自然界の命に対する想いのように、共に輝き合うような願いだ。
わたしの願いに出合いながら、心も身体も心地よい暮らしをつくっていく。それは一人ひとりにとって「私の暮らし」でもあり、「私たちの暮らし」でもある。
季節の移ろいと共に出合う自然の仲間たちとお喋りしながら…じっくりたっぷりと一年の歩みを味わっていこう。
子どもたちの世界は面白くてワクワクします。一人ひとりの「おもしろい!」の世界を大切に実体験を通して深め、拡げていけたらと願っています。そして暮らしの中で見つける小さな喜びや気づきを一緒に積み重ねていけたら幸せですね。
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